236:フォレストン:2018/01/26(金) 06:53:04
憂鬱版T〇ky〇waker
提督たちの憂鬱 支援SS 憂鬱日本食糧事情-帝都編-

「このままじゃ経営が立ち行かん。こうなったら首を吊るしかない!」
「旦那ぁ。今日はもうこのへんで…」
「うるさいっ!おまえに俺の気持ちが分かるかっ!」

帝都のとある焼き鳥屋台で酒を飲む男が一人。既に相当な深酒をしており、いわゆる大トラ状態であったが、とりあえず店主は男を放っておくことにした。新たな客がやってきたからである。

「へい、らっしゃい!」
「やぁ。また食べに来たよ。ここのチキンは美味いからね」
「おや、フレミングの旦那じゃないですか。今日は何にしやす?」

新たな客は黒髪碧眼な外国人であった。
美形で女性にもてそうな顔立ちをしており、いわゆる愛嬌のあるハンサム顔というやつである。

男の名はイアン・フレミング(Ian Lancaster Fleming)といい、英国大使館で勤務する海軍軍人である。駐在海軍武官として日本に派遣されたフレミングは、超美食家を自称する非常にグルメな人間であり、暇を見つけては帝都内の美味しい店を食べ歩いていた。ここの焼き鳥屋台もフレミングのお気に入りの場所であり、度々来店していたのである。

「ツクネとネギマ、ナンコツをもらおうか。あとは…東京盛はあるかな?」
「あいよっ」

フレミングはコップで出された日本酒を一気にあおる。
特に高級とはいえない二級酒であったが、その分お値ごろで気軽に飲めるのが売りである。もっとも、日頃愛飲しているスコッチと違ってアルコールが抜けにくいので深酒は避けていたが。 

ちなみに、この世界の日本では小規模な酒蔵が潰れずに現存しており、物流の発展に伴い帝都でも多種多様な地酒を楽しむことが出来た。これは当時の夢幻会の指導によって、史実の改正酒税法に準じた税法が明治時代に適用されており、史実のような苛烈な酒税取り立てが回避されたためであった。

娯楽の少ない当時の逆行者達にとって、酒は貴重なものであった。いくら富国強兵のためとはいえ史実のような酒税を適用して酒蔵を潰すなど論外だったのである。そのため、他の分野での歳入を強化して酒税の不足分をカバーするのと同時に、酒造業の近代化を推し進めた。これに加えて、戦前から進められた新潟の干拓と農業の機械化による効率化の推進により、日本酒の原料である米の大幅な増収を達成しており、史実のような闇酒や薄め酒が横行することは防がれたのである。

零細な酒蔵に対しては、史実の地ビールブームを参考にしてブランド志向を推し進めた。材料の吟味や長期間熟成など製法に工夫を凝らし、さらには容器や化粧箱も高級路線で大衆酒との差別化を図ったのである。当然ながら、お値段も相応のものとなったのであるが、顧客は上流階級や富裕層がほとんどなので、飛ぶように売れていったのである。

237:フォレストン:2018/01/26(金) 06:54:00

「ところで、そこで寝ているミスターはどうしたんだい?」
「あぁ、そこの旦那もうちの常連なんですがねぇ。念願の出版社を起ち上げたって大喜びしてたのに、今度は本が売れないって泣いてんでさぁ」
「ふーん、日本人も苦労しているんだなぁ…」

とか言いつつ、出されたつくね串にかぶりつくフレミング。その味に思わずDelicious!と呟いてしまうくらいの美味さである。ここの屋台だけが出している、猪肉のミンチをベースにした特性のつくねである。一般に猪肉は臭くて硬いイメージがあるのであるが、十分に下処理された猪肉は豚肉よりも濃厚である。これに生姜を加えることで完全に臭みを取り去っており、さらに細かく刻まれた軟骨の食感で楽しませてくれるのである。

「あぁ、美味い。これを食べるために生きてるようなものだなぁ…」

どっからどうみても、仕事に疲れた日本のサラリーマン染みた姿に、『あんた本当に英国人なのか?』と心の中で思わずにはいられない店主であった。

列強の中で一番マシな日本の食糧事情であるが、決して余裕があるわけでは無かった。
政府の適切な異常気象対策と支那大陸、豪州からの食糧輸入で飢えに苦しむことは無かったものの、巨大津波後の相次ぐ異常気象で戦前よりも食糧事情は悪化していた。

日本国内では、戦前から戦後に至るまで、食糧の配給制が実施されることこそ無かったものの、食糧は品薄気味で値上がり傾向が続いていた。そのようなわけで、客に美味しいものを少しでも安く食べてもらいたいと考えた店主は、猪をはじめとした畜肉を自ら狩猟で手に入れていた。帝都近郊には未だ自然も多く、腕さえ良ければ畜肉の確保は比較的容易だったのである。さすがに猟銃の所持には狩猟免許が必要であったが、史実ほど煩雑ではなく簡単に取得することが可能であった。

猟銃には軍から払い下げられた三十八式歩兵銃が主に用いられていた。使用する三八年式実包は尖頭銃弾であり貫通力が高い反面、ストッピングパワーに劣るために、猟銃として使用する場合は円頭銃弾である三十年式実包が好まれていた。

三十八式は小動物向け猟銃としては理想的な性能だったために、戦後になって北欧にも在庫が輸出されており、現在でもフィンランドのノルマ社で6.5mm×50弾が製造されている。

238:フォレストン:2018/01/26(金) 06:55:10
夢幻会は、戦前から養豚産業や養鶏産業へ梃入れして強力に近代化を推し進めていたのであるが、飼料の近代化も並行して行っていた。大量に飼育するには大量の飼料が必要となるためである。

飼料はトウモロコシ、麦類、ミレットなど穀物や、イネ科牧草、マメ科牧草などが原料である。史実同様に、穀物を栄養成分の中心とし、対象の動物によって適正な割合に配合した配合飼料を戦前に実用化していたのであるが、問題は原料の大半を輸入に頼っていたことである。

