194:ひゅうが:2025/03/19(水) 05:13:45 HOST:flh2-133-204-83-129.osk.mesh.ad.jp

 鉄槌世界戦後史ネタ


―――空技廠/ツポレフ 六式艦上攻撃機「景雲改二(R2Y3)」(ソ連名:Tu-91「ブイチョーク」)


全長:17.05メートル
全幅:15.0メートル
全高:4.5メートル
空虚重量:8919キログラム(8.919トン)
全備重量:15080キログラム(15.08トン)
主機:石川島播磨/クズネツォフ VT-2ターボプロップエンジン(8200軸馬力)×1
   (試作型は石川島播磨 ネ540ターボプロップエンジン(7200軸馬力)搭載)
   二重反転式十二枚(前後各6枚)プロペラ
最大速度:時速880キロメートル(高度5500メートル標準搭載時)
巡航速度:時速603キロメートル(同上)
実用上昇限度:1万1900メートル
武装:四式30ミリ機関砲改造×2(機首 各装弾数100発 のち撤去)
九九式20ミリ機関砲改七×2(翼内 各装弾数150発)
最大搭載量:爆弾ないし魚雷4.5トン(最大時) 2.5トン(機内収納)
      四式航空魚雷×2(機内収納時)ないし4(翼下ハードポイント搭載時)
      五式1.5トン爆弾(大和弾)×1
燃料搭載量:6200リットル(最大時 増加燃料タンク×2基搭載時)
航続距離:3200キロメートル(標準時 増加燃料タンク×2) 5200キロメートル(フェリー時)
装甲:コクピットに耐12.7ミリ装甲板(操縦席背面10ミリ 他8ミリジュラルミン装甲搭載)

乗員:2名


【解説】―――大日本帝国海軍が四式艦上攻撃機「流星」に続いて史上最後に開発した艦上攻撃機である
開戦時に艤装中で浦賀港にて奇襲攻撃を受け転覆沈没した「大鳳」型航空母艦用を用いた「中継空母」的に開発されていた巨大な機体である
しかし極めて皮肉なことにその名前から分かるように元来は陸上偵察機として開発されていたものを機体規模から艦上攻撃機に転用したものであった

1941年末のハル・ノート受諾により建艦計画を大幅に縮小した日本に対し、1943年頃からアメリカは圧力をかけはじめ、さらに太平洋上での艦隊戦力の戦力比は開戦時2対1にまで開くことになってしまっていた
当然、大日本帝国海軍もこれを座視はせず、陸上基地からの航空反復攻撃によって敵戦力を削っていくという航空決戦思想が芽生えていった
このために新型陸上攻撃機が開発されていたのであるが、欧州を見る限り双発機による肉薄雷撃は夜間はともかく昼間はあまりに危険であることが観戦武官からの報告で上がってきた
このため、量産が予定されていた陸上攻撃機「銀河」が宙に浮いたことの煽りを食らったのが、17試陸上偵察機構想であった
内部に液冷の双子エンジンを搭載してそこから機首に延長軸を伸ばし、時速740キロの高速をもって1万メートル以上の高高度から敵機動部隊を索敵するというこの構想が成立したところで、銀河や旧式化しはじめていた一式陸上攻撃機による攻撃が成立しなければ意味がなかったのである
そこで大日本帝国海軍は、保有していた空母機動部隊をいわば中継基地として陸上からの単発機の攻撃隊を誘導し敵艦隊に反復攻撃をかける「中継空母」構想を立てた
このために迅速な発艦を可能とすべく1941年に試作していたフライホイール式カタパルトについで蒸気カタパルトの試作を開始する
さらに、辛うじて建造を認められた海軍期待の装甲空母「大鳳」からの発艦を前提とした大型長距離偵察攻撃機としてこの17試陸偵を使おうとしたのである
なお、同時期に同じく陸上から長距離進出して敵艦隊の射程外から滑空式ロケット加速誘導爆弾を見舞うキ74構想はのちに四式偵察爆撃機「戦龍」に結実しているのが興味深い

