539:ひゅうが:2025/03/09(日) 16:25:33 HOST:FL1-27-127-13-252.okn.mesh.ad.jp
鉄槌世界戦後ネタ



―――三菱/バルティーニ 69式多用途大艇(超々大艇)「飛翔」

全長:278.9メートル
全幅:198.2メートル(翼端まで384.1メートル)
全高:62メートル
空虚重量:3511.8トン
最大離水重量:8779.5トン
積載重量:最大4500トン

主機:石川島播磨/クズネツォフ「海王星」Nk-84 高バイパス比ターボファンエンジン
推力:57.2トン×12(逆噴射装置つき)
最大速度:毎時710キロメートル
巡航速度:毎時510キロメートル
航続距離:2万2000キロメートル
最大上昇高度:1万メートル
巡航高度:120メートル

乗員数:15名(輸送型)


【解説】――日本海空軍および日本船舶財団が開発した地面効果翼機・輸送船
日米戦における停戦講和条約に伴い、海軍力を著しく制限された日本が条約の隙間をついた上で超高速輸送および実質的な海軍力として開発した、いわゆる「エクノプラン」であった

構想を出したのは、クロアチア出身でファシストイタリアを逃れソ連に移住してきた天才航空技術者ロベルト・バルティーニ(1897~1984)である
彼は、航空機が翼端の半分以下の高度となると急激な揚力の増大を起こす「地面効果」を利用して、従来の航空機では不可能な大量の貨物を搭載しはるかに低燃費で高速輸送を可能とする「エクノプラン」を構想
これは広大な国土を持つソ連国内で注目されて強力な推進が行われたことで有名である
しかし、スターリンの大粛清の結果、彼が暗殺される1946年まで8年をシベリアの収容所で過ごす羽目になった外国出身者のバルティーニに対して、ソ連の水中翼船の専門家にして生え抜きのアルチスラフ・アレクセーエフが開発の中心となったことから独自の発展を遂げていることは注目すべきだろう
彼らが設計したのは「空飛ぶ船」であり、航空技術者の設計したものではなかったのだ
対して、バルティーニは収容所内でも設計業務を続けた(この際に部下となったのが、かの『ソ連ロケットの父』セルゲイ・コロリョフであり、彼はバルティーニを史実同様に生涯の師匠と仰ぎ尊敬し続けた)のであるが、1946年の完全な名誉回復後も不遇をかこっていた
第2次世界大戦後に得られたドイツ航空技術をもとに、マッハ2で航続距離1万5000を誇る巨人爆撃機を設計していたものの、時のフルシチョフ政権はICBM開発に熱を上げておりこうした超音速戦略爆撃機に冷淡だったのだ
そのため、バルティーニは長年構想を温めていたエクノプランに重点を移すのだが、こちらもアレクセーエフをはじめ海軍が主体としての計画が進んでいたために一時的に不遇を囲うことになってしまったのである
辛うじて、リフトファンを備えたVTOL性能を有した機体による対潜哨戒機の開発こそソ連海軍に提案に興味を抱かれたものの、ここで立ちはだかる者があった
極東で友好関係を深めつつあった大日本帝国である
この国がかつて保有していた大海軍で運用するがために、彼らは極めて優秀な飛行艇を持っていたのだ
2式大艇および5式大艇
開発されたばかりのターボプロップエンジンを搭載した後者は、カツオブシと呼ばれた波の整流構造によってなんと2メートルに達する波の上でも楽に離着水できてしまう高性能の持ち主だった
友好関係の一環として本艇を提供されたソ連海軍にとり、海のものとも山のものともつかない対潜用エクノプランでホバリングしつつ吊り下げ式ソナーを吊るすなどという提案は論外だった
それよりも、陸上から本機を飛ばすか、同じく図面を入手し船体を建造してもらった「ボストーク」級航空母艦(史実における大鳳型航空母艦)から蒸気カタパルトで対潜哨戒機を打ち出す方が何倍もよい

