83:ホワイトベアー:2024/08/04(日) 21:08:46 HOST:om126166241032.28.openmobile.ne.jp
愛宕型巡洋戦艦
常備排水量:13,800トン
満載排水量:15,600トン
全長:137.2 メートル
全幅:23.0メートル
乗員:880名
機関
:石炭・重油混焼小型水管缶20基
(最大出力:25,000馬力)
:直立型三段膨張式四気筒レシプロ機関2基
推進機
:蒸気タービン2基2軸推進
最大速力:22ノット
航続距離:5,000海里
兵装
:45口径30.5cm連装砲×2基
:45口径15.2cm単装砲×18基
:45口径7.6cm単装砲 ×10基
装甲
舷側:102~180mm
砲塔: 65~250mm
甲板: 40~80mm
司令塔前盾:210mm
司令塔後盾:200mm
同型艦
1番艦:愛宕
2番艦:白砂
3番艦:白山
4番艦:武甲
5番艦:御嶽
6番艦:蓬莱
7番艦:鳥甲
8番艦:比叡
概要
愛宕型巡洋戦艦は幕府海軍及びその後身たる大日本帝国海軍が運用していた巡洋戦艦。
幕府海軍が最期に建造した装甲巡洋艦であり、同時に幕府海軍が最初に建造した巡洋戦艦でもある。
1854年海軍整備計画において建造が承認された「愛宕」「白砂」「白山」「武甲」の4隻と、その後の1856年海軍整備計画で建造が承認された「御嶽」「蓬莱」「鳥甲」「比叡」の4隻の計8隻が就役した。
1850年代から活発化した英仏建艦競争に対応するために、幕府は15,000トンクラスかつ30.5cm砲を搭載する巡洋艦の建造を認可した。
これを受けて海軍は吾妻型と浅間型装甲巡洋艦の発展型として、45口径30.5cm連装砲4門と戦艦並みの攻撃力を有し、最高速力22ノットと巡洋艦並みの速力を兼ね備えた巡洋戦艦の走りと言うべき艦容の艦艇を設計する。
就役当初の艦種は装甲巡洋艦で就役当初は最大かつ最後の装甲巡洋艦として扱われていたが、その後本級の性能の高さから新たに巡洋戦艦という艦種が作られ、艦種が巡洋戦艦に変更されたという稀有な経歴を持つ。
幕府海軍から日本海軍に体制が移行後も日本海軍は本級の増産を計画していたが、欧州列強が60年代に入り欧州列強でも回転式砲塔を採用した近代的な装甲艦の整備が活発化したことで、本級のみでは将来的な優位を保ち得ないと判断、主砲として45口径30.5cm連装砲2基、副砲として45口径20.3cm連装砲を4基装備する黒姫型巡洋戦艦の建造に移行していく。
84:ホワイトベアー:2024/08/04(日) 21:09:47 HOST:om126166241032.28.openmobile.ne.jp
経緯
1850年代、日本が開国後に世界的にその技術を(特許を取得した上で)開示したことで世界的に蒸気技術や装甲技術は大幅な発展を見せていた。
アヘン戦争で鉄製蒸気軍艦「ネメシス」が活躍したあとも同様で、アヘン戦争から5年経った1847年になってもイギリスでは73隻の、フランスでも45隻の戦列艦が未だに現役であり続けているなど、19世紀半ばになっても当時の欧州海軍において主力艦と言えば戦列艦のことを指していた。
むろんこれらの戦列艦は推進装置として蒸気機関とスクリューを搭載する蒸気戦列艦ではあったが、それでも未だ木製で大砲を舷側にずらりと並べた旧来の船が軍艦の主流だったのだ。
しかし当時の欧州では製鉄技術や蒸気技術の爆発的な発展を受け、1848年にはフランスで欧州初の鉄製の船殻と装甲を持ったオセアン級艦隊型装甲艦(キュイラッセ・デスカトーレル)と、キュイラス級装甲フリゲート(フレガイト・キュイラッセ)が、イギリスでも1950年にブラックプリンス級装甲艦とアキレス級装甲フリゲートが起工させるなど自国のシーレンを守り、あるいは敵のシーレンを攻撃し、自国の国際的なプレゼンスを維持するため激しい装甲艦の建艦競争が行われるようになる。