国内の養豚、養鶏施設がフル稼働出来れば、国内需要は満たせるだけの生産力は既に確保されていた。
しかし、巨大津波による被害と、その後の異常気象によって食糧生産が優先されたため、肝心の飼料の生産が滞ってしまったのである。そのため、畜産業者は施設の稼働率が低迷して赤字を出してしまい、損失を補填するために政府が補助金を出して対応していた。

なお、この事態を知ってか知らずか、ソ連より肉骨粉の輸出の打診があったために、一時期は真剣に輸入が検討されていた。しかし、英国からの情報提供を受けて最終的に白紙にされた。肉骨粉の原料に問題があったためである。

肉骨粉は、食肉を除いたあとの屑肉、脳、脊髄、骨、内臓、血液等を加熱処理の上、油脂を除いて乾燥、細かく砕いて粉末としたものである。安価で、蛋白質、カルシウム、リン酸質が豊富で高い栄養価を誇るため、史実では狂牛病問題が起きるまではよく使用されていた。

狂牛病の原因に関係すると考えられている異常プリオンは、肉骨粉の材料となる部位に多く含まれており、通常の加熱処理では不活化できない。そのため、肉骨粉を採取した動物が異常プリオンを保有している牛であった場合、その牛を加工して作られた肉骨粉にも異常プリオンが含まれている可能性があるのである。その場合、この肉骨粉を牛の飼料として与えると狂牛病の感染源となりえるのである。

夢幻会では、史実知識を知っていたからこそ肉骨粉の輸入を差し止めたわけであるが、問題の本質はそこではなかった。
英国からの情報では、ソ連が輸出する肉骨粉には、牛ではない別の何かが使用されていたのである。結局のところ、行き場を失った肉骨粉は、ソ連国内で飼育される食肉用トナカイに用いられているのであるが、その原料が何であるかは想像しないほうが幸せであろう。

239:フォレストン:2018/01/26(金) 06:56:23

「いや~、食べた食べた。お勘定を」
「旦那ぁ。この人も連れ帰ってもらえませんか?」
「え?いや、しかしだな…」
「お願いしますよ旦那!今度サービスしますから」
「…しょうがないな。近くのポリスオフィスにでも放り込んでくるとしよう」

フレミングは男に肩を貸すと、そのまま最寄りの警察署まで歩き出す。
これが、フレミングと男のファーストコンタクトであった。

英国大使館のすぐ近くに所在している麹町警察署は、日本で最初に開設された警察署である。300名を超える署員を抱える大規模警察署であるが、さすがに深夜ともなると当直の署員だけで静かなものである。

治安が維持されている日本では、はっきり言って当直は暇であり、何もしなくても小腹がすくものである。時間的に頃合いと判断した署員は、いそいそと給湯室で薬缶に火をかけ、棚に手を伸ばす。

「…すまないが、この酔っ払いをあずかってもらえないかね?」

狙ったようなタイミングで現れたフレミングと酔っ払いのコンビに、思わずバツの悪そうな顔をする署員であった。

結局、酔っ払いの身元は確認出来ず、本人も泥酔していたために留置場に放り込まれた。フレミングは、書類に必要な事項を記入して署員に手渡す。そのまま大使館へ戻ろうとしたのだが、署員が呼び止めた。

「せっかくなので、食べていきませんか?」
「ふむ。酔い覚ましにラーメンは最適だな。せっかくなのでご相伴にあずかろうか」

英国大使館と麹町警察署は距離にして100メートル足らずな立地であり、震災などの非常時の対応についてしばしば交流がもたれていた。そのため、フレミングと署員は顔見知りだったのである。

「熱い!でも美味い!」
「夜に食べるカップラーメンは最高ですよね!」

なお、カップラーメンであるが、この世界では1927年に開発されていた。当時のカップラーメンは、コスト度外視な代物であり、軍向けに細々と作られていたのであるが、その後20年近く経ち、生産コストが下がったことから民間でも販売が始まっていた。チ〇ンラーメンを代表とする、いわゆる袋ラーメンはカップラーメンよりも早く販売が行われており、日米戦争時には非常食として各家庭に備蓄が奨励されていたのである。

240:フォレストン:2018/01/26(金) 06:57:41

「フレミング大佐。お会いしたいという日本人が来ています」
「今日は予定は特に無いはずだが、飛び入りかね?」
「先日の件でお礼を言いたいとのことでしたが…」

数日後、大使館で執務中のフレミングに面会者が訪れていた。
無下に断るわけにもいかず、応接室に通して面談することにしたのであるが…。

「このあいだは、誠に申し訳ありませんでした!」

応接室に入ったフレミングに対する第一声が謝罪であった。
土下座しかねない勢いに思わず引いてしまうフレミング。この時点でようやく、先日の酔っ払いであることを思い出していた。

「いや、礼なら屋台の店主に言ってくれ。彼の頼みだったことだし」
「そうなのですか…」

フレミングは日本人をそれとなく観察してみるが、どことなく悩みを抱えているように見えた。ロンドンでは屈指のプレイボーイだった彼は、女を落とすために日々観察力は鍛えているのである。もっとも、悩んでいるからといって、相談に乗る理由は存在しなかったのであるが。

「ふむ、何やら悩み事があるみたいだが、外で話さないか?ランチの時間でもあるし」
「え?いや、しかし…」

しかし、フレミングという男は好奇心が服を着て歩いているような男である。面白そうという理由だけで、日本人を外に連れ出して話を聞くことにしたのである。

フレミングが移動のために用意した車は、英国大使館が研究用に購入したトヨタAA型であった。通常、公用車としてはロールスロイスのファントム3を用いるのであるが、良くも悪くも目立ちすぎるために私的な目的では日本車を使用することも多かった。

ちなみに、憂鬱日本の自動車メーカーは、戦前は倉崎、三菱、豊田、日産の4社(BIG4)のみであったが、戦後に獲得した領土開発のために供給が追い着かなくなったため、需要に応えるために新興の自動車メーカーが誕生していた。夢幻会側としても、この傾向は歓迎するべき事態であり、独占禁止と競争原理の維持の名目で新興自動車メーカーへの技術的・財政的な支援を行っていた。

