556:ひゅうが:2025/03/15(土) 02:45:15 HOST:FL1-27-127-13-252.okn.mesh.ad.jp
※ wiki転載歓迎
【1945年】
2月1日
日米両軍間で停戦発効。関東地方から米軍駆逐、九州における最終戦線は佐賀市付近
九州の4分の3は米軍占領下におかれる
3月2日
杉山元内閣総辞職。吉田茂内閣発足
首相:吉田茂 外相:東郷茂徳 内相:岸信介 経済復興大臣:鳩山一郎 国軍大臣:重光葵(文官。陸海軍省廃止)
8月6日
日本政府、日独伊三国同盟の解消を宣言。ソ連との緊密な連携を世界に宣言する
【原作終了、以下拙作の内容】
9月、極秘裏の諮問機関の答申が完了し、大日本帝国憲法の改正が発議。東京帝国大学安田講堂を仮議事堂として開催された最後の帝国議会において審議が開始。日本の取り込みを図るべく米英ソの対日援助が活発化
枕崎台風が南九州上陸。戦場化した九州各所にてインフラ寸断されるも、米軍の冷淡さにより被害拡大
ドイツ・アフリカ軍団壊滅。アフリカ戦線が実質的に終焉
講和後の引き渡しを前提とした、南九州民政府(日本人主体)発足。本部は比較的被害の少なかった大分市。形式上は九州アメリカ軍政府と並列するも実態としては協賛機関
10月、英国の仲介により講和をまたず日米休戦協定締結。日本の共産化を避けるために戦略物資禁輸が完全撤廃。日本はソ連および英国に本土決戦の余剰兵器の売却を開始
ソ連極東および満洲から輸入した石炭および鉄鉱石による「傾斜生産方式」が実行に移される
阿久根台風が南九州に上陸。進路急変により奄美大島および鹿児島湾泊地に密集していた米輸送船団は退避が間に合わず、壊滅的な被害
南九州民政府、米軍政府に抗議
11月、奇跡的に残存していた北九州八幡製鉄所の新高炉に火入れ。復興開始の象徴となる
食糧事情の危機的状況から、満洲およびソ連からの緊急食糧援助が実施(スターリン援助)
大日本帝国憲法修正案が秘密会より本会議に上程。予想以上の民主的傾向に
アメリカの態度は好転。社会主義の採用を期待していたスターリンに不満
12月、大日本帝国憲法全面改正、枢密院を経て昭和天皇が裁可。日本国憲法とされるも、勅令により全国民による国民投票が表明される。左右両派による政治運動が活発化
北太平洋および南氷洋における日本捕鯨船団出航
日本政府、国際連盟への再加盟を申請
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【1946年】
1月、ローマ陥落。ムッソリーニは脱出を拒否して連合軍に逮捕される
連合軍ギリシャ上陸。バルカン半島に第2戦線構築
イタリアは無条件降伏するも、北イタリアにてドイツ軍は活発な抵抗を継続
アメリカのジョージ・C・マーシャル大統領、弾劾裁判を待たずに日本本土決戦敗北の責任をとって辞任。後任は民主党選出の副大統領レックスフォード・ガイ・タグウェル(経済学者。ルーズベルト政権のブレーントラストの一員。前プエルトリコ知事)を指名、副大統領には共和党のアーサー・ヴァンデンバーグ(上院議員)
2月、26日 ソ連軍モスクワ駐屯連隊少佐 サヴェリー・ドミトリエフ少佐および部下3名がスターリンの乗った車列を襲撃、銃撃戦の末これを暗殺することに成功
別の車に乗車していたニキータ・フルシチョフおよびアナスタス・ミコヤンならびにゲオルギー・ジューコフ将軍は難を逃れる(直前で車列の位置が変更になったこととフルシチョフが珍しく軍服を着用して1人でいたためとみられる)
