54:新人艦長:2025/04/03(木) 00:22:12 HOST:182-166-38-132f1.osk2.eonet.ne.jp
鴨緑級フリゲート
全長:100メートル
最大幅:14メートル
基準排水量:3000トン
武装:七五式7.6センチ速射砲(オート・メララ76ミリコンパクト砲)
七七式対艦ミサイル4連装発射器2基
六五式20ミリ連装機関砲4基
スティンガー携帯式対空誘導弾(乗員が携帯して運用)
七〇式5連装533ミリ魚雷発射管2基(搭載能力のみ。予備弾なし。搭載艦は濁水と狩野のみ。その他艦では物資輸送スペースに)
機関:ディーゼルエンジン4基
喫水:4.5m
搭載機:小型汎用ヘリ1機
その他:陸戦隊1個中隊もしくは物資最大50トン輸送可能
同型艦
鴨緑、濁水、那珂、黒部(第1シリーズ)
狩野、矢作、九頭竜、揖斐(第2
シリーズ)
(概要)
日本海軍が運用している南洋諸島向けフリゲートである。
南洋諸島向けフリゲートの基本思想は以下の通りである。
- 南洋諸島の港湾施設で運用可能な小型で機動力のある簡素な艦艇
- 武装は最低限の対空対潜能力に最大限の対地攻撃及び近接戦闘能力
- ヘリを一機運用可能
- 可能な限り低コストである事
- 陸戦隊の輸送能力を持つ
- 速力よりも高速巡航と燃費を重視する
- 補給なしでの連続航行作戦能力を重視
- 医療設備の貧弱な地域への医療提供を考慮して船体に対して医療設備を重視する
このようなコンセプトで建造されたフリゲートの第二シリーズであり、完成形である。
55:新人艦長:2025/04/03(木) 00:22:51 HOST:182-166-38-132f1.osk2.eonet.ne.jp
(経緯-1965年頃の南洋諸島)
このような艦が作られた経緯は1965年まで遡る。
当時南洋諸島は南洋庁の管轄の下で経済成長していた。
本土の高度経済成長に伴い、バナナやサトウキビ、パイナップルなどの作物とそれに関わる工業だけでなく、経済的に裕福になった中間層の余暇の行き先として南洋諸島のリゾート開発が進んだ。
さらにインフラ整備による需要やリン鉱山などの開発、やや負寄りでは日本の核戦略による軍事基地建設が進んでいた。
それら経済発展の中で当時の南洋諸島を守る南洋艦隊は以下の戦力を有していた。
南洋艦隊(1965年時)(蕭頸光中将)
司令部:トラック
旗艦:利根
第28戦隊:利根、筑摩(ヘリ巡洋艦改造済み)
第29戦隊:大淀、仁淀(ヘリ巡洋艦改造済み)
第9水雷戦隊(旗艦駆逐艦花月)
第45駆逐隊:朝霜、清霜、雪風、秋雲
第47駆逐隊:花月、冬月、涼月、照月
第6護衛群
第30護衛隊:井王、志賀、鵜来、久賀
第31護衛隊:羽節、室津、津久根、小笠原
第32護衛隊:男鹿、屋久、沖縄、粟国
駆逐艦8隻、海防艦12隻、軽巡と重巡2隻ずつという戦力である。
ほとんどが退役寸前の旧式艦で、最も新しいもので戦後に艦名だけ流用して建造された対潜特化型コルベット艦の第31護衛隊の4隻である。
指揮官の蕭中将も毛沢東粛清時に日本に亡命、第二次大戦中に反国民党義勇兵団に入り日本軍でのキャリアを始めた異色の軍人であった。
南洋諸島は基本的に警備と哨戒、災害派遣などの任務ぐらいしかなく本来ならこの程度で十分であった。
それ以外の任務は南洋諸島に出没するソ連やインドネシア艦艇を追跡するぐらいである。
ところがそれが一変する事態が1965年から発生した。
南洋諸島紛争である。
(南洋諸島紛争)
経済成長は必然的に保守的な人々の反発や恩恵に与れなかった人々、環境破壊を生み出した。
日本政府や南洋庁は最大限配慮したがそれでも一定の環境破壊や変化、格差や不満を生み出してしまった。
それによる不満は国会でも議論され、是正は少しずつ進んでいた。
しかし、伝統的な生活を破壊されたと考えた人々や貧困層の人々は不満を溜め、それに遂に火がついた。
事の始まりはある島でリゾート開発を巡る現地民と企業間の対立、それを起点に企業社員が現地民を罵倒、それの報復に社員を襲撃する事件が発生。
そこから島全体を巻き込む暴動となった。
この暴動鎮圧に警官を動員するも圧倒され、他の島々にも伝播、騒擾が発生した。
さらにこれにインドネシアとソ連が支援。
不満分子が組織化され、反日武装組織となった。
ミクロネシア人民解放戦線を名乗る武装勢力によるゲリラ的な反政府運動は日本本土の学生運動などと連携し、暴力、非暴力問わない闘争が発生した。
さらに同時期には同じようにソ連などの工作でオーストラリア領だったソロモン諸島、
アメリカ領の諸島などでも発生した。