つまり、蒸気技術や装甲技術の発展の恩恵を最大限受けたのが各国の海軍であったのだ。
欧州での建艦競争は
アジア・太平洋地域にも影響をもたらした。
当時の幕府海軍は老朽化が進む旧式装甲艦群の更新時期に来ており、これらの置き換えるために近代軍艦の整備を推し進めていた。
その結果幕府海軍は、アヘン戦争時までに主力艦として相模型戦艦を12隻就役させていた。
相模型戦艦は常備排水量15,000トン、主兵装として40口径30.5cm砲4門と40口径15.2cm砲14門を装備、装甲は最大457mmであった。
さらにこれを補完する戦力として、45口径20.3cm砲4門と15.2cm砲14門を搭載し、最大178mmの装甲帯で覆われ、最高速度20.8ノットを発揮できる浅間型装甲巡洋艦を12隻、35口径20.3センチ砲4門と40口径15.2センチ砲12門、40口径8センチ速射砲8門搭載し、最大152mmの装甲帯で覆われ、最高速度21ノットを発揮できる吾妻型装甲巡洋艦を8隻保有していた。
これらは当時の欧州列強が整備を進める最新鋭の装甲艦とは比べ物にならないほどの能力を誇り、机上ではあるものの1隻で欧州列強の主力艦をすべて沈めることができた。
しかし、海軍はこれだけの大艦隊を整備してもなお満足することはなく、欧州でおこる建艦競争を出汁に拡大を続ける欧州列強から日本の貿易圏とシーレンを守るのは困難だとさらなる規模拡大を主張した。
確かに当時の幕府海軍が保有している戦艦や装甲巡洋艦はスペックの上では1隻で欧州諸国の海軍を壊滅させられるが、整備や訓練のことを考えると現状の規模では日本近海の防衛が精々で、拡大を続ける自国の経済圏を護るには駒が足りないと訴えたのだ。
海軍の懸念は幕府側も理解していた。
何しろ相手はアヘン戦争と言う恥知らずな戦乱を引き起こしたイギリスと、その同類たる欧州列強である。
その傍若無人さに警戒心を抱かないわけがない。
また、当時は天狗党の乱や長州諸隊を初め日本国内で尊王攘夷を掲げる一部の勢力が暴れまわっている時代でもあった。
こうした勢力と国外勢力が結びつくことを恐れていた幕府は海軍の増強に極めて前向きで、海軍の求めるさらなる艦隊戦力の増強は時間を置かずに承認され、1952年度海軍整備計画で建造が開始された。
85:ホワイトベアー:2024/08/04(日) 21:15:47 HOST:om126166241032.28.openmobile.ne.jp
船体
本型の船体形状は幕府海軍が建造してきた他の装甲巡洋艦と同じく平甲板型船体を採用しているが、凌波性を良くするために有効性が疑問視されていた衝角を廃止し変わってクリッパー型の艦首を採用した。
主砲配置は艦首甲板と艦尾甲板に1基ずつ配置する形式を採用している。
上部構造物は主砲に挟まれる形で艦中央に配置されており、操舵室と司令塔が組み合わせたメイン艦橋と射撃方位盤を持つ前部三脚檣が設けられた。
愛宕型巡洋戦艦は戦艦並みの攻撃力を与えられてはいるものの、その要求された任務は通商破壊や商船護衛、前路哨戒、艦隊決戦時の威力偵察といったものが第一に掲げられたていた。
そのため愛宕型は前級までの装甲巡洋艦と同程度の速力を維持するため、装甲配置と装甲材こそ変更が加えられているものの、その装甲は同時期に建造が進められた扶桑型戦艦よりも薄かった。
