570:モントゴメリー:2024/08/18(日) 00:00:50 HOST:124-141-115-168.rev.home.ne.jp
日蘭世界SS——FFRにおける「多様性」について——
大日本帝国のとある政治学者は、著書の中でこう述べている。
「——フランス連邦共和国(FFR)の政治体制を一言で表すのは困難である。敢えて試みるならば『共和制軍事宗教国家』という単語を創造するしかない」
国家元首は選挙で選ばれるが、それはあくまで「代行」であり真の元首は国教の最高神。
そして、国民全員がその最高神の兵士であり「戦争資源」であると定義される。
彼らの団結心は際限を知らず、その点では列強随一と呼べるほどである、と。
しかし、彼は著書に続けてこう記す。
「——そしてFFRの特長で最も特異な点は、歴史上の宗教国家・集団に見られる『排他性』がほとんど見られないことである」
確かに、過去を振り返れば内部の派閥抗争の激化で滅んだ宗教集団は数知れない。そこまで行かなくとも“異端者”への処遇は人間の善性を疑いたくなるほど悲惨になるものである。
しかし、FFRにはそのような現象はほぼ皆無である。
これは人類史上の奇跡と呼んでもいい偉業だ。
今宵はこの“奇跡”の理由を探るべく、また歴史の大河をさかのぼってみよう。
FFR国教には「聖典」や「経典」と呼べるものが存在しないことはこれまでも再三述べて来た。
これは、初代大統領にして『鉄人』ジョルジュ=ビドーの意向が大きく関係している。
元々、FFR国教の前進である戦艦リシュリューの象徴化は彼が推し進めたものである。
それは国民統合のためのプロパガンダであり、それ以上の意味を持つものではなかったのである。決して。
しかし、事態は彼の想像を超え発展し、鉄人が気付くころにはリシュリュー信仰はもう手を付けられないほど成長し強固なものとなっていた。
青年期には歴史の教師も経験した彼には、この後に起こる現象もまた予測できた。
——歴史上、宗教には正統・異端の神学的論争が不可避である。
そして国家の運営上、この種の神学的論争など時間と労力の無駄以外の何物でもない。
それどころか国家分裂の危険性を高めるものでしかないのである。
国家統一のために創り上げた“プロパガンダ”が、国家分裂の原因となる“宗教”になるなど鉄人からすれば質の悪い喜劇にしか思えなかった。
しかし、現実は非情であり、その原因を作ったのも彼自身である。故に、彼にはこの事態に対応する責任があった。
失敗は許されない。
宗教に限らず、それこそフランス革命を見れば一目瞭然である。
人間は「異端者」と見なした者にはどこまでも残酷になれる存在であり、その結果は悲惨と呼ぶ他ないものであると…。
571:モントゴメリー:2024/08/18(日) 00:01:24 HOST:124-141-115-168.rev.home.ne.jp
ビドー初代大統領が出した“処方箋”は、「正統」を作らないことであった。
「正統」が無ければそのカウンターパートである「異端」もまた存在し得ない。よって争う原因は生まれないという訳だ。
そのため、彼は聖典や経典と呼べるような書籍の製作を行わず、民間で発行されたものには決して「公認」を与えなかった。
そして一つだけ、一つだけ指針となる「聖句」を残し、世を去ったのである。
『汝、フランス人たれ』
この聖句は神聖な響きを持つが、実は重要なことは何一つ語っていないのである。
特に「フランス人」の定義については、FFR政府は「国民個人の“心情”に委ねる」と発表している。
つまり、国家に奉仕するのも、ワインを浴びるように飲み美食にふけるのも、恋人と逢瀬を満喫するのも、その他全その個人が「フランス人らしい」と認識した事象全てが「宗教精神の発露」として肯定されることになったのだ。
これにより“精神性の多様化”は達成され、国民同士の異端狩りという悲劇は避けられた。
またアフリカ州の各民族宗教の扱いもこれに準じた(彼らの神々はFFR国教の女神の別側面とされた)ため、この地方の統治難易度低下にも貢献している。
しかし、この方策にも欠点がないわけではない。
多様性とは「共有する根幹」があって初めて存在するものである。
根幹なき多様性とはすなわち無秩序である。
この問題に対処したのが、「謀将大統領」ことマリー・マフタンである。
彼女はリシュリューの異名である「我らが指揮官」と「全てに勝る母」を最大限に活用した。
つまり前者に対しては、FFR国民は全て「我らが指揮官」隷下の兵士である戦友であるとし、後者に関しては「全てに勝る母」の子供にして兄弟である、としたのだ。
上記の思想は20世紀中には既に民間で見られたことであるが、マフタン大統領はこれを公認し、推し進めたのである。
つまりフランス人「らしい」ことならば全てが肯定されるが、それは全てフランスのための『闘争』なのである。
ワインを飲むことも、恋人との逢瀬も、最終的にはフランスを前進させるための闘争に収束するとしたのだ。
もう一つ彼女の偉業として特記すべき点は『反抗期』を定義したことであろう。
全てが肯定されるといっても、やはり余人が眉をひそめるような行為をする者は存在した。
法には触れずとも肯定するには抵抗がある者たちを、マフタン大統領は反抗期としたのである。
これはレッテル張りという問題はあるが、これにより
「反抗期=悪い子=悪い子でも、全てに勝る母の『子供』であることには変わらない」
という論理を組み上げたのである。
そして全てに勝る母の子供ならば自分たちの「兄弟」だ。兄弟を否定するのは心理的に大いに苦労する行為である。
また反抗期とはいつか終わるものである。なので「今はそっとしておこう」という心理も働いた。
反抗期として一番有名なのは、マフタン大統領の総参謀長を務めたアナイス・ベルナルドである。
一説には、現役軍人最高位の彼女が反抗期となることで国民に対しそういった人々を受け入れさせる心構えをさせたのだとされる。
つまり、アナイス総参謀長がことさら伊達者を気取っていたのは演技であり、道化となることでマフタン大統領を援護していたのだという説であるが、歴史はその答えを示してはくれない。
572:モントゴメリー:2024/08/18(日) 00:02:02 HOST:124-141-115-168.rev.home.ne.jp
以上です。
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E-3-4突破祈願&yukikaze提督E-2突破記念
そして戦車の人氏を応援しようと思い、急遽作成いたしました。
最終更新:2024年12月19日 18:34