540:ひゅうが:2025/03/09(日) 16:26:16 HOST:FL1-27-127-13-252.okn.mesh.ad.jp

こうして不遇の極みにあったバルティーニだったが、ここで救いの手が差し伸べられる
収容所時代の弟子にして、ドイツから入手したロケット技術を自分のものとしたことで時代の寵児となっていたセルゲイ・コロリョフである
彼のもとを、ソ連政府に対してロケット技術の供与を求めて訪ソした日本海空軍の代表団が訪ねたことで、バルティーニが紹介されたのだ
そして、日本海空軍はバルティーニが何気なく語った構想に心を奪われる
海軍力を基準排水量1万2000トン級の巡洋艦数隻のほかは、他艦艇50隻未満、大型正規空母の保有禁止という理不尽な条件を課せられていた日本海空軍にとってその巨大な輸送力は極めて魅力的だったのだ
特に、開発に成功したばかりの核爆弾の投射手段を持ち、さらに「海上から少し浮いた空中空母」にもなり得る存在を導入するというのは極めて魅力的な話であった

さっそく、首相の佐藤栄作の訪ソとともに提案が行われたフルシチョフ政権下のソ連では自由化が進行していた
これに伴い乱立していた航空機開発部局の統廃合が進められており、バルティーニおよびベリエフもその対象になりかけていたことから、提案は渡りに船であった
1953年2月、バルティーニはソ連国籍のまま日本に移住
多くのエクノプランを構想しはじめる
彼の設計の特徴となるのは、ソ連のエクノプランである小さな飛行艇型の船体ではなく、「双胴のフロートの間を広大な翼面で覆い、その左右をそれより小さな航空機のような主翼を上反角をつけて伸ばす」
という独特な形状である
前述したように、エクノプランは主翼の半分以下になると大きくなる地面効果を利用している
つまりは、「翼長が長ければ長いほどその効果が高い」のである
さらに双胴フロート間を翼で埋め尽くしたことから発生する揚力は通常の飛行艇の比ではない
揚力とは翼面積に比例するからである
上反角のついた航空機型の主翼はこれに対して、航空機のエルロンやフラップとしての役割を持つ
フロート間の翼に可動部をつけるよりもこちらの翼を使った方がはるかに構造的負担が軽くなるからである
抜け目のないバルティーニは、機体後部に同様に外反角を強めにした垂直尾翼を設けていた
こちらは丸ごと動くことで操舵性を向上させられる
安定性?主翼が担えばよい

さらに、日本側からの依頼によってVTOL性能はオミットされた
そんなものをつけずとも、日本には海があるからである
そして、地面効果翼機独特の低空でのあまりに長い着水距離(なかなか高度が落ちない)も、日本側は甘受した
ソ連のエクノプランでは設けられなかった、というより主翼強度問題からできなかったエアブレーキをつけることなど、この機体では簡単だったからだ
垂直尾翼を丸ごと横にすることで補助をしてもよい
これらの特徴を経て、バルティーニが自信満々で提出したそれに、日本海空軍はもとより日本政府は絶句した

541:ひゅうが:2025/03/09(日) 16:27:45 HOST:FL1-27-127-13-252.okn.mesh.ad.jp
現在、復興資材として切り出すのをやめて記念公園化が進行している戦艦「大和」型よりそれは巨大だったのだ
翼端までの全幅など、380メートル。もはや建造中の日本製超巨大タンカー「日章」なみである
「こんなもの、作れるのか!?」
バルティーニは平然と答えた
「外板はチタンおよび貴国の誇る超々ジュラルミン改で、内部構造材は高張力鋼の大圏構造です。むしろ枯れた技術ですよ。戦略爆撃機のように波板構造サンドイッチなんて採用する必要もありません」
絶句する一同の中からおそるおそる声が上がる
「それだけのアルミを一度に精錬する電力は…」
「あるではありませんか。鴨緑江ダム。満洲油田発見によってかの地では電力が有り余っています。黒部川電源開発に全力を挙げている貴国の懐は痛みません」
さらには…
「本機は、1日で1万キロ以上を飛翔し、北米大陸に1個機甲大隊と1個連隊を送り込めますし、航空機ならカタパルト装備の必要もなく大型ジェット戦闘攻撃機50機以上を搭載できますぞ。ああ、反応弾頭搭載ミサイルについては説明がいりますかな?」
加えて…
「エンジンについては貴国が開発したばかりの超大型ターボジェットを、高バイパス比ターボファン化すれば楽に50トンは推力が出せますな
これを12発搭載。さらにはエネルギーコストについては、船舶には劣りますが鉄道輸送の3分の1程度にまで削減できます(実際はさらに低下し、4分の1、船舶輸送の2倍程度におさまった)」
海空軍はおろか、陸軍すら目を輝かせていた。運輸省については言うまでもないだろう
日本領土に残存した(奄美大島以北を除く)琉球諸島および台湾や小笠原諸島、千島列島への輸送手段に彼らは苦心していた
特に復活著しい日本商船隊以上の速度を要求される緊急展開での
バルディーニが覚悟を示すべく、日本国籍の取得を申請して天皇陛下への忠誠宣誓を行ったことも決断に一役買った