195:ひゅうが:2025/03/19(水) 05:14:19 HOST:flh2-133-204-83-129.osk.mesh.ad.jp

カタパルトが間に合わなかった時のために機体翼下にロケット加速を行うハードポイント4つを装着したことと機体強度を大きく増大させたこと、ならびに海軍機としては珍しく強固な防弾板をコクピットのみとはいえ作ったことはのちに大きな意味を持つこととなった
こうして開発された本機は、試製「景雲」として1943年12月に初飛行するのだが、大きな問題が発生した
液冷機であることをいいことにラジェーターを上部に搭載した上で、胴体中央部の重心付近に搭載したエンジン2基で機首に向けて伸びた長さ4メートルもの延長軸を回すというコンセプト自体に無理があったのだ
延長軸についてはドイツから輸入した工作機械により何とか安定した可動ができた
しかし、双子エンジンのギアボックスおよび排熱に極めて重大な問題が発生していたのだった
英国から得た技術情報により順調に進捗していた蒸気カタパルト開発とは対照的に開発は暗礁に乗り上げようとしていた
と、ここで同じくドイツから輸入したばかりのジェットエンジンを搭載した双発偵察攻撃機化をしたらどうだろうという案が出る
本来ならば陸上攻撃機「銀河」を母体とするところだったが、当初から折り畳み翼を備えた設計だった「景雲」ならともかく20メートルもの全幅を有する上に両翼にエンジンがある「銀河」は大改修した上でも無理がある
これに対してそもそも機内にエンジンを内蔵する設計だった「景雲」はその位置に余裕をもって2発のジェットエンジンを収納することができていた
しかも、名古屋の三菱および東京の石川島播磨が共同開発していた国産のネ340の耐久テストが終了しつつあり、しかも三輪式車輪を備えた「景雲」には下部に魚雷を複数抱くか爆弾倉すらつけられる見込みが立ちつつあったのだ
さらに発艦促進用および緊急加速用にと設けた内翼ハードポイントに大型増加燃料タンクを設置すればジェットエンジンによる航続距離低下を補って余りある航続距離を実現できる見込みであった
このため、海軍はこれら改修を行った上で試作偵察攻撃機「景雲改」として運用する計画を立てることになった

196:ひゅうが:2025/03/19(水) 05:14:59 HOST:flh2-133-204-83-129.osk.mesh.ad.jp
機体が完成しようとしたまさにその時、1944年3月、米国の宣戦布告と開戦劈頭の奇襲攻撃が海軍を襲う
特に、カタパルト搭載工事のために浦賀港で最終艤装段階に入っていた「大鳳」が横転沈没してしまったことは致命的であった
機動部隊壊滅に伴い生き残った空母「飛龍」では、どうやってもカタパルト装着は困難だったからだ
しかしここで、またしても運命は本機に転機を与える
日本本土決戦を覚悟した帝国陸海軍としては完成間近の機体を遊ばせておく余裕などなく、最終決戦の一翼を担うべく機体の製造作業を続けることにしたのである
そして1944年11月、名古屋にて初飛行に成功した「景雲改」は良好な性能を発揮
さらに、慌てて改造したために残っていたプロペラ用延長軸部分を利用して、長砲身57ミリ機関砲を搭載した防空戦闘機としても使用できることが判明し、航空当局は驚喜した
加えて製造されたばかりの四式30ミリ機関砲すら機首に4門搭載すれば、日本本土を荒らしまわるB-29はおろか、登場が予測されていたB-36すら一撃で粉砕できる大型戦闘機が出現する
こうして、高高度長距離偵察爆撃機「戦龍」やジェット戦闘機「轟電」と並んで、敵艦隊攻撃の一翼を担うべく追加の製造が行われることになった本機だったが、運命は残酷だった
1944年12月7日、熊野灘沖を震源とする昭和東南海地震が発生
いわばあまりものとして製造された機体であったことから余剰生産能力を持つ会社を探し、製造分担をしていた名古屋の三菱飛行機工場が被災し、試作機および試作ラインに甚大な損害が発生したのである
結局、12月末の関東決戦には間に合わず、「景雲改」がやっと修復を終えた時には停戦合意が成立してしまっていたのである
このまま歴史の影に消えていくかに思われた本機だったが、またしても運命は「彼女」を流転させる
日本政府がソ連との共同歩調をとることとなり、本来なら消えていくはずだった搭載予定艦「大鳳」型に思いがけずソ連政府が興味を示したのである
停戦条件として海軍力の大幅制限を受け入れていた日本政府は、ソ連政府からの発注であると説得を行い、日本本土決戦の被害に呆然としている米国の黙認をとりつけると「大鳳」型の拡大改良発展型として計画されていた5万トン級空母「改大鳳」型の図面を流用
のちに装甲空母「ボストーク」となるソ連初の航空母艦の建造を開始することとなる
それに搭載する機体として、「景雲改」に白羽の矢が立ったのだ

当時活躍していた四式艦上攻撃機「流星」シリーズは、基本的に何でもこなせる万能機であったのだがただひとつ欠点があった
速度が遅いのである
日本本土決戦においてジェット機の威力を目の当たりにしていた各国は既にジェット艦載機の製造に乗り出しており、これを受ければ「流星改」あるいは「流星改二」ですら早晩役者不足になりバタバタと撃墜されることになりかねない
しかし、当時のジェット機では極端に燃費が悪いことから、防空はできても攻撃ができないという致命的な弱点が存在していたのだった

