443:ひゅうが:2025/03/27(木) 23:11:25 HOST:flh2-133-204-83-129.osk.mesh.ad.jp

 鉄槌世界戦後史ネタ



 ――全国総合開発計画(第一次:1946―1965)


大日本帝国および日本国が実行に移した国土復興20年計画の名前である
その後、期間を15年に短縮しつつ5次にわたって実施され、2025年現在も続く超長期インフラ整備計画となった
主権国家連邦が共有している5か年計画が社会主義市場経済導入後に同様の性格をとっていくようになったのに対してこちらは当初からインフラの整備に重点が置かれている

1945年、日本本土決戦に勝利した大日本帝国だが代償は甚大だった
九州の4分の3が「暫定的」に占領下に置かれ、九州の基地群から発進した戦略爆撃隊により西日本から関東にかけての都市群はそろって壊滅状態(※同地域の都市の焼失面積は市域の89%にも及んでいた。これは史実の都市域の55%焼失のほぼ2倍である)
とどめに、東海地方から関東南部は昭和東南海地震の影響により各所で鉄道網も寸断される事態を生んでいた
ことに米中型爆撃機や戦闘機群による攻撃目標が東海道本線をはじめとする鉄道網に集中したことから鉄道マンの犠牲が相次ぎ、残った北日本ですら深刻な人員不足に起因する事故が多発したくらいである(※ 史実の日本では鉄道は戦略爆撃の主目標とされていない。だが史実ドイツ同様に中型爆撃機や戦闘爆撃機が運用できるようになるとこれが主目標とされた。「戦死」1万名超)
しかし、米軍による攻撃は関東以北に対しては限定的であった
工業力の中枢が関東以南であるという誤った判断を下された結果、東北と北海道はほぼ無傷で残る結果となったのである(※ 原作中では既存の日本の工業設備はほぼこの地域に移転済みである。ここでは、新潟および栃木を九州およびマリアナ諸島からの戦略爆撃および攻撃北限と考えた)
このため、日本列島の工業力の中心はしばらくは東北および北海道に移ることとなった
だがこれはある種の救いでもあった
粗鋼生産能力が室蘭を中心とした北海道に温存されたこと、そして日本本土決戦に大量投入されたコンクリート(ベトン)の素材である石灰岩は日本国内での自給自足が可能だったからだ
単純にいえば、鉄鋼の素材さえ確保できるなら、既に復興の材料は整っていたのである
(※ 史実日本は占領下だったことから海外からの輸出入も含めて工業の再始動が極めて遅れていた。さらに1ドル360円の超円安固定相場制は物資輸入を一時的に困難ならしめていた。この農業国日本を目指したGHQの規制が解除されたきっかけが朝鮮戦争だったのである。それまでは国家予算の半分以上が占領軍へ支払う駐留経費という事実上の搾取が続いていた)
ここでさらに福音となったのが、満洲およびソ連から差し伸べられた手だった
満州国皇帝溥儀の意思も手伝い朝鮮半島北部から満洲にかけてかつての日本人が建設していた工業設備がフル稼働し、大量の粗鋼を供給された
さらにはソ連からは不足していた食料が大量に援助されたのだ。スターリンの気まぐれといえばそれまでだが(実際、彼は日本領にとどまっていた南樺太の租借などを提案している)当時の日本にとっては福音以外の何物でもなかった
日本においてパン食が広まったのは実にこの時の大量の援助物資が由来である
(※ 史実と異なり独ソ開戦が遅れているため、5年前の開戦危機の際の一時の混乱を脱したウクライナやヨーロッパ・ロシア地域はこの年豊作であった。さらには関係が悪化しはじめていたアメリカやドイツ向けの輸出、ただし飢餓輸出でなく通常輸出用の穀物がだぶつき始めており、これが日本向けに振り分けられたのである)
さらには、この時の日本政府の財政は、国家主導の国際金融市場を利用した大博打により大幅な黒字を確保していた
つまりは、金ならある
加えて言うなら、日本本土決戦参加者たちは、半年程度で行われた日本史上空前の大土木工事の経験者たちである
既に施工経験があるのだ
こうして、誰も知らないうちに日本の復興の槌音の準備は整っていた
いや、知っていた者たちもいた
のちに日本国総合研究機関、略して総研といわれる大日本帝国の首相直轄の諮問機関、総力戦研究所の後継者たちである
1970年代にようやくからくりに気付かれた金本位制を逆用した戦時下における国際仕手戦を考えるに、どうもこの機関の発案者は幣原喜重郎をはじめとする日英同盟破棄派の外務官僚であったとも、あるいは大蔵省における高橋派こと高橋是清に代表される財政拡大派であったともいわれているが本当のところは2025年現在まだ研究が待たれる段階である
ともあれ、1945年、集った中央官僚集団のうち中堅派(革新官僚たちのうち既存の陸軍統制派に阿った主流派への反対者たち、いわゆる新新新官僚)や政党の若手たち、そして陸海軍の佐官クラスや一部将帥らはこの流れに乗って日本の復興を加速――否、暴走させる決断を下すことになったのであった