自決用手りゅう弾の使用をためらい(RGD-33手榴弾は不発だった)取り押さえられたドミトリエフ少佐はNKVD(のちのKGB)からの暗殺指令書を提示
受け渡しを担当した秘密警察スメルシ将校ピョートル・ダヴリンなる人物は実在せず
フルシチョフおよびジューコフ、独断でNKVD長官ラヴレンチー・ベリヤを本部ごと拘束
スターリンの命と偽り、モスクワ市内に戒厳令を布告
迅速な対応により、ピョートル・ダヴリンことシロ、ならびにその妻リディア・シロワを拘束。自白剤投与により、本件はヒトラーによるスターリン暗殺計画と判明
ドミトリエフ少佐の親族が第二次大粛清経験者かつ本人に重大な精神疾患が存在することを利用したものと思われた。目的はスターリン暗殺によるソ連体制の動揺と、親ドイツ的体制への転換
マレンコフおよびフルシチョフらソ連首脳陣、対独開戦を決断。スターリン死亡を即座に「臨時政府」名義で発表。以後偽電によりソ連は内戦状態に近いものと偽装する
ソ連国内および世界各国に動揺が広がる
3月、動員を完了したソ連軍は宣戦布告と同時に一斉に独ソ国境を突破。ジューコフの立案した縦深攻撃作戦により各所でドイツ軍を破砕
ワルシャワ解放
ヒトラー、これを内戦と誤認しソ連内通者への蜂起を呼び掛ける。結果的に暗殺が真実と暴露
4月、「スターリン批判演説」。フルシチョフによる一世一代の大博打。このときまでに得られていたNKVDの資料やベリヤの尋問(拷問)結果により確定した「カチンの森事件」「大粛清の冤罪」「ウクライナにおける飢餓輸出ホロドモール」を含む罪科を国民に謝罪。同時にポーランドの収容所解放で得られたばかりのドイツのユダヤ人虐殺の実態とスターリン暗殺、ドイツの「東部総合計画」を世界に告発し「今こそ暴君から世界を救おう」と呼びかける。ソ連軍の士気は高揚、ドイツ軍に深刻な動揺が走る
日本、米占領下九州ならびに台湾・朝鮮を含む全土にて憲法改正国民投票を実施。多数の賛成により若干の修正を経た上で「日本国憲法」が公布される。施行は翌年5月。以後急ピッチで法律群の改正が進む
日本政府、マレンコフ(フルシチョフ)政権をいち早く承認し、スターリン批判演説に対する賛意と支持を表明。同時に、スターリン批判の衝撃により政治犯の転向相次ぐ
日ソ友好善隣条約調印。実態は日ソ秘密友好条約の踏襲であったが、全世界に衝撃が走る
558:ひゅうが:2025/03/15(土) 02:50:57 HOST:FL1-27-127-13-252.okn.mesh.ad.jp
5月、「ヴァルキューレ作戦」。ドイツ国防軍有志によるベルヒテスガーデン山荘(ヒトラーはショックのあまり引きこもっていた)の総統大本営爆破成功。ヒトラー、ヒムラー、ハイドリヒ、ゲーリングらナチ党首脳陣爆殺
全土に戒厳令が敷かれ、国内予備軍を用いたナチ党幹部逮捕が進行し、国防軍が実権を掌握
ドイツ新政権発足を宣言。大統領にルードヴィヒ・ベック上級大将、首相にアルベルト・シュペーアが就任
西部地域をほぼ空にしてまで行われたドイツ軍東部戦線への移動とソ連側の準備不足により旧ポーランド領内ワルタ川付近にて戦線は膠着
6月、スイスにて連合国とドイツ代表による休戦会議が開始。独ソは自然休戦状態になる
