117 自分:弥次郎[sage] 投稿日:2024/04/28(日) 21:18:13 ID:softbank126036058190.bbtec.net [9/104]

日本大陸×プリプリ「The Melancholic Handler」小話「小夜啼鳥伝」4



 フローレンスの留学---そもそも日本へとたどり着くのは案外楽であった。
 シドニー・ハーバードの伝手もあって、アルビオン本土から航空艦に便乗してインドへ直行。
そこからは東南アジア諸国へ向かう交易船に乗り込み、大日本帝国の領域に入ることとなった。
東南アジアの鎮守を担う日本領シンガポールで手続きを経た後は、そこから民間飛行船に乗り換えて大日本帝国の本土、日本大陸へ向かうのみ。
 消費されたのは3週間余りという、この世界の最短ルートの理論値よりも長いながらも、しかし史実の同年代では考えられない短期間だった。

 これは航空艦及び飛行船という地形に縛られることなく最短ルートをとれる移動手段。
 さらには、超大国同士でも緊張はあれども確かに存在する「?がり(ストランド)」がこれを実現していた。
世界の三分の一を占めるアルビオン、世界のおよそ半分を領域とする大日本帝国。
両国はともに拡張主義---帝国主義的な政策を進めた結果、互いの勢力圏同士が接するに至ったのは当然の帰結。
 両者が取れるのは二つ、その選択肢の組み合わせは2×2の四つ。
 相手の勢力圏に争いを含めて踏み込むか、それとも静観するか---選ばれたのは相互の利益のある選択。
互いが互いの勢力圏にあるモノを欲し、相互に与え合うことで利益を得ようという動きと妥協の結果だ。
 そしてこのルートというのは、多少移動手段や道筋こそ違えども、多くの人間が欧州から日本へと引き抜かれた際に通ったルートでもあった。
欧州や中東地域での人材の青田買い、物資の買い付け、あるいは歴史的資料の蒐集---そういったモノが断続的に行われ、日本の発展に活用された。
その分だけ日本から出ていったモノもあるが、それは相応の対価というものだろう。

 それはともかく。
 その移動の間、フローレンスは留学先について学ぶことに努めた。
 特に語学---アルビオンの公用語とはまるで違う日本語という、世界でもトップランクの難易度を誇る言語を理解できるようになる必要があったのだ。
勿論のこと、フローレンスが理解できるアルビオン語やフランス語なども存在しないわけではない。
それでもいわゆる義務教育制度により初等・中等教育が一般化して久しい日本においては、日本語は環太平洋圏の覇権言語であった。
アルビオン語も覇権言語として覇を争うものであるが、残念ながらそれを理解し、使いこなせる人間の絶対数で劣っていた。
 何せ本来の歴史において、普遍的に語学を含めた教育制度が普及するのはさらに後の時代なのだ。
フローレンスはそういう階級に生まれたからこそ学ぶ機会を得ているが、そうでない人々の方が多く、まともな読み書きなども限られている。
そして植民地においてはこれまた語学を学んでいる人間の絶対数は多くはない。
総合すれば、一般に普及した言語という意味において、日本語は?がりをもたらす言語(リングワ・フランカ)であったのだ。

 これまで学んだ言語のいずれとも異なる日本語に悪戦苦闘していたフローレンスだったが、決してあきらめはしなかった。
彼女とてジェントリ階級の子女、勉学は嫌というほどに熟してきたのだ。それくらいで値を上げるほど弱い女ではなかったのだ。
この努力のかいもあり、彼女はそれなりの日本語を読み書きできるようになり、理解もできるようになっていた。
流石に複雑な語法や漢字などについてはまだ不足があったが、それでも十分すぎるほどと言えた。
むしろ、世界最高難易度の日本語を相手にして3週間で学んだというのは脅威的だった。
如何に彼女が下地を有しているかを示し、同時に、学習能力と意欲が強いかの証左と言えた。

118 自分:弥次郎[sage] 投稿日:2024/04/28(日) 21:19:21 ID:softbank126036058190.bbtec.net [10/104]

