190:フォレストン:2017/10/09(月) 07:39:43
日の目を見ることの出来なかった機体の救済策

提督たちの憂鬱 支援SS 憂鬱リノ・エアレース1964

カリフォルニア共和国。(略称:嘉国)
1943年に締結された実質的な日米講和条約『サンフランシスコ条約』で承認された旧北米西海岸地域に位置する新興国家である。旧カリフォルニア州と旧ネバダ州とを合わせた区域を領土とし、首都はサクラメントである。

カリフォルニア共和国は大戦の戦禍や巨大津波の直接の被害を受けなかった。さらに戦後の早い段階で経済・軍事の両面で日本の庇護を受けることに成功していた。そのため、戦後復興に汲々としている英国や欧州枢軸側と違い比較的順調な経済発展を遂げてきたのであるが、それは西海岸沿岸一帯限定の話であり、旧ネバダ州を中心とした内陸部は発展から取り残される形となっていた。

その結果、内陸部の住民達は職を求めて西海岸へ移動し、過疎化が深刻な問題となった。もちろん、政府側も手をこまねいていたわけではなく、財政支援や地域振興策を行ったのであるが、過疎化に歯止めをかけることは出来なかった。業を煮やした旧ネバダ州の有力者達は独自に町興しイベントを開催することを決意したのである。

「とはいうものの、町興しと言われても何をやれば良いか分からんのだが…」
「観光名所と言えるような場所も無いしな…」
「イベントを開催するにしても、先立つものが無いことには…」

町興しの決意はしたものの、実際に何をすれば良いのか、何が出来るのかさっぱり分からなかった。町興しのノウハウを持つ人材がいなかったために意見が乱立して会議は暗礁に乗り上げるかに見えた。

「私に良い考えがあるっ!」

突如、会議室のドアを蹴破らんばかりに乱入してきた男-ビル・ステッドは元空軍軍人であり、現在は大牧場を経営している地元の有力者の一人であった。

ビル・ステッドは他の有力者達を説き伏せると直ちに行動を開始した。
無類のエアレース好きであり、かつての北米で開催されていたトンプソン・トロフィー再興を夢見る彼にしてみれば、今回の町興しは千載一遇のチャンスであった。その熱意と行動力は周りの人間を巻き込むだけには飽き足らず、思いがけない協力者を得ることになるのである。

191:フォレストン:2017/10/09(月) 07:44:12
エア・レース開催のために精力的に活動していたビル・ステッドに、一人の帝国軍人が接触してきたのは1963年8月のとある暑い日であった。

「あなたが開催しようとしているエアレースの全面的なバックアップをしたい」
「正気か?ジャッp…失礼、日本人のあんたに何のメリットがあるんだ?」

ビルの疑問は当然だった。
世間ではエコノミック・ビーストとまで呼ばれる守銭奴な日本人が損得抜きで協力してくれるとは到底思えなかったのである。

「なんでかって?空が好きだからに決まっているだろう」

返ってきた答えはシンプルでありそれだけに信用に値した。
そしてビル・ステッドは気付いた。

「そうか。あんたもパイロットだったんだな」
「今じゃデスクワーク専門だがね。だが俺はまた飛びたいんだ。あの時代、俺やあんたが命を預けたワーバード(Warbirds)を思う存分にぶん回したい。これ以外に何の理由が必要だと言うのだ?」
「違いない!振り回すなら、味気ないジェットよりもレシプロに限る!」

二人は硬い握手を交わした。
ゴツくて分厚い、生粋のパイロットの手だったと後にビル・ステッドは述回している。

件の日本人は逆行者であった。
逆行前は某ロボットアニメの主人公に憧れてパイロットを目指し、努力の末にエアレーサーパイロットとなって世界中でアクロバット飛行していた。そんな彼であるから、第2の人生を歩むことになったときには迷わず戦闘機パイロットを目指した。

支那事変から日米戦争まで戦い抜いたが、戦後になると年齢の問題で一線から外されてしまった。しかし、それでも空への想いは消えなかった。今回のエアレースは、彼にとっても千載一遇のチャンスだったのである。そして、逆行者故にコネと手段を選ばず目的実現に向けて突っ走ることになるのである。

192:フォレストン:2017/10/09(月) 07:45:21
カリフォルニア共和国南部、ロング・ビーチのモハヴェ砂漠に大規模な陸軍基地が存在する。

旧連邦時代から存在するこの基地は、在嘉日軍(カリフォルニア共和国に進駐している大日本帝国陸軍)が駐屯する前は、フォート・アーウィン陸軍訓練所という名前で呼ばれていた。かつての連邦陸軍が、入隊済みの兵士や実戦経験のある兵士、さらに下士官、士官の再教育を行っていた場所である。

砂漠の中という立地条件は、外部の視線に晒されることが少ないというメリットが存在した。日本軍が進駐してきた当時は、長らく放置されて半ば廃墟同然であったこの基地も、陸軍工兵隊の尽力により完全に復旧されていた。現在では、敷地内に大型機の運用が可能な軍用飛行場が建設され、在嘉日軍の司令部も設置されていた。

広大な敷地の外れに新設された司令部の奥まった一室。
扉には『在嘉日軍司令官公室』と書かれたプレートが貼られており、部屋の主が在嘉日軍の頂点に立つ男であることを如実に示していた。

