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近似世界 イタリア戦線の一幕 0
1943年9月9日
この日、イタリアの長靴は針の筵を踏み抜いた。
イタリア王国南部、バジリカータ州マテーラ県の風光明媚だったビーチ。
しかし現在では、白い砂浜ではパラソルやベンチの代わりにトーチカやチェコの針鼠(対戦車障害)が鎮座していた。
南国の夏を楽しむ海水浴客が居た筈の温かい海には、極東から遥々破滅を持ってきた日本人の、地中海を埋め尽くさんとする数の鐵の城どもが浮かべられていた。
マテーラ上陸作戦「伊1号作戦」の始まりである。
上陸作戦の端緒は、日本海空軍による盛大な爆撃から始まった。
翔鶴、瑞鶴所属の海軍航空隊が伊海軍残党が逃げ込んだタラント港を爆撃し、残存する駆逐艦や魚雷艇を殲滅。
同時に大鳳、雲龍の航空隊が上陸予定地付近で航空撃滅戦を展開。地中海海戦で受けた損害を回復させることができなかった独伊空軍は、僅かな抵抗の後に殲滅されていった。
クレタ島から出撃した空軍の爆撃部隊は、マテーラからナポリやシチリア島方面へと繋がる幹線道路と付随する交通の要衝を空爆。枢軸地上軍の戦力移動を拘束した。
そして、日本軍上陸地点であるジノーザ海岸。
そこは正しく、地獄の叩き台だった。
大和、武蔵、信濃、紀伊、金剛、比叡、霧島、榛名の戦艦8隻からなる臨時戦隊が、上陸の邪魔になりそうな一切合切を艦砲射撃で吹き飛ばし始めたのだ。
46cm砲32門と、51cm砲36門。更に各砲が自動装填装置を導入しており、1門あたり毎分4発近いペースで発射してくる。
1時間もしない内に4ケタの戦艦主砲弾を受けたジノーザ浜は、瞬く間にWW1の西部戦線を思わせるクレーターの大地へと変貌し、観光地の面影は爆炎の中に消え去った。
それは上陸部隊を待ち構えていた枢軸軍も同様であり、町の建造物を利用した機関銃陣地や道路脇に掘られた偽装対戦車塹壕、森の中の迫撃砲陣地なども等しく破壊されていく。
その後、掃海艇が機雷を破壊しつつ巡洋艦や駆逐艦が被弾覚悟で海岸に接近する。
そして、偵察ヘリコプターが低空飛行で沿岸部に近づき、残った敵陣地や火点を割り出していき、情報を受け取った巡洋艦の速射砲が精密な火力を叩き込み始めた。
彼女らの砲撃は強力で、精密で、そして容赦が無かった。
運良く戦艦の砲火から逃れた建造物は、それ故に瓦礫の中で明るい外壁が目立ち、次なる標的となる。
戦艦と比較して小さい砲とはいえ、203mmや155mmというのは陸上において重砲と言われるものである。
それが、自動装填装置を用いて一門あたり毎分10発以上。こうなれば、並大抵の建造物は粉微塵である。
442:奥羽人:2024/03/11(月) 21:33:01 HOST:M014009102000.v4.enabler.ne.jp
この時の日本軍は後のノルマンディー上陸作戦に匹敵する戦力を投入しているが、上陸正面幅はその2分の1程度である。つまり、戦力密度は単純計算でノルマンディーの倍だ。
そうして海岸線が地獄絵図と化していた頃、内陸部でもまた地獄が現出していた。
ジノーザやベルナルダといった、浜から少し入った所に位置する街々。
これらには日本軍の上陸地点に逆襲をかけ、海へと追い落とす為の戦力が配備されていた。
無論、枢軸軍地上部隊は制空権を奪われた事実を認識しており、対空火器の充実化や偽装の強化を徹底していた。しかし、日本相手には少しばかり足りなかった。
遠方から飛来した日本空軍の戦略爆撃機編隊は、枢軸軍戦力が潜んでいるとおぼしき地域に対して“戦術的な絨毯爆撃”を敢行。
数十トン以上の通常爆弾および集束爆弾の雨は無慈悲であり、散開して待機していた枢軸軍歩兵や車輌に損害を負わせていく。
勿論、投下された爆弾の殆どが無駄弾となったが、生憎、日本はその程度の無駄を押し流せる国力と意志を両立していた。
爆弾の雨に堪らず対空砲火を打ち上げてしまった所はより悲惨であり、反撃を目印にした偵察攻撃隊に誘導された戦略爆撃機は土壌まるごと掘り返す勢いで、より入念に爆弾を投下していったのだった。
逃げ出す事ができた者はまだ幸運だった。大半は、動く間もなく吹き飛ばされるか、爆風とフラグメンテーションの嵐を蹲ってやり過ごすしかなくなったのだから。
