369:新人艦長:2025/04/06(日) 20:46:55 HOST:182-166-38-132f1.osk2.eonet.ne.jp
M103 モンスター
全長:9.3m
全幅:3.8m
全高:3.3m
重量:59トン
武装:M58 55口径120ミリライフル砲(最大毎分6発)
副武装:M73 7.62ミリ機関銃×1、M1919 7.62ミリ機関銃×1、M2 12.7ミリ機銃×1
エンジン:900馬力空冷ディーゼルエンジン×1
最高速度:40キロ
乗員:5名(装填手×2)
追加装甲:M1A1爆発反応装甲、M1A1スラットアーマー“コープケージ”キット(搭載すると重量が1から1.5トン増加)
総生産数:約2500両
M103モンスターとは1950年に発表された
アメリカの重戦車である。
正式採用された最後の重戦車は次のM110 キング・コングが最後だが、ソ連など世界中の戦車開発に大きな影響を与えM103ショックと言われる事件を起こした。
(開発-マクネア報告書)
M103の開発の始まりは1944年である。
1944年、アメリカ陸軍は大規模な調査を実施することを決定した。
これはフランス戦における米軍戦車の損害がそれ以前のイタリアや北アフリカのものと比較しても大きいことによるものであった。
レスリー・マクネア中将をトップとする調査委員会通称マクネア委員会は12月からフランスおよびイタリアで以下のものを調査した。
- あらゆる戦車に関わる数万点の敵味方の資料
- あらゆる戦車に関わる数百人の将兵・捕虜・戦死者
- 数百両の敵味方の車両及びその残骸
- 数百の敵味方の陣地及び交戦地点
- 数百の敵要塞
さらに調査中にドイツが降伏したことからドイツ軍の各種試作車両、図面、製造段階の車両、最新技術の研究も実施した。
これらは46年にマクネア報告書として上申された。
その内容は
- 現状のシャーマン及びパーシングは数年以内に陳腐化する
- 現時点でもE8以外のシャーマンと全てのGMCの性能は十分ではない
- 防御・機動力・火力全ての面で不足している
- 敵陣地の破砕には最低100ミリの火砲が必要である
- 敵の重戦車の破砕には最低でも長砲身120ミリ砲が必要である
- パンツァーファウストなどの携帯式対戦車兵器は今後大きな脅威となり戦車の防御はこれを重点的に考慮する必要がある
- パンター、キングタイガーなどのドイツ軍の新型車両はシャーマンを一方的に撃破し、パーシングを以てして互角である
- 無砲塔型の突撃砲などの自走砲は防御戦闘において極めて有効である
- 歩兵と分離された戦車は極めて脆弱である
- 戦車に星型エンジンは適していない
- またガソリンエンジンも適していない
- パーシングはパワーに問題がある
- シャーマン・ジャンボのコンセプトは有用である
- 極端な大重量車両は運用のみでも困難であり現実的ではない
- 乗員は最低4名必要である
- 車体機銃は有用性が低い
- 砲塔上に機関銃を増設するべき
- 夜間戦闘能力は今後重要になり、戦車は夜間戦闘能力をさらに強化するべき
- 全金属製履帯は路盤を痛め、後続の移動に影響を与える
- 乗員保護の重要性
- 湿式弾薬庫の有用性
などである。
米軍はマクネア報告書を元にして新型戦車開発を決定した。
その新型戦車の重戦車がこのM103である。
370:新人艦長:2025/04/06(日) 20:47:32 HOST:182-166-38-132f1.osk2.eonet.ne.jp
(開発-T28からT29
シリーズ、T34へ)
直接のM103の祖先となるのは1943年に開発されたT28超重戦車である。
この車両は無砲塔にすることで超大口径砲と防御を両立して敵陣地を破砕する重戦車として開発された。
しかし完成した車両があまりにも重量過多で運用は非現実的と判断された。
結果超重量車両の運用や開発の試験車両として使用された。
このT28のデータを元にM26をベースとして開発されたのがT29シリーズの重戦車T29とT30である。
T29は後にM48に搭載されるT58 55口径105ミリ砲の試作型を搭載し、さらにステレオ測距儀を搭載するなど先進的な技術を多数装備している。
さらにエンジンでは後にM48などに使用される900馬力空冷ディーゼルエンジンの初期モデル(出力800馬力)を搭載している。
T30はT29を元に155ミリ砲と装填手2名体制に変化させた車両である。
