627 :New ◆QTlJyklQpI:2012/03/26(月) 20:25:07
一発タイムスリップネタSS ~ペリー来航~
1852年、アメリカ海軍マシュー・ペリー代将は目の前の光景に思いっきり顔を引き攣らせていた。
無論彼だけでなくサスケハナ艦長から下っ端の海兵までこちらの向けられる物珍しさと冷めた目線
にまともな表情をしているものは皆無だった。
4隻とはいえこの時代では立派な軍艦の両端を見た事もない巨大な鋼鉄の軍艦に挟まれて、上陸地点
には彼らは見たことすらないだろう鋼鉄の戦車が砲を彼らに向けているのだから当たり前なのだが。
「あそこまでやる必要があるのか?」
「当たり前だろ。仮にも小笠原を勝手に領有されたんだからなあ」
「それに沖縄でも勝手に武装して上陸しようとしたからなあ。自業自得だ」
夢幻会メンバーはこの糞忙しい中、突如現れた迷惑な客人に対する対処をそう言い切った。
1951年、突如日本領以外の国との連絡が途絶し、航空偵察や近くを航行していた木造船の情報などから
自分らが1851年にタイムスリップしたことが判明した。そして枯渇するだろう資源を求めて上海などに赴き、
資源開発や平等な条約の締結のための交渉に移ったがこの情報をキャッチした
アメリカは「日本が開国した」
と認識。列強に遅れるなとばかりに1年早くペリー率いる東インド艦隊を日本に行かせたが沖縄では武装して
上陸しようとして軍とにらみ合いになり帰ってくれたと思えば勝手に小笠原に上陸して領有宣言するなど舐め
られてるとしか言えないものだった。
日本は
遺憾の意であるとして燃料の消費覚悟で艦隊を派遣し、「丁重に」ペリーらを東京へ招待した。
勿論その後の抗議も「恐怖に訴える方が、友好に訴えるより多くの利点があると言ってたらしいじゃないですか」
などアメリカの情報をペラペラしゃべり(民主党のピアースに変わっていて武力行使は禁止されてるはずだなど)
親書については「検討しておきます」と言って上海まで艦隊に付き添われて帰って行った。勿論上海での揉めていた
植民地での資源開発や条約などの交渉も艦隊出現と同時に極めてスムーズに進んだ。
最終更新:2012年03月28日 21:35