「…部下の錬度はどうだね?」
「このところの平穏で多少たるんでいる面も否めませんが、元々精鋭揃いです。いざ有事となったら、存分に働いてみせてくれることでしょう」
「そうか。まぁ、普段から緊張しっ放しではいざというときに役に立たんからな。そこらへんのさじ加減は君に任せよう。ところで…最近、体力作りに励んでいるようだが、何事かね?」
「また空を飛びたくなりましてね。鈍った体を鍛えなおしているところですよ」
「まさか退役するつもりかね?それは困る。君の能力は、まだ必要とされているんだぞ!?」

地に足をつけてからも、彼は有能であった。
基地の運営管理、後進の指導などに手腕を発揮している彼が抜けると基地機能に障害が生じるのは必至である。司令官が悲鳴を上げるのも当然のことであった。

「いや、さすがに退役はしませんよ。これでも自分の立場は分かっているつもりです。そのかわり…」
「そのかわり?」
「ちょっとだけ、自分の我侭を聞いていただきたいのですが…」

大佐の階級章を付けた将校-ビル・ステッドと接触した日本人は、普段は見せることのない悪戯っぽい表情を見せる。もっとも、眼は笑っていなかったが。

193:フォレストン:2017/10/09(月) 07:47:09

「渡りに船とはこのことですかね…」
「えぇ、まったく。最近は人力飛行機コンテストもアイデアが出尽くして、技術MAD共のフラストレーションも相当溜まっていましたし」
「レシプロ機のエアレースなら予算も比較的抑えられますし、イベント興行で利益を出すことも可能でしょう」

帝都の一角にある洋風レストラン。
英領ブリティッシュコロンビアを発祥とし、英連邦内で爆発的に勢力を拡大した勢いのまま日本に進出してきた外食チェーン店である。
ぶっちゃけ、バー○ーキ○グなのであるが。

休日にも関わらず、その店舗の奥まった場所にあるVIPルームには夢幻会の関係者が詰め掛けていた。

「うぉぉ、この味!このボリューム!やはり○ックとは比べ物にならないぜ!!」
「いやいや、○スのほうが美味いだろjk」
「なんだとこのやろう!?表出ろっ!!」

…会合よりも喰うことに夢中になっているのが大半のようであるが。

「あいつらは放っておいて、話を進めましょうか。というより何で私は駆り出されているのでしょうかね?とっくに公務からは引退しているはずなのですが」
「まぁまぁ、ボケ防止になると思えば良いものですよ?それに同窓会だと思えば良いじゃありませんか」

ため息をつく和装の老人を宥める丸眼鏡をかけた老人。こちらはスーツ姿で、見た目はまったく対照的である。
この二人、片や昭和の大宰相、片や金融界のドンであり、生きながら伝説と化していたりする。二人ともとっくに公務からは引退しているのであるが、夢幻会の会合には必ず参加することになっていた。もちろん、これにはちゃんとした理由があった。まともな進行役がこの2人しか存在しないという、切実かつどうしようも無い理由が。

年齢からくる健康問題があるので強制参加では無いのであるが、まとめ役がいない会合が暴走した結果に引き起される事態を想像すると、参加要請を断ることが出来ないのである。昭和の大宰相の決して表に出せない苦悩であった。

在嘉日軍からの上奏は、夢幻会の会合及び政府上層部を経て承認された。ビル・ステッドのエアレースは、在嘉日軍の全面的なバックアップの元に開催されることになったのである。

194:フォレストン:2017/10/09(月) 07:48:20

「おいおい、いったいどこへ連れていこうっていうんだい?って、痛っ!?」
「っとと。道が荒れてるな。そろそろ見えるころなんだが…お、見えたぞ」

協力を申し出てくれた日本人との会談から半月ほど経ち、再び彼からコンタクトを受けたビル・ステッドは、半ば強引に車に乗せられて尻が痛くなるドライブを楽しむハメになった。
走破性に優れる日本製オフローダーの性能をもってしても、顔をしかめるほどの荒地を走ること1時間。砂塵の中から廃墟と化した施設が姿を現したのである。

旧ネバダ州の地方都市、リノの北20キロほどの荒野に、とっくの昔に放棄されて廃墟と化した旧連邦陸軍航空隊基地が存在した。この基地には固有名は存在せず、アルファベットと数字のみの素っ気無い名前で管理されていた。元はといえば、アメリカ風邪から逃れるために東海岸からの人材や器材を西海岸に空輸するための中継地点として建設されたものであった。

日米戦争末期に本土決戦に備えるために陸軍航空隊基地として再整備されたのであるが、終戦と共に閉鎖された。戦後から既に20年経ち、完全に忘れ去られた基地は、まさに砂塵に隠された遺跡を思わせる廃墟ぶりであった。

「凄いな。こんな場所に基地があったなんて…」
「ここは元々、陸軍航空隊基地だった。規模的に充分だろう?」
「…おい、まさか?」
「あんたが整備していた飛行場じゃ複葉機がせいぜいだろう。レシプロ戦闘機を飛ばすならこれくらいはやらないと」
「あんた、見た目によらず過激なところがあるな…」

初対面時の理知的な雰囲気とは打って変わって、手段を選ばない日本人に半ば呆れつつも、ビル・ステッド自身も大いに興奮していた。これならば、あれが飛ばせる…と。

195:フォレストン:2017/10/09(月) 07:49:24
カリフォルニア共和国設立後、旧連邦陸軍航空隊はカリフォルニア共和国空軍(嘉空軍)として再編された。
しかし、独立したばかりのカリフォルニア共和国の国力では、その旧連邦軍の戦力全てを維持するのは重荷であり、余剰となった人員と機材の退役が進められた。設立されたばかりで予算的な余裕のない嘉空軍は、退役する人間に支払う退役給付金の支払いに難儀し、現金ではなく機材の物納という無茶な手段を選択したのである。