水線装甲帯は、弾薬庫や機関室など重要区画に面する区画および船体中央部部は180mmの装甲を、艦首・艦尾側は102mmの装甲圧を有している。
平甲板であるが平面で40mm、傾斜面で80mmの装甲が前後の舷側装甲と同程度まで延長された。
主砲塔は前面が250mm、側面は230mm、後面で180mm、天蓋65mmの装甲で保護され、15.2cm単装砲郭は127mmの装甲が与えられた。
またこれらの砲郭では誘爆を防ぐために各砲ごとに12mmの装甲で区切りが設けられている。
それでも装甲部分には従来の三河鋼ではなく、新規に実用化されたばかりの関東鋼を使用したことで、従来の装甲巡洋艦を超える防御力を有していた。
愛宕型巡洋戦艦は戦艦並みの大型艦に巡洋艦ひ匹敵する速力を持たせるため、建造時は機関として三段膨脹式四気筒レシプロ機関ではなく2基の直結タービンが搭載された。
ボイラーには日本でもトップクラスの技術力を誇っていた総合工業企業であるIZUMO製の大出力石炭・重油混焼小型水管缶を18缶搭載するなど積極的に新技術が投入された。その結果、愛宕型巡洋戦艦は最大で22ノットを発揮できる高速艦として完成した。
1874年から始められた近代化改修では、より高性能な重油専焼水管缶12缶に置き換えられ、最高速力は30ノットまで引き上げられた。
兵装
筑波型は、欧州諸国が建造を進めていた装甲艦群が10インチ砲を装備しているとの情報から、それらに対抗できる用に主砲として最大仰角20度、俯角-3度まで可能な54式45口径30.5cm連装砲を艦前部と後部に1基ずつ計4門搭載した。
本砲は砲身、ジャケット、ロックリング、スクリューボックスライナーはニッケル鋼で製造され、砲弾の火薬には無煙火薬を使用している。
これにより重量386㎏の対艦徹甲弾を毎分1発で斉射可能としており、最大仰角で21,120m先からでも当時の欧州列強の装甲艦の装甲を撃ち抜くことができた。
日本海軍は規程として砲1門あたり60発、つまり240発の主砲用弾薬を常時搭載しており、さらにいざとなれば最大1門あたり72発の砲弾を搭載可能としている。
当時のイギリス海軍の最新鋭主力艦『モナーク級装甲艦』の主砲射程距離が、367.0 kgの徹甲弾を使用した場合でも5,500 mである。
つまり日本海軍はイギリス海軍の射程距離の
4倍近く先から一方的かつ大量の砲弾を叩き込む事が出来たのだ。
その性能の恐ろしさが理解できるだろう。
副砲としては毎分約6発の発射速度を誇る50式45口径15.2cm単装砲を採用し、両舷合わせて18門を搭載している。
配置としては6門が主甲板上の独立した装甲砲郭に設置され、12門が砲甲板の舷側に配置された。
50式45口径15.2cm単装砲は48kgの砲弾を最大仰角で13,350 mまで届かせられ、すべての砲が115°の旋回角度を有していた。
ただしさしもの日本海軍も当時の技術力では砲の旋回、砲身の上下・砲弾の装填の動力は人力にするしかなかった。
他の兵装としては水雷艇対策として毎分15 ~ 20発の発射速度を誇る50式50口径76cm単装砲をそれぞれの舷側に5門ずつ計10門搭載している。
この砲は6kgの砲弾を初速820 m/sで打ち出すことができ、最大仰角43度、旋回角度は150度で、最大で13,350 m先まで届けることができた。
(余談であるが、
日米枢軸世界では1850年代初頭には欧州でもホワイトヘッド魚雷相当の魚雷が実用化間近で、水雷艇対策は喫緊の課題であった)
86:ホワイトベアー:2024/08/04(日) 21:22:11 HOST:om126166241032.28.openmobile.ne.jp
艦歴
