929:ひゅうが:2025/03/12(水) 02:55:12 HOST:FL1-27-127-13-252.okn.mesh.ad.jp

  鉄槌世界戦後史ネタ



―――ソヴィエト/主権国家連邦海軍 超々弩級戦艦「ヴェーチェ=ノヴゴロド」級(プロジェクト24級戦艦)


全長:340メートル
全幅:55.2メートル
喫水:12.1メートル
基準排水量:11万5200トン
満載排水量:13万6000トン
機関:艦本式ロ号改2重油専燃高温高圧缶(1基定格2万7500馬力)12基
   艦本式反動タービン4基4軸
出力:33万馬力(過負荷全力時35万馬力)
速力:最大31ノット(公試時32.2ノット)
航続距離:18ノットで1万2000カイリ
     15ノットで1万9000カイリ

装甲:舷側最大834ミリ(21度傾斜 外側より57ミリ被帽破砕硬質表面硬化装甲+660ミリ均質圧延装甲+50~100ミリ破片防御用表面硬化装甲+17ミリ取り付け金具防御装甲)
   主砲塔防盾最大987ミリ(100ミリ被帽破砕硬質表面硬化装甲+720ミリ均質圧延装甲+150ミリ破片防御用バックプレート表面硬化装甲+17ミリ取り付け金具防御装甲)
   主砲塔天蓋360ミリ+17ミリ取り付け金具防御装甲
   甲板最大527ミリ(400ミリ均質圧延装甲+110ミリ表面硬化装甲+17ミリ取り付け金具防御装甲)
   司令塔最大1007ミリ(57ミリ被帽破砕硬質表面硬化装甲+900ミリ均質圧延装甲+50ミリ表面硬化装甲)
   戦闘情報室(CIC)1007ミリ(57ミリ表面硬化装甲+900ミリ均質圧延装甲+50ミリ表面硬化装甲)
   舵取室400ミリ(300ミリ均質圧延装甲+100ミリ表面硬化装甲)
   ※ いずれにも中間に不燃性エボナイトムースおよび昇華性冷却材を封入済み

主砲:48口径56センチ砲3連装3基9門(電気+水圧駆動複合式旋回 水冷ジャケット・砲口制炎機つき)
副砲:70口径130ミリ両用砲連装10基(両舷各5基)20門
対空砲:100口径57ミリ機関砲単装14基(両舷各6基+前後主砲塔直後各1基)
    23ミリ機関砲(回転銃身式)連装48基96門(両舷各15基+前後主砲塔直後各4基+艦首艦尾各5基)
    13ミリ機関銃連装4基(前後各1基+艦首艦尾各1基)+単装6基(艦橋4基+後部艦橋2基)

乗組員数:3980名(通常時)

同型艦:「ヴェーチェ=ノヴゴロド(ノヴゴロド共和国の民会)」「ヴェールヌイ(信頼)」「ヤポンスカヤ・モーレ(日本海)」「ヨールカ(新年祭のモミの木のツリー)」「ティキー・オケアン(太平洋)」「アトランティシー・オケアン(大西洋)」
    以上6隻(7番艦「セヴェルニ・オケアン(北洋、北方艦隊の海)」・8番艦「チョルノエ・モーレ(黒海)」建造中止)

930:ひゅうが:2025/03/12(水) 02:55:53 HOST:FL1-27-127-13-252.okn.mesh.ad.jp


【概略】――当時のソ連海軍が配備した人類史上最大の水上戦闘艦(当時)
当時のソ連海軍艦艇の特徴として、新たに友好関係を結んだ大日本帝国に対して設計と建造を発注しているのは本級も共通である
このため外観は作り直しに近い状態となった前級のソビエッキー・ソユーズ級戦艦と同様に、第2次世界大戦中最大の戦艦であった大和型戦艦に代表される新世代の大日本帝国海軍艦艇のそれを極めて色濃く受け継いでいる
また、配備地も半数の3隻が実質的に大日本帝国の横須賀軍港および室蘭軍港、あるいは択捉島単冠湾泊地に実質的になっていたことからその他艦艇と同様に「赤い連合艦隊」として西側には恐怖を、東側には親しみをもって扱われた