スバルやホンダといった新興自動車メーカーは、BIG4が鎬を削る国内市場ではなく、海外に活路を求めた。結果、50年代半ばからスバル360やN360といった小型車が東南アジアの自動車市場で猛威を振るうことになるのであるが、それはまた別の話である。

241:フォレストン:2018/01/26(金) 06:58:48
英国大使館から2km足らずの距離にある日比谷公園。
車だと10分足らずで到着出来る場所であるが、この公園の中で洋食レストランである日比谷松本楼が営業中であった。

「まずはランチを食べよう。話はそれからだ」
「はい…」

1階のガーデンテラスの席を取った二人にウェイトレスが水とメニュー表を持ってきた。
ちなみに、当時の日比谷松本楼のメニューは以下の通りである。

本日のランチ(11:00-15:00の平日限定)

ハイカラハヤシライス
豚のカツカレー
野菜カレー
オムレツライスハヤシソース
オムレツライス海老と帆立のトマトソース

松本楼の選べるビッグプレート
オムレツライス(ソース3種)と洋食3種(ハンバーグ・クリーミィカニコロッケ・海老フライ)から選択

ハンバーグステーキ 森のレストラン風 
ビーフシチュー ブルゴーニュ風 
ウィークエンドスペシャルメニュー(土日祝のみ)
おこさまプレート(オレンジジュース付,土日祝のみ)

他にもサイドメニューとしてデザートやソフトドリンクも用意されていた。
ほぼ、史実現在のメニューを再現しているのは、世界的に名高い料理人である北一輝が関わったからである。

初代社長である小坂梅吉は史実と同じく1936年に貴族院議員に当選しているが、与党の政策に理解を示しており、非政友会の長老でありながら近衛とも親交があった。彼自身は夢幻会に所属してはいなかったが、夢幻会関係者が時折会合を開くことがあったため、北一輝が厨房を借りて料理を振る舞うことがあった。その都度、行き掛けの駄賃とばかりに松本楼のコックに史実レシピを叩きこんでいったのである。

242:フォレストン:2018/01/26(金) 06:59:43

「では、私はカツカレーを」
「私はハイカラハヤシライスをお願いします」

フレミングは豚のカツカレーを、日本人はハイカラハヤシライスを注文する。
程なく料理がテーブルに運ばれてきた。

「うむ、デリシャス!」

芳醇なスパイスで構成されるカレールーと熱々ジューシーなトンカツ、これにライスが加わって食が進みまくりである。
カレーの発祥はインドであるが、英国を経由して日本で魔改造された料理である。英国人は、『これはカレーじゃない』と口をそろえるが、超美食家を自称するフレミングにはどうでも良いことであった。彼にしてみれば、美味いものが正義なのである。

「肉の旨味とたまねぎの甘さが身に沁みますねぇ」

ハヤシライスはカレーライスとは異なり刺激の強いスパイスは使用されず、牛肉の旨味とたまねぎの甘さが前面に出るため子供でも食べやすい料理であるが、胃に優しく滋養の強い入院食としての側面もあった。

ちなみに、この時期の日比谷松本楼では国産牛を材料にしており、店の宣伝材料にしていた。
国産牛は、史実よりも早い段階で高級ブランドを志向していたために、高品質化が進むと同時に価格が高騰していたのであるが、初代社長が夢幻会とコネを持っていたために、安価に国産牛を仕入れることが出来たのである。とはいえ、これは極まれなケースであり、庶民にとって牛肉は高嶺の花であった。そのため、日本人の食卓は鶏肉と豚肉がメインにならざるを得なかったのである。

史実の牛肉が恋しい逆行者達は歯噛みしたのであるが、米国が崩壊したためにアメリカンビーフの輸入は出来ず、この世界では吉〇家の味は再現不可能であった。吉〇家がダメなら、せめてす〇屋と〇屋を再現したいということで、オージービーフの輸入を目論んだのであるが、豪州も異常気象の影響で牛肉の生産は安定しておらず、緊急的な食料輸入は別としても、恒常的な輸入が実現する時期は未だ不透明であった。そのため、当時の日本人の丼ものといえば、親子丼かカツ丼が定番であった。牛丼好きな逆行者にとっては残酷な現実であった。

243:フォレストン:2018/01/26(金) 07:00:40

「あ、ウェイトレスさん、コーヒー二つね」
「コーヒー二つですね。かしこまりました」

食後にすかさずコーヒーを注文するフレミング。
英国人のくせに紅茶を頼まないあたりが、フレミングのフレミングたる所以である。単に日本の紅茶が舌に合わないのか、はたまた単に紅茶嫌いかは不明であるが。

史実の日本人はコーヒー大好き民族であり、この世界でもそれは変わりなかった。しかし、コーヒーのほぼ全てを輸入に頼らざる得ないために、戦時中の庶民のコーヒーは代用コーヒーであった。

代用コーヒーが登場したのは、日中戦争勃発とほぼ同時期であり、輸入量が減ったコーヒーを増量するために広まった。厳密には、コーヒーに増量するためにコーヒー以外の原料を追加したものが代用コーヒーであり、コーヒー以外の原料を主材料としてコーヒーに似せて作られたものはイミテーションコーヒーとして区別される。

代用コーヒーの原料としてはタンポポの根、ゴボウ、ジャガイモ、サツマイモ、百合根、サクラの根、カボチャの種、ブドウの種、ピーナッツ、大豆、ドングリ、アーモンド、オオムギ、トウモロコシ、チコリ、玄米、根セロリ、パンの耳、綿の種子、オクラの種子などがある。これらを煎ったものを粉末にし、お湯を注いで飲むのである。

代用コーヒーのほとんどはカフェインを含んでいないため、カフェインの摂取を避けている人向けの需要が存在していた。特に大豆コーヒーなどは、その栄養価の高さから健康食品として評価されていたのであるが、本物のコーヒーよりもかなり高額なために、市場ではイミテーションコーヒーよりも代用コーヒーが多く流通していたのである。