444:ひゅうが:2025/03/27(木) 23:12:15 HOST:flh2-133-204-83-129.osk.mesh.ad.jp

首相ではあったが経済に関しては素人未満であった吉田茂を抱き込むと、彼らは復興計画に積極的に介入していった
「復旧ではなく復興なら、以前より栄えなければ意味がない」という名目で
東京都長官(※ 東京都が「都」たる所以は、その長たる「都長官」が内閣総理大臣直轄の閣僚クラスであり内務省による任免を経ていないという一点による。のちの地方自治法施行により都長官は地方総監以上の、政府直轄の地方首長の唯一の例となった)直属の「都市計画部」の長であった石川栄耀を筆頭に、彼ら総研、あるいは当時の名称をとって「夢幻会」と呼ばれた集団の結束は強かった
彼らは「東京区部の復興のみでは不完全、今こそ日本全体の復興を考えるべき」と強硬に主張し、これに満州国建国時の浪漫に満ちた記憶を刺激された革新官僚たちが転んだ結果としてついには1945年12月、企画院が改組され政府直轄の「戦災復興院」が設置されるに至った
彼らはいくつかの省庁を分割された内務省すら上回る権限が与えられ、翌年3月、「21世紀を見据えた国土のグランドデザイン」と称する文書を全国に発表するに至った

ここで注目すべきなのは「国土軸」といわれる構想が歴史にはじめて登場することである
日本列島の繁栄は、沿海部および内陸部にあった一本の二次元的な「軸」にしたがって工業設備をはじめとする社会資本(インフラストラクチャー)を集積したからという目新しい理論に基づいたこの提言は、「だからこそ日本は危機に瀕している」と語っていた
日本列島の中枢だった北九州から瀬戸内を経て大阪から名古屋を通り東海から帝都東京に至る部分を「太平洋ベルト」あるいは「西日本国土軸」としてこの部分の壊滅は日本経済から他の列強に対抗する力を奪った、とうたったのだ
そこで先の本土決戦における結果から、これを一挙に5本に増やして災害や戦時における冗長性を確保し、「どこを攻めても攻めづらい国土」を目指したのだ
これをうたった章の末尾の言葉をとって、これは「日本列島改造論」といわれることになる
このとき提唱された「国土軸」は以下の通りである

  • 西日本国土軸――北九州から瀬戸内を通り、大阪と名古屋を経て帝都東京へ至る軸。既存のいわゆる「太平洋ベルト」である
  • 太平洋新国土軸――台湾から沖縄を経て九州、四国、紀伊半島を経て伊勢湾沿岸に至る地域およびその周辺地域
  • 日本海新国土軸――九州北部から本州の日本海側を経て北海道日本海側から南樺太日本海側に至る地域およびその周辺地域
  • 北東新国土軸――中央高地から関東北部を経て、東北地方太平洋側から北海道太平洋側に至る地域およびその周辺地域
  • 南北新国土軸――南樺太オホーツク海側から北海道中央部を経て東北地方内陸部から帝都東京へ至り、伊豆・小笠原諸島を経て南洋諸島に至る地域およびその周辺地域