 さて、彼女が留学生としてどのようなルートを進むかは、ある程度プランニングがされていた。
夢幻会が手を回し、彼女に必要な知識を学べるお膳立てをしていたともいう。
大日本帝国においては看護師が専門職---知識と技能とを必要とする高度な職業となって久しい。
本来ならばそのような職業となるのはフローレンスの活躍以降なのであるが、ともかく彼女にはそれの刺客を得てもらう必要があった。
ついでに言うならば医師免許も、とまで声が上がったのだが、彼女は反対を押し切っての留学なので時間的な猶予はないかもしれない。
そこで看護師と医介補の免許を取り、ある程度の臨床実績をという方針が定められた。
バチカンへの返礼使節に紛れ込ませていた夢幻会の医師の伝手を頼ってくれたからこそ、それができたとさえいえる。

 しかし、夢幻会も気を遣っていたことがあった。
 良くも悪くも彼女はケイバーライトとスチームパンクの色が濃いものの、アルビオン王国の時代相応の市民の一人でしかない。
夢幻会の入れ知恵や後押しなどもあり、時代不相応なまで--一部を除いて19世紀以降の水準まで発展している大日本帝国とでは常識が違う。
 何が?と言われると、まあ、全部が違うとしか言えない。
 生活習慣一つ、社会のルール一つ、あるいは何気ない行動一つをとってもまるで違う。
 洋の東西もそうであるが、文明の発達レベルが違いすぎたのだ。
 よって、フローレンスは滋賀府の看護学校に入るまでの時間を、介護ありで過ごして順応するための期間として使うこととなった。

 これはフローレンスにとっても、彼女の介添えを行うことになった人員にとっても、苦労の連続であった。
フローレンスは朝起きて夜眠るまでの行程ほぼすべてにおいて教わることが存在して、生活するだかでメモなどをとらなくてはならなかった。
そも、そのメモを取るための筆記用具や用紙の時点でだいぶ違っているというのだから、戸惑うのも無理はない話だ。
服を買いに行く服がない、というわけではなく、服を買いに行くための服を着る方法が分からないといった方がいいか。

 この時代、大日本帝国はだいぶ史実で言うところの洋装が普及していた。
 これは技術の発達で安価に且つ機能に優れた衣服を量産できる体制が出来上がり、実用性と美を兼ね備えた衣服が作れるようになったことが大きい。
表向きとしては欧州諸国と付き合う中で洋服が流入したという体裁だが、夢幻会が積極的に推し進めた面もある。
 だが、その発展が大本の欧州を追い抜いていたのが問題であった。
 最初にフローレンスが与えられた衣服---コルセットがなく、スカート丈も動きを阻害しない短さ、足を見せた、所謂ワンピースドレスがそうだった。
これを見た時の彼女の衝撃は語るまい。社交界そして日常的に着用していた衣服から見れば別次元にあった。
足を見せるだけでもアルビオンの常識では割とはしたないとされる方であった。
大日本帝国で発展した洋装が欧州に逆輸入されてはいたが、やはり導入までには些か戸惑いがあった。

 とはいえ、彼女は果敢にもそれらを着こなすことにした。
 彼女はこの留学に出る時点で、結婚もおしゃれも、当時の女性の幸福というものを投げ打つことを決めてきたのだから。

119 自分:弥次郎[sage] 投稿日:2024/04/28(日) 21:20:44 ID:softbank126036058190.bbtec.net [11/104]

 そして、瞬く間に2年という時間が過ぎ去った。
 覚悟を決めていたフローレンスは有言実行を果たし、日本の風紀風習に適応してみせた。
 当初の予定通りに看護学校を無事に卒業し、看護師免許と医介補免許を取得。
 後は臨床実績を積み上げ、さらに学びを重ねていくことで、最終的には医師免許までたどり着けるだろうという見込みがあった。
本来ならば看護師と医介輔だけの予定であったのだが、彼女の希望は強く、医師免許取得に向けた準備も行っていたのだ。