代用コーヒーが不味いわけではないのであるが、やはり本物のコーヒーが恋しくなるものである。当然ながら、戦後になると輸入の機運が高まった。しかし、現実は非情であった。戦後の憂鬱世界ではコーヒー栽培どころではなかったのである。

244:フォレストン:2018/01/26(金) 07:02:52
1942年に発生した巨大津波の被害は甚大なものであった。
巨大津波によって大西洋沿岸諸国は壊滅的な打撃を被り、巨大津波の直撃を受けた米国の被害は言うまでもなく、余波の津波が押し寄せた欧州諸国も多大な被害を受けていた。ポルトガルに至っては国家そのものが崩壊し、英国、旧フランス北部、スペインは沿岸部に小さくない被害を受けていたのである。

津波によってコーヒー栽培地の大半が海水に浸かってしまったために、当面のコーヒー栽培は不可能であった。そもそも、異常気象によってコーヒー栽培そのものが不可能に近く、さらには食糧増産が至上命題だったために、コーヒーを栽培可能な数少ない畑も他の作物を栽培するのに転用されたのである。

戦前からの有力なコーヒー輸出国だった国(ブラジルやベネズエラ、エチオピアなど)のほとんどは枢軸側陣営であり、コーヒー栽培は自国や宗主国の富裕層や上流階級向けに少量確保された以外は、軒並み小麦と牧畜に転換されてしまった。当然ながら日本へのコーヒー輸出は不可能であった。

コーヒー党にとってせめてもの救いは、ハワイでのコーヒー生産が復活したことであろう。
戦後の混乱が収束したハワイでは、コナコーヒーの輸出が再開されていたのである。とはいえ、未だ量は少なく値段も高嶺の花であった。史実同様に人件費の問題で、高価格なコナコーヒーであったが、逆にブランド志向を目指した結果、日本の勢力下で取れるほぼ唯一の高級コーヒーとして珍重されることになる。

英国では、駐日大使館を通じてコーヒーが日本に対して有力な輸出商品になることを掴んでおり、勢力下のイエメンやジャマイカでコーヒーの栽培を進めさせていた。華南連邦でもコーヒーの栽培が検討されたのであるが、食糧増産が優先されたために最終的に却下されている。実際、イエメンのモカコーヒーや、ジャマイカのブルーマウンテンは非常に高価で取引されたために、換金作物として奨励金を出してまで栽培された。食糧庫としての役割を期待されていた華南連邦とは違い、それ以外に外貨獲得手段が無かったというのが最大の理由である。

日本の勢力圏下でもコーヒー栽培が試みられていた。特にベトナムとインドネシアが有望視されており、戦後になってから爆発的な勢いで生産量が増加していくことになる。ただし、日本の勢力圏下で栽培されているコーヒーは主にロブスタ種であった。

ロブスタ種は、病虫害に強く、高温多湿の気候にも適応するうえ成長が速く高収量といったメリットが存在するのであるが、カフェインやクロロゲン酸類の含量が高く、焦げた麦のような香味で苦みと渋みが強く、酸味がないコーヒー豆である。主にフレンチロースト、イタリアンローストなど深煎りしてミルクと合わせて飲むのが一般的である。また、価格が安いためにインスタントコーヒー向けの豆でもある。

これに対して、英国の勢力圏下で栽培されているのは、アラビカ種とその派生品種であり、高品質で収量も比較的高いのであるが、高温多湿の環境には適応せず、霜害と乾燥に弱いという欠点があった。しかし、史実では繊細な味故に世界のコーヒー生産の主流となった豆である。

日本のロブスタ種と英国のアラビカ種は価格面でうまく棲み分けることが可能であった。前者はインスタントコーヒーやコーヒー飲料の原料として、後者は喫茶店向けやギフト商品としての人気が高かった。特にブルーマウンテンは、英国王室御用達のキャッチコピーで売り出したところ異常な高値で取引された。そのため偽商品も多数出回り、当局が取り締まりに乗り出す事態となるのである。

245:フォレストン:2018/01/26(金) 07:03:54
食後のコーヒーを存分に楽しんでから、ようやく二人は本題に入っていた。

「そういえば、ミスターの名を聞いてなかったな。名前は?」
「私の名は角川と申します」

男の名は角川源義。
国文学者であり、史実では角川書店の創設者として出版界に偉大な名を刻んだ男である。

「ほぅ、出版社の社長さんなのか」
「はい、実は…」
「実は?」
「実は本が売れなくて困っているのですっ!」

溜まったものを一気に吐き出す勢いでテーブル越しにフレミングに詰め寄る角川。
戦後に角川源義により設立された角川書店は、史実では文芸出版社の雄として飛躍するはずだったのであるが、この世界では違っていた。ことごとくヒットに恵まれずに赤字経営が続き、経営が危うくなっていたのである。

「ステイステイ。落ち着け」
「はぁはぁ…。す、すみません」
「ところで本が売れないということだが、どんな本を出版しているんだ?」

フレミングの質問に、よくぞ聞いてくれましたとばかりに胸を張る角川。

「うちで扱っているのは純文学ですね」
「…純文学かぁ。そりゃ時期が悪いな」
「…え?」
「時期が悪い。今のご時世じゃ純文学は厳しいって言ったんだよ」
「何故だぁぁぁぁぁ!?何故売れんと断言する!?さては貴様アカの回しモノかぁぁぁぁぁ!?」
「落ち着けって言ってんだろうが!?」

激昂して絞め殺さんばかりに掴みかかってくる角川をうっちゃるフレミング。
そろそろ周囲の目線が痛くなってきたところである。通報されないだけマシではあるが。

246:フォレストン:2018/01/26(金) 07:04:44

「はぁはぁ…。し、失礼しました」
「あんた、そのキレやすい性格直したほうがいいぞ…」
「でも、どうして純文学が売れないのですか?品質には自信を持っているのですが…」
「戦争が終わった。しかも未曽有の大勝利。大衆の目が純文学よりも軍人や兵器に向くからに決まっているだろう」
「そ、そんな…」
「書店を見てみろ。軍人の写真集やらインタビュー、精強無比な皇軍を紹介したミリタリー雑誌ばかりじゃないか」