【主砲】――主砲は、日本本土決戦の湘南沖海戦においてベールを脱いだ超大和型戦艦用転用の45口径51センチ要塞砲(試製甲砲)のそれを拡大し、駆逐艦用主砲として経験を積んでいた(マリアナ沖海戦においては役に立たなかったが)自緊式製造法をとったことによる軽量な48口径56センチ主砲である
設計にあたってはドイツ第三帝国において艦載砲用として開発され、陸上砲台に据え付けられたところで終戦を迎えた52口径53センチ砲Gerät 36およびその製造法が参考とされている
このため、湘南沖海戦において沈没したアイオワ級戦艦用Mk.7 16インチ主砲を引き上げて参考としたとの説もあるが、実際はドイツ側の方が主体であったことが現在では広く知られている
48口径とされたのは当時の工場の製造限界50口径では性能と砲身寿命のトレードオフに加えてソ連海軍側が超長距離砲撃戦に興味を示さなかったことからやや切り詰めて製造されている
ただし砲戦距離3万5000未満での砲戦を選択したことから、米海軍では日本海軍に対する数的優勢のために大量配備されなかったMk.8 SHS(大重量徹甲弾)同様に被帽間に弾薬を詰めつつ砲弾本体の再設計を行ったために当初計画よりも砲弾重量は1発あたり3.17トンという史上最大のレベルにまで増大した
本砲は、のちに採用されたロケットアシストによる核砲弾の場合最大射程は220キロメートル(弾頭重量は450キログラム程度)に達するという例外はあるが、砲戦距離は40キロメートル以下として設計されており、それより近距離の2万メートル程度ではスーパーチャージといわれる強装薬でのAPDS(装弾筒つき徹甲弾)による高初速でたとえ格上の戦艦が出現したとしても対抗可能とされていた
初速は、榴弾使用時には秒速850メートル 上記超大重量徹甲弾(米軍に範をとりSSHSと呼称)使用時には秒速830メートルと高速である(米海軍のMk.9 18インチ砲の場合830メートル)
APDSを使用した時は、劣化ウラン弾芯を使用して初速1450メートルにまで達する
貫通力は、SSHSによる距離30キロの砲戦距離において910ミリ(垂直)、20度傾斜装甲の場合837ミリ 水平450ミリ、同20キロにおいて1170ミリ(垂直)、20度傾斜の場合1100ミリ 水平287ミリであった
これは、西側諸国の大半の超音速含む対艦ミサイルに対しても十分な値である
APDS使用時はおおむねこの1.9倍に達するものの距離15キロを超えると急速に弾体がすりこぎ運動(スピン)により不安定化する上に低伸弾道ゆえに原理的に舷側装甲以外を貫けない
※ なお装甲の部分で後述するがこれらは単一装甲板に対する値のため実際の値とは異なる
本砲はこれを装填速度1分あたり2発で発射可能で、装填方式は安定性を重視した半自動装填式(水平尾栓採用)、かつ角度固定装填式である
ただし対空射撃を考慮したことから0度に加えて 15度 30度 45度の3つの角度についてこれらが可能な仕様となっていた
最大仰角は60度である
さらに、北極海から熱帯の海にかけての広大な領域での使用と、連続射撃により砲への負担がかかることや歪みが生じるのを防ぐべく、ソ連戦車から発想を得て水冷式外筒(サーマルジャケット)が覆っており、冷却だけでなく加温を行うことで砲身の膨張や収縮を抑止していた
また、斉射時の砲煙の二次燃焼やそれによる砲本体のズレに加えて甲板および対空火器へのダメージを防止するために戦車砲にヒントを得た消炎機(戦車砲における砲口制退機)が付属しているが、これは発砲遅延装置があるために互いの砲煙による砲口大気温度の変化や砲塔側射撃管制装置を守るための措置だったようである(このためのちの大改装において撤去されている)

砲塔回転は、巡洋艦なみの重量を持つことから水圧のみの駆動は断念し強力な発電能力を用いた電動式を主として用いることとした(水圧装置は補助的に安置)
これにより、実際の砲塔旋回速度は大和型戦艦の1.5倍近くと高速であった