7月、ドイツの停戦交渉を優位に進めるべく、エーリッヒ・レーダー元帥直率のドイツ残存艦隊総出撃(H級戦艦『フォン・ファルケンハイン』 ビスマルク級戦艦『ティルピッツ』 シャルンホルスト級巡洋戦艦『シャルンホルスト』『グナイゼナウ』 航空母艦『グラーフ・ツェッペリン』『アドラー(隼鷹)』『レーヴェ(飛鷹)』 重巡5 軽巡3)。英米海軍との間で「第二次ジェットランド沖海戦」が勃発する
ドイツ空軍航空艦隊(ケッセルリンク元帥指揮)の援護のもとスカパフロー…と見せかけて英本土突入を図るドイツ艦隊は北海中央で一挙に南進
米英戦艦部隊との殴り合いの果てに全滅(米艦隊戦艦2隻沈没、1隻大破、空母2隻が砲撃により沈没する椿事が発生。英艦隊戦艦1隻沈没、1隻大破、重巡3隻沈没)。結局第二次世界大戦において航空機単独による戦艦撃沈は発生しなかった
8月、併合したオストラントを含む東部領土保全を求めたドイツの要求を連合国は拒否。停戦交渉決裂。日本本土決戦および第2次ジェットランド沖海戦の被害と、新規建造艦(モンタナ級戦艦およびマリアナ級空母)の不足によりフランス上陸作戦1年延期が決定
ドイツ国内にて戦略的再配置および国内動員が休戦交渉中も実施されていたことが発覚し、連合軍は休戦交渉を「ドイツによる時間稼ぎ」と激しく非難
9月、日本政府、民族自決の精神に則り台湾ならびに朝鮮半島の独立あるいは自立を前提とした切り離しを決定し公表。両地域にて深刻な動揺が広がり、小規模ながら「独立反対運動」が起こる椿事まで発生する
米ダグウェル大統領、日本政府の決定を歓迎
日本、国際連盟に再加盟。国際社会に復帰
ドイツ、無制限潜水艦戦を再開。新型UボートXXI型の投入により輸送船団に大損害
米東海岸近海北大西洋上にて、日本輸送船「報国丸」撃沈。生存者わずか3名(報国丸事件)
ドイツUボートの所業と判明し、日本の対独態度の硬化がはじまる
10月、日米講和交渉開始。「勝利」の表現において米軍と米政府の間に激しい温度差があり内容は紛糾する。日本のGDP、米軍本土上陸前の50%程度にまで回復
ソ連政府より日本海軍残存艦艇買い取りの依頼があるも、日本本土決戦前の経緯を考え日本政府は謝絶
米英との協議を経て船舶輸出を承認。ただし軍用艦船(シップ)含むとする舟艇や砕氷船を想定した表現がのちに大きな意味を持つことになる
連合軍、ギリシャよりユーゴスラビア解放作戦「バシレイオス作戦」開始。しかし有力なドイツ機甲部隊に阻まれサラエヴォ付近にて戦線停滞
11月、吉田内閣改造。大政翼賛会が解散され、政党復活。帝国議会内に本土決戦までの経緯およびその内容についての反省と調査を行う「戦争調査会」が常設機関として設置
国軍省を新潟市から東京都内の市ヶ谷仮庁舎に移転 「防衛省」に改組(Department of War→Ministry of Defence)勅令により大臣は文民のみと限定される
大本営陸海軍部解散。戦争指導委員会および形式上残存していた海軍軍令部・陸軍参謀本部も消滅する
山本五十六国軍統合幕僚会議議長「帝国陸海軍解散の辞」発表
12月、ソ連軍、ドイツ中央軍集団前面に対し大攻勢「バグラチオン作戦」を開始。新型戦車T-3(史実のIS-3)を大量投入し、日本から極秘裏に輸入した艦上攻撃機「流星」、「轟電」(皮肉にも元ドイツのジェット戦闘機)数百機を投入
「戦龍」(キ74改)による初のドイツ本土東部戦略爆撃開始
米空軍、新型爆撃機B-36を投入しフランスおよびドイツ本土戦略爆撃を開始
