319:弥次郎:2025/02/18(火) 23:25:23 HOST:softbank126116178004.bbtec.net
日本大陸×プリプリ「The Melancholic Handler」前日譚「小夜啼鳥の壁越え」
- 西暦1887年某月 アルビオン共和国 某所 「コントロール」指令室
洒落た内装の部屋で、数名の人間が顔を突き合わせていた。
「コントロール」の長を勤めるL、分析官のセブン、技術顧問としてドリーショップ、そして軍から出向している大佐。
さらに「コントロール」の幹部までも集められているという、スパイの元締めとして忙しない「コントロール」にしては人の集まった状況であった。
はっきり言えば、ここまで人を集めて対応しなくてはならない事態というのは、早々にない筈であったのだ。
「……すいません、遅れました」
「いや、構わない」
そして、最後の人員が到着し、席についたのを見計らい、Lは口火を切った。
「さて、諸君。知っての通り、ドクトレスが共和国に来訪する。
今回は2か月ほどの滞在が予定されており、共和国本土各地を回ることになっている。
例によって、その状況を一度確認し、徹底をしたい」
その言葉は、確認の意味合いが大きかった。
すでにここにいる人間はそのことを知っていたし、むしろそれにかかわる仕事のために集まっていた。
ドクトレス---フローレンス・ナイチンゲール。その人物が集める共和国からの憧憬や支持、あるいは信頼や尊敬などは絶大なものがある。
それは共和国に多大な利益をもたらすからというものを超えている。
そもそも、共和国の母体ともいえるアイアンサイド党が、フローレンスに影響を受けているところから始まっている。
彼女が表に立ったクリミア戦争が、その後のアルビオンにおける活動の数々が、彼女の提唱あるいは紹介した理想や理論が、それらが総じて始まりだった。
アイアンサイド党の前身にあたる組織の一つが「ナイチンゲール・スクール」と呼ばれていたくらいには、影響を受けたのだ。
直接的ではなく間接的なものであり、あくまでフローレンスが余暇や自身の伝手を利用してというものだったが、大きく響いた。
閉塞感、あるいは袋小路に突き進んでいるかのような危機感、果てには同じ覇権国たる極東の国においていかれているという焦り。
それらの感情を払しょくし、希望へと転換したのが、絶望を打ち砕いたのが、彼女からもたらされたものなのだ。
要するに、共和国にとってみれば、王国側にいる人物であろうとも、彼女はオリジンの一角、あるいは祖と言えるかもしれない。
王族を仰ぐのではない共和国にあって、彼女は自らの血ではなくその行いによって支持を集めるがゆえに、熱意を以て仰ぐのだ。
故にこそ、共和国はその総力を挙げて動向を注視し、時として働きかけ、時に恩寵を賜るのだ。
そして、その共和国の動きを踏まえたうえで、フローレンスは時として王国側から共和国側へ渡るのだ。
それは、王国側にいるだけでは、中立地帯であるナイチンゲール・ポイントにいるだけでは不可能な活動を行うために。
大学や医学校や研究機関の訪問、学会への参加、病院や医療機関への指導の実施、あるいは実際に慈善活動を行うなどなど。
特に学術機関や学会はフローレンスの来訪を心待ちにしており、王国を追いつき追い越せと意気軒昂であった。
それについてはまだいい、と誰もが思っていた。それによって国家レベルで恩恵を受けるのはいい。
問題は、その先だ。
320:弥次郎:2025/02/18(火) 23:26:04 HOST:softbank126116178004.bbtec.net
「ドクトレスの意志はやはり固かったな……」
「安全を考えるならば、スラムでの慈善活動や救民活動は避けてほしかったのだが」
「彼女が妥協するなどありえんだろう」
そのスケジュールを確認していく中で、参加者の表情は芳しいものではなくなっていく。
特に複数人が思わず漏らした、安全が確保されにくい活動については特に。いうまでもなく婦長の身を案じているのもある。
著名人であり先駆者であり実践者でもある婦長は、有名税のように敵意を買っている。
王国の人間であるから、あるいは成功者だから、果てには目の前にいるから。
様々な理由で婦長は身柄や命を狙われているのだ。これまでは影に日向に守られてきたが、これからも万全とは限らない。
下手すれば共和国と王国間の戦争の引き金になる。
同時に共和国の現実を否応なく突きつけられるということに心苦しさを得たのだ。
理想を掲げ、王権を脱した共和国は、そうであるが理想と現実の間で苦悩と苦心をしている若い国であった。
極東の大東洋同盟に範をとり、現在のアルビオン社会が生み出した諸問題に取り組んでいる点は評価をされている。
とはいえ、何事もうまくいくわけではない。理想のように万人を救い、格差を是正し、国を発展させるなど難しい。
婦長にそれの尻拭いをさせるのは、共和国の心情として許せるものではないのだ。
彼らが努力していないというわけではないにしても、頼りなさを指摘されているようで、不出来を咎められるようで。