1858年から1860年にかけて就役した愛宕型装甲巡洋艦8隻は第3常備艦隊に配備された。
1番艦「愛宕」は就役から時間を置かずに行われた孝徳天皇の東京遷都の際に、孝徳天皇を乗せた幕府の専用遊行船「天地丸」の護衛艦隊旗艦を務めた。
1861年から勃発した
アメリカ市民戦争では、日本は同盟国たるアメリカ合衆国側を支援するため遣米艦隊と遣米軍を派遣した。
この際「愛宕」「白砂」「白山」「武甲」の愛宕型前期建造型4隻は遣米艦隊の主力艦として東海岸に展開、アナコンダ作戦の主力艦としてイギリス海軍に睨みを効かせた他、海への進軍の際には南部の港湾都市に対する”戦略攻撃”でも大きな戦果を出した。
(イギリス本国は「植民地人やサルモドキの黄色人種が自分たちすら持っていない巨大高速装甲艦を持っているはずがない」と本艦の存在を船乗り達の妄言と切り捨て、抑止にはなっていなかったが)
1874年から1880年にかけて近代化と寿命延長を兼ねた大規模改修が施され、副砲の更新や装甲及び間接防護装置の強化、さらに指揮通信能力の向上も図られた。
改装を受けた愛宕型は、装甲巡洋艦から巡洋戦艦に艦種が変更された上でしばらくは南太平洋諸島の防衛を主任務とする第3常備艦隊に配属され、「比叡」は1886年のハワイ王国保護国化にも派遣艦隊旗艦として立ち会った。
1893年には92式水上捜索レーダーと93式射撃統制レーダー、93式射撃統制装置(史実Mk3射撃統制装置)を追加装備する改装も行われ、本型は史実世界でも存在しないレーダー統制射撃に対応した前弩級戦艦(前弩級巡洋戦艦)と言う珍しい艦となる。
その後、クレタ島を巡り緊張が高まっていた地中海でのプレゼンテーションを高めるため、日本海軍地中海艦隊に全艦が配備された。
同年にはオスマン帝国からの要請を受け、クレタ島での反乱軍鎮圧任務に従事していた海軍海兵隊第5海兵遠征軍(第5陸戦師団、第6陸戦師団基幹)を海上から支援した。
とくに1897年3月2日に行われたハニア市への攻撃は有名である。
これは反乱軍の戦意を根底から叩き折るために日本海軍が実施した戦略攻撃の一環で、退役前の最後の奉仕として予備役から復帰して本国から出張ってきていた14隻の相模型戦艦と共に、徹底した戦略艦砲射撃を実施した。
その後反乱に呼応する形でクレタ島に侵攻してきたギリシャ軍の迎撃にも参加し、ミルトア海海戦ではギリシャ海軍を文字通り殲滅した。
1898年の両洋戦争ではクレタ島およびバルカン半島の情勢が未だ予断を許さなかったため、直接的な戦闘こそしなかった。
それでもスペイン本国に圧力を加え続け、スペイン本国艦隊を拘束し続けた。
満州戦争時にも日本海軍地中海艦隊の主力艦として8隻中6隻が稼働状態にあり(2隻は整備のために本国に帰投していた)、地中海方面での対ロシア海上封鎖を担いウクライナ方面からの食料輸出で外貨を稼いでいたロシア経済に大ダメージを与えた。
満州戦争の終結と新世代艦のお披露目を経て1905年に全艦が退役、半世紀近く海軍を支えた功績から1番艦「愛宕」は記念艦として横須賀に維持され、他の姉妹艦達は解体され、マストや操舵輪など船体の一部が陸上の「愛宕」記念館にて展示されている。
87:ホワイトベアー:2024/08/04(日) 21:23:56 HOST:om126166241032.28.openmobile.ne.jp
以上、激動の19世紀半ばから20世紀初頭にかけて、幕府海軍から日本海軍にかけて主力艦として活躍した愛宕型巡洋戦艦でした。
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最終更新:2024年12月06日 22:02