政治的理由によりメッサーシュミット教授やホルテン兄弟らを投獄していたドイツ政府および軍は飽和攻撃に対抗し切れず各所で突破を許しドイツ本土に大被害
559:ひゅうが:2025/03/15(土) 02:53:30 HOST:FL1-27-127-13-252.okn.mesh.ad.jp
【1947年】
1月、ドイツ中央軍集団南部と南方軍集団(ルーマニア方面との結節点)をソ連軍のスチームローラーが突破。ルーマニア油田か中央軍集団かを迷ったドイツ軍首脳は中央軍集団による防戦を選択
南方軍集団は孤立し北イタリアから進撃してきた連合軍に包囲殲滅される(~3月)
スヴァールバル条約にのっとり北大西洋バレンツ海で操業していた日本の大型漁船「第13斗南丸」ならびに「第9栄光丸」ドイツUボートにより撃沈。生存者に対する機銃掃射を多くの住人が目撃し、艦砲射撃を受ける。「スヴァールバル事件」
日本の世論は激昂するも、日本政府はドイツ政府に確認を依頼。しかし大攻勢下にあるドイツはこれを黙殺。期限内に回答なしとして日本政府はソ連に対し日ソ友好善隣条約秘密条項に基づき「対ドイツ共同交戦国」を宣言。宣戦布告なき対ドイツ戦争に突入する
(1941年の独ソ間の調停において、「三国が互いにどちらか1国から攻撃を受けた場合、もう1国がもう1国に対して宣戦布告をする義務がある」とされた。このためヒトラーはスターリン暗殺を狙った)
2月、スウェーデンストックホルムにてドイツ代表と連合国間の第二次休戦交渉。東部領土に拘るベック元帥(上級大将より昇進)の現状認識の甘さに加えて、極めて強い反ユダヤ主義的性向につきドイツ代表はユダヤ人虐殺への謝罪および没収財産返還を拒否する
米国世論は激昂し、強引に予定を前倒ししたフランス解放作戦を決定
チャーチル首相の反対を押し切り、ブラッドレー大将率いる米軍および自由フランス軍主体の作戦として実施が決定
3月、ドイツ南方軍集団壊滅。連合軍が進撃を急いだ結果残存部隊は山岳地帯にてゲリラ化し、戦後バルカン半島の治安悪化要因となり続ける。
米軍単独によるノルマンディー上陸作戦が実施されるも、史実の5倍の量の地雷と秘匿されていた防御陣地に加えこれを察知していたエルヴィン・ロンメル元帥(左遷中)が再編中の予備軍集団を用いてノルマンディー海岸に突進。日本本土決戦の戦訓から射界を大きく広げていた「大西洋の壁」からの艦砲クラス(H級戦艦用主砲および製造されるも役に立たなかった80センチ列車砲などを転用)及びケッセルリンク元帥率いるドイツ空軍航空艦隊総出撃により、自由フランス海軍を組み込んでまでしても戦艦火力が不足していた米軍および上陸していた自由フランス軍団が壊滅
「ノルマンディーの悲劇」。シャルル・ド・ゴール将軍およびフィリップ・ルクレール将軍戦死。自由フランス政府崩壊
死傷者約6万名
560:ひゅうが:2025/03/15(土) 02:54:15 HOST:FL1-27-127-13-252.okn.mesh.ad.jp
4月、ソ連軍、ドイツ中央軍集団正面を突破。大攻勢作戦「スチームローラー作戦」開始
米英連合軍、南部フランス上陸作戦「デンプシーロール作戦」開始
日本海軍より共同交戦国として派遣された重巡洋艦「高雄」「愛宕」艦砲射撃に参加
予定を前倒しして強引に就役したばかりの「モンタナ」「オハイオ」による援護と、ノルマンディー直後に実施された奇襲効果が絶大であったために作戦は大成功。殴打事件による更迭から復帰したジョージ・パットン大将および陸軍参謀総長アイゼンハワー元帥直率部隊がパリへ向かって突進を開始する
