311:奥羽人:2025/03/08(土) 12:13:14 HOST:M014009102000.v4.enabler.ne.jp
この世界の歴史は、ほとんど現実と同じものだった。
古代から近代に至るまで、日本は同じ道を歩み、20世紀に突入する。
そして第二次世界大戦の時代を迎えた頃になり、静かに変化し始めた。
それは、「未来の記憶」を持つ人間の出現。
彼らはある日、突然として自身の意識に未来の記憶が宿っていることに気づいた。
戦争の結末、その後の世界、技術の発展。
彼らはそれらを知っていた……いわゆる「逆行者」である。
各地で出現した逆行者達は互いの存在を察知し、やがて密かに集まり始めた。
そして彼らは、いつも通り、歴史を変えることを目的とした秘密組織「
夢幻会」を結成する。
夢幻会の中心となったのは、軍や政府の中枢に「憑依」した逆行者だった。
彼らは、未来の記憶を最大限に活用し、技術開発や戦略の改善に努めた。
しかし、いくら未来を知っていようとも、日本が圧倒的な国力差を覆して
アメリカに勝利することは現実的ではなかった。
彼らの能力は「未来を知っている」だけであり、特別な力や技術を持つわけではない。
世界の物理法則は変わらず、国力も変わらない。
知識があるとはいえ、戦争が始まってしまった段階に至っては、ここから小手先の対策で敗戦の歴史を変えることなど到底不可能だ。
それを理解している夢幻会メンバーは、一つの方針を打ち立てる。
「史実よりもマシな負け方をする」
無謀な戦闘を避け、少しでも被害を抑え、より良い形で終戦を迎える。
夢幻会は、帝国の運営に少しずつ影響を与えながら、未来を知る者としての限られた選択肢の中で、最善を尽くした。
やがて…………彼らの活動の成果として、帝国は無謀な本土決戦を回避し、アメリカに対して一定の抵抗を続けた末に、最終的には「条件付き降伏」を勝ち取ることに成功した。
現実世界よりもはるかに有利な形での終戦…………これこそが、夢幻会が目指した「マシな負け方」のひとつの到達点だった。
しかし、戦争が終わっただけでは、彼らの戦いは終わらない。
占領下において、夢幻会は戦後の日本の立ち位置を見据えた新たな計画を立案する。
史実での失敗を極力回避し、日本が「西側陣営のナンバー2」として確固たる地位を築く。
アメリカに追従することで安全を確保しつつも、独自の影響力を維持し、決してただの従属国にはならない。
これが夢幻会の基本方針だった。
その方針は、夢幻会内部でもおおよそ妥当な結論であるとの共通認識が形成されていた。
312:奥羽人:2025/03/08(土) 12:14:06 HOST:M014009102000.v4.enabler.ne.jp
だが、その流れに異議を唱える者たちがいた。
彼らは後に「25年組」と呼ばれることになる。
「25年組」の主張は単純だった。
『西側陣営の繁栄は一見すると盤石に見えるが、それは砂上の楼閣に過ぎない。いずれ崩壊することが不可避である以上、その時、日本が袋小路に陥らないためには、覇権国として世界を主導する立場になるしかない』
それは、これまでの夢幻会の路線とは根本的に異なる思想だった。
西側に寄り添いながら生き延びるのではなく、日本が「覇権国」そのもの…………つまり、アメリカすらも超えて世界を主導する存在にまで登り詰めるべきだとする主張だった。
この考え方は、夢幻会内でも大きな波紋を呼んだ。
夢幻会の中で、最も25年組と考え方が近い筈の「20年組」ですら、この主張には唖然とするしかなかった。
20年組までのメンバーは、日本の国力を冷静に分析し、西側陣営の一員としてしたたかに生きる道を模索していた。
しかし、25年組の考えは、それから考えれば徹底的に一線を画している。
彼らは「現実的な妥協」を拒絶し、日本が世界を支配する覇権国となる未来を追求するしか、日本が次の100年を生き残る術は無い、と断言する。