退役給付金の物納は、一見すると暴挙以外の何者でも無いのであるが、これは悪いことばかりではなかった。例えば輸送機を手に入れたパイロットは、整備クルーを巻き込んで輸送会社を設立。戦後復興で増大した輸送需要にうまく乗って会社を大きくすることに成功している。まぁ、これはごく一部の成功例であるが。

戦闘機乗りの場合、自分の命を預けた愛機が手に入るわけで、この方策は無条件で歓迎された。それゆえに他のパイロットに比べて、現金よりも圧倒的に愛機を選んだパイロットが多かったという。もっとも、手に入れてから保管場所や整備に困って最終的に泣く泣く手放すケースも多かったのであるが。

ビル・ステッド自身は牧場を経営しており、整備や保管場所に困ることは無かった。彼の愛機であったP-77 セイバーも倉庫で眠っていたのである。保管場所や資金的にも余裕があったので、同僚の機体を預かることまでしていたくらいである。

自らの愛機を飛ばせることは喜ばしいことなのであるが、彼はパイロットに過ぎなかった。そして戦闘機はデリケートなのである。特に長期間動かなかった戦闘機を再度動かすとなると一大事である。そのため彼は、戦後になって各地に散った元同僚や部下達を探すのに奔走することになる。

196:フォレストン:2017/10/09(月) 07:51:10
1964年1月。
ビル・ステッドを実行委員長とするリノ・エアレース実行委員会が正式に発足した。
カリフォルニア共和国政府から即承認され、組織運営には民間だけでなく嘉空軍からも人材が提供された。件の日本人が暗躍したのは間違いない。

実行委員会が最初に行ったことは、エアレースのレギュレーション作りである。
とはいっても、初回大会故に極めて簡潔なものであった。

  • レース距離13.65km
  • 重量4500lb(2041kg)以上のレシプロ機に限ること。
  • 上記を満たす機体であれば改造は無制限。完全オリジナルの機体も可。

いわゆる史実のアンリミテッドに準拠した仕様である。
その後、様々なクラスが追加されていくのであるが、それは後の話である。

大会の告知も同時期に世界中に向けて行われており、現地での整備や輸送には全面的に在嘉日軍が便宜を図るという破格の待遇であった。それゆえに世界中から物好きな企業や金持ちが機体を持ち込むことになるのである。

エアレース開催の告知を知って、最も過敏に、そして最も過激な反応を示したのが日本の航空機メーカーであった。

「よっしゃぁぁぁぁ!史実ゼロ戦を飛ばすぞぉぉぉぉぉ!」
「馬鹿野郎!景雲を飛ばすんだよ!!」
「研三を…キ78を…!」
「「マニアック過ぎないかその機体」」

夢幻会に所属する逆行者達からしてみれば、史実の機体を大っぴらに飛ばせるこれ以上ない機会なのであった。エアレースの開催は9月、申し込み締め切りは7月なので、実質半年しか時間が無いのであるが、彼らは大急ぎで図面を作り、機体製作を開始したのである。

「はーはっはっはぁ!ワシも参加するぞぉぉぉ!」
「会長!?止めてください!無茶ですぅぅぅぅぅ!?」
「馬鹿者ぉ!まだまだ若いモンには負けんわぁぁぁっ!!」

エアレースの開催を聞いて、とある航空機メーカーの会長も大ハッスルしていた。
ひたすらに体作りを重ね、筋トレに励んだ結果、肉体改造に成功した会長も浪漫溢れる機体で参戦することになる。

197:フォレストン:2017/10/09(月) 07:52:25
1964年7月。
在嘉日軍陸軍工兵隊の尽力により、基地機能の完全復旧に成功。早くもレースに参加する機体の搬入が開始された。なお、この時点で基地の名称が『リノ・ステッド空港』と暫定的に定められている。この件に関しては、ビル・ステッド本人は嫌がったのであるが、あくまでも暫定ということで一応は納得していた。本人の気付かぬうちに方々に根回しをされて、正式名称になってしまったのであるが、気が付いたときには後の祭りであった。

基地の機材や燃料その他消耗品は無料で使用することが可能であり、航空ガソリンは140グレードの最高品質が用意された。もちろんプラグやモービルオイルも最高品質の代名詞であるメイド イン ジャパンであることは言うまでもない。日本軍では、戦前から使われてきたありふれたものに過ぎないのであるが、他の国からすれば垂涎ものであった。

機体の整備は基本的に自分で行うか、自前で人員を用意する必要があったが、ボランティアで退役した嘉空軍のメカニックや、同じく退役した帝国陸軍の整備兵が参加しており、必要ならば彼らの手を借りることも可能であった。

ちなみに三菱や倉崎は機材や人員を全て自前で揃えていた。これは機体が特殊かつ浪漫に溢れていたため、並みのメカニックでは整備出来ないのが理由だったりする。

航空機である以上、陸上整備だけでは調整しきれない部分もあるため、基地周辺空域に限ってテスト飛行が認められていた。テスト飛行するためには実行委員会への事前の申請が必要であったが、当日申請して即OKが出るため大会当日が近づくにつれて、基地周辺では多くのレシプロ機が飛び回っていたのである。