これら騒擾は1970年ごろまでには殆どが沈静化、南洋諸島は日本に属し続けることになった。
56:新人艦長:2025/04/03(木) 00:23:29 HOST:182-166-38-132f1.osk2.eonet.ne.jp
(南洋諸島紛争の戦訓)
南洋諸島紛争で日本海軍は大きな戦訓をいくつも得た。
まず一つ目は砲火力の見直しである。
南洋諸島紛争では南洋艦隊では能力不足として本土から最新鋭艦艇が回航されて蕭提督指揮の元で活動したが最も効果的だったのは旧式の駆逐艦や巡洋艦であった。
当時の最新鋭艦艇の大半は砲火力よりもミサイル火力を重視した設計であった。
しかし騒擾の大半は武装はなくせいぜいが投石、最も武装してもどこからか入手した猟銃や旧式ライフルであった。
そうなると艦艇が装備しているミサイルというのは明らかに過剰火力であった。
蕭提督はミサイルよりも反乱者に艦艇を見せる示威行動を重視した。
その示威行動の中で空砲による発砲などがあったが、そうなると小口径砲しか装備していない最新鋭艦艇よりも大口径砲を多数装備している旧式艦艇の方が派手で効果的であった。
さらに実際に火力を投射する局面でも高価なミサイルを一々撃ち込むよりも低コストで精度の高い砲撃を近距離から撃ち込む方が効果的であった。
そのためこれ以降に建造された巡洋艦は砲火力を重視して建造されるようになった。
第二は南洋諸島における艦艇運用の困難さであった。
南洋諸島では珊瑚礁などの暗礁や狭い水道や海峡が多く、派遣された大型艦よりも喫水の浅い中小艦艇の方が作戦行動がし易かった。
さらに、大規模艦隊を動かすよりも中小艦艇を巡回させ続ける方が示威効果は高かった。
さらに艦艇の修繕能力の不足もあった。
南洋諸島には大規模な艦艇修理設備がなく、当時は軽度の損傷や定期メンテナンスはトラックとウルシーにいた工作艦が実施していた。
しかしその工作艦の能力をオーバーするほどの艦艇数や設備で最新鋭艦艇は本土の恵まれた設備で運用するのを前提としていたため戦闘能力とは関係ない部分の損傷や故障で本土に撤退する事例が多かった。
南洋諸島自体の環境も本土周辺とは異なるため、多くの艦艇で何かしら故障や不良が発生、部品不足などが発生しがちであった。
さらに居住性能でも南洋諸島向けに作られていたものは少なく、艦内が蒸し風呂になる艦艇が多かった。
第三は陸戦隊の輸送など軍用艦艇の輸送能力の見直しである。
第二次世界大戦の戦訓から艦艇の輸送能力は削減され強襲揚陸艦などに分離していた。
しかし、この紛争では強襲揚陸艦を使うほどの敵はないが元々の戦力では警備力が不足しがち、という状況が頻発した。
そのため代用として駆逐艦や巡洋艦乗員による陸戦隊編成や陸軍や警察の輸送を行うことが多かった。
そうなった場合、大多数の艦艇の輸送能力に余裕がなく、揚陸能力も搭載艇や港湾に入港しての揚陸となり迅速性には不満があった。
第四は運用のコストパフォーマンスであった。
南洋諸島は島々が離れているため燃費の悪い艦艇が多い関係で燃料消費が急激でトラックやウルシーでは燃料が不足、急遽本土からタンカーを雇って送る事態が発生した。
さらに警備業務が中心の中で大型の重巡を運用するというのはコストパフォーマンスが悪かった。
とにかく人手、資源などをバカ喰いする大型艦や旧式艦は限られた資源で運用せざるを得ない南洋諸島では不利であった。
第五は沿岸部での敵小型艦艇の脅威である。
1968年、追い詰められたミクロネシア人民解放戦線は遂に異常な作戦に打って出たのである。
なんと体当たり攻撃である。
爆弾を小型のモーターボート(ミクロネシアでは珍しくない)に満載、それで体当たりするのだ。
そしてこれが効果的であった。
体当たり攻撃により最新鋭海防艦の小笠原が大破、放棄され、旧式駆逐艦の朝霜が損傷、本土に回航され修理困難から退役、その他3隻の艦艇が何かしらの損傷を受ける被害を出した。
これは各艦艇に急遽追加で機関銃を搭載する事や小型のパトロールボートを派遣する事で被害はなくなるが低コストの小型ボートによる大型艦艇の被害は「ダビデとゴリアテ」と形容された。
58:新人艦長:2025/04/03(木) 00:24:20 HOST:182-166-38-132f1.osk2.eonet.ne.jp
(蕭報告書)
以上の戦訓を蕭提督は1969年に上申。
蕭報告書と呼ばれることになる。
蕭提督は報告書の中で「現状の最新鋭フリゲートの規模でより南洋諸島向けに特化した艦艇の建造」を提案。
蕭提督は報告書の中で当時ポルトガルやフランスが建造中の通報艦のコンセプトを提案し、これを南洋諸島や日本の国情に合う形で修正した艦艇の建造を具体的に提案していた。