この世界の角川書店が出だしから躓いた理由は、当時の社会が純文学を受け入れがたい状況であったことに尽きた。日米戦争で多大なストレスを受けていた国民が、戦勝を大いに喜んだことは言うまでもない。そして、勝利をもたらした皇軍に興味を持つのは当然のことであり、書籍の売れ筋は兵器解説や軍人へのインタビュー記事などに偏っていた。そんなところに純文学を持ち込んでも見向きもされるはずがなかったのである。

「そ、そんな…私はどうすれば…」
「いや、売れる本を出せばよいだろう。兵器図解とか軍人へのインタビューとか」
「私、そっち方面にはコネが無いんです。それにあまり興味も無いですし」
「…」

『じゃあ、この話は無かったことで』と口にしかけてフレミングは動きを止めた。
角川の目つきがヤバい。米神もひくひくしている。キレる前兆である。さすがに短時間に3度もキレられたら、今度こそ通報されかれない。

「分かった。分かったからとりあえず落ち着け」

フレミングには角川に協力するしか手段は残されていなかった。

(好奇心は猫を殺す(Curiosity killed the cat)、か…)

内心、関わってしまったことを大いに後悔しているフレミングであった。

247:フォレストン:2018/01/26(金) 07:05:47
後日、改めて打ち合わせることを約束して別れたフレミングの足取りは重かった。
どうしたものかと、上司であるサンソム卿とクレイギー卿に相談したところ、意外な答えがかえってきた。

「ははは、それは災難だったなフレミング君」
「笑いごとじゃありませんよ。サンソム卿…」
「すまんすまん。だが、そこまで重く考える必要な無いと思う。そうだろう、クレイギー卿?」
「出版社とコネを持てるのは悪くない。我らの活動も捗るだろう」

英国人ではなく駐日英国大使館だけが、日本人からの信頼を勝ち得たのは、地道かつ膨大な刊行物の発行で日本人の心をつかんだからである。当然のことであるが、その刊行物の中には同人誌も含まれる…というか、同人誌が大半なのであるが。

他の同人作家とは違い、年中何らかの書籍を発行しているので、イベント毎に違う出版社に依頼するのは手間であった。専属の出版社と長期契約を結ぶことが出来れば最終的なコストを圧縮することが可能になるわけで、これは英国大使館側からすれば悪い話では無かったのである。

「まぁ、事が失敗しても、うちが金を出して乗っ取るから気にする必要は無い」

さらっと黒いことを言う全権大使のクレイギー卿。さすが生粋の英国紳士である。
かくして、英国大使館の後押しを受けた角川書店再生計画がスタートしたのである。

248:フォレストン:2018/01/26(金) 07:07:06

「フレミングさん、こっちです!…って、何ですかその車は?」
「しょうがないだろう。この車しか残って無かったんだ」

数日後、フレミングと角川は東京駅で落ち合っていた。
迎えのために東京駅のロータリーに車で乗り付けたフレミングであるが、その車は少々場違いな車であった。

三菱・バンタム ジープ。
史実ではおそらく世界一の知名度を誇る四輪駆動車であるが、この世界では三菱グループの子会社である三菱・バンタム社が軍用と民間モデルを生産していた。トヨタAA型と同じく研究用として英国大使館が購入しており、今回はそれを使用していたのである。

1930年代の日本は、技術や生産施設を手に入れるべく欧米に積極的に進出し倒産寸前の会社を次々に買収していた。
特に米国とドイツ企業を狙って買収を実施したのであるが、ダミー企業や協力してくれる現地の企業などを通じて買収を仕掛けていた。人種差別上等なこの時代、露骨に日本企業が外国企業を買収すると色々と恨みを買いかねなかったのである。

アメリカン・バンタム社は、史実ではジープの開発元であり、その技術力は夢幻会関係者に高く評価されていた。
日本が買収話を持ち掛けたころは倒産寸前であり、アメリカン・バンタム社は日本からの買収話を快諾したのである。米国のビジネスの世界の冷酷さに嫌気がさしていた社員は、家族共々日本への移住を決意。日本で三菱との合弁企業である三菱/アメリカン・バンタム社を起ち上げた。

三菱/アメリカン・バンタム社に、陸軍は九五式小型乗用車(くろがね四起)の後継車両の開発を依頼した。期待に応えるべく文字通り不眠不休の突貫作業で、わずか49日間で完成した試作車は、史実同様どころかそれ以上に過酷なテストに耐え切った。その後、いくつかの小改良を加えられたうえで、1938年に九八式小型トラックとして制式採用されたのである。なお、この時点でジープの愛称が付けられたのであるが、もちろん逆行者達の仕業であった。

ちなみに、戦後の三菱/アメリカン・バンタム社であるが、戦前のアメリカの所業が明らかになった時点で社名からアメリカの名を捨てて三菱・バンタム社として完全子会社化されている。これは、旧アメリカン・バンタム関係者の強い意向であり、当時どれだけアメリカの名が忌み嫌われていたかよくわかる逸話である。

249:フォレストン:2018/01/26(金) 07:08:07
二人を乗せたジープは東京駅から、中央区を目指して疾走していた。
関東大震災後に大規模な再開発が行われた帝都は、広大な幹線道路が整備されており、目的地に到着するまでさしたる時間はかからなかった。

「さぁ、着いたぞ」
「あの、ここはいったい…?」

二人がやってきたのは、日本橋小舟町の清寿軒である。
1861年(文久元年)創業の老舗であり、史実では栗饅頭と大判どら焼きで有名な和菓子店である。

「大判どら焼き5個とお茶缶2つもらえるかな?」
「ありがとうございます」
「あぁ、それと取材も良いかな?うちは出版社なのだけど、今度本を出すつもりなんだ」
「うちを宣伝してくれるのですか!?そういうことなら喜んで!」
「え!?ちょっと何を勝手に…?!」