931:ひゅうが:2025/03/12(水) 02:56:25 HOST:FL1-27-127-13-252.okn.mesh.ad.jp


【対空兵装】――当初案では副砲としてソ連製22センチ砲3連装4基の搭載が予定されていたが、性能が劣悪であったことに加えて使用機会が限られることから新開発の130ミリ両用砲による対空射撃、特に脅威度を増しつつあった誘導爆弾やミサイルの類への対処が優先された
本砲は70口径130ミリという従来のソ連の対空砲に、日本製の四式127ミリ砲の設計をあわせた上で、リボルバー式弾倉に加えて自動装填装置の採用によって1分間あたり最大90発(実運用では故障防止のため80発に制限)の発射速度を水冷化もあって確保している
ただしその代償として弾倉を使い切った場合は再揚弾に1分程度がかかることから連装装備として交互射撃を行うこととされた
この高性能の代償として砲塔重量は90トン以上に達しており、これは阿賀野型巡洋艦用の50口径15.2センチ砲塔の1.2倍にまで達していた
装填方式は、リボルバー式弾倉を使い切ると90度砲の仰角を上げて弾薬庫から次の弾倉を上げる方式となっている
本砲は実用最大射程3万7000メートル、最大射高2万5000メートルに達する優秀砲で、これにより上空を飛行する超重爆撃機に加えて極めて高い砲塔旋回速度と砲塔本体に接続された射撃管制装置によって砲塔1基あたりマッハ1で接近する機体やミサイルにすら154発の近接信管つき砲弾を浴びせる能力を持っていた(近接防御のための2門同時発射ならば30秒間限定で308発と倍化するが、再装填に2分程度射撃が不可能となる)
これを両舷各5基ずつ搭載しているが、その大重量のために当初考えられていた主砲塔後方での2基マウントは断念されることとなった(結果、射撃指揮装置や機関砲類をマウントしたことでのちの大改装ではミサイル・イルミネーター装備ができたので良し悪しである)

機関砲としては、日本陸軍が次期主力軽戦車用に開発を進めていた100口径の超長砲身57ミリ機関砲を艦載化して単装砲塔に水冷化して搭載
こちらにも近接信管を搭載したことから、2万5000メートルより至近に接近した相手に対して秒間180発の射撃を可能とした
砲塔重量は12トンに達するが、旋回速度は秒間55度かつ仰角は秒間40度と極めて高速で上記130ミリ砲同様に砲塔に射撃指揮装置がマウントされた、初期的な近接防御火器であるともいえよう
ただしガトリング砲のような強制排莢は不可能なことと目視射撃のために砲員が1名大気している
本砲の例外的なところは徹甲弾を利用した対水上射撃も可能としている点であり、実用射程2万7000
意外なところでは軍港内に接近した自爆ボート群だけでなく魚雷艇すら蜂の巣にし、戦車も撃退するなどの活躍を示している

近接防御用には、日本海軍が用いていた25ミリ機関砲の後継に、ソ連軍が使用している弾薬口径にあわせた23ミリ機関砲を連装砲塔にマウントしている
しかしこれは、日本本土決戦時に使用された旧式の陸上用ガトリング砲を電動化したところ予想をはるかに超える高性能を示したことを受けて米軍の「バルカン砲」に先駆けて最大発射速度を1分あたり900発に達する(本来はさらに2倍近い発射速度が実現できたものの戦闘継続能力のためにあえて発射速度が落とされている)機関砲弾を浴びせられるようになっていた
旋回速度は秒間120度旋回、秒間100度仰角調整である
これにドイツの技術である薄殻榴弾に作動性を重視した空気信管を追加した5式実包を採用
さらに砲塔にアメリカのボフォース40ミリ機関砲同様のレーダーつき小型射撃指揮装置を接続
安定性こそやや劣るものの完全自律化したことから、非常用を除いて砲塔の完全無人化が実現した
通常は砲に加えて、艦の左右に各20基ずつ設けられている射撃指揮装置による射撃指示に遠隔操作されるようになっているが、航空機の遠隔操作銃塔のように最大で2基ずつまとめて目視操作することも可能である(射撃員は装甲シャッターつきの防弾透明ドーム内から照準する)
この結果、航空機の近接接近に対する同時対処能力は片舷最大30機(新造時)、前後甲板に設置されたことから前後も同数に達している

このほか、マリアナ沖海戦および日本本土決戦での戦訓から艦橋など上方にある機銃の有効性が証明されたことから対空・対水上射撃用に遠隔操作型(主砲発射時の爆風対策のため)の13ミリ銃塔を設置
しかし従来は非常用とされた有人による直接操作が「威嚇射撃」などにおいてはるかに有用で、ことに「対人用」として活躍の機会が多かったのは冷戦の残酷な側面であったといえよう