このように共和国が判断するのも、偏に軍事方面を中心とした分野への集中的な国力の投資をやっているという自覚があるためだ。
王権を仰がず、独立独歩で国を運営していく。それも王国という対抗馬と争いながらとなれば、どうしても軍事に比重が置かれる。
比重が偏れば、経済の循環がうまくいかず、金本位制度を維持できずグダグダしている王国と大差ない形にしかならない。
結果が未だに色濃く残る貧民街やスラム、ストリートチルドレンなどだ。
婦長の命を、あるいは身柄を狙う人間からすれば、格好の場ともいえるだろう。
「有名どころの貧困街……事前に調査は難しいか?」
「難しい。あそこにいる人間は不特定多数だからな。一人二人増えても減っても周りは異常と認識しない。
既に婦長のスケジュールは露見しているようなものなことを考えれば、
「ドクトレスが来る、という噂が市井に出回っています。ここぞと救いを求めて集まる人間を全て調べのは不可能かと」
ただし、と情報分析官のセブンは付け加える。
「婦長からはスタッフを用立ててほしい、とも要望があります」
「手配できるか?確か以前は……」
大佐からの問いに、Lは頷く。
「以前のドクトレスの来訪時に、役に立たないスタッフはよこすなと言われていた。
上からの指示もあって、そういった心得のある人員の確保は完了している」
つまるところ、スタッフという名の護衛であり、連絡役であり、監視役。
裏の暗闘に長けているために医療以外でも役に立つスタッフだ。
これはLが求めたというのもあるが、婦長の命令ということもあって、共和国上層部や委員が過敏なほどに反応した結果だ。
その過程でファームがかなりの苦労を強いられたのは言うまでもない話。スパイ兼医療従事者の養成など、楽なはずもなかった。
321:弥次郎:2025/02/18(火) 23:27:44 HOST:softbank126116178004.bbtec.net
それに加えて、とLは呆れも含めて言う。
「ドクトレスの周りには、自然とそういう人間が集まっているからな」
「……まあ、そうではあるが」
他の面々も微妙な顔をしている。
婦長を慕って、あらゆる組織から人が集まっているのはとみに有名な話だ。
医療関係者だけではなく、本当にあらゆる人間が集まる。軍人もいれば、貴族もいるし、学者もいる。
元はストリートチルドレンだったが夜間学校で勉強して一端の労働者となった者もいる。
恐ろしいことに、現在アルビオン両国において勃発している影の戦争の主役と言えるスパイまでもがいるのだ。
狙っての事ではなく、来たものを受け入れ、役割分担をした結果なのであるが、だとしても恐ろしい。
共和国にしても、王国にしても、頼れると安どすべきなのか、ちょっと微妙なところだ。
そも、婦長の耳と目は非常に良い。両国にまたがる中立地帯の長であり、両国にシンパが多いために、非正規活動抜きにしても情報が勝手に集まるのだ。
ともあれ、とLは咳ばらいを一つする。
「ドクトレスやその周囲との情報共有は綿密に行う。その方針に変わりはない。
大佐、軍の方からは?」
「事前に伝えた通りだ。あれから要望は変更はない。
そもそも、軍人が必要以上についていくことをドクトレスは嫌うのだからな。
軍医ならばともかく、足手まといは不要だとも」
半分諦めの表情の大佐に、さしものLも苦笑いするしかない。
共和国上層部もそうだが、軍部もまた婦長に頭が上がらないのは周知の事実だ。
まして、彼女の活動が他者の命を救うものならば、足手まといを嫌うのもむべなるかな、といったところ。
国の面子にかけても、そんなことは絶対に避けなくてはならない。下手なことが起きれば、共和国は王国側にアドバンテージを譲る羽目になるのだ。
(ドクトレス、か……)
徐々にヒートアップしていく会議の最中、Lは内心呟いた。
たった一人から始まった彼女の動きは、覇権国家だったアルビオンを動かし、今もなお影響力を保ち続けている。
留学先であった大日本帝国と未だに深い関係を持ち、パイプも持っていることも考えれば、彼女個人の力は世界をも動かすと言える。
彼女が余計なことを考えていたら、それはそれは恐ろしいことになっていただろうということも。
けれども、そうなっていないのは婦長の人徳であり、アルビオン両国も大日本帝国もそれを信用している有様。
(……怖いお方だ、本当に)
ある意味で、どんな国家よりも、軍隊などよりも恐ろしい。
小陸軍省などとクリミア戦争時には言われていたが、そんな言葉など、過小評価もいいところである。
そんなものではない。人の形をした、世界をも飲み込むようなリヴァイアサンのようなものだ。
彼女が動きを自ら律しているから、今の世界があると思えば、過剰に騒ぐのは厳禁だ。
熱を帯びて進む会議の中、Lは心労のあまり、深い息を吐いてしまうのであった。
322:弥次郎:2025/02/18(火) 23:28:15 HOST:softbank126116178004.bbtec.net
以上、wiki転載はご自由に。
この世界だと本当に小陸軍省などという軽い存在じゃないのですよね
最終更新:2025年05月18日 15:22