『こちらレア・ベア離陸許可願う』
『こちらローズ。レア・ベア、風は方位120から4ノット、滑走路からの離陸を許可します』

最初のころはパイロットの判断のみで離着陸が可能であったが、テスト飛行に参加する機体が増えるにつれて航空管制が必要となった。航空管制はローズと呼称され、その名のとおり女性が担当していた。

なお、『ローズ』はジューン須山という名前であるが日系人ではなく、須山芳枝という生粋の日本人女性である。須山ファミリーは1924年からカナダのバンクーバーに移住し、芳枝も4歳から19歳までの15年間をそこで過ごした。日本へ帰国後は、ラジオ局のアナウンサーとして働き、声は低いが落ち着いた魅力的な英国式の英語を話し、放送も上手かった。ラジオ局内では才色兼備とうたわれ、女子アナのなかでもズバ抜けた人気を誇っていたのである。

戦前には彼女の元へ海外からファンレターが送られてくるほどであり、現在でも根強いファンが大勢いるのであるが、その『大勢』の中に駐日英国大使館のラジオ傍受班が含まれていた。彼らは安易な声優萌えに走らずに彼女を女神のごとく信奉し、それがゆえにラジオ傍受班内での激しい抗争の原因となるのであるが、割とどうでもよいことである。

年を重ねたとはいえ現在でもその声と美貌は健在であり、たちまちのうちにパイロット達を虜にした。この人材登用にあたっては夢幻会の意向が強く働いたと言われているが、真相は闇の中である。

機体の搬入とテスト飛行に合わせるように見物客も増えていった。
思わぬ経済効果に地元民もホクホク顔であったが、大会が近づくにつれ、うなぎ登りに増えていく見物客相手に嬉しい悲鳴をあげることになる。

198:フォレストン:2017/10/09(月) 07:53:31
1964年8月。
リノ・ステッド空港の一角に、ビル・ステッドとその愛機の姿があった。
実行委員会の仕事も峠を越えて、他の人間に任せても問題無くなったため、ビル・ステッド自身は愛機の整備と調整に専念出来るようになったのである。

「よぅ、やってるかい?」
「おぉ、あんたか。久しぶりだな」

愛機の心臓であるライトR2600エンジンの点火タイミングの調整をしていたビル・ステッドは振り返る。
そこには想像したとおり、あの日本人が立っていた。

「機体の調整はどうだい?」
「おかげさまで順調だ。もうすぐ最終調整まで終われそうだ」

その言葉に、彼はニヤリと笑う。

「そうか。ならアレはやれそうだな」
「おいおい、話半分に聞いてたが、本当にやるつもりなのか?」
「もちろん。エキシビジョンなのだから派手に盛り上げないと」

大会当日のエキシビジョンの内容は観客の度肝を抜くことになるのであるが、その内容は秘されており、ごく一部の人間しか知り得ないものであった。

199:フォレストン:2017/10/09(月) 07:54:18
1964年9月某日。
大会当日のリノ・ステッド空港は熱気に包まれていた。

今回のエアレースは史実のアンリミテッドクラスに準拠したルールであるため、多種多様な機体が参加していたのであるが、一番多いのは地元カリフォルニア共和国の機体であった。前述した物納で戦闘機をもらった退役パイロット達が機体を持ち込んでいたのである。そのため、旧連邦陸軍航空隊で使用されていた機体が主であり、P-38やP-51Fでほぼ占められていた。一部F4Fの改造レーサーも参加していたが極少数であった。武装や装甲を取り外して軽量化するのがせいぜいであり、改造度はあまり高くない。

少数派なのが企業によるワークス・チームである。この他にも金と暇を持て余した大富豪がプライベーターで参加していた。こちらは資金力に物を言わせて本格的に改造を施しており、エンジンチューンは当たり前。さらに機体の一部を整形して空力性能を上げることまで行っていた。

少数派の中でさらに変態的なのが日本の倉崎と三菱のワークス・チームであり、こちらは改造機ではなく、完全オリジナル(史実機の再現)の機体を持ち込んでいた。もちろんレース仕様に変更済みである。

実質半年という短い期間で図面作成、機体の製作、さらに全力運転飛行まで行えたのは、日本のコンピュータ技術の粋であるCAD/CAMシステムと、それによって駆動されるNC工作機械の威力によるものであった。もちろん、CAD/CAMもNC工作機械も万能ではない。それこそ、宝石のごとくデリケートな扱いを要求される大出力航空レシプロエンジンの部品には、細かい微調整が必要となってくるのであるが、そういう調整は下町の町工場の職人が行っていた。こういったワンオフ物に関しては優れた職人の腕が物を言うのである。

当時の常識では、半年間で機体の設計製作から飛行まで済ませてしまうことは不可能であった。そのため、今回のエアレースは日本による出来レースでは無いかと関係者の間では不審がられることになる。当の本人達は一向に気にしていなかったが。

200:フォレストン:2017/10/09(月) 07:55:20
敷地内ではド派手なカラーリングを施した改造エアレーサーが最終チェックを行っており、大出力レシプロエンジンの爆音が轟いていた。既に大勢の観客で超満員であり、国際的なイベントということもあり多種多様な人種が散見された。空港に入りきらなかった観客達は周辺の適当なところに陣取り、それを目当てにした屋台も大量に出店してカオスな状況となっていたのである。

観客の専らの歓心は、大会数日前に突如発表されたエキシビジョンであった。エアレース開催記念イベントとして、隼とP77 セイバーで模擬空戦を行うというのである。この模擬空戦が従来の常識を覆す、というよりも非常識なことも観客が熱狂する理由であった。