新造時には、米軍のMk.68相当のレーダーつき対空射撃指揮装置5基およびMk.63相当の射撃指揮装置15基が設置され、これにMk.52に近い性能を有するものが24基とも砲および機関砲にマウントされている

932:ひゅうが:2025/03/12(水) 02:57:21 HOST:FL1-27-127-13-252.okn.mesh.ad.jp


【船体】――船体は、大和型戦艦の拡大型である
これは、再設計して艦橋および主砲塔まわりこそ大和型戦艦そっくりとなったもののそのままとなり特に北海や太平洋の荒海での運用問題が多発した(皮肉にも断腸の思いで残された旧式の防御構造こそが船体構造を強化したことで乗組員が苦労するだけで済んだ)ソビエッキー・ソユーズ級戦艦への反省からくるもので、ソ連当局も東京の艦政本部に対して多数の人員を派遣していたもののその役割は学習のためのそれであり、多数残されていた大和型戦艦の検討時の各案や技術研究所の資料も同時に提供を受けている
ただし、居住性能をさらに改善するためにいわゆる「大和坂」といわれる船体前部の傾斜のある構造は廃止され甲板が1段追加
これにより居住区が大和型よりさらに拡大された
ただし艦首にかかってややせりあがる甲板構造はそのままであり、また大和型では実現できなかった高速発揮のために船体はやや延長され、バルバス・バウ(球状艦首)の形状もやや異なり、さらに突き出すような形状となって内部に大型ソナーを備えている(ソ連海軍は魚雷搭載を構想したが役に立たないうえに防御上の弱点となるとの日本側の意見に素直に従った)
艦の左右には巨大なバルジが装着され、大和型戦艦の2倍以上の予備浮力を確保する傍らで油層防御区画も積極的に採用
注排水装置を未完成に終わったイ号400型潜水艦用に開発されていた強力なポンプとすることで急速な傾斜復元が可能となっている
艦底部は大和型3番艦で計画されていた完全な三重底化
機関はボイラーとタービンをシフト配置することが考えられたものの、あまりに巨大化してしまうことから「外側をボイラーに、内側にタービンを挟み込む」ことで外側がやられても航行能力を失わないという大和型戦艦の発展型(モンタナ級戦艦同様)の配置とした
また、水中核爆発対処のために三重底の間には衝撃吸収材が充填され船体本体の破断を防ぐようになっている

主砲配置は3連装主砲の前2、後1のオーソドックスな配置であり、技術的な成熟がまだであることから戦車同様の完全な滑らかな砲塔化は断念。大和型やソビエッキー・ソユーズ級戦艦同様の独特の多角形砲塔をしている
大和型戦艦では副砲塔がのっていた部分に前部艦橋司令塔より延長された台座がおかれ、その上部に機関砲に加えて大型の射撃指揮装置が設置されているほか、やや手狭となっていた航海艦橋や司令塔に加えて平時の艦隊司令部区画がここに備えられている(大淀型軽巡洋艦内部の司令部設備の2倍の床面積から非常に歓迎された)
その後方と一体化して司令塔部分があるが、こちらは主として電子計算機区画に転用され、司令塔としての機能は副次的なものに過ぎなかった
また、艦橋トップの射撃指揮所からテレビジョンやレーダー装置の情報を統合してここで射撃指揮を行うこともできたことから、あまり長距離射撃に興味のない(そもそも水平線上に砲弾が届くまで1分以上時間がかかる)ソ連海軍は主としてこちらから射撃管制を行っていた
艦橋は、司令塔上の航海艦橋が米戦艦なみに大きく拡大し、その上に大和型戦艦の上部艦橋が乗っかっているといわれるが言い得ての妙であろう
戦闘艦橋も艦体の拡大とともに巨大化しているものの、寒冷地対応や荒天対策のためのワイパー追加に比べると特筆すべき部分は少ない(装備された双眼鏡がドイツのツァイス製のものとされるなど細かい変更点はある)
艦橋トップの防空指揮所は、北極圏での運用も考慮して分厚い防弾ガラスと電熱線が仕込まれた天蓋で覆われ、寒気に十分に対応可能であったが雨の中でも傘を差さないとされた海軍軍人精神をリスペクトしていたソ連海軍には意外にも不評で、北方艦隊や北極圏での航行の際によほど荒天が予想されでもしなければ取り付けられることはなかった
(見学したフルシチョフに配慮してお偉いさんの視察時に1回だけ取り付けられたものの、フルシチョフ本人の指示でのちの視察時からは外すようになっている)
防空指揮所上方には巨大な30メートル測距儀に加えて主射撃指揮所があったものの、マリアナ沖海戦における方位盤故障の経験から主砲射撃用の方位盤が早々に電子化され多数化された日本製戦艦としては直接光学照準による射撃指揮は副次的なものに過ぎず、実質的な予備射撃指揮所となっていた
また、空襲の際に30ミリ機関砲弾ならともかくロケット弾や急降下爆撃、誘導爆弾の際は貫通される(戦闘艦橋トップはきちんと対処されていた)ことが予想されたことから、日本人砲術手に師事したような「変態」や艦隊行動がはじめての新兵への案内でもない限り上がりたがる人間は少なかったという
艦橋左右から旗琉信号用マストが斜め後方に向けて伸びているのは大和型同様であるが、寒冷地対策のために乗組員が外へ出ずとも信号旗を掲げることができるようになっている

