608:ホワイトベアー:2024/01/29(月) 22:36:19 HOST:om126033116020.35.openmobile.ne.jp
日米枢軸ルート(改訂版) 戦闘機紹介 大日本帝国海軍編

FA-8
満州戦争時に大日本帝国海軍空母航空団の主力機であった0式艦上戦闘機と96式艦上攻撃機の後継機として、倉崎重工が開発した小型ジェット戦闘攻撃機。

当時の日本海軍の主力空母は33,000トン級の蒼龍型航空母艦で、本艦での運用を前提に開発された本機は全長13mクラスの小型戦闘攻撃機であった。
しかし、本機は満州戦争時の海軍航空軍総軍の主力戦略爆撃機であった92式戦略爆撃機に匹敵する爆弾搭載能力を有し、積載量のみならず小型な機体と大出力エンジンの恩恵を活かして高い運動性能を発揮する。
攻撃機的特性の強い機体でありながら戦闘機としても高い能力を持つマルチロール機として完成した。

機体構造は極めて単純なもので、当時の陸上レシプロ戦闘機をも凌ぐ高い性能と、信頼性や整備性もジェット戦闘機としては極めて高い。そういう意味でも艦上や夜戦飛行場でも扱いやすい機体であった。

武装としては20mm6連装回転式機関砲1基を固定武装として備えている。
胴体底面には中心線にそうように1箇所のパイロンが設けられ、両翼にはそれぞれ2箇所ずつパイロンを設置可能なハードポイントが設置されている。

各パイロンは増槽や電子線ポットの他、ミサイルや自由落下爆弾、機関銃ポットなどの兵装も搭載可能としている。
主翼下パイロンは1箇所辺り最大1発のミサイルもしくは1発の自由落下爆弾、胴体下パイロンにも最大で2発の自由落下爆弾もしくは2発の空対地ミサイルを装備できる。

日本海軍の主力空母であった蒼龍型航空母艦で運用できる数少ないジェット艦載機だったため、日本海軍空母航空戦力の数的主力として世界大戦において重要な役割を担った。
さらにその性能の高さと扱いやすさと運用コストの安さからアメリカや朝鮮連邦共和国、満州連邦、オスマン帝国など日本の同盟国では空母艦載機のみならず陸軍航空隊の主力機としても運用された。

1940年代までのバリエーション

FA-8A
初期生産型。史実A-4F相当。

FA-8B
エンジンを推力低下型に換装し、武装や兵器積載能力を削減した複座練習機型。TA-4J相当。

EA-8T
電子戦訓練機。

FA-8C
エンジンを推力5.08トンまで向上した倉崎KT-5-32Dに換装することで兵装の搭載量を4.15tへ増加させ、機種に角速度爆撃システムを搭載するなどアビオニクスも刷新した機体。1912年より空母航空団を中心に配備が行われた。A-4M相当

609:ホワイトベアー:2024/01/29(月) 22:36:58 HOST:om126033116020.35.openmobile.ne.jp
F-10 飛燕
大日本帝国海軍空母航空団と航空総軍において、1910年より運用が開始された超音速ジェット艦上戦闘機。
満州戦争で日本海軍の主力戦闘機として活躍した0式艦上戦闘機の後継機の1つとして開発された。

本機は、当時急速な発展を遂げていたミサイルの母機というコンセプトの下に開発された機体で、超音速能力とレーダー性能、ミサイル搭載能力を重視して設計された。
設計コンセプトもあって機体は従来の戦闘機の常識を遥かに超えるほど大型化し、レーダー性能とミサイル運用能力の付与による操作性の複雑化に対応するため、日本海軍の戦闘機では初の複座機となった。
前席にパイロット、後席にはレーダー迎撃士官が搭乗する。

固定兵装として20ミリ6連装回転式機関砲を1門装備している。
搭載ステーションとして、胴体下に中距離空対空ミサイル用の半埋め込み式ステーションが4発分設けられている。
主翼下の短距離空対空ミサイルステーションには短距離空対空ミサイルを4発搭載できる。
翼下の2箇所、胴体下面に1箇所の3ヵ所には各種兵装を搭載するためのハードポイントが設けられ、ハードポイントには増槽や電子戦ポッド、各種空対空ミサイルや空対地・対レーダー・対艦ミサイル、汎用・誘導爆弾、ロケットポッドなど多様な兵器を搭載可能とする。

本機は搭載力や機動性を確保するため、最大80kN近い推力を発揮できるターボジェットエンジンを2基搭載している。
これは当時の他国の戦闘機はもちろん、1世代前の日本軍のジェット戦闘機と比べても群を抜く高い推力を発揮できた。その対価として燃費も非常に悪かったが。
しかし、機体の大型化によって胴体内に6個、主翼内に2個の燃料タンクを搭載し、さらに主翼下と胴体下に1個ずつの計3個の増槽を搭載可能とすることで3,000km以上を無補給で飛行できる圧倒的な航続距離を誇っている。

