506 :「夢幻会VS大友の姫巫女」の作者です。:2012/03/25(日) 11:15:38
「夢幻会VS大友の姫巫女」2

西暦1551年(天文20年)尾張の国 織田信秀隠居所にて

「兄上は問題無く織田家当主を務められています。今川との戦いに不安材料となるものは周りには見受けられません。」

「それは重畳じゃ。数年前から織田家当主代行を任せていたから家督を継承してもやる事は今までと変わらんからな。」

ある親子の会話であるが親は織田家先代当主である織田信秀、子は織田信行いずれも転生者である。

織田信行は史実では2度も織田信長に反逆したがこの世界では武田信繁、豊臣秀長の様に補佐役として信長を支えることが期待されていた。

「信長にすべてを任せたし、夢幻会の運営も世代交代で若い者に任せているし。もっとも若手といっても前世そのまた前世の経験を含めれば何十年もの人生経験をもっているし。隠居してから暇だから前世でアマニチュア歴史家だった経歴を生かして戦国時代を詳しく記録して後世に残そうと思っているのだ。」

「それはいいことですね。そういえれば父上は確認された中で最初の転生者だとか」

織田信行が言うように織田信秀は転生者の中で一番早く転生した人物である。家督を譲られる前の1525年ごろに転生していた。それ以後、林秀貞・平手政秀ら転生者をまとめて夢幻会を作り上げ尾張の国の統一と富国強兵に邁進していた

あのころは大変だったなあ。と当時を思い出して遠い目をする織田信秀。

「転生者の数は増加傾向にあり確か現在の転生者の数は夢幻会が把握しているだけで千名に届くかの数だったはずです。そのうちの八割が織田領内で活躍しています。残りの二割が他国に広く薄く転生していますね。」

「まて、八割は夢幻会によって発展する尾張の噂を聞いて転生者仲間を求めて尾張に来た転生者を含めての数字だ。それでも織田家領域に転生する数が多く集中しているが。」

尾張に出来た夢幻会は他国にも転生者がいないか調査して、他国の転生者と接触して夢幻会支部を作り上げていた。大量の転生者を抱える尾張夢幻会が本部として機能して、織田信長による早期の天下統一に協力することが決定していた。
転生者は皇族・公家・大名・国人・商人・職人・僧など幅広く存在しており、他国の夢幻会支部の協力による情報ネットワークが作られていた。

「転生者の中で変わり者といえば小田天庵が転生者だったとは驚きだったな。」
「織田家への亡命を勧めたが小田家当主としての責任があるとして断ったそうです。」
夢幻会としては戦国が終わるまでに無事に生き延びることを願うだけだった。

「青田買いといえば領地を追われた真田一族を織田に迎え入れることに成功したことは幸運だったな。」
当時の夢幻会で真田をゲットだー。チート一族きたー。これで勝つるなど狂喜乱舞の騒ぎだったのは記憶に新しいところだった。織田家の天下布武に真田の持つ武勇をもって貢献してくれるはずだ。

「これまでの今川の戦いを振り返ると今川に三河を確保されたとはいえ、竹千代を確保できたし今川水軍を壊滅させることに成功したのだから、そう悪いものではないな。」

今川との三河をめぐる争いは尾張の内政に集中していたこともあって今川家優位で進んでいた。
後に徳川家康となる松平竹千代は夢幻会が入念に対策をとった事もあって人質交換という事態になることも無く、尾張で夢幻会の教育を受けて成長していた。織田を支える将としての活躍が期待されていた。また豊臣秀吉となる日吉についても同様で転生者の商人に連れられて他国を巡って見聞を広げて成長して夢幻会の推挙によって織田家に仕官していた。

父である信秀同様に転生者である織田信広は織田水軍の将として南蛮船を巧みに運用して今川水軍を壊滅して東海道の制海権を織田家の手中に納めることに成功していた。

「史実どおり美濃とは織田信長と濃姫との政略結婚で同盟を結んでいますから後顧の憂いはありません。全力で今川をなぐれますよ。」

507 :「夢幻会VS大友の姫巫女」の作者です。:2012/03/25(日) 11:16:16
「それにしても守護や守護代の排除は大変だった。史実の信長のようにうまく排除しなければならなかったからな。慎重に謀略を用いたとはいえ権威に胡坐をかき、見たいものしか見えなかったからこそ守護や守護代が自滅する形で我が織田に汚名がかからないようにうまく排除することが出来た。」
「朝廷や幕府の内部にいる転生者の運動や朝廷や幕府へのこれまでの献金による貢献によって正当性を手に入れてこうして尾張を統治していますからね。」

夢幻会は権威というものの重要性を誰よりも知っているからこそ朝廷や幕府をうまく活用するつもりだった。(もっとも幕府は将来の将軍追放によって終わらせるつもりだった。

「三河の一向一揆については大坂の本願寺と共同して阻止するが万一蜂起した場合は鎮圧もやむなしとの黙認する言質をもらった。出来れば蜂起する時間を稼いでパンとサーカスを実感させて一向一揆衆を分断したい。」