933:ひゅうが:2025/03/12(水) 02:58:19 HOST:FL1-27-127-13-252.okn.mesh.ad.jp

艦橋後方からはレーダー用マストが直立しており、メインマストとしての役割を果たしている
煙突は、高出力機関であることや、蜂の巣鋼板に加えて煙突本体の装甲化もあって大和型戦艦と同型のものを2本とされ、その後方に予備の後部艦橋と射撃指揮所が鎮座している(こちらは20メートル測距儀である)この前後2つの高低差のある測距儀による軸線長を利用した三角測定ができたことから前述の司令塔内の「予備」射撃指揮所は人気だったのである
後部艦橋と一体化した機銃座が大和型における副砲塔基部に近い高さにあるのは前甲板同様である
後部の第3砲塔後方には当初は水上機区画が、のちにヘリコプター区画が設けられたがのちの大改装においてヘリ格納能力をオミットしミサイル区画に転用された
同様に、カタパルトも撤去されているがクレーンは使用に便利なため残された
艦の左右には、爆風対策のために短艇収納区画が設けられているが、のちに膨らむ救命ゴムボートが実用化された際には余剰となり、多目的区画に加えて外付けの魚雷迎撃用の短魚雷発射管が設けられた
こちらは着脱可能である

【装甲・防御】――装甲は、大和型戦艦とは打って変わって日本海軍の最新技術と、ソ連から提供された(要するにドイツから略奪品としてもたらされたものの一つ)超大型プレス機に日本側が開発したばかりの圧延技術を応用
さらに湘南沖海戦において沈没したアイオワ級戦艦を引き上げて解析したことで判明した「クラスA」装甲板を改良
戦艦としてははじめて極めて分厚い均質圧延装甲を主装甲として採用した
さらにマリアナ沖海戦の戦訓および上記引き揚げ戦艦の解析結果から戦艦の分厚い装甲といえども砲弾は受け止め切れてもその反対側が衝撃で剥離する(剥離骨折と似た原理)ことによるスプリンターが人員はおろか装備類を破壊することが判明したことにより、一枚板による防御という方針を完全に諦めた
命中時に潰れることで主弾体や徹甲弾芯を貫通させようとする戦艦用主砲に対抗すべく艦政本部は新たな発想を実行に移す
戦艦用装甲板は、装甲表面に炭素を含む希少金属を焼き入れて(これを浸炭層という)硬化してこれを潰す表面硬化装甲が主体であり大和型戦艦もまた同様であった
しかしながら、合衆国の「クラスA」は逆に粘り特性が強い装甲材とすることで、表面硬化装甲では表面の浸炭層と後部の主装甲帯の調整が難しくしばしば層剥離や主材破断を起こしていたことを克服
半面、浸炭層の役割を装甲全体に移していた
そこで日本海軍は、浸炭層と主装甲帯を分離することにする
つまりは浸炭層の焼き入れをさらに強化して「割れやすい」代償として「砲弾の先を砕き変形させる」ことに特化させて砲弾本体や徹甲弾芯、あるいは前後に二重構造の弾を「装甲材全体に粘りを強めに持たせたうえで均質圧延した装甲で弾き飛ばす」ことを企図したのである
これまで均質圧延装甲にいかに浸炭層を作るかに腐心していた発想の転換である
ローラーで装甲材を数万トンの圧力で均一に押しつつ冷却し、装甲全体の強度を表面硬化鋼よりはるかに増大させる均質圧延装甲はこれまで戦車でのみ実用例があったが、ソ連からの基礎技術提供とされる資料のみでこれをものにしてしまった日本の建艦技術の高さにソ連は驚愕したという
さらにシベリアから無尽蔵に供給されたモリブデンやロジウムに加えて、日本領にとどまっていた朝鮮半島北部から供給された大量のタングステンを利用することができたこと、製鋼に必要な高品質コークスは賠償としてドイツからいくらでも提供されていたことはさらに装甲材の品質を向上させる
さらには大和型戦艦建造時に装甲製造を行っていた熟練技術者たちやその手足となった人々が徴兵を免れて健在(日中が全面戦争に突入していればそんなこともなかったであろう)だったこともあり、装甲材の基本的な品質は当時の世界最良とされたヴィットリオ・ヴェネト級戦艦のそれを上回ることとなる
また、大和型戦艦2番艦の武蔵が装甲取り付け部位の破断から計算の7割程度の防御力しか発揮できず沈没したことが1番艦大和の小田原沖着底後になされた調査で判明したことから装甲取り付け部位の徹底的な強化に加えて、装甲が受ける衝撃防御のためにフランスで研究されていた弾性の極めて高い難燃性の新エボナイト・ムースの製造法が提供され、こちらは応急注排水区画の外側に充填された
その前後には、新たなる脅威となった核兵器による短時間の超高熱を自ら気体になることで装甲材から奪う目的で特殊な樹脂が注入されている
のちにこれの開発結果から、手投げ式の民間用消火器が実用化される結果を生んでいる
さらに主装甲および船体は全面溶接が採用。かつて頻発した破断事故が昼夜の金属の伸び縮みに由来することが突き止められたことから、大和型戦艦とは打って変わって全体の強度を上げる措置がとられた