1910年より実戦配備が開始された本機であるが、海軍空母航空団に配備が開始されたのは瑞鶴型航空母艦が就役した1915年以降まで待たなければならなかった。
というのも、配備が開始された当初は今だ従来機よりも遥かに大型な本機を満足に運用できる航空母艦が存在しなかったためだ。
そのため瑞鶴型航空母艦が就役するまでの5年間の間は戦略爆撃機の護衛機として海軍航空総軍に配備が進められた。

1940年代までのバリエーション

F-10A
初期生産型。F-4B相当

F-10B
レーダーをパルスドップラー方式のものに変更するなどアビオニクスが刷新され、ルックダウン能力と全高度核兵器運用能力、目視目標捕捉能力、短距離空対空ミサイルの射程延長能力、戦術データリンクシステムなどが付与されている。
また、主翼周りやエンジン、メインギアの見直しも行われ、空戦時の運動能力向上や操縦性に改善なども行われた。

F-10C
F-10Aの近代化改修機。
電子兵装をF-10Bと同程度までアップデートされている。

F-10D
F-10Bに寿命延長と近代化改修を施したタイプ。
レーダーの換装の他にECM装備、レーダー警戒装置を装備するなど電子戦兵装も充実している。

610:ホワイトベアー:2024/01/29(月) 22:38:20 HOST:om126033116020.35.openmobile.ne.jp
FA-30 トムキャット
三菱が開発・製造を担い、大日本帝国海軍とアメリカ合衆国海軍で採用された超音速艦上戦闘機。
F-10の後継機として1930年に正式採用されて以降、配備が進められている。

本機は当時の大日本帝国が有していた先端技術の粋を結集して開発された機体で、秋月型防空駆逐艦と同様のコンセプトに基づいて設計・開発された、艦隊防空戦闘機という言葉を体現した機体である。
それ故に1930年代では本機に勝る艦上戦闘機は存在せず、それどころか陸上機ですら本機に匹敵する機体がF-29のみと言うほどに隔絶した性能を有していた。

艦隊防空戦闘機として開発された本機は、上昇力、・速度・ミサイル搭載量・航続距離にその重きをおいて設計されている。その為、機体はこれまでの艦上戦闘機とは比べ物にならないほどの大型な機体となった。
しかし、リフティングボディ(揚力胴体)の採用による高い揚力発生効果と、可変翼の自動制御による後退角最適化によって最大9Gまでの負荷に耐えることを可能とし、決して格闘戦能力が低いわけではない。

固定兵装としては近接格闘戦用に20mm6連装回転式機関砲を左側機種に1門装備している。
胴体下面の左右エンジン間には4ヶ所のパイロンあるいはランチャーを装備しており、主翼根元に1ヶ所ずつあるパイロンおよびその側面にあるレールランチャーと合わせて計8ヶ所に最大8発のミサイルを搭載する事ができる。

日本海軍での愛称はトムキャットであるが、これがいつ頃からついた愛称なのかは不明である。
もっとも有力なのは、アメリカ海軍で運用されているFA-30の非公式愛称が逆輸入される形で定着したと言う説だ。

本機は大日本帝国海軍の実働部隊(空母航空団及び基地航空隊)はもちろん、海軍曲技飛行隊にも配備された。
合同軍事演習や軍事パレード、観艦式など多くの舞台で公開された為、日本海軍の空母艦載機の象徴として世界に知られている。
また、日本海軍以外ではアメリカ海軍にも採用され、日米海軍向けに合わせて1500機が製造・配備された

余談であるが、本機の性能を知ったアメリカ海軍のキング海軍省航空局長は
「インペリアルネイビーズは費用対効果と言う言葉を知らんのか?それとも宇宙人とでも戦うつもりなのか?」
とホームパーティの場で部下に漏らしたという。

1940年代までのバリエーション

FA-30A
初期生産型。F-14Cに相当する。

F-30B
海軍航空総軍の要求に合わせて、戦略爆撃機を護衛する護衛戦闘機としてFA-30を原型に開発された機体。

FA-30C
レーダーのデジタル化やコックピットをグラス化、赤外線捜索追尾システム及び統合戦術情報伝達システムの追加装備、火器管制システムの換装などアビオニクス周りの刷新が行われたタイプ。
1940年より配備が開始された。

FA-30D
航続距離や兵器搭載能力を向上させると同時にRCSの低減させるため、機体を再設計して開発された。
史実スーパートムキャット21に相当。1948年より調達が開始された。