この報告書に南洋庁や海上保安庁、内務省などが同調した。
より南洋諸島向けの艦艇で、治安維持などに特化したというのは便利であった。
そこで紛争が殆ど解決した1972年予算案で第一弾となる長良級フリゲート2隻が建造され、続けて第二シリーズの龍田級フリゲート4隻が建造、この2級の運用経験や設計を基に建造されたのが南洋諸島向けフリゲートの完成形となる鴨緑級である。
(設計-船体・機関・上部構造物)
基本設計は商船構造を採用している。
これは低コストでの建造や整備性の向上、低コストでの運用を重視してのものである。
この艦種は有事には船団護衛に従事することが前提であるため正面戦力としての生残性などは重視されていない。
艦首には主砲の76ミリ速射砲、艦橋と続き、中央構造物、格納庫、ヘリ甲板と続く長船首楼型を採用している。
艦中央部には陸戦隊輸送スペースが存在しヘリを下ろすと最大150名を輸送可能である。
主機関は一室に配置されて整備性が重視されている。
航続距離は17ノットで1万カイリとかなりのものを確保、安定性確保のためフィンスタビライザーも装備している。
喫水は浅めにされていることで浅い海域が多い南洋諸島でも活動しやすくなっている。
艦内は居住性が重視されており、乗員からの評判は良い。
男女の乗員にも対応している。
さらに医療設備が不十分な島々を回るため医療設備が充実、手術やX線撮影が可能な医務室を有している。
(設計-武装・その他)
武装は対空は倉庫に積載したスティンガー、対艦は対地ミサイルと兼用のミサイルで代用、対潜は魚雷だがあくまで有事に取り付けて普段は物資輸送スペースとすると割り切っている一方で近接戦闘と対地攻撃能力は高めにされている。
主砲はイタリアからライセンス生産した76ミリ速射砲を装備。
さらに軽量の対地ミサイルを装備する事で対地の高精度長射程攻撃にも対応している。
近接戦闘能力では20ミリ機関砲を装備し対応。
自爆ボート対策としている。
さらに舷側には機関銃を取り付けるポートがいくつか置かれており、必要に応じて艦載の機関銃を取り付ける。
また陸戦隊輸送用のため小火器搭載設備が充実していることから、対戦車ミサイルや重機関銃で火力を強化できる。
そのため見た目よりも近接戦闘能力が高い。
その他として小型ソナーを艦首バルバスバウに、艦橋には小型の対空対水上レーダーを装備し、最小限の射撃管制システムを搭載している。
航空艤装は主にHH-65ドルフィンを一機搭載しているが、物資輸送のスペース関係からより小型のOH-6カイユースが使用される場合も多い。
(運用)
1978年に一番艦鴨緑が就役後、1980年までに全8隻が就役した。
就役後は予定通り南洋諸島を巡回しながら警備、哨戒業務に従事した。
整備がしやすい、ヘリを運用できる、物資の搭載量が多いので色々と使える、小回りがきく、快適に過ごせると評判は良かったが、なんらかの事情で南洋諸島以外に行った場合に問題が発生した。
南洋諸島以外ではあまりにも貧弱すぎ、同じフリゲートととしての性格が違いすぎた。
同じように他地域のフリゲートが南洋諸島で運用した場合、性格が違いすぎて扱いづらかった。
さらに艦構造から違うフリゲートが二系統存在するというのは訓練面で問題が起き、南洋向けフリゲートとその他地域向けフリゲートの間で人員を移動させる場合訓練をやり直さないといけないという問題を抱えていた。
また輸出でも好調で主にタイ、フィリピンなどが購入している。
戦闘などに従事することはなくほとんどの艦が2010年までに新型の最上級に置き換えられる形で退役した。
59:新人艦長:2025/04/03(木) 00:26:41 HOST:182-166-38-132f1.osk2.eonet.ne.jp
以上です。
日本版通報艦というべきコンセプトで生まれ、そして役割を全うして消えていったって感じの船
艦隊のワークホースで、南洋諸島では使い勝手の良い船で、島々の人々にとっては日常の大事な船という。
毎日島の沖合で見かけて、何かあれば飛んできて助けてくれる船という。
61:新人艦長:2025/04/03(木) 00:29:18 HOST:182-166-38-132f1.osk2.eonet.ne.jp
鴨緑は鴨緑江ですけど濁水は台湾の濁水渓からとってます
それ以外は本州の一級河川で可能な限り自衛隊とも海軍とも被らないのをチョイス
何気に大淀級は2隻完成してどっちも後年ヘリ巡洋艦に改装、利根型も同じくヘリ巡洋艦になってる
最終更新:2025年06月13日 21:46