この時期の織田と本願寺と友好的な関係を結んでおり、大坂の本願寺は「王法為本」という「現在の王(統治者)に従い、政治と秩序を助けることが仏法の道である」 という考えから織田家に東海道経略に成功した場合は統治に協力する姿勢を見せていた。

問題は、総本山の統制に三河の本願寺勢力が従うかであった。「王法為本」の堅持する総本山の本願寺は地方の一向一揆の動きを抑えようとしていたが抑えきれていなかったのだった。

夢幻会の農業専門家による戦国時代の気候に適応した稲の品種改良やサツマイモの栽培などの農業チートなどの努力による食物の確保や民衆に対する娯楽の提供やプロパガンダなど未来の宣伝技術の応用などで一向一揆の脅威を減らすつもりだった。腹を満たし娯楽を提供する『パンとサーカス』政策ならばよほどの信仰狂いでない限り、織田家に従うほうが得だと考えてくれるだろうというのが夢幻会の読みだった。

夢幻会としては政教分離を達成するためにも将来の比叡山や本願寺など宗教勢力との全面戦争は必然とはいえ、今は対決するべき時ではないことを理解していたのだ。

「順調に堺や博多などに織田の影響力が増しているようだな。」
「未来知識によって転生者の商人が利益を上げて影響力を増していますからね。自分だけ儲けるのではなく非転生者の商人にも儲け話に参加させることで転生者を中心とした有力派閥を形成されています。おまけに慈善事業をやっていますので民衆の受けはいいみたいですね。」
堺や博多など商業都市にも夢幻会の手は伸びており、その地にいる夢幻会転生者の商人や親織田の非転生者の商人と手を組んで互いにwin-winとなるような関係を結んでいた。商人の利を求める本能から織田家の繋がりを求める商人の数は増えるばかりだった。

508 :「夢幻会VS大友の姫巫女」の作者です。:2012/03/25(日) 11:16:48
「物語ならば主役体質の嶋田さんや辻さん達が夢幻会中枢で運営するだろうが実際は物語ならばモブキャラ扱いの我々が夢幻会を運営しているのは皮肉以外の何者ではない。」
前世で夢幻会の中間管理職とも言うべき位置にいた織田信秀はそう感じていた。

「そういえば、嶋田さんや辻さんはたしか大内家に転生していましたね。家督相続頃ならともかく月山富田城の戦いの敗北後に転生したせいで難易度があがっていますからね。」

嶋田は大内義隆に辻は相良武任に転生していた。大内義隆の家督相続ころに転生してくれば歴史が変わっただろうが未来知識を使って大内家を立て直すという嶋田・辻コンビの苦闘は実を結んでいなかった。改革を進めようとすれば武断派の反発を呼び、配慮すれば改革は停滞するという歴史上の勢力が衰退するパターンにはまっていた。滅んだ最後の皇帝や王が味わった徒労を嶋田・辻コンビは味わっていた。
織田家は大内家が博多を領有している事、大内家を延命させることで毛利元就の躍進を防ぐなどの目論見から大内義隆を支援していた。

当初は武断派の陶隆房・内藤興盛に先手を撃って誅殺する計画が組まれていたが改革によって直轄の軍事力を手にしたとはいえ長年にわたって軍事の中核を担ってきた武断派が消滅すれば軍事力の弱体化による混乱に見舞われかねなかった。
そのため、博多を通じて経済で関係を深めつつあった織田の仲介によって大内義隆は隠居して大内義尊が継ぐこと、陶隆房が後見となること、大内義隆・相良武任は織田家に亡命する事が決められた。

「大内義隆について表向きは進まぬ改革が嫌になって家督を息子に投げ出して、国外に逃げたという形になるだろう。それによって大内義隆を支持する派閥は失望して新政権への支持を表明して当面の混乱は避けられるはずだ。」

「ついでに勘合貿易も存続できますし、いずれ滅びるにせよ改革が無駄だったわけではなく最低でも史実より数年間の時間を稼ぐことが出来るでしょう。」

「大内義隆は尾張での隠居を望んでいるが夢幻会はこれを認めるつもりだ。相良武任については大友の姫巫女の担当を任せようと思う。」

「それがいいですね。夢幻会にはすでに河尻秀隆という有能な経済・財政担当の責任者がいますし、一応は大内義隆の家臣扱いですから他家の家臣を織田の経済運営に参加させるのは問題ありますしね。姫巫女の交渉役なら博多や大友にも繋がりを保有していますし高い交渉能力いかせます。」

かくして夢幻会の大友の姫巫女の交渉担当に相良武任(中身は辻)が任せられることになった。

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最終更新:2012年03月28日 21:27