934:ひゅうが:2025/03/12(水) 02:58:49 HOST:FL1-27-127-13-252.okn.mesh.ad.jp
これにより、合計厚は通常の表面装甲材によっても自艦の主砲弾に対し距離1万9000までは貫通不可能な防御力見込みであったものが距離1万3000までに性能が向上
オーソドックスな欧州付近やソロモン海などの多島海での咄嗟交戦にも対処が容易となった
また、船体の応急注排水用ポンプを利用したことで核攻撃に対する散水による防御や放射性物質の洗い流しも容易となっている
唯一心配されたのが、片舷50発以上の魚雷命中によっても戦闘力発揮可能とされた本級に対する核による魚雷攻撃であったが、これは前述の短艇区画に増設された短魚雷発射管により解決されている
ただし単艦行動をすることがほとんどないことが海軍における戦艦であることから評判はあまりよくなく、非公式マニュアルでは戦闘開始後の投棄が推奨されていたという
マリアナ沖海戦の戦訓から、舵取室の壊滅により漂流するのを防ぐべく装甲材は強化されており、さらに巨大な主舵1枚による操舵ではなくスクリュー防御覆いの後方に2枚ずつ前後左右に並列して4枚の主舵を採用
バルジ左右から2枚の副舵を、艦底前部に巨大な引き込み式副舵2枚を採用することで、舵の効きは「舵がききはじめるまで1分以上、しかもその後は急激に旋回する」とされたピーキーな大和型と違い至って素直
もちろんこれらすべてが動かなくなった時のために大和型で残されていた非常用取り付け式副舵も用意されている
もはや執念であろう


【機関】――機関は、量産を断念された島風型駆逐艦用に開発された1基あたり2万7500馬力を誇る日本側にとっての高温高圧缶を12基採用
前述のモンタナ級同様の機関配置に伴い機関部区画がやや長大になった
横から見ると、ボイラー3基+タービン1基であったのがボイラー6基となった。タービンはボイラー1.5から2基分程度の全長に相当することから機関部は大和型の1.3倍程度に拡大している
主軸は4軸を採用
高出力化したことから新開発の反動式オールギヤードタービンを採用し、機関室に余裕ができたことから高出力スチーム発電機とディーゼル発電機を採用したことで2万キロワットの発電能力を有する(米8万トン級空母ユナイテッドステーツ級は1万3500キロワット)
これは砲塔の電動化に加えてレーダーや射撃指揮装置、艦内光熱調整に電力をとられたことから余裕をもって設置されたためである
(ただしこれでも後代、発電機換装で電力増大が図られている)
なお、こちらもボイラーについては、1基あたりほぼ同じ定格出力を誇ったアイオワ級戦艦の引き揚げ後の調査情報が応用されている
しかし船体がアイオワ級ほど長大ではないことから最大速力は31ノット程度にとどまっており、過負荷全力時35ノット近かったというアイオワ級には遠く及ばない
ただし船体安定性が極めて高いことから、全幅に対する長大な船体を有する傾向の強い米軍戦艦が25ノット以上で砲撃を展開した時の揺れと比べると地面に立っているような安定感があったという
本級は、のちの技術向上からさらなる機関出力増大に成功しているが、それでも速力が32ノット台を超えることはなくその出力をフェイズドアレイレーダーやコンピューターをはじめとする電力向上に充てている