角川を無視して取材を敢行するフレミング。
ハンサムで愛嬌があり、しかも日本語も話せるフレミングは、外人でありながらも日本人とスムーズな意思疎通が可能な希少な人材であった。トントンに取材は進み、愛用のライカで商品と売り子さんのツーショットを撮ったり、職人のコメントなどを事細かに拾っていったのである。

250:フォレストン:2018/01/26(金) 07:09:24

「どういうことですか、聞いてませんよ?!」
「言ってなかったからな。今から話すから、これを食べて落ち着け」
「もがっ?!」

取材を終わらせた二人は、すぐ近くの公園のベンチに腰を下ろしていた。
事前に知らさされていない取材に、思わずフレミングに喰ってかかった角川であったが、大判どら焼きを口に突っ込まれて黙らされた。

「うぅっ、酷い…」
「ほら、お茶も飲め」

角川にお茶を渡しつつ、自らも大判どら焼きを頬張る。
生地の香ばしさとしっとり感、それに小豆の粒の存在感が光る餡が織り成す絶妙なハーモニー。そして、口の中に広がる甘さをすっきり流してくれるお茶。改めて和菓子の素晴らしさを実感させられたフレミングであった。

ちなみに、二人が飲んでいるお茶は缶飲料であった。
史実では、60年代半ばごろから普及していったプルタブ式の缶がこの世界の日本では既に普及していたのである。

プルタブ式の缶は技術的難易度は高くなく、どちらかというとアイデアの勝利的な産物である。
早期に実用化出来たら便利だということで、史実よりも早く逆行者達によって戦前に実用化されたのであるが、コスト的な問題で当初は軍用目的で製造されていた。

缶飲料は海軍に大歓迎され、陸軍よりも早く海軍内に缶飲料は普及していった。
海軍からすれば、高温多湿な海上でも安定的に保存することの出来る缶飲料は魅力的であった。衝撃に強く、温めたい場合はまとめて風呂に放り込めば済むので便利であるし、艦内であればリサイクルの分別も苦にならなかったのである。

その後、大量生産でコストが下がったために、民間でも缶飲料が普及していったのであるが、史実よりも早く缶飲料が実用化されものの、自動販売機の普及は遅れていた。これは技術的な問題云々ではなく、つり銭の問題であった。史実では100円硬貨の登場で自販機の普及が進んだと言われているが、この世界だとワンコインでジュース1本というわけにはいかなかったのである。

当然であるが、つり銭が多くなると小まめに管理する必要があった。当時の自販機は商品の補充よりも小銭の補充が多いと皮肉られたくらいである。結局、人が多いところに置くことが難しいという本末転倒な事態になったために、未だ缶飲料は店での小売りが主流なのであった。

251:フォレストン:2018/01/26(金) 07:10:44

「以前話したが、今は純文学は売れない。ならば、別のテーマを考える必要がある」
「はい…」
「今のトレンドはミリタリー、いわゆる軍事物だが…」
「そういったのは、大手出版社のコネと取材力に勝てません」
「だな。そこで全く異なったアプローチが必要になるわけだ」

公園のベンチに座ってどら焼きを食べ終えた二人は、ようやく本題に入っていた。
純文学が売れる見込みは無く、売れ筋のミリタリー系の題材は扱えない。ならば、第三の選択肢をというわけである。

「というわけで、私はグルメをテーマにした本を出すことをお勧めする」
「グルメ…美食ですか?そんなのが売れるとは思えませんが…」
「日本人でありながら食に無頓着とか…さては、貴様朝鮮人かぁぁ!?」
「ちょ、首、くるs…」
「あ、すまん、つい…」

超美食家を自称しているフレミングは、どのような状況であっても、可能な範囲で手間暇を惜しまず美味しいものを食べようとする日本人の食にかける情熱を知っていた。戦時中は我慢もするが、戦後になれば必ずグルメ雑誌が売れると確信していたのである。

「しかし、帝都は広いです。美味しい店をそう簡単に見つけられるものなのでしょうか…?」
「知ってるぞ。帝都で美味しい店は、片っ端から食べにいったし」
「えぇぇぇぇ!?」
「そういうわけで、第一弾は和菓子スイーツ特集だ!」

くどいようだが、フレミングは超美食家(自称)である。
立場上、金と暇は持て余していたし、移動手段に車が使えるので、来日してからは帝都の美味しい店をひたすら食べ歩いていたのである。

252:フォレストン:2018/01/26(金) 07:11:53
1946年。
フレミングと角川の手によって、戦後初となるグルメ雑誌『T〇ky〇waker』が刊行された。グルメ本でありながら、4色オフセット印刷による総カラー本という当時の常識からかけ離れた本であった。当然コスト高となるため角川は反対したのであるが、フレミングの熱意に押し負けた形となった。

表紙が、かわいい売り子と和菓子のツーショットな時点で当時のグルメ雑誌の常識をぶち壊していたが、その内容はグルメ雑誌としては素晴らしく画期的なものであった。フレミングの文才がいかんなく発揮された、ある種変態的とまで言うまで事細かく描写に力が入った味に関するレビュー記事に加えて、ページ丸ごと使用したスイーツのカラー写真は否が応でも読者の食欲をそそったのである。

第一弾の和菓子特集は早々に重版となり、続編の要望が殺到した。
フレミングとしても、美食はライフワークであるので以降のシリーズに積極的に関わっている。その後、読者の強い要望により、他の地域の特集も組まれることになる。

時が経つにつれて、T〇ky〇wakerは純然たるグルメ雑誌から、史実のようなグルメだけでなく衣装や流行ものを扱う総合トレンド誌になっていったのであるが、その分、グルメ雑誌としての純度が薄れたため、フレミングは独自に料理本をいくつか執筆している。どこで知ったのか、カルトかつ穴場的な場所が多いために一部のマニアに熱狂的な人気が出ているグルメ本となっている。

253:フォレストン:2018/01/26(金) 07:13:07
グルメ雑誌という安定したドル箱と、英国大使館からの刊行物の専属契約によって安定的な地盤を築くことに成功した角川書店は、角川のかねてからの願いであった純文学に進出した。以後は、文芸、辞書の分野にも進出し、順調に規模を拡大していった。