日本海空軍による下拵えが終わりに近づくと共に、沖合いの強襲揚陸艦から飛び立った輸送ヘリに分譲した歩兵部隊が、真っ先に海岸に到達して降下。先進的な装備を抱えた歩兵が、既に焼け焦げた廃墟となっていた海沿いの街の跡に踏み込んでいく。
瓦礫の陰を一つ一つ確認しながら進んでいき、沖合いの戦闘艦との連携で上陸を邪魔する可能性のある生き残った機関銃や野砲をしらみ潰しに狩り出していった。
そして、満を持して上陸部隊を満載した揚陸艦が岸へと前進を開始する。
既に、最も邪魔な位置にある海岸線付近の対舟艇・対戦車障害は、艦砲射撃によって粗方破壊された。また、満潮によって海中にあるものですらも、海岸線より手前に砲弾を叩き込む暴挙によって無力化されてあった。
浜の眼前、水際から100m先に広がる森林に対しても、多連装ロケットや焼夷弾が叩き込まれ炎の渦と化している。
擱座着岸(ビーチング)した戦車揚陸艦のランプが開いた瞬間、僅かに生き残った機関銃から放たれた弾が、船内へと飛び込む。幾つかの甲高い金属音が鳴り響いたが、それはやがて野太いエンジン音に掻き消された。
九五式重戦車の上陸である。
443:奥羽人:2024/03/11(月) 21:34:22 HOST:M014009102000.v4.enabler.ne.jp
艦砲射撃で叩きのめされた浜に轍を引きながら上陸した九五式は、機関銃の集中砲火を弾き返しながら侵攻する。
WW1の西部戦線を思い出させるようなクレーターの大地を進む重戦車の真上を、揚陸艦に設置されたロケット投射器から放たれた130mm噴進榴弾が通過していき、上陸部隊の眼前を薙ぎ払った。
尚も抵抗を続ける鬱陶しい機関銃は、重戦車の55口径120mm砲によって廃墟の瓦礫ごと破壊される。
重戦車の後から続いて出てきた中戦車が側面をカバーするように展開し、枢軸軍残存兵力との戦闘……いや、一方的な掃討を始めていった。
サイズ故に辛うじて生き残れた伊軍75mm対戦車砲は、クレーターから頭だけ出した九五式の正面装甲に虚しく弾かれ、次の瞬間にはその九五式を含む3両の戦車から釣瓶打ちを食らい粉微塵に成り果てる。
独軍が鹵獲して伊軍に供与されたルノー戦車も同じく、効かない砲弾を撃つだけで破壊されていった。
水際防御を支援する為に内陸部で上陸部隊を狙っていた砲兵隊は、半数以上が事前砲爆撃で破壊され、もう半数も機能不全に陥っていた。
砲兵隊の目と耳にも等しい観測所が、既にヘリ部隊の急襲を受けて制圧されるか、艦砲射撃によって潰されていた為である。
地図を頼りに盲撃ちを試みる砲兵隊も居たが、彼らの位置は空からの目と対砲兵レーダーによって直ちに割り出され、艦砲の反撃によって速やかに沈黙させられることとなった。
暫くして、小型艇に分乗した歩兵が着岸し、上陸を開始する。最早、抵抗は殆ど無かった。
歩兵隊と合流した戦車は、共同で前進を開始する。
既に枢軸軍地上部隊は事前攻撃によって半壊しており、日本軍の侵攻を防ぐ力は無く、局地的な抵抗こそすれど大勢に影響を及ぼす事は無かった。
とはいえ上陸部隊に与えられている任務は橋頭堡の保持であり、タラント方面以外では性急な侵攻を企図せず、海岸から30km程前進した後に停止。
枢軸軍野砲に対する十分な安全距離を確保した後に、前線を要塞化して防御体勢に入ったのだった。
こうして日本軍はイタリア半島への足掛かりを得て、枢軸軍の反撃を封殺しつつ港を整備し、邪魔されること無く戦力を揚陸して侵攻準備を整えていく。
しかし、独軍が保有する列車砲群には射程距離およそ数十kmに達する物が多数存在しており、それらが配備されれば橋頭堡の安全が喪われてしまうだろう。
イタリア半島南部での戦いは、爆撃機や列車砲、短距離弾道弾、長距離ロケット砲を駆使した長距離砲爆撃戦へと推移していく。
444:奥羽人:2024/03/11(月) 21:38:16 HOST:M014009102000.v4.enabler.ne.jp
以上です。転載大丈夫です。
端的に言うと、日本は地中海で見せたイタリアの奮闘と、それによる想定外の損害を怖れていました。
イタリアが健闘したからこそ、それ以上の暴力で叩き潰される訳ですね。
最終更新:2024年07月22日 23:24