通常の模擬空戦であれば、被撃墜の判定はガンカメラによって行われる。しかし、この模擬空戦では専用に開発された航空機用ペイント弾を使用することになっていた。命中させた回数と部分によってポイントが加算されるルールである。コクピットや燃料タンクといった重要な部分に命中させると高得点なのは言うまでも無い。

この提案が実行委員会に出されたときには、さすがに危険過ぎるとして一度却下された。いわゆる模擬弾を使う訓練としては、曳航機が引く吹き流しに撃つ訓練が存在するのであるが、弾が逸れて曳航機が被弾するケースが多々存在した。模擬弾とはいえ、着弾の衝撃はかなりのものであり、通常機よりも外板を厚くした特別仕様の曳航機でも被弾し続けると外板がボロボロになった。通常の機体で、しかも激しい機動を行う戦闘機に、模擬弾とはいえ当たったら不測の事態が起こり得る-というのが、実行委員会の反対理由であった。

しかし、二人は粘り強く働きかけた。特に件の日本人は、ペイント弾のデータを実行委員会に提出したり、在嘉日軍の協力の下、タキシング中の機体にペイント弾を撃ち込んでも問題無く離陸出来ることを証明して漸く実現に漕ぎつけたのである。

201:フォレストン:2017/10/09(月) 07:56:29
ちなみに、航空機用ペイント弾などという珍妙なシロモノを開発したのは、もちろん逆行者である。
フ〇ントム無〇の大ファンであった彼は、某掲示板で模擬空戦でペイント弾を使うと書き込んで大恥をかいてしまったのであるが、逆行後は、無いなら作るとばかりに弾薬メーカーに就職して寝食を惜しんで開発に勤しんだのである。

開発に苦労した甲斐あって、ペイント弾の弾道特性は実弾と遜色無いレベルに仕上がった。口径は当時の戦闘機に広く採用されていたM2系の12.7mmと、将来的な大口径化を見越して20mm弾も開発を進めており、営業担当が自信満々で軍へ売り込んだのであるが、結果は悲惨であった。

このペイント弾は、激しい機動をする戦闘機から発射することが前提のため、技術と工夫が凝らされており、それは製造コストを高騰させてしまう結果となった。ちなみに、お値段は1発で実弾30発分というべらぼうなお値段であった。

弾頭の一部にバラストとして金属が使用されているため、防弾板以外の個所に着弾すると衝撃で外板が歪んでしまうのも問題であった。結局、陸軍空戦技術研究班(空技研)や艦載機運用研究班(艦機研)などが、少数導入した程度であった。

大量生産を当て込んで設備投資をしてしまったために、このままだと倒産まっしぐらだったのであるが、ペイント弾の開発者が身バレして夢幻会にドナドナされたため、割の良い仕事を優先してもらえるようになり倒産危機を回避出来た。
その後、日米戦争で発生したの膨大な需要を片づけるので手いっぱいとなり、ペイント弾と、その製造施設は倉庫の奥に仕舞われたまま忘れ去られたのであるが、今回の模擬空戦で再び陽の目を見ることになったのである。

202:フォレストン:2017/10/09(月) 07:59:09
既に滑走路には、白い機体と真っ赤な機体が駐機しており、一目見ようと機体の周辺には人だかりが出来ていた。
なお、両機共に派手な色になっているのは、視認性の向上のためである。それは観客に配慮しただけでなく、空戦の様子を地上から撮影するためでもあった。

白い機体は日本人が駆る隼である。白を基調としていながら、青や黄色、コクピット周辺には赤も配色されており、どことなく史実のガ〇ダムを彷彿とさせるカラーリングであった。(カラーリングを除けば)基本的に現役時代に使用した愛機の仕様がそのまま再現されていた。

真っ赤な機体は、ビル・ステッドの搭乗するP77 セイバーである。赤色を基調として、一部に黒色が配色されている。こちらも往時を再現した仕様である。

機体と同じくらいに注目されているのがパイロットの両名である。特にビル・ステッドは、地元の名士であり、しかも旧米国軍人として日本と戦っているため話題に事欠か無かったのである。

二人が質問攻めされているのを横目に、メカニック達は給弾作業を行っていた。主翼の点検ハッチが開けられ、手際よく装填されていく。使用するペイント弾は実弾と完全互換を達成しており、装填するのに必要な機材はそのまま使用可能であった。
なお、12.7mm弾はM2ブローニング系であるため、セイバーにもそのまま装弾可能であった。隼には20mmペイント弾が積み込まれたのであるが、重さもサイズも実弾に匹敵するためにその数はどうしても少なくなった。このことが模擬空戦の展開に影響を与えることになる。

『3分で勝負がつけば赤、有利!』
『スゲエぞ!毎月これをやってくれねえかなあ』

別の場所で盛り上がっているのは、ブックメーカーとそれに賭ける観客たちである。当初の計画では、存在しない企画だったのであるが、日本の動きを察知した英国が一枚かませろとばかりに介入してきたのである。

無類のレース狂であると同時にギャンブル狂でもある英国人は、この手のノウハウに長けていた。ついでに、賭けは胴元が一番儲かることも熟知していた。
最初は渋った実行委員会であったが、弁舌にかけては英国紳士は百戦錬磨である。利益(の一部)は恵まれない人へ使うと言われると断ることは出来なかったのである。