936:ひゅうが:2025/03/12(水) 02:59:29 HOST:FL1-27-127-13-252.okn.mesh.ad.jp


【建造史】――ソビエッキー・ソユーズ級戦艦の建造にあたって日本側建艦能力を目の当たりにしたソ連海軍は、日ソ友好善隣条約に続く日ソ安全保障条約の締結を待たずに新型戦艦の建造を日本に要請するように政府に進言
日本本土決戦に加えて第2次世界大戦においてはついに空母機動部隊単独による新世代の戦艦撃沈が発生しなかったことからソ連政府も戦艦建造の必要性を認識
核兵器という安価で戦艦撃沈が可能とおもわれる兵器の実用化後も、スエズ動乱においてエジプト政府が米英両国の巨大戦艦群の前に屈していることから「非核戦争時のパワープレゼンス用」としての価値も見出した
そこで、日本の全面協力により1947年にようやく4隻がそろったソビエッキー・ソユーズ級戦艦に続く新型戦艦の建造が1947年中に早くも決定している
日露戦争とシベリア出兵への遺恨からともすれば日本から製造設備や人員をソ連に強引に「スカウト」しかねなかったヨシフ・スターリンが1946年に半ば事故のようにアドルフ・ヒトラーの気まぐれから送り込まれた人員に暗殺されていた(このためソ連は格好の口実を手に入れてスチームローラーのようにドイツ本土を轢きつぶした)ことから、新たに指導者となったフルシチョフは日本側に好意的で、先に発注していた「ボストーク」級航空母艦の完成を待たずに本級の計画を日本政府に打診した

日本政府内部の意見は紛糾したものの、技術を残す目的でこの構造を固定化することが使えると判断
新たに就任した米国のアイゼンハワー大統領が大陸での内戦激化に伴って九州占領の固定化の意思を示し始めたことから対抗措置として本級建造に全力を挙げてあたることを決意する
背景には、米政府内部のスパイ情報から1940年末からソ連国内で進んでいた核開発という恐るべき事実を日本側が掴んだことによる
さらに重水や重水素分離の高効率化に関する西野博士の論文をアメリカに引き渡したことから、日本政府は裏取引として「重水炉により生産されたプルトニウムの一定量の入手」と引き換えにすることで日ソ軍事交流を一気に加速させることになる

かくして、ソ連が戦後すぐの第5次五か年計画により、「製造コストの安い戦後復興中の友邦日本に安価に強力な兵器を発注する」名目で予算が拠出され、鉄鉱石やコークス、希少資源については精製前の鉱石状態で日本に送られる形で建造がスタートする
建造ペースは2年ごとに2隻ずつであった
これは復興途中の日本のドック再建を待ったことによる

1948年1月に1番艦が横須賀海軍工廠第6ドックにて、同年6月に復興と拡張工事を完了した呉海軍工廠第3ドックにおいて2番艦が起工
アメリカは抗議を申し入れたのであるが、この時点で唯一の核保有国であったソ連に対しては抑制的に対処せざるを得ず、またソ連占領下だったオーストリアが独立投票によってソ連軍撤兵と永世中立国化が成立するなど緊張緩和の時期であったことから結局は沙汰やみになった
当初は8隻の建造が予定され、北方艦隊用に1隻が白海モロトフスクにて、黒海艦隊用に1隻がウクライナにて図面買取の上でソ連自らの手で建造される(さらに2隻が追加予定)予定だったのであるが、ソ連国内の製造設備の老朽化に対する近代化が企図されていたことから訪ソした日本側代表団の指導は予想以上に長引き、さらに1950年にアメリカが初の原爆実験を行ったことからソ連国内でICBM開発が加速され始めたことから予定は順延が続いた
結果、1950年、日本政府に対して2隻が追加発注されることとなった