彼らの主張は、日本が国際協調を推進し、貿易や技術力、経済力を向上させても、それはあくまで『アメリカ』ありきの戦後秩序が安定している間の話に過ぎないというものであった。
西側諸国が掲げる価値観は、時が経ち風化すれば、その価値観はもはや絶対的なものではなくなり、国際秩序も揺らぎ始める。
その時、資源・人口・領土を持った大国が、自己の利益のために強権的な行動を取り始めるのは歴史の必然。
そうなれば、経済力や技術力だけでは状況を覆すことはできず、貿易が制限され、外交が軍事力を背景とした圧力に晒される時代が再び訪れる。
技術的な優位性も相手国がなりふり構わなければ容易く埋められる可能性が高い。
対して日本は、資源供給の停止や経済的制裁の前に脆弱な事実をどうすることもできない。
無から有を作ることは不可能なのだ。
いくら国際協調を訴えても、力によって現状がねじ曲げられる状況に対抗することはできない。
戦後秩序の延長線上に未来を築くという考えは、ただの幻想に過ぎなかったと彼らは主張した。
25年組は、100年以内に逆行者の知っていた国際秩序が変化し、武力と国力を持つ国家が好き勝手に振る舞う時代が再び訪れることを確信していた。
そして、その時、日本はただ従属するしかない立場に追い込まれるだろうと警鐘を鳴らす。
313:奥羽人:2025/03/08(土) 12:16:23 HOST:M014009102000.v4.enabler.ne.jp
そして、結論は明快だった…………日本が選択肢を持ち続けるためには、最終的に「覇権国」となるしかない。
未来の不確実性を看過することを危険視し、日本が主体的に世界のルールを決定できる立場に立つことこそが、最も確実な生存戦略であると主張した。
────そして、25年組に賛同する意見や人は徐々に増加していった。
果たして、「西側陣営のナンバー2」としての安定を選ぶのか…………それとも世界の覇権を目指すという、あまりに険しい道を進むのか。
夢幻会の中で、新たな波が起ころうとしていた。
『歴史を振り返れば、安定が永遠に続いた例など存在しない。
日本は江戸時代、鎖国という選択を取り、260年にわたる平和と繁栄を享受した。しかし、その安定は外の世界の変化を考慮しないものだった。
やがて欧州列強が産業革命を経て飛躍的な成長を遂げた時、日本は取り残され、その遅れを取り戻すために近代化を急ぎ、そして最終的に太平洋戦争へと突き進むことになった。
当時の幕府は、自らが築いた秩序が続くものと漠然と考えていた。
しかし、外の世界は止まることなく変化し、日本の価値観も制度も、時代の流れの中で通用しなくなっていた。
価値観とは本質的に、その時代に適合しているからこそ機能するものに過ぎない。
史実戦後の日本が築いた国際協調や経済発展もまた、戦後秩序が安定していたからこそ成り立っていたのであり、その秩序が崩れた時、それまでの価値観に縋りついても何の意味も持たない。
江戸時代の鎖国が欧州列強の発展を止められなかったように、日本がいくら経済力を高めようと、資源と人口を持つ大国がそのルールを無視し始めれば、どうしようもない時が必ず来る。
アメリカは強大であるが、所詮は強大なだけでしかない。
“彼らは神ではない”
…………それが崩れた時、取り得る選択肢は既に大幅に狭まっている。
自らの生存を他国の善意や制度の継続に委ねることは、あまりに脆弱で、あまりに危うい。
戦後の価値観が変わらない保証はない。
いや、むしろ変わることのほうが確実であり、ならばそれに備えるのは当然のことではないか』
314:奥羽人:2025/03/08(土) 12:17:38 HOST:M014009102000.v4.enabler.ne.jp
以上となります。転載大丈夫です。
これある意味時事ネタになるんですかね……
最終更新:2025年06月11日 21:46