810:新人艦長:2025/02/14(金) 19:50:49 HOST:KD106133117230.au-net.ne.jp
日本海軍艦載核攻撃機史或いは日本海軍艦載攻撃機史

艦載核攻撃機、それはまさに歴史の徒花であった。
日本を除いて。

1953年に一応集結した朝鮮戦争において、日本海軍は八面六臂の活躍をした。
輸送船の護衛から対地支援に通商破壊、そして艦隊決戦などなど多岐に渡る活躍はまさに極東の頼れる艦隊であった。
特に信濃以下の3隻の空母は常時一隻が朝鮮半島沖に展開し続けることで北朝鮮とソ連海軍を圧迫し続けた。

彼らの艦載機は戦闘機はF4U、攻撃機はA-1とシンプルであった。
しかしどちらもレシプロ機であり、休戦後の海軍の最大の目標はジェット化だった。
そのため1954年のアイゼンハワー訪日時に締結された第一次国防力整備計画の一環として導入された各種ジェット機(戦闘機はF-86とフューリー、爆撃機にB-57、輸送機にC-117など)の中に「初代」艦載核攻撃機がいた。

その名はAJ-2サヴェージ。
ノースアメリカン社が開発した大型艦上核攻撃機。
二基のレシプロエンジンと1基のジェットエンジンを核とした核攻撃機である。
1955年には配備が開始され、主に日本海側や北海道方面に配備。この機体のために信濃が改修された1957年以降、信濃での運用が開始された。
国民向けにもサヴェージは広く公開され、当時国防海軍最大の攻撃機という肩書きと独特のシルエットは人気を呼んだ。
しかし、サヴェージの陳腐化は早く、すぐに核攻撃機としての任務には性能不足であると判断されるようになった。
さらにA-1のA-4への更新が始まると燃料の異なるレシプロ機の本機は厄介者化し始めるようになった。

サヴェージが核攻撃機として信濃で運用され始めた1957年、日本は新型爆撃機の導入を決定した。
その機はダグラスA3Dスカイウォーリア。
スカイウォーリアの導入はただサヴェージを置き換えるだけではなく、空軍の爆撃機B-26とB-57の更新という目的もあった。
そのため日本の発注機数は合計で130機という当時戦闘機に次ぐ発注機数であった。
そしてスカイウォーリアは大活躍した。
サヴェージよりも扱いやすく拡張性の高い機体は数多の任務に使用された。
最終的に総導入数は203にも及んだ。
スカイウォーリアは信濃の艦載核攻撃機だけでなく、北朝鮮や樺太などへの強行偵察、対地攻撃、カンボジア紛争などでの実戦、朝鮮半島のDMZ紛争、ポプラ事件などなど退役する1989年まで陸上海上から発進可能な軽爆撃機として長く愛用された。
特筆すべきは第十雄洋丸事件にて空母信濃所属機が出撃、漂流するタンカー第十雄洋丸を爆撃し、対艦爆弾を命中させ残っていたナフサを炎上させ事件解決に一役買った。
またそのスタイリッシュな見た目と30年近い運用期間は多くの航空ファンを魅了し、退役時には記念塗装で送り出されるほどだった。
そして専用の核攻撃機としてはスカイウォーリアが最後の機体だった。

811:新人艦長:2025/02/14(金) 19:51:43 HOST:KD106133117230.au-net.ne.jp
1960年代に入ると核兵器の小型化とそれを運用可能なA-4の導入によってスカイウォーリアは全機通常の対地攻撃任務などに回されるようになった。
こうして専門の艦載核攻撃機は海軍から消え、A-4の核攻撃機型であるA-4J-2スカイホークがその後F/A-18に更新される1980年代まで使用された。