611:ホワイトベアー:2024/01/29(月) 22:41:08 HOST:om126033116020.35.openmobile.ne.jp
FA-33 雀蜂
倉崎が三菱から艦上戦闘機のシェアを奪うため、中島と協力して開発した艦上戦闘攻撃機。
1933年に大日本帝国海軍に採用されて以降、アメリカ海軍やオスマン帝国海軍などでも採用され、運用が続けられている。

本機は徹底的にトムキャットの欠点を分析して開発された機体であった。
トムキャットは艦隊防空戦闘機として当時の大日本帝国の持てる最新技術を全て盛り込んだ戦闘機で、当時では世界最強の戦闘機と呼ばれるに相応しい高性能を有していた。しかし、その対価として大型かつ高コストという問題も抱えていた。
さらに防空戦闘機として開発された事から、汎用戦闘機として改装されてもその対地攻撃能力は値段の割に高くはなかった。

これに目を付けた倉崎は、安価で一定の空戦性能とトムキャットを超える対地攻撃能力を有する戦闘機を構想する。
おりしも帝国海軍は次期艦載軽攻撃機開発計画を開始していたため、海軍の予算提供の基に正式に開発が開始された。

機体構造としては隼にも採用された、胴体と翼を一体で成型するブレンデッドウィングボディ(BWB)を採用する。
翼の配置は、エリアルールを適用して主翼と水平尾翼の間に配置された垂直尾翼と直線翼に近い後退角の小さな主翼、さらに大きなLERXとの組み合わせが採用されている。

これにより本機は中低速域での優れた運動性・機動性・離着陸性能を獲得する事に成功し、攻撃機運用では中低速域での運用を重視していた大日本帝国海軍に本機が採用された一因となった。

一方で本機は帝国海軍からのコスト削減の強い要望に答える為、コストが安く整備も容易で信頼性も高い固定式エアインテークを採用、最高速度はマッハ1級に留まっている。
さらに遷音速域から超音速域といった高速度での性能や加速性は決して良いものではない。
戦闘機として評価は低くはないが高くもないと言う微妙な立ち位置となってしまっている本機であるが、帝国海軍は本機を自衛のできる攻撃機程度にしか考えていない為、この問題は帝国海軍では軽視された。

エンジンには中島製の低バイパスターボファンエンジンを2基装備している。
このエンジンは他社のものに比べても比較的・信頼性や燃費に優れており、さらにレスポンスもきわめてよい。
具体的に言えばエンジンの立ち上げまで約30秒、アイドリング状態からフルスロットルまで約4秒ほどて到達可能であった。

固定兵装としては20ミリ6連装回転式機関砲を採用している。
短距離・中距離空対空ミサイル、・誘導爆弾・対地・対艦ミサイル・滑空爆弾などを短距離空対空ミサイル用に2基、翼下に4基、胴体したに3基の計9基装備しているハードポイントに最大で6,200 kgまで搭載可能としている。

トムキャットのカウンターとして生み出された本機であったが、結局、帝国海軍ではトムキャットの代替として認められず、上記した通りあくまでも戦闘機としても運用可能な攻撃機として運用されていった。
しかし、そのような贅沢なことができるのは超大国である日本のみで、オスマンなど地域大国クラスの国々では本機が主力艦上戦闘機として運用されている。

また、タイ空軍やインドネシア空軍、イラン空軍などでは汎用性の高さとスクランブル性能の高さから空軍の主力戦闘機として配備する計画が立案されたりもしていたりする。(もっともこれらの空軍では後にF-34が採用される事になり、計画はたち消える事になるが)。

1940年代までのバリエーション

F-33A
初期生産型。史実F-18Aに相当する。

F-33B
初期生産型。史実F-18Bに相当する。

F-33C
1936年度より調達が開始された近代化改修型。
設計の見直しによる軽量化とエンジンの換装、搭載電子機器の強化、ミッション・コンピュータの改良、さらにAAM-36長距離空対空ミサイルやASM-29空対艦ミサイル、AGM22空対地ミサイルの運用能力の付与が行われた。

F-33D
F-33Cの複座型。

F-33E
機体設計を向上させるため、基本設計か抜本的に再設計する形で開発された。
機体を大型化させることでアビオニクス用スペースを拡大させ、電子装備を拡充させている。
同時に機内搭載の燃料タンクの容量増加による航続距離の延長、運動性の向上なども実現した。
ハードポイントも左右1箇所ずつ増加するなど兵装搭載能力も強化されている。
多機能情報伝達システムを搭載されるため、大容量データ・リンクを可能としている。
1945年より配備が開始された。

F-33F
F-33Eの複座型。

612:ホワイトベアー:2024/01/29(月) 22:42:31 HOST:om126033116020.35.openmobile.ne.jp
以上になります。
長かった……
これでようやくだいぶ前に投稿した戦闘機紹介シリーズをリメイク版に改定し終わった……

wikiへの転載はOKです。

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最終更新:2024年06月11日 17:58