 彼女の行動が積極的だったのも、アルビオンの実情が関わっていた。
 当時の看護師の地位は途方もなく低かった。医師の小間使い程度であり、教育も何も受けていないのがデフォルトだったのだ。
大日本帝国のように専門職でありエキスパートであり、教育を受けた人材ではないのだ。
地位が低いままこのまま戻ったところで、フローレンスの考えるアルビオンの医療の改革は成し得ない---そのように考えていた。
アルビオンの階級社会の厳しい面も知っているからこそ、フローレンスはより高みを目指していたのだ。
最低限、上流階級でも通用するような地位と知識を得て、社会を変えていかなくてはと。
幼いころに抱いた理想が実現されている国があるのだから、アルビオンでも---そのように考えるのは当然とさえ言えた。
 むしろ知識と経験を積み、社会がどのように力を入れてきたかを学んで、彼女の内の火は燃え上がったとさえ言えるだろう。
これが史実で世界を変えた女傑か---夢幻会としてはそのように遠い目をするしかなかった。

 だが、日ア及び諸国を結ぶ国際郵便で届けられた手紙が転換点となってしまった。
 即ち、アルビオン王国にいる彼女の母と姉から、帰国せよとの催促であった。
 これから医師免許取得に向けて、という時に届けられた、あまりにもタイミングの悪い手紙。
 そもそもの留学、さらにこれまでの二年間という時間を稼いでくれたのが父親であったのだが、ついに彼も妻の説得に折れるしかなかったのだ。
 何しろ、極東の果てに赴いて時間と金銭を消費して得たのが「看護師」程度という地位なのだからさもありなん。
次は医師免許だと返信はしたものの、早々に受け入れられるものではなかった。
 そも、既にフローレンスは30歳を迎えようという年齢であった。
 結婚することこそ女性の幸福という観念の色濃いアルビオンの常識からすれば、既に彼女は行き遅れに近い形だ。
勿論のこと、彼女はそのようなことなどまるで気にしていなかった。そんなことなど些事なのだと。
この道に、この世界にこの身をささげて準じる覚悟を固めていたがゆえに、そんなものは雑音でしかなかった。

 だが、これを耳にした彼女の恩師は、そして夢幻会は一計を案じた。
 彼女がここで完全に家族との縁まで切って日本に残留しては余りにも痛い。
このままではクリミア戦争などにおいて、彼女が活躍することもなく、その後に社会や世界の常識を変えることもなくなる。
そうなれば、世界にとっての大きな停滞を招いてしまうだろう。彼女しか成し得ない偉業をここで摘み取ってはならない。
夢幻会は基本的に自分たちの勢力の利益のために活動しているものであるが、利己的な利益を追求しているだけではない。

 だからこそ、彼女を納得させる理由を作って、アルビオンに送り出してやる必要があった。
 幸いにして、手札は多数存在していたから、理由を作ることに困ることはなかった。
 それを提示されたフローレンスは熟慮の末に、帰国することを承諾。斯くして1951年に多くを身に着けた彼女はアルビオンへと帰国した。
彼女一人が最先端の知識を得ても社会を変えることは困難。ならば、同じような人材を育成する場を用意するしかない。

 そう、彼女はアルビオンへと母親の希望通り帰国した。
 だが、フローレンスの母親の希望は帰国までであって、その後の行動までは制限できなかった。
彼女とは別口でアルビオンにおいて活動する、いわば同志を引き連れていたのが、帰国後により積極的に動くことが完全に想定外だったのだ。

120 自分:弥次郎[sage] 投稿日:2024/04/28(日) 21:22:19 ID:softbank126036058190.bbtec.net [12/104]

以上、wiki転載はご自由に。
とりあえず、日本留学は終了。
次はアルビオンでの活動ですかね。
いいところで区切りを入れたいところですが……どれくらいかかるかなぁ

割と婦長の活躍とかを盛りましたけど、これでも史実から見れば控えめという恐怖。
本当に常識を打ち倒してくれますね…創作をする身としては満身創痍にされて笑えないんですけど…!
+ タグ編集
  • タグ:
  • 日本大陸×版権
  • 憂鬱プリプリ
  • プリンセス・プリンシパル
  • 小話
  • 小夜啼鳥伝
最終更新:2024年08月11日 16:20