197:ひゅうが:2025/03/19(水) 05:15:33 HOST:flh2-133-204-83-129.osk.mesh.ad.jp

そこで日本政府が目をつけたのが「景雲改」だった
ハードポイント4つから航空用魚雷4本をぶら下げて敵空母を包み込むように攻撃してしまうという性能は検討に値するものだった
だが、ここでソ連政府から苦言が入った
彼らは欧州戦線で少数機がデビューしたMe262ジェット戦闘機の性能に注目
最大速度800キロメートル以上を求めたのである
それにはいささか「景雲改」の性能は不足していた
と、ここで再び技術の進歩が彼女を救う
焼け残った名古屋の三菱飛行機の工場の片隅で試作されていたターボプロップエンジンが良好な性能を見せたのだ
さらに、ソ連側からの技術提供と、ドイツが爆撃圏外のポーランドにて試作していた新型エンジンの実物が手に入るという僥倖までが発生
しかもこれが、のちに「富嶽改」の主機「クズネツォフNk-12ターボプロップエンジン」の原型機であったのである
最終的に軸馬力1万7000馬力にも達するこのエンジンは、当初8000馬力程度であったが、その力はまさに破格だった
さらに、「景雲改」はもともと「延長軸を回してプロペラを回す」機体である
備え付けられた57ミリ機関砲を撤去してこのエンジンを搭載してしまえば、ターボプロップ化は容易であった
さらに三輪式車輪かつ低翼構造のためにプロペラ直径を大きくとれることも幸いする
有り余る大馬力を存分に使うべく、空技廠は二重反転式の大直径プロペラに、さらに6枚羽根の当初の「景雲」用のものを二重化した12枚プロペラの高速回転という前代未聞の構造まで作ってみせた
のちの輸送機などではプロップファンといわれるさらに枚数の多いものがあるが、これを搭載したのは歴史上本機のみである
導入したエンジンのギアボックスの素性がよく、さらに2つのエンジンを同調させるという無茶をせずに済んだことから設計は大きく進展した

設計上機体上部に設置されたターボプロップエンジンは上部インテークから空気を取り込んで駆動し、側面から排気する構造をとる
さらに、空いたスペースには流星や一式陸上攻撃機用に作った爆弾倉を設置する
こうすることで、試作機は爆弾倉内に3本、のちに魚雷の大型化から2本の航空魚雷の搭載が可能となった
加えて、大和型戦艦用に作られつつも余剰となっていた46センチ砲弾を改造した「大和弾」を誘導爆弾化したものまでその有り余る巨体に搭載することが可能となった
また、4つもあったハードポイント2つに大型の燃料タンクを吊り下げれば、ターボプロップによる燃費向上もあって計画当初の航続距離すら満たしてさらに内側に魚雷ないし爆弾2発を搭載することまでができるといういいことずくめなことまでが分かったのである

198:ひゅうが:2025/03/19(水) 05:16:03 HOST:flh2-133-204-83-129.osk.mesh.ad.jp

ソ連海軍はもちろん驚喜した
同様のコンセプトでの艦載機開発を考えていたクズネツォフ海軍元帥は本機を見るなり採用を決定
同時に、これまた技術的熟成が図られていた艦載機用蒸気カタパルトは、本機の重量に見事に耐えた
かくして1946年3月、予定よりも2年遅れで「景雲改二」は本来の目的のために空に舞い上がった
まだ日本本土決戦の傷が深い日本ではなく、製造は主としてソ連側が担当することとなったものの日本側も本機を導入
以後、核攻撃を前提とした大型ジェット艦載機と交代するまでソ連海軍の貴重な牙として活躍することになった
また、日本側の機体は戦艦すら一撃轟沈可能という触れ込みで「大和弾」を搭載して日本本土近海を哨戒飛行
のちに量産された「富嶽改」に役目を譲るが、貴重な時間を日本列島や朝鮮半島上空で稼ぎ出すことができたのであった
「富嶽改」の独特の低速回転大直径プロペラの腹に響く低温と異なり、甲高いタービン音に合わさった別周波の二重反転プロペラの発する音は独特で、米軍機などではなく焼野原の空を飛ぶ本機だとすぐにわかったことから当時の航空少年たちや日本国民を大いに勇気づけた

ソ連機動部隊からの退役から70年以上が経過した2025年現在も日本ならびにソ連の航空博物館には本機がそれぞれ複数機動態保存され、その流麗な姿も相まって今も人々に愛されている

212:ひゅうが:2025/03/19(水) 12:19:42 HOST:flh2-133-204-83-129.osk.mesh.ad.jp
あと>>196の装甲空母「オリョール」は正しくは「ボストーク」級です
掲載時に修正願います
おのれオリョクル。またしても立ちはだかるか

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最終更新:2025年06月12日 20:41