655:ひゅうが:2025/03/15(土) 21:30:15 HOST:FL1-27-127-13-252.okn.mesh.ad.jp



  ――鉄槌世界戦後史ネタSS 「ある会話 1944年」


「妙だとは思ったんですよ」

二人の男が向かい合って座っていた
快適なソファー
テーブルの上にはサモワールではなくティーポットが置いてあり、かぐわしいダージリンティーの香りが二人のカップから立ち上っている

「どこでばれたのかな?」

「これですよ。『史実』のあなたはウクライナ生まれだ。だのに、あなたはこの――」

男は傍らを見た。イチゴジャムがとりわけられて小皿に分けて置いてある

「ジャムを紅茶に溶かさないでティースプーンごと、舐める。それはロシア式だ」

「ほ、ほう。」

目の前の禿頭の男は笑った

「それじゃあ少し弱いな。ユーリィ・ウラージーミロヴィチ。これでもモスクワで幹部をやって長いんだ。習慣くらい簡単に変わるものはないぞ」

「それに奥方のことだ」

向かい合った男、ユーリ・アンドロポフはニヤっと笑って言った
対面している男の顔がきょとんとなる

「史実のあなたは、まぁベッドの上では奔放でしてね。今の頃には既に秘書の女性と懇意になされていた。また、ピアニストの某女史にも関係を迫って拒絶されたら怒り狂っている
だのに、あなたは、愛妻家だ。よく知られている通り、あなたたちはおしどり夫婦で知られている
うらやましい限りです。今生の同じ時期に生まれて、巡り合われるとは」

アンドロポフは肩をすくめてみせた

「ふむ。一理ある。だが少し足りんな」

「その言葉ですよ。ニキータ・セルゲーエヴィチ。本来のあなたは、極めて粗野だしカっとなりやすい。
うまく演技されたものです。あのスターリンの前で、あなたは完璧なウクライナ生まれの農民だった
とても、こんな知的で、さらに『農業政策に極めて詳しい』方には見えなかった」

ニキータ・フルシチョフはふっと息を吐いてソファーに背中を許した

「君は、ずいぶん若々しくなったようだな」

今度はアンドロポフが驚く番だった

「覚えているかな?私は君に会っているのだよ。1977年。モスクワを訪れた時に。もうあなたの晩年だがね。『大統領閣下』」

「参ったな」

アンドロポフは頭を掻いた

「今度はそちらが種明かしをされる番ですよ?『大統領閣下』」

「懐かしい響きだな。あのあと私は21世紀になって20年以上を生きたのだよ。だから分かるのさ」

656:ひゅうが:2025/03/15(土) 21:31:06 HOST:FL1-27-127-13-252.okn.mesh.ad.jp

今度はにこにことフルシチョフが笑う番だった
人好きのする笑みだった

「目さ。私はいささか東洋の島国の日本人たちと縁があってね。彼らは『目は口ほどにものを言う』という。そして、君の目は、あのときの『貴方』のそれにそっくりだったのだ」

「それはまた。そんなにギラギラしていますか?私」

「少なくとも、多民族の平等を標榜するわがソヴィエト連邦の理想に関しては、だな
気付いていないのは君だけだぞ。だから、君が『史実』よりもだいぶ早くソ連共産党に入党したときから気にかけていたのだ」

「確かに、史実の私は高等学校卒業が最終学歴。しかし今生ではきちんと大学を出させていただきましたからね。奨学金を使って。こればかりは前世の勉強に感謝していますよ」

アンドロポフも笑った

「さて。どうするね?君の祖国はその――君が死んでからいろいろと大変なことになったのだが」

「もともと無理があったのです。あの国を続けていくのは」

懺悔するかのようにアンドロポフが両手を胸の前で組んだ

「『七つの国境、六つの共和国、五つの民族、四つの言語、三つの宗教、二つの文字、一つの国家』。私は統合に腐心しましたが、もう晩年にはほころびが見え始めていた
何より――」

「後継者が足りない」

「その通りです。後継者の教育に手を入れられなかったのは大失策でした。言い訳をさせてもらえば、戦中のパルチザン活動で私の身体はもうボロボロ
とても、そんなことができる余裕はなかった」

「それについては私も同じようなものだよ」

一転してフルシチョフが苦い顔になった

「ボロボロの国内、経済的自滅、そして身内のクーデター計画すら察知できずに国を滅ぼした
しかも、その後は理想主義者が堕落していくところを、そして――」

657:ひゅうが:2025/03/15(土) 21:32:10 HOST:FL1-27-127-13-252.okn.mesh.ad.jp

憎しみを抑えきれないかのような口調で彼はいった

「あの男が、第二のスターリンが生まれて、世界が帝国主義に逆戻りする瞬間まで見る羽目になった
信じられるかね?『ロシアがウクライナを征服しようとし、民族浄化の意思を隠そうとしない』などという狂った世界を!」

これにはアンドロポフも目を見開いた

「英雄が豚に成り下がるのを見るのは耐えられる。だが、愛した祖国がそこまで堕ちる
そして一部のものたちがソヴィエトの遺産と国民を食い荒らす
そうはさせるか!!」

フルシチョフは獅子吼した

「そういうわけだぞ。ユーリィ。君には私の死後も働いてもらわねばならん
あのアメリカ人どものようにインディアンを居留地に追いやったり、中国人のようにナチスがやったことの真似事をウイグルでさせるようなこともなく、な」

「もとよりそのつもりですよ。閣下。わが祖国は、今生でもアメリカ人どもの玩具にされたようですから」

二人の男は立ち上がった

「では、幸運を。ソヴィエト社会主義共和国連邦大統領ミハイル・セルゲーエヴィチ・ゴルバチョフ閣下」

「君もな。ユーゴスラビア連邦共和国大統領ヨシップ・ブロズ・チトー閣下」

658:ひゅうが:2025/03/15(土) 21:34:12 HOST:FL1-27-127-13-252.okn.mesh.ad.jp
【あとがき】――はい、というわけでネタバラシでしたw
1944年、日本本土決戦が佳境を迎えつつある12月、黒海沿岸の保養地ヤルタでの出来事であります

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最終更新:2025年06月11日 21:16