203:フォレストン:2017/10/09(月) 08:00:52
やがてエキシビジョン開始時刻となり、野次馬は退散させられた。
両機共にタキシングを開始して、所定の位置へ移動を開始する。

『発進15秒前!』

空港のコントロールタワーに設置されたスピーカーよりアナウンスが流される。
観客たちの興奮と緊張が高まっていく。

『5秒前!』
『4』
『3』
『2』
『1』
『GO!!』

カウント終了と同時にフラッグが振られ、轟音と排気煙を盛大にまき散ららしながら機体が猛然とダッシュする。
先に隼が離陸、一瞬遅れてセイバーも離陸し、両機は上昇して高度3000で水平飛行に入った。
ここまでは、事前の打ち合わせ通りである。

『そろそろ良いか?』
『いつでもいいぜっ!』

ビル・ステッドの返事が終わるが否や、両機は左右にブレイクして距離を取る。相対高度を維持したままヘッドオンで急速に距離を詰めていく。

『この距離なら!』
『チキンレースか!?面白いっ!』

お互いの距離が200mを切ったところで双方が発砲、隼の20mmとセイバーの12.7mmが火を噴くが、お互いに命中弾は無くそのまま交差した。初撃は双方五分の立ち上がりといっても良かった。
しかし、この後は一方的な展開となっていくのである。

204:フォレストン:2017/10/09(月) 08:02:51

『速い!?振り切れないっ…!』
『そらそら、どうしたぁ!?』

初撃以降は、隼がセイバーに一方的に追い回される展開となった。
カタログスペックでは、速度差はほとんど無いのであるが、実際はセイバーが時速にして30km/h以上優速であり、空戦の主導権を握られていたのである。

セイバーがカタログスペック以上の性能を叩きだしていたのは、戦時中のアメリカのガソリン事情が関係していた。
日米戦争当時、日本は既に140オクタンの最高品質のガソリンを使用していた。しかし、アメリカの航空ガソリンは100オクタンがやっとだったのである。巨大津波に被災した後の燃料事情は史実の日本より酷い有様であった。極端な話、旧アメリカ軍の戦闘機は、日本製のプラグとモービルオイル、140グレードのガソリンがあれば、2割増しな性能を発揮出来たのである。

これに加えて、セイバーはインターセプタ―としての性格が強い機体であり、上昇性能と最高速度が特に重視されていた。一方で隼は、海軍機の烈風と基本構造は同一(さすがに着艦装備や無線帰投装置は外していたが)であったために、どうしても低速運動性を考慮せざるを得なかった。当時の技術では、低速運動性と最高速は相反するものであった。
隼の速度は、大出力エンジンとジュラルミンと強化繊維による複合材の採用による機体軽量化で、無理やり達成した高速性能なのである。

205:フォレストン:2017/10/09(月) 08:04:22

『いい加減当たれってんだよ!』
『…まだまだっ!』

ビル・ステッドは焦っていた。
何度も照準に白い機体を捉えているのに、タイミングを見切られて射撃直前に回避される。
質の悪いジョークを見せつけられてるようであった。

セイバーに速度と上昇力で劣る隼であったが、逆に言えば運動性では勝っていた。
大出力エンジンと軽量な機体、さらに比較的広い翼面積による低翼面荷重と自動空戦フラップの採用で、見た目以上に格闘戦がこなせる機体だったのである。

とはいえ、図体の大きい隼は、被弾面積も大きいために無傷というわけにはいかなかった。既に数発ペイント弾が着弾しており、真っ青なペンキが主翼に付着していた。
一方でセイバーは全く被弾していなかった。苦労して背後を取っても、凄まじい速度でダイブして逃げられてしまうからである。

搭載している20mm機関砲も、今回の模擬空戦では不利に働いていた。隼は、主翼に20mm機関砲を4門搭載しているが、弾数は各300発で合計1200発搭載していた。
対して、セイバーは12.7mm砲を主翼に6門搭載しており、各300発で合計1800発である。実戦では絶大な威力の20mm砲であるが、模擬空戦では威力は関係無いので、たくさん積める小口径砲が有利なのである。

大口径故の命中率の悪さも不利な要素の一つであった。いくら長銃身化したといっても落下が激しい20mm砲弾を命中させるのは至難であった。大型機相手ならともかく、激しく機動する戦闘機に命中させることが難しいことが、戦前の演習で既に指摘されていたのである。
幸いにして、日米戦争では格下の戦闘機が相手だったために、この問題は露見しなかったのであるが、一部の人間はこの問題を憂慮して戦術を考案していた。彼が当時所属していた空技研は、その戦術を完成させていたのである。

206:フォレストン:2017/10/09(月) 08:05:38
既に模擬空戦開始から20分が経過し、お互いの体力は限界を迎えつつあった。残り時間も少なくなっており、このままではセイバーの判定勝ち必至であったために勝負に出る必要があった。

『当たれぇっ!』

ビル・ステッドが吠えつつ、トリガーを引き絞る。
またしても直前で隼が回避したために12.7mmのシャワーは命中しなかったが、隼が上昇して回避することを先読みしたために、即座に追撃態勢に入った。しかし…

『ここだっ!』

自動空戦フラップをカットしてスロットルを一気に落とし、意図的に失速状態を作り出して落下する-いわゆる木の葉落としである。

『んなぁ!?』

既に上昇を始めたセイバーを脇目に隼は落下、そして両機が交差した瞬間-隼の20mm全門が咆哮した。

空技研が到達した結論は、大口径で命中率が悪いなら、限界まで接近して撃ち込めば良いというシンプルなものであった。
至極当然と言えばその通りなのであるが、この場合、同レベル以上の機動力を持つ敵機にどのように接近するかが問題となった。そのために考案されたのが特殊戦術機動と言われる空中戦闘機動であった。

