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日蘭ネタ 日蘭世界においての民俗学的な感じな深海仏棲姫についてのネタ その3



◯?社刊 FFR、日常の風俗史より抜粋


五月三〇日と一〇月一五日に行われる贖罪の日、それが正確にいつから始まったというかは定かではない。
本土支那植民地奪還直後の混乱期には日蘭より導入された水子供養と同様に始まったのではないかとされキリスト教の大斎を下地に神道の大祓、
仏教の施餓鬼の影響が垣間見える。

贖罪の日と呼ばれるようになったのはFFRが先の共和制の否定により始まった故に先の戦争が戦後、
本来フランスが参戦すべきでなかったとなった故である。
それを死者に懴悔し忘れない為の贖罪の日であった。そして許しを請いその罪過を流して貰うのである。

その内容は贖罪の日の朝、夜が開ける前に海や川、浴槽などの水を被り己の罪を女神に懴悔すると共にその日は一食のみしっかりと食べ、
残りニ食は少し食した後に海や川へと舟形の入れ物に入れ罪過と共に海に流すという内容だ。

食物を控え食物を流す、戦中後の混乱期には食糧不足による栄養失調や餓死で亡くなった者も多くおり、
食物を控えるという行為そのものは他者へ分け与える為に、食物を流すという行為は食料が安定してきた後に死者への慰めとして行われた。

そして身を清めるという行為はペダン元帥の進めた身体の清潔を保つことで健康を保つということが由来ではないかとされている。
科学的な説明はもとよりペダン元帥が信心深い者の為に悪魔(支那人、所謂セクト)に殺された死者を弔った者はその者に穢を付けず、
また己も穢を持たない為に己を清潔にすべしと訓示したという一節が残っている。


-中略-


食物を流す行為は時代が下りると霧の向こう、オセアンの下で戦う兄弟への補給物資としても扱われる様になった。
さらに時代が下り、リシュリュー信仰が確立し他神話の神々、聖人の権能を吸収していく中で差詰リシュリュー本地説というべきものが生まれると、
贖罪の日は度々地上に降りフランスを救おうとしたリシュリューを邪魔してきたフランスの罪や各々の心の罪などを懴悔する日も兼ねる様になってきた。

それが決定打となったのは201X年に工事中のブレスト海軍ドックで発見されたメリュジーヌ碑文である。
この碑文の発見後、時のFFR大統領により地域によって違っていた贖罪の日は聖女と王妃の命日に定められている。

さてこの贖罪の日に流したものの流れる果てであるが食物は海を通し霧の向こう、オセアンの御下へと流れ着くとされている。
これは物が霧の向こうへ…死者への手向けであり戦う兄弟への補給品であるこから納得出来るがFFRの法には罪なき罪過、
日本で言えば穢というべきものはどこへ行き着くのか?
穢は誰が祓うのか?
それらはFFRの女神であってはならない。何故ならFFRの正の側面である彼女らが穢れることはあってはならない。

ちなみにFFRにおいて日本と違い血は穢とはなり得ない。
敵の血は武勲の証であり、己が血は勲章、味方の血は尊きものであるからだ。

FFR神話において詳細は語られぬがFFR神話の研究者の間で予想されている場所がある。
それは海の底、FFR外ではメリュジーヌと呼ばれる女神の所である。

現世の主神たるリシュリューから別れたされる秘女神メリュジーヌ。
彼女は研究者の間ではオセアンと異なる意味でリシュリューと表裏一体の女神であるとされている。
正を司るリシュリューに対しFFR全ての負を統べる女神、故に彼女は現世におけるFFR神話の負の側面すべてを担うことが出来る。
その内の権能の一つがFFRの法を犯さない罪過すべて祓い清めるという権能だ。

故に彼女はFFR内でこうも呼ばれる【Pardonneur des peches(穢を禊ぐ御方)】と。

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短いですが以上になります。
法によらぬ罪を償うならば、穢を祓うならばと生まれたそのシステムが必要ということ回でした。

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最終更新:2024年06月10日 23:37