かくして――1957年、幾度かの試験機建造に続いて、北海道においてこの超々大艇の建造は開始された
大型輸送用旅客機の開発では米英に勝ち目がないと見たことから大型化を甘受してSSTOを作るための国家プロジェクトで開発されていた石川島播磨「新星」ターボジェットエンジンをのちの「熾天」重陸上攻撃機用に低バイパス比ターボファン化する作業に、今度は亜音速でよいしあまりに巨大な機体ゆえに大直径ターボファン化したエンジンの開発も同時に進行
幾度かの困難もあったものの、日ソ協定に基づきクズネツォフの全面協力が得られたことから1958年にエンジンはロールアウト
「海王星」(ロシア名のネプツーンから直訳)発動機として採用され、建造中の巨大な機体の横で良好な性能を示した
そして、1965年…

「本機を、『飛翔』と命名する!」

国民や軍関係者、さらには外国メディアまで招いて大々的に行われた「進空式」を見た人々が唖然とするなか、本機はテスト飛行を開始した
同時期に開発された超大型輸送機と比べ、民間用も兼ねていることからテストでは幾度かの困難を経た
仲でも機体の劣化については新たな超々ジュラルミンとチタンの合わせ技に加えて、内部に桁材としての超張力鋼板の均質圧延材を追加採用することで完全に安定
基本的に与圧構造をとるのは、機体最前部左右フロート間に追加された「操縦席用胴体」(アニメ版紺碧の艦隊における超大艇富士のようなもの)や通路のみとしたことから解決した

そして、1968年12月、日本海空軍および、日本政府が設立した「海洋高速輸送営団」は本機を制式採用
試験「航海」においてその巨体と強大な輸送力は予想以上の好評を博し、満洲の高度成長が終了するのと入れ替わりに経済復興への道を驀進しつづける日本の需要増大も手伝って製造が続く
同時期に、使用場所をカスピ海などの内海に限定した上に基礎設計コンセプトが飛行艇の縮小版から脱却できず開発失敗が明らかになったソ連側エクノプランも計画は放棄
本機を購入あるいはライセンス生産するという嬉しい誤算までが発生する

542:ひゅうが:2025/03/09(日) 16:28:22 HOST:FL1-27-127-13-252.okn.mesh.ad.jp

こうして1970年代末になると、日本海空軍において実に50機
海洋高速輸送営団に至っては170機あまりが太平洋や北極海、そして大西洋航路に投入される時代が到来した

こうして世界の大規模海上輸送こそ、復活した日本商船隊が世界を制したのであるが、それを上回る大量海上輸送能力は、西側諸国にとって極めて巨大な脅威とされつつ21世紀現在にまで至っている
なお、数十発の反応弾頭つき超音速巡航弾を搭載したり、当初計画よりは少ないものの40機近い戦闘攻撃機を搭載した本機が就役を開始した時、さすがに米国は名指しで厳重抗議を行った

対する日本の答えはこうだった

「航空機まで制限するという条約は、締結していない。さらにいえば、本機の重量は貨物を満載しても8000トンを切っている」

強引な九州併合を行ったことで国連はじめ世界から白い目で見られていたアメリカは、これにて黙らされることになる

なお、本機は2025年現在も製造が継続されていることを付記しておく

543:ひゅうが:2025/03/09(日) 16:31:39 HOST:FL1-27-127-13-252.okn.mesh.ad.jp
以上になります

ありえない?
これをご覧ください

(空中空母型)
ttps://topwar.ru/uploads/posts/2019-10/1570181849_2_ja6.jpg

(輸送型)
ttps://testpilot.ru/russia/bartini/2500/

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最終更新:2025年06月11日 20:27