エスコン厨が蔓延る空技研では、コブラやクルビットをレシプロ機で再現することを試みたのであるが、さすがに無理があり、史実の木の葉落としや捻り込みが実用化された。ただし、前述のとおり日米戦争で懸念された問題は起きず、疾風の実用化も間近だったために、このことを知っているのは、当時空技研にいたメンバーだけであった。

207:フォレストン:2017/10/09(月) 08:06:46
模擬空戦のタイムリミットとなり、セイバーと隼は着陸態勢に入り、見事なアプローチで着陸して停止した。しかし、パイロットが出てこない。訝し気に思ったメカニック達が機体に駆け寄ると、その惨状に絶句した。

「うわぁ…」
「なんじゃこりゃぁ!?」

隼の真っ白な主翼はペイント弾で青く染められており、対するセイバーは、胴体と主翼が青く染め上げられていた。ペイント弾とはいえ、至近距離で20mm砲弾を喰らった衝撃で外板に大きな歪みが出ていた。

絶句するメカニック達の目の前でコクピットが開いて二人が下りてきた。汗だくでふらついてはいたが、それでも実にイイ笑顔をしていた。

「いやぁ、楽しかったな!」
「まったくだ!またやろうぜ!!」

修理に頭を抱えているメカニックをよそに、呵々大笑する二人であった。

エキシビジョンの結果は、僅差で隼の勝ちとされた。
全く文句が出なかったのは、それだけ素晴らしい模擬空戦であったことの証左であろう。

この後のレース本戦も大いに盛り上がり、リノ・エアレースは大成功を収めたのである。

208:フォレストン:2017/10/09(月) 08:07:48
ビル・ステッド本人は、エアレースを今年限りと考えていたのであるが、周りからの強い要請で毎年開催されることになった。
主な理由は以下の通りである。

  • 外貨獲得
  • 在嘉日軍のイメージアップ
  • ブックメーカー運営

外貨獲得の手段として、カリフォルニア共和国政府は、リノ・エアレースに注目していた。
最近は、アジア諸国も工業化著しく、新たな金づるを見つけようと必死であった。今回の大会で、海外の富豪や観光客が落としていった外貨は莫大なものであり、縋りたくなるのも無理もないことであった。

在嘉日軍は、戦後からあらゆる手段でイメージアップを図っていたのであるが、その歩みは亀のごとしであった。そこで、リノ・エアレースを全面的にバックアップすることで、さらなるイメージアップを狙ったのである。結果的に大幅なイメージアップに成功したのであるが、いらないものまで布教してたりするので、今後の影響が気になるところである。

ブックメーカーは英国がノウハウを提供したのであるが、後に運営委員会から正式に協力要請があり、現地法人を立ち上げることになった。
引き続き胴元として利益をあげられるわけで、これは英国側にとって嬉しい誤算であった。

209:フォレストン:2017/10/09(月) 08:08:53
エキシビジョンが大好評だったため、後に『Ace Combat』(AC)としてレギュレーションが制定された。
条件は以下の通りである。

  • WW2に戦力化されたレシプロ戦闘機のみ。
  • 実際に製作されていなくても、計画のみでも可。
  • 装備は当時のものを再現すること。

この結果、より戦闘力の高い機体を求めてシーフューリーなどの計画のみで終わった機体が製造されてリノの空を舞うことになる。
史実では実現しようのない、まさにドリームマッチが繰り広げられて逆行者たちからすれば感涙ものであった。

年を追うごとに新しいレギュレーションも随時追加されていった。変わったところでは、ソードフィッシュ専用レギュレーションである『フリーダム』や、機体塗装の美しさを競う『コンクール・エレガンス』などがある。最近のリノ・エアレースでは、毎年のようにマニアックなレギュレーションが制定されては淘汰されるといったことを繰り返しているのであるが、この二つのレギュレーションは未だに存続しており、カルト的な人気を誇っている。

リノ・エアレースは金持ちの娯楽として定着し、エアレースに参加するために、各国に残っていたレシプロ戦闘機は高値で取引された。それどころか、有志達で資金を出し合って製造設備を買い取って機体を新規に製造することまで行われたのである。不要になった老朽設備を買い取ってくれるわけで、航空機メーカーとしては大助かりであった。

エアレースを見に来る観客が落とす金と、ブックメーカーで得られる利益は莫大なものであった。特に海外からの観客やエアレースの参加者が落とす外貨はカリフォルニア共和国は大いに潤わせた。現在のリノは、巨大テーマホテルが多数建設されてラスベガス以上の観光都市として、内陸部の発展を牽引しているのである。

210:フォレストン:2017/10/09(月) 08:09:58
あとがき
皆様、お久しぶりです。
今回は、リノ・エアレースネタです。
結果的にカリフォルニア共和国支援SSとなっておりますw

以下、用語解説です。

嘉国
カリフォルニア共和国の略称です。
適当なのを思いつけなかったので、掲示板で募集して採用させていただきました。


ビル・ステッド
史実のリノ・エアレースの創始者です。


件の日本人は逆行者
モデルになったのは、アジア人初のレッドブルレーサーとして現在も活躍しているあの人です。


人力飛行機コンテスト
本編でも少し触れられていましたが、さすがに戦後から20年経つとネタ切れしているんじゃないかと。
リノ・エアレースは、新たなガス抜きと技術者育成の手段として利用価値があるかと思われます。