1953年に、フレミングはそれまでの経験をもとに『ジェームズ・ボンド』シリーズ第1作となる長編『カジノ・ロワイヤル』を発表した。この作品は当時の角川文庫から出版され、一大ベストセラーとなった。史実とはストーリーやキャストが変更されているが、それでも大ヒットしたのは、フレミングの文才によるものであろう。

ちなみに、以後のシリーズにも言えることであるが、枢軸とソ連が悪役にされることが多かった。
英国情報部と日本、そしてカリフォルニア共和国が協力して立ち向かうというストーリーが多かったのであるが、穿った言い方をすれば、プロパガンダの一種であった。もっとも、この世界の映画というのは、大なり小なりそういった意図があるのは否めなかったが。

フレミングがスポンサーに気を遣ったのか、日本が舞台になることが多く、それ故にボンドガールも日本人女優が務めることが多かった。ついでに、史実の外国人が想像したような変な描写な日本はほとんど見られなくなった。これはフレミングの日本滞在歴が長く、より日本を知悉したことによるものであろう。代わりに、ドイツが舞台になるときは敵役が超人やら改造人間だったり、やたらとヒトラーの銅像が置かれていたりとヘンテコな描写が増えてたりするが。

カジノ・ロワイヤルが映画化される際、角川文庫は映画に進出した。
人気作品であり、夢幻会関係者にも大量にファンがいたために、以後のシリーズが映画化される際にもスポンサーに困ることは無かったのであるが、その都度、ボンドガールとボンドカーの選定でもめるのが困りものであった。

イアン・フレミングと角川源義。
この二人には、とある共通点が存在した。両者とも奔放な生き方を好んだという点である。

前者はロンドンの遊び人に知れ渡るほどの『飲む、打つ、買う』な生活に明け暮れた筋金入りのプレイボーイであり、しかも、長身、黒髪、碧眼、裕福、名門、スポーツ万能、そして、お洒落という非リア充の敵であった。後者の角川源義に至っては、私生活の面では鬼源と綽名された癇癪持ちであると同時に漁色家でもあり、自らの家庭を顧みずに複数の愛人を作って、私生児を産ませるなどやりたい放題であった。

そんな二人が意気投合するのに時間はかからなかった。
結果、夜の帝都で乱痴気騒ぎをおこして警察の世話になることも多く、双方の関係者に多大なストレスをかけまくることになる。なお、フレミングと角川の友情は終生続き、フレミングが死去した際に角川は哀悼の句を送っている。

254:フォレストン:2018/01/26(金) 07:15:08
あとがき
皆様お久しぶりです。
今回はリクエストに応えてみました。


以下、用語解説です。

東京盛
東京盛(とうきょうざかり)
大正時代に発売が開始された二級酒です。
史実では1970年代に製造中止になりましたが、2016年に復刻しています。


史実のような苛烈な酒税取り立て
苛烈なんて言葉じゃ足りないくらいに凄まじいものでした。
下記アドレスに、十一屋の事件についての記事がありますが、こんな税取り立てをすれば、そりゃ零細酒蔵は潰れますわな…。

h ttps://jp.sake-times.com/knowledge/culture/sakge_g_meiji-liquor-tax


肉骨粉
原材料を書いてしまうと、R-18G指定待ったなしなので書きませんよ?( ̄ー ̄)ニヤリ


英国からの情報提供
拙作『憂鬱ソヴィエト空軍事情』で英国はソ連への技術提供をすると同時にソ連内に諜報網を作り始めているので、それにひっかかったという設定です。


ポリスオフィス
英語だと警察署はポリスオフィス
米語だと警察署はポリスステーション
です。


麹町警察署
グーグルマップだと英国大使館の敷地から100m程度のご近所さんです。
英国大使館は広い敷地を持つので、震災時の避難場所として有用です。非常時に備えて打ち合わせをしていると思い、ああいう描写となりました。


カップラーメン
本編第4話で1927年にカップラーメンを食べている描写がありましたが、さすがにこの時代だとコスト度外視で生産していたかと。
それから20年近く経てば、コストも下がって民間でも売れるかと思います。それでも史実よりも10年は早いですが、憂鬱日本の技術は史実以上なので、たぶん大丈夫かと。


袋ラーメン
少なくてもカップラーメンより早く民間で売り出しているのは間違いないかと。
戦前に実用化されていれば、非常用食料として備蓄しているでしょう。お湯で戻す糒よりも早く簡単に食べれますし。


トヨタAA型
憂鬱日本の基礎工業力が上がっているので、史実のトヨタが復刻したAA型になってそうです。
どれくらい品質向上したかというと、自動車評論家・五十嵐平達氏曰く「昔のトヨタはシボレー(GM製大衆車)のようだったが、これはダッジ(クライスラー製中級車)だ」とのこと。

あくまで原型に忠実に製造したつもりが、技術の進歩の結果、戦前より材質の水準や加工精度が上がってしまったのが予期せざる性能向上の原因とのことですが、その理屈でいくと憂鬱日本で再現される車の大半に当てはまりそうな気がするのですが…(汗


倉崎、三菱、豊田、日産の4社(BIG4)
日本の自動車メーカーで、日産とトヨタは鉄板でしょう。
残りの倉崎と三菱に関しては、本編第8話の『倉崎、三菱などを中心とした優秀な航空産業や自動車産業。』という描写があったので、自動車を生産していると判断しました。


スバルやホンダといった新興自動車メーカー
戦前は上記4社の下請けとして、自動車部品を作っていたのが戦後になって自動車メーカーに転身したという設定です。
でも、ホンダはともかくスバルは川崎系列だから倉崎とかぶってしまうかも(汗

255:フォレストン:2018/01/26(金) 07:16:03
日比谷松本楼
現在も営業している洋食の老舗中の老舗です。
古くは憲政運動の舞台になったりしているので、政治絡みで夢幻会と絡ませてみました。


