815:弥次郎:2025/03/22(土) 19:10:33 HOST:softbank126075110124.bbtec.net
鉄槌世界支援ネタSS---Warship Strandingの向こうへ



 戦後まもなく、大日本帝国は復興を始めた。
 史実において世界におけるGDPの7割を占めていた大国相手に戦争をし、停戦という形にせよ勝利を得たのはまさに奇跡的。
失われたものは大きいが、米国が戯れに口に出していたような絶滅戦争などよりはだいぶだいぶマシな結末を得られたのだ。
荒れ地を眺めていてもどうにもならない。必死に耕し、種をまき、水を与え、自ら恵みを勝ち取らねばならないのである。

 いくつもの幸運もあった。
 国費に関しては、「国家が行った史上最大規模の詐欺行為」とまで言われた、戦前を含む仕込みにより何とかなっていた。
 史実で夢想された、大日本帝国の解体どころか文明浄化の如き政策が取りやめになっていた。
 さらに米国のドルを基軸とした経済圏構築に横やりが入る形で経済の均衡が維持できた---あるいは恣意的な比重の不均衡が生じなかった。

 だが、幸運だけでは問題は解決しない。
 帝国の復興に際し、必要なのはモノである。
 資源であったり、食糧であったりと様々だが、兎にも角にも戦争に投げ打って消費した分にプラスして、復興を行うだけのモノが必要だった。
戦災復興院や政府及び内閣などが画策した計画においては、平時とは比較にならないモノが調達する必要があったのだ。
単に復興するだけでなく、帝都を含む戦災地域一帯を根本的に立て直すという帝都復興計画は、なるほどこの時にしかできないものであった。
大ロンドン計画やヒトラーの夢想したゲルマニア計画などを超えるものはタイミングも重要であった。
それが絵に描いた餅に終わらないようにするためには、やはりモノがいるというのも事実。

 これに対し、アメリカは公表されていた範疇の復興計画に目を通したうえで、必要となる鉄などの資源を絞った。
 分かりやすく言えば、販売する鋼鉄の価格を、だいぶ足元を見た価格で提示したのだ。
 これを行った理由が、前述した市場介入による黒字を削るためというのは、誰の目にも明らかであった。
 アメリカが半ば片棒を担いでしまったという事実からして、どうにか肘中を加えたいという欲望が働いたのである。
ジョージ・C・マーシャルが弾劾されたことも相まって、日本人に分かりやすく言えばアメリカは泥を塗られたと捉えたのである。
ここまでくるといっそ清々しささえも感じるのだから、アメリカは実に単純と言えた。

816:弥次郎:2025/03/22(土) 19:11:26 HOST:softbank126075110124.bbtec.net

 さて、帝都復興計画において必要となる鉄---それも、巨大な建築物に使うことが可能で、長期間保つような良質な鋼鉄をどこで調達するか?
その答えは、案外目の前に転がっているものである---物理的に。具体的には帝都からほど近い相模湾や九十九里浜に。
そう、戦時において大量に発生した艦艇たちの残骸である。

 史実に限らないが、幾多の艦艇が役目を終えて解体され、資材となることで貢献したことからうかがえるように、艦艇は良質な鉄を使う。
良質な鋼鉄を生産し、加工し、艦艇として運用できるようにするか---殊更に戦略兵器たる戦艦を運用できるかは文字通り死活事項。
国家の力量や実力が如実に表れることになるのが、戦略兵器たる戦艦であったのだ。

 そんな良質な鉄をいつまでも放っておくわけがなかった。
 1gでも鋼鉄は必要であり、その為には多くのことが許容されるのが戦災復興なのだ。
端緒でもいいから鋼鉄を獲得し、復興計画を進めることができれば、はずみはつく。
 斯くして、政府と軍主導の元で、艦艇の再利用計画がスタートすることとなった。

 さて、艦艇の接収にあたっては、多くの準備が必要であった。
 船舶とは、兵器であると同時に人が一時でも住まう場所。故にこそ、そこには大量の遺品があり、あるいは死体などもあった。
如何に敵国の艦艇なども混じっているとはいえ、粗雑に扱うなど許されようがない。
彼ら彼女らは、目的や心情などはどうあれ、雄々しく戦い、結果として倒れたのである。
紙一重で生き残ったからと言って、徒に辱めるなど、矜持が許さないのだ。

 よって、徹底した調査が行われることになった。
 一度形を失えば二度とは戻らないものであるからして、記録を残さねばならない。
この方針に基づいて、外観はもちろんのこと、内部の調査は徹底して行われることになった。
内部の写真および映像の撮影は序の口。アメリカに返還するための遺留品の回収と記録は当然実施。
また、鋼鉄のものすべてが資材に変えられたわけではなく、砲塔や錨や舵輪や軍旗といった部品の一部は取り外して保管され、のちに返還された。
それらの作業は派手なものではなく、むしろ粛々とした儀式であった。
 悪く言えば奪うためであったが、同時に、艦艇やそれを動かしていた船員たちを弔うための手順を踏んでいたのだ。
つまり、葬送の儀式。戦いを終えた艦艇たちのデス・ストランディングを片付ける、厳粛な場。
慰霊碑が建てられ、事の経緯なども仔細に刻まれ、後々の世まで残されることになるなど、海の上の鉄城を弔っていたのだ。
特に大きく著名な慰霊碑は相模湾を望む三浦半島は相州三浦総鎮守海南神社があげられるだろう。

 知日派であるライシャワー博士、あるいはジョセフ・グルーなどはこれらを見届け、あるいは祖国へと報告した。
 しかして、これらが肯定的に受け入れられるとは限らなかった。
 文明的なところもあるという評価の声もあったが、悪意を以て受け取られ、日本を攻撃する材料として一部の人間に論われるケースが多かったのだ。
日本はアメリカ軍人を辱めた、という言いがかりに始まり、腐肉や死体に群がる動物とまで貶す声が出たのである。
風刺画で、日本人の特徴を持つ猿が人骨などで出来た家で生活している、というのも出るくらいには。
 アメリカは失念していた。そういった行動や言動が、果たして他国から、他者からどのような目を向けられるのかを。
一部の人間が言い出したことでも、大きくなればそれは国家としての意思表示と受け取られることを。
 アメリカは、あまりにも知らな過ぎたのだ。
 ニューク・フリークやベイビー・キラーなどと呼ばれるのは、そういった過去の行いがついて回った結果であることも、知らなかったのだ。

817:弥次郎:2025/03/22(土) 19:11:56 HOST:softbank126075110124.bbtec.net

以上、wiki転載はご自由に。
勢いだけで書きましたので、ちょっと雑なところがあるのはご容赦を。

821:弥次郎:2025/03/22(土) 19:21:02 HOST:softbank126075110124.bbtec.net
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ここまでくるといっそ清々しささえも感じるのだから、


ここまでくるといっそ清々しささえも感じるのだから、アメリカは実に単純と言えた。

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最終更新:2025年06月12日 21:00