5月、日本国憲法施行。帝国議会は国会に改称。第1回衆議院議員選挙により自由党・民主党・社会民主党の三党連立政権が誕生。第二次吉田茂内閣発足
日米講和条約締結。休戦条約付帯文書に基づき、日本は海軍力の大幅な削減を実施する。しかし米軍の強硬な主張により「第2次世界大戦終戦までは九州地域は暫定的にこのままとする」ことが容れられ、あわせて「九州ならびに奄美諸島における日本国の潜在的主権」「ドイツ降伏後の返還」が確認文書として明記される
2日、ドイツ中央軍集団正面戦線崩壊。日本から供給された大量の舟艇を用いた機動によりオーデル川を渡河しベルリン包囲が開始される。ソ連軍部隊は北ドイツ平原を西へ突進
18日、大統領フリッチェらは最後の抵抗を呼びかけベルリンから脱出するもドイツ国民には移転の事実を知らせず。べリリンはドイツの国民突撃軍120万が立てこもり重包囲下に
26日、ソ連、クルチャルトフ教授率いるグループがカザフスタンにおいて人類史上初の核実験に成功。プルトニウム型の製造は間に合わず、完成していたウラン型3発を大威力化改修し急遽ドイツに投下することに決定。
30日、本国との連絡途絶に伴いエルヴィン・ロンメル元帥率いる西部軍集団が連合軍に降伏。連合軍はライン川を目指して進撃
6月、4日、ソ連軍によるベルリンに対する降伏勧告を司令官フォン・シュテュルプナーゲルは明確に拒絶。48時間の猶予を与えられるもこれを無視
6日、日本から貸与された超大型戦略爆撃機「富嶽」(ソ連名ペルーン)がベルリン上空からウラニウム型強化原子爆弾「グローズヌイ(雷帝)1型」を投下。180キロトンの威力によりベルリン中心部は蒸発。
9日、キール軍港に原爆投下
12日、ケルン市に対し原爆投下。ソ連軍、ライン河畔に到達
15日、ドイツ中央軍集団残存部隊が投降。ソ連軍、ザールラントに到達
同日、米英連合軍、ライン河畔に到達(ラインの誓い)
16日、ウィーンにソ連軍進駐(無防備都市宣言中)
以後、ドイツ各所を捜索するも、フリッチェ大統領をはじめとするドイツ中央政府幹部は発見できず
18日、ソ連軍、大西洋に到達。デンマークへ進駐を開始
7月、1日、ソ連、ドイツにおける中央政府の不在を宣言(ベルリン宣言)
5日、英米連合軍、ドイツ・スイス国境地帯にてアルベルト・シュペーアを発見、捕縛。彼によればベルリン原爆投下前にフレンスブルク海軍基地に移転していたドイツ政府首脳陣は、キール軍港に対する原爆投下を機にちりじりになり脱出したという
北欧におけるドイツ軍残存部隊降伏
7日、第二次世界大戦終結宣言(V-G Day)。各国はこのときばかりは戦争の終わりを歓喜をもって迎えた
この時点においてソ連軍はポーランド・ザールラントを含むドイツ全土・ウィーンを含むオーストリア西半分、ルーマニア北半分、ハンガリー北半分を占領
ベネルクス諸国を含めた残りの部分を米英連合軍が占領していた(自由フランス政府首脳陣壊滅により、フランス臨時政府設立は難航中)
同日、 ???「まただよ。またこのパターンかよ!!」×多数
【鉄槌世界戦後史につづく】
561:ひゅうが:2025/03/15(土) 02:55:17 HOST:FL1-27-127-13-252.okn.mesh.ad.jp
以上になります。拙著とともに、掲載は自由です
最終更新:2025年06月11日 21:10