A-4は艦載核攻撃能力を有したJ-2型と数的主力の核攻撃能力をオミットしたJ-1型が基本的に運用されていた。
A-4Jは基本的にA-4F型をベースとしていたが視界向上のための新型キャノピーの採用、高出力エンジンの搭載、大型アビオニクスパックの搭載などA-4Mとの合いの子のような機体になっていた。
A-4Jは小柄な機体と高い運動性と扱いやすさ、操縦性の高さなどから大変好評であり、艦載練習機型としてA-4JベースのTA-4Jも採用するなど最終的にアメリカからの輸入で50機以上、ノックダウンとライセンス生産型(通称-3型)258機が日本向けに製造され、さらに台湾、フィリピン、シンガポール、インドネシア、イスラエルなど向けに400機製造された。
これらA-4Jは1980年代後半に全機A-4JSと呼ばれる機体に改修された。
A-4JSはエンジンの換装、アビオニクス更新、核装備の撤去、新型爆弾の運用装備の搭載などが行われた。
最終的にA-4は2005年に、TA-4Jは2012年に退役した。
それまでにA-4はカンボジア紛争、ソ連崩壊、極東危機に活躍し、その俊敏さを讃えられ、初代日本海軍アクロバットチームの運用機に選ばれた。

一方、1970年代後半、航空機の性能向上から現在の戦闘機と攻撃機を分けて運用する状態は古いと考えられるようになっていた。
そしてA-4は確かに優れた機体であり、パイロットからの評価も申し分ない機体であった。
しかし、亜音速機で、小柄すぎるため巨大な核爆弾を下げて敵空域に突撃して核攻撃するというのは対空ミサイルの進化から厳しいと考えられるようになった。
新型のB61は既にF-4などで運用可能であるというのをアメリカから知らされていた日本海軍は新型核攻撃機、ひいては新型戦闘攻撃機の採用検討を開始した。
そしてそこに三菱が現在マクドネル・ダグラスが開発中の新型艦上戦闘機の開発に関わるという話が飛びんできて、文字通り日本海軍は飛び乗った。
F-14の採用案も高すぎ、核攻撃能力がないと蹴り、文字通りこの新型機通称YF-18に全賭けするというギャンブルに出たのである。
マクドネル・ダグラスに当時日本海軍で使用されていたF-4全機計200機などの更新分累計250機以上を発注すると伝えて、その分日本側の要求を多分に盛り込んだ機体を発注。
運用能力を獲得し、米海軍で正式採用され、F/A-18と名付けられると日本海軍も導入を開始した。
最初の機体は1983年に導入、最終的に489機が導入された。
戦後の軍縮の中でもA-4の更新機として粛々と導入されるだけでなくノックダウン、ライセンス生産や諸外国向けの生産も行われた。
この日本向けの機体はF/A-18Jと呼ばれ、A-4でも能力の有無で問題が発生したためB61運用能力をデフォルト採用する、BADGEシステム対応などが盛り込まれている。
F/A-18Jはソ連崩壊時には日本海軍の最新鋭機としてチタ政府軍と交戦。日本海や北方で老兵のF-4、空軍のF-15と共に制空戦闘に従事した。
その中で空中給油能力と優れた対地攻撃能力を活かし、日本本土を出撃したF/A-18隊とF-4隊がウラジオストク軍港と周辺の空軍基地を破壊する奇襲作戦を行い、出撃108機中損害7機で敵機100機以上に打撃を与え、敵艦8隻を撃沈する戦果を挙げている。
その後も長く空軍のF-15、支援戦闘機のF-2、海軍のF/A-18は戦闘機の三本柱として日本本土の空の守りを支えている。
2024年現在艦載核攻撃としても日本海軍の主力機としても現役であり、2000年代にはNG改修と呼ばれるアビオニクスやエンジン、フライバイワイヤ、兵装の更新作業が行われているが既に後継機としてF-35Cの導入が開始されて、2030年ごろまでの全面更新が予定されている。

812:新人艦長:2025/02/14(金) 19:54:18 HOST:KD106133117230.au-net.ne.jp
リハビリネタ。
艦載核攻撃機ってSLBMに葬られた珍兵器だけど、戦後夢幻会世界では信濃の核報復戦力として真面目に第一線張ってるんだから、ちゃんと書いてあげないとね。
B-66はめちゃくちゃ優秀な機体なので空軍でも引っ張りだこだろうしなんならカンボジア紛争にポプラ事件にと出番多数。
A-4も艦載練習機要りますよねって需要も。

あと誰かwiki転載お願いします…

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最終更新:2025年06月11日 21:32