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日本国内での意気込みは、連合艦隊壊滅の経緯から非常に高く、戦時下に法制化された24時間4交代で建造が進行した
このため予定よりもやや早い1951年1月には横須賀で1番艦が竣工、当時のソ連において王朝以前の共和政時代の「ノヴゴロド公国」の研究が注目されていたことから民主主義をアピールする意味も込めて「ヴェーチェ=ノヴゴロド」すなわちノヴゴロドの民会(議会)と命名された
続く1951年8月には2番艦が呉にて竣工。対岸の南九州で見ていたアメリカは、工作員の送り込みに始まり、竣工間近に特殊潜航艇による爆破すら実行に移そうとしたものの事前察知されて捕縛される醜態をさらした
さらにはこれを見たソ連海軍による粋な計らいが待っていた
横須賀軍港に間借りする形の在日ソ連海軍基地(1年ごとの自動延長による租借という破格の条件だった)は、呉にはない
そこで、命名式を行えるのはソ連海軍基地であるという建前をもって、「日の丸を掲げた輸出用船舶」として日ソ海軍の護衛のもとでわざわざ豊後水道を抜けて対馬海峡からウラジオストクへ向かわせるという決断をしたのだ
日本側国民サイドはもとより一度外洋艦隊が消滅していた日本海軍サイドが感謝の意を示したことは言うまでもない
なお、アメリカ海軍は日本本土決戦前同様に豊後水道に潜水艦隊を送り込んでの撃沈を試みるも、迷走した磁気信管つき魚雷が盾になった日本海軍駆逐艦に刺さるだけに終わるという醜態をさらしている
(なお公式に国連で抗議された合衆国代表は寝耳に水だった)
2番艦はこうしたやりとりの末、「ヴェールヌイ」、すなわちロシア語で信頼と命名された
3番艦は新たに完成したばかりの室蘭の超大型ドックにおいて建造され、こちらもソ連海軍の配慮で1953年に「ヤポンスカヤ・モーレ(日本海)」と命名
同年、ヨーロッパのソ連大西洋艦隊用として「ヨールカ(新年祭のモミの木のツリー)」が、追加発注された2隻は配備地からそのまま「ティキー・オケアン(太平洋)」および「アトランティシー・オケアン(大西洋)」と命名
最終艦が竣工したのは1957年となった
この間、力によらない対抗を掲げたアイゼンハワー政権は第2次世界大戦の結果に満足しきれていない米国民の突き上げを受けてレームダック化
2期目にして太平洋にて核実験を繰り返す挙に及んでおり、日本のマグロ漁船が被爆する惨劇も手伝って日ソの接近はもはや米国には阻止できないようになっていた

本級は、ソビエッキー・ソユーズ級戦艦2隻ずつが配備されているバルト海艦隊と北方艦隊に対して、ポルトガルのレボルーティア(旧称アルマダ)および、浚渫の完了したヴィルヘルムスハーフェンのソ連軍区画に展開する「ソ連海軍大西洋艦隊」に3隻が
名目上はウラジオストクとペトロパブロフスク・カムチャッキーに籍を置くものの横須賀や択捉島単冠湾泊地などに前進配備されている「ソ連海軍太平洋艦隊」に3隻がそれぞれ配備されて常に1隻が実戦投入可能という状態にあった
これに、同様に日本側に建造を依頼した5万トン級空母「ボストーク」級や、その拡大改良型8万トン級空母の「ヴァリヤーグ」級を含めた新生ソ連海軍艦隊として彼女たちは冷戦の間を両大洋に睨みをきかせることになる
米軍はヤマトスキーと称して撃沈可能であるとアピールを続けたものの、それゆえに米海軍と米空軍の対立は激しく、何度も新型戦艦や空母を戦略空軍に「撃沈」される米海軍は煮え湯を飲ませ続けられることになるのである

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929-937
長くなりましたが、これにて「プロジェクト24級」投下完了です

楽しんでいただければ幸いです

939:ひゅうが:2025/03/12(水) 03:03:05 HOST:FL1-27-127-13-252.okn.mesh.ad.jp
※ この世界の米海軍、潜水艦隊はあんまり実戦機会がなかったせいで、磁気信管式魚雷の欠陥がなんとWW2後まで認識されませんでしたw

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最終更新:2025年06月11日 20:44