249 :New ◆QTlJyklQpI:2012/03/19(月) 18:49:41
ルの字ネタSS ~彼らの戦後~
「では、我々はこれで」
「良いのかね?君らの戦績なら十分帝国ではやっていける。各特殊部隊からも君らの配属を望んでるよ?」
「いえ、まだ東北には露介の残党どもが居座ってるらしいですし。それに我々にはゲリラ兵の方が似合ってます」
小沢一生中佐と中嶋龍一少尉は苦笑を浮かべつつも敬礼し、共に闘ってきた部下たちも元へ歩いていく。
彼らの装備はそれぞれ違う。三八式小銃の者やM1ガーランド、PPsh41短機関銃やモシン・ナガン小銃の者もいる。
彼らは戦後連合軍の侵攻の中でも戦った旧日本軍の残党のゲリラ兵であった。
戦争時、日本には八発の原爆が落とされ、降伏した皇太子を含めた皇族や政府重鎮はこの世から消された。
そして連合軍の懲罰の名を借りた民族浄化行動により如何に戦時中の軍部が言っていた事が正しかったかを
国民は今更ながらに理解した。工業施設は片っ端からなくなり、農業に使う肥料すらない状況では暴動が発生、
そして暴動を理由に村々が殲滅されていくという救いようのない世界が現出した。
そんな中でも日本帝国軍の残党は戦っていた。幸か不幸か上層部の消滅により神風攻撃から国民皆兵のゲリラ戦へと
シフトし老人から女子供まで戦った。飢えや病気、弾薬や武器の不足に悩みながらも彼らは今まで戦ってきたのだ。
そしてゲートから日本帝國軍が出現し連合軍が駆逐され始めると後方撹乱や日本軍への情報提供などゲリラとしては
これ以上ないほどの戦果を上げゲートの向こうでも英雄と持て囃されていた。
それでも彼らは粛々とゲリラ戦を続け、日独によるゲートの向こうへの移民に際しても説得と低放射能汚染地域への
住民の誘導を手伝った。その後、何度か日本軍の誘いを受けるも彼らは固辞し、日本各地の連合軍残党を
駆逐した後も低汚染地域に残り、骨を埋めることになった。
彼らが死去した後、発見された日誌などによると親英米派であった事や降伏した後の扱いに関する楽観した
自己への嫌悪や自責の念が書かれていて、最後に「我々はゲリラであり、それ以外の生き方を望まない」
と締めくくられており彼らも疎開日本人と同じように戦争に狂わされた人たちであったことを語っている。
最終更新:2012年03月19日 22:25