バー○ーキ○グ
史実通り準拠しようと思ったのですが、ヒナヒナ様の支援SS『夢の国』によると、フロリダは津波で完全に水没しているんですよね。高度差が無いので根こそぎ流されているので港の復旧が優先されて、戦後しばらくは内陸部は手付かずでしょう。海水に浸かったせいで植物も枯れるでしょうし。

戦後10年程で多少は自然も回復して、内陸部に目を向けたらワニが異常繁殖していたので、皮と肉目当てでワニ狩りが始まります。その過程で、バーガーキングはワニ肉を提供するハンバーガーレストランとしてオープン。以後、爆発的な勢いで店舗を増やしていき、1960年代に日本に出店という設定です。

211:フォレストン:2017/10/09(月) 08:14:16
和装の老人
嶋田さんに安息の時は訪れるのでしょうかね…(涙


丸眼鏡をかけた老人
辻ーんは、現役を引退してもあれこれやってそうです(汗


日本製オフローダー
ランクルにしようかと思いましたが、軍用車両なので三菱ジープですかねぇ?
パジェロ(史実73式)はまだ早いですし。


とある航空機メーカーの会長
この時点で80歳を超えているはず。
ジジィ、いい加減自重しろ(白目


レア・ベア
名前が気に入っているので出してみました。
憂鬱世界だと、ベアキャットは存在しないのですよね…(涙


ジューン須山
南京の鶯ことジューン須山芳枝。
長らく、本物の東京ローズではないかと噂に上がっていました。
史実だと、戦後の自動車事故で亡くなりましたが、この世界だと未だに現役です。

声は低いが落ち着いた魅力的な英国式の英語をしゃべり、放送も上手い。
ラジオ局内では才色兼備とうたわれ、女子アナのなかでもズバ抜けた人気を誇ったそうです。
戦前には彼女の元へ海外からファンレターが送られてくるほどだったので、駐日英国大使館にファンがいてもおかしくないのです(力説


CAD/CAMシステム
憂鬱日本のチートアイテム。
設計時間が大幅に短縮可能。


NC工作機械
憂鬱日本のチートアイテムその2。
以下略!


ワンオフ物
大量生産ならともかく、一点モノを作るのであれば職人技のほうが早いし、安く作れます。
憂鬱日本の最新技術は、下町の頑固職人が支えているのです。

212:フォレストン:2017/10/09(月) 08:15:10
陸軍版烈風。
本編では名前以外に変更点は無いような描写が為されていましたが、さすがに着艦フックとか、無線帰投装置とかは外しているのでは無いかと。


P77 セイバー
アメリカ版鐘馗との説明があったので、速度と上昇力に特化した機体かと。
今回は140グレードの燃料と日本製のプラグとオイルを使ったせいで、カタログスペック以上の性能が出ています。

2割増しということで、R2600で2300馬力出せるかなとも思いましたが、この時代の航空レシプロなら、水メタやハイオク使って過給器で大ブーストかければなんとでもなりますし。冷却と軸受がヤバいかもしれないけど、史実日本よりはマシははず。


吹き流しに撃つ訓練
模擬弾を使う訓練だと、史実米軍が爆撃手の射撃訓練ですね。曳航専用機と模擬弾が開発されています。


航空機用ペイント弾
諸悪の根源。
IM-16。
おいらも騙されてました。
このSSが一時お蔵入りしてた理由だったり。


陸軍空戦技術研究班(空技研)や艦載機運用研究班(艦機研)
名無し三流様の支援SS『帝国陸軍総合祭・前編』の設定を使用させていただきましたm(__)m
逆行者である『日本人』も一時期ここに所属していますが、エスコン厨と反りが合わずに前線に転出していますw


開発者が身バレして夢幻会にドナドナ
航空機用ペイント弾なんて作らなければ、市井の人として一生を全うできたのですが…(合掌

213:フォレストン:2017/10/09(月) 08:15:47
視認性の向上
史実のエアレーサーもそうですが、地上から見えるように目立つ色にしなければいけないわけで。


空戦の様子を地上から撮影するため
このころの日本では、既にビデオ戦争が始まっています。
そこらへんの描写も加えようと思いましたが、独立して書いたほうが面白いと思ったのでカットしました。


『3分で勝負がつけば赤、有利!』
『スゲエぞ!毎月これをやってくれねえかなあ』
某赤い豚さんですね。


ブックメーカー
ギャンブル狂な英国紳士なら、この手のノウハウも豊富だと思います。
エキシビジョンだけでなく、本戦でもブックメーカーで賭けることが出来れば、胴元はウッハウッハですよ!


『発進15秒前!』
またしても某赤い豚さんです。


『Ace Combat』(AC)
大戦中の機体を再現して、かつてのエースパイロットが操るという夢のようなレギュレーションです。
戦時中に計画された機体でもOKなので、資金さえなんとかなれば面白いことになりそうです。


『フリーダム』
ソードフィッシュ専用レギュレーション。
アンリミテッドなんて目じゃ無いくらいにカオスです。
ターボプロップ搭載型や、主翼を整形して500km/hオーバーなどなど。


『コンクール・エレガンス』
通称、痛機クラス。
在嘉日軍が、史実の戦競のノリで頑張った結果、萌え機が増えました(白目
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最終更新:2024年12月18日 20:25