北一輝
史実レシピを再現してもらうために登場させました。
料理で史実レシピを再現したくなったら、この男を登場させれば万事OKです。便利w


小坂梅吉
松本楼の初代社長にして貴族院議員です。
非政友会の長老ですが、近衛と親交があったというのは拙作の独自設定なので悪しからず。


国産牛
本編13話より
「しかし美味しい牛肉の開発も急ぎたいですね。ああ、それと養豚産業や養鶏産業の梃入れももっと必要ですね。
 史実に比べれば十分な品質はありますが、まだまだですし」
「養豚については、水田地帯と養豚場の切り離しが必要だろう? 日本脳炎大流行は困るぞ?」

本編13話だと1940年ごろでしょうか。
おそらく、このころから国産牛のブランド志向が始まったのだと思います。どのみち、輸入牛肉にコスト的に太刀打ち出来ないので、早期のブランド志向は間違ってはいないのですが、お値段も高騰する結果になってしまったわけです。


アメリカンビーフ
吉〇家はアメリカンビーフを使っているがために低価格化で苦労しているとか。
この世界だとアメリカが崩壊して手に入らないので、吉〇家は存在しません(酷


オージービーフ
す〇屋と〇屋はオージービーフを使っているみたいですね。
本編だと豪州から牛肉を輸入出来たという描写は見当たらないので、やはりす〇屋と〇屋も存在出来ないようです。

本文で書きましたが、近代的な養鶏場と養豚場は既にありますので、飼料さえあれば国内自給は可能です。
緑の革命が成功すれば、日本での鶏肉と豚肉の安定供給が可能になって値段も下がるかと思います。つまり、な〇卵が全国チェーンとして展開して親子丼とカツ丼が定番となる可能性があるわけです。申し訳ないですが、牛丼は諦めてください(酷


代用コーヒー
コーヒー大好き民族なくせに、その殆どを輸入に頼っているのは致命的ですよね。
なお、史実ではベトナムとインドネシアのコーヒー生産が急速に伸びていますので、憂鬱世界でもベトナムとインドネシアでコーヒー栽培が軌道に乗れば日本でのコーヒーの価格は落ち着くと思われます。


コナコーヒー
ハワイが領土となっているので、コナコーヒーの入手は問題ないでしょう。史実と同じく人件費の問題で高コストになるでしょうけど、それはしょうがないですね。


モカコーヒーとブルーマウンテン
英国の勢力圏下に中東のイエメンとカリブ海のジャマイカがあります。イエメンはモカ、ジャマイカはブルーマウンテンなのですが、イエメンはともかく、ジャマイカは巨大津波で根こそぎやられてそうです。そうだとすれば、コーヒーが生産出来るようになるまでどれくらいかかることやら。コーヒー狂いな日本企業が支援してくれればなんとかなるかも?


角川源義
角川書店の創始者です。
彼の存在を知ったからこそ、今回の支援SSが書けました。

私生活の面では鬼源と綽名された癇癪持ちであると同時に漁色家でもあり、自らの家庭を顧みずに複数の愛人を作って私生児を産ませるなど奔放な生き方を貫いた。

…wikiより抜粋。
似た者同士のフレミングと組ませるには最適でしょう。
出版社とコネが持てるので、007原作を日本で発表しやすいというメリットもありました。そんなわけで、憂鬱世界では007原作が最初に発表されるの国は日本になりましたw

256:フォレストン:2018/01/26(金) 07:17:55
1930年代の日本は、技術や生産施設を手に入れるべく欧米に積極的に進出し倒産寸前の会社を次々に買収していた。
本編第5話より。
これらの買収劇の中で最も日本が力を入れていたのが、アメリカのボーイング社の買収だった。

本編でボーイングの買収は失敗していますが、それ以外にも多くのアメリカ企業が日本に買収されました。アメリカン・バンタム社もそのひとつだったというわけです。史実でのアメリカン・バンタム社の末路は悲惨の一言に尽きるので、個人的に救済したくなってああいう描写となりました。


九八式小型トラック
1938年(皇紀2598年)制式採用。
性能は史実バンタムジープ(BRC-40)です。

参考までにスペックを置いときます。

全長:3.23m
全幅:1.42m
全高:1.83m(幌装備時)
ホイールベース:2.00m
重量:953kg
エンジン:液冷4シリンダー 45馬力
変速機:前進3速マニュアルトランスミッション


当時どれだけアメリカの名が忌み嫌われていたかよくわかる逸話である。
戦後本編では、アメリカ大陸が改名される予定であるとのことだったので、企業もそれにならうのではないかと。
もっとも、アメリカから無事に脱出出来た企業の中で、アメリカの名を冠する企業がどれくらいあるかは分かりませんけどね。


清寿軒
江戸時代末期から営業している和菓子の老舗です。
羊羹のほうが歴史は古いらしいですが、今の主力商品はどら焼きです。


すぐ近くの公園
堀留児童公園のことです。
清寿軒とは道路を挟んだ反対側のブロックにあります。
細長い立地とやたらと遊具が充実していること、さらに非常時にはかまどとして使えるベンチが置いてあったりと、退屈しなさそうな素敵な公園です。


プルタブ式の缶
憂鬱世界では日本発祥の技術となりました。
史実では1950年代に発明されているのですが、開発者がインディアナ州出身なので、確実に巨大津波で亡くられているかと…。
なお、現在のようなプルタブが本体に残るタイプの缶は、製造時のクリアランスが厳しくなるので技術的な難易度は上がります。史実だと60年代半ば以降ですが、この世界だと10年くらい早めてもよいかも?


海軍内に缶飲料は普及していった。
軍艦で缶飲料が使えたら便利だと思うのです。
ラムネだと瓶なので落とすと割れちゃいますし。


缶飲料は店での小売りが主流
史実で自販機が普及したのは、100円硬貨が広まってからという話があったので、それまでは厳しいかもしれません。まぁ、小まめにつり銭の管理すれば良いだけの話なのですが、そこまでやるメリットがこの時代に存在するかなぁと。


T〇ky〇waker
伏字になってない?気のせいです。
史実よりも30年以上早くこの世界では刊行されましたが、この世界では純然たるグルメ雑誌となりました。
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最終更新:2024年12月18日 20:05