446:ひゅうが:2025/03/27(木) 23:13:11 HOST:flh2-133-204-83-129.osk.mesh.ad.jp

このうち太平洋新国土軸については南九州返還の遅延から「太平洋新国土軸(南)」と「太平洋新国土軸(北)」へと分割されているために受験生泣かせであるが、概ねこの概念は政府中枢に受け入れられることになった
これに加えて、地方総監府が設置されたことにより可能となった県境や市境をまたいだ総合開発の必要性もうたわれ、これらを新交通システム(のちの地面効果翼機)や広軌新幹線鉄道(のちの新幹線)、旅客航空輸送に加えて国民車を走らせる高速自動車道や既存国道網の拡張で結ぶという構想が提示されたとき、吉田茂首相は「こりゃ、本当に21世紀までかかるぞ…」と呟いたという
事実、その通りになる
この構想のため、日本政府は復興国債といわれる債権を大量に発行している
これは都市部の荒廃にかこつけてこれまで都市住民に馬鹿にされ続けていた地方農村が復讐として食料と引き換えに都市から富(着物や家伝の家宝、あるいは債権)を収奪していたことに対する対抗措置でもあり、実際この挙に及んで小金持ちになっていた農村の小作人たちは、以後の農地改革(※ 構想自体は大正時代以前からあったし、小作人からさらに収奪をしつつ自らは都会生活を謳歌する不在地主は戦前日本の大きな政治問題だった)に伴い自らの小作畑を数分の1の格安費用で国から買い取るか自ら田畑を処分して都会へ出る、あるいは設置された農業協同組合に加入しつつこれら富を復興の槌音を響かせた各企業に投資するといったことを行い、少数派の成功者と大多数の失敗者に分類されていた
賭博や投資というのは、胴元が一番儲かるものなのである
こうして強制的に国民の所有する富を平均化した日本国は、ソ連からの同盟国価格での資源供給に加えて中東において英国と組むことでその半分近い地域からの資源供給を実現した
ことに英連邦内のオーストラリアでは露骨な政治干渉を繰り返すアメリカへの対抗上許した投資が「マウントホエールバック」(鉄山)に代表される大成功を収めたのだから文句のつけようがなかった
こうして、1946年に最後の帝国議会で(半ばヤケクソ気味の議員たちによって)可決成立したこの計画は、当初の傾斜生産方式に賛否はわかれたものの1948年頃から進展した経済発展を大いに牽引することとなる
ことに、「国土軸」の都市として指定された全国238市町村に加えて中枢都市29、そしてそれらを結ぶ交通網の要地では、利益に目のくらんだ農民たちが一斉に政府になびき、あるいはそれに反対する者には代替地が提供されるにおよんでほとんど問題が発生しなかったのは特筆に値するだろう
後年、農村出身の都市住民が「あのときもう少し待っておけば」と総じて述べているが、古来からの記憶を持つ都市住民が白い目で見るというのはステレオタイプなコメディのシナリオとなっている
つまるところ、日本政府は全国民からの実質的な収奪を展開し、それ以上の富を国民にばらまいたことで不満を記憶の彼方に押しやることに成功したのである

447:ひゅうが:2025/03/27(木) 23:13:42 HOST:flh2-133-204-83-129.osk.mesh.ad.jp
対する米国も手をこまねいていたわけではない
復興を加速させようとする日本に対し、当て馬として中華民国に対する援助を強化し、既に工業化している満州国への資本進出を試みるものの、1980年頃まで在位を続けた皇帝愛新覚羅溥儀がそんなことを許すわけもなかった
中華民国に至っては、内部抗争を繰り返し、21世紀開始と同時に開始された統一協議が数十回にわたり決裂するのが年中行事であるし、既に周辺地域であるチベットや東トルキスタン、内外モンゴルと満洲(マンチュリア)に加えて数十の少数民族の実質的な自治区と主流派罰8つに分裂して興亡を繰り返す有様であった
つまりは賭ける馬を間違ったのだ
1500億ドル以上(これは「史上最大の詐欺」と合衆国が悪しざまに罵った日本の仕手戦でアメリカがむしりとられた富の4倍以上、第2次世界大戦経費の3割以上にあたる)を投じて完全なる無駄骨に終わったところで、合衆国もこれに気が付いた
これをもって合衆国には刷新(リセッション)の機運が到来
1960年のリチャード・ニクソン政権に繋がっていくことになるのである

ともあれ、1965年時点で、日本国はまず満足すべき復興の成果を享受していた
博多から青森までは新幹線が開通しており、高速道路網も同様
本州四国間の連絡橋プロジェクトは着工の時を迎えており、何より帝都東京は目覚ましい復興の末に特に道路計画については6割近くを完遂
用地は完全に買収済みという状況であった
湘南海岸や千葉の内陸に放置された米上陸部隊の残した鉄材の一部を使った世界一の高さを誇る電波塔がテレビジョン放送を届けており、なにより国内総生産(GDP)は1948年から連続で2桁成長を遂げていた
日本国は、高度経済成長期を驀進しつつあったのである

政府および総研はそれでも投資を怠らなかった
なんといっても都市とその周辺は大いに発展していたが、騙されたことに気付いた農村にもその配当は必要だったし、先の国土軸指定から逃れてしまった場所からも度重なる陳情が届きつつあった

そんなとき、日本のかじ取りを担ったのがあの男であった
新潟県の寒村に生を受け、苦学して海軍に入り日本本土決戦において多数の戦果を挙げつつも政界に転身した男、田中角栄が内閣総理大臣に任命された
1965年、2度目の東京オリンピック立候補がアメリカからの文字通り嫌がらせのような妨害と賄賂攻勢により頓挫した年のことである――

448:ひゅうが:2025/03/27(木) 23:16:29 HOST:flh2-133-204-83-129.osk.mesh.ad.jp
【あとがき】――というわけで、戦後史ネタでした
まだまだ出るぞー戦後史の英傑たちが!(中の人は不詳)

タグ:

+ タグ編集
  • タグ:
最終更新:2025年06月12日 22:05