両車両ともに技術実証車両という面が強く主にテストされただけでアルミ合金の採用、アクティブ及びパッシブ暗視装置の試験、空間装甲及び初歩的な複合装甲、爆発反応装甲の試験、ゴムパッド付き新型履帯、新型敵味方識別装置、新型電子FCS、ハンターキラーサイト、新型機関銃、新型弾薬などに及ぶ。
この2両は1945年12月までに完成、性能試験に供され、翌年マクネア報告書を元にした追加の性能試験に供された。
結果、性能的に不十分な点が多いとして両車両は不採用となった。
そして次に試作されたのがM103試作型T34である。
T34はT29シリーズのデータを元にマクネア報告書のデータと戦訓から徹底的に再設計された重戦車となった。
そして完成したT34の試験を元にさらに改良したのがM103として採用された。
(防御)
重戦車というだけあり極めて高い。
亀甲型の車体と砲塔によってあらゆる角度で最適な角度を得て最適な防御力を得ている。
設計がM48と同時期に行われたことから防御設計は基本的にM48の拡大発展型である。
こちらもM48同様にスラットアーマーとERAキットが装着可能である。
車体底部はV字の舟形で地雷を踏んだ際の威力を斜め上に逸らすことで減衰させることができる。
装甲厚は基本的に
砲塔前面:最大127ミリの傾斜装甲
防楯:125~255ミリ
砲塔側面:70~137ミリ
砲塔背面:70ミリ
砲塔上面:51ミリ
車体前面上部:70~160ミリ
車体前面下部:70ミリ~130ミリ
車体側面:45~60ミリ
車体上面前部:75ミリ
車体機関室上部:45ミリ
車体底面前部:38ミリ
車体底面後部:32ミリ
車体後面上部:38ミリ
車体後面下部:25ミリ
車体底面:30ミリ
でそれぞれ当時最高品質の均質圧延鋼が使用されている。
その他に車長ハッチがウルダンキューポラ相当の重装甲のものが使用されている。
さらに乗員向け防弾機銃シールドも用意されていた。(こちらはオプション装備で必要に応じて搭載される)
一方で防御を重視しない場所は軽量化が行われており、フェンダーにはアルミ合金を採用するなど軽量化が実施されている。
371:新人艦長:2025/04/06(日) 20:48:24 HOST:182-166-38-132f1.osk2.eonet.ne.jp
(機動力)
重戦車ながら最高速度が40キロに達するなど高い。
これはM48とエンジンが共用ながら元のエンジンの馬力に余裕があったからなし得たものである。
サスペンションと変速機も強化されてキビキビ動くことが可能。
ただM48と比べると劣り、59トンという重量も大敵であった。
実戦投入されたビルマ戦争ではその重量故にスタックが発生するなど運用面では問題が発生した。
(武装)
主砲には新開発のM58 120ミリライフル砲が搭載されている。
この砲は当時としては異例の55口径もあり分離装薬式で装填手が2名必要という巨砲であったがそれ故に長射程で破壊力抜群であった。
開発当初から徹甲弾と榴弾の他に新開発の粘着榴弾が用意され、その後APFSDSも開発されている。
威力面では圧倒的で、実戦投入された珍宝島事件でソ連製T-54/55を1500メートル以上先から一撃で粉砕するほどであった。
機銃は車長ハッチにM2が、M73とM1919が同軸と装填手ハッチに取り付けられている。
(その他)
その他の装備として大型のサーチライトが装備されたが、破損の多さやパッシブ暗視装置の開発により撤去された。
砲塔後部には荷物ラックが設置されていたがサイズが小さいためビルマ戦争中には現地で大型化する改造が実施されることが多かった。
また一部車両は装填手機銃を連装化するなど火力強化をする改造を施していた。
372:新人艦長:2025/04/06(日) 20:49:03 HOST:182-166-38-132f1.osk2.eonet.ne.jp
(運用)
1950年に納入が開始されたが大重量故の初期トラブルが多く実戦配備が可能になったのは1952年であり、1953年のベトナム戦争末期に特別試験部隊が派遣されて実戦テストを実施している。
その後試験小隊の試験結果を元に改良が実施され、初期量産150両は無印と呼ばれ改修を実施するコストパフォーマンスが悪いとして訓練と試験のみに使用された。
151両目以降はA1型となり、これが主生産型として1957年までに1200両が生産された。
1958年度からはエンジンとトランスミッションを強力なものに交換したA2型が約250両生産されたがこれが最後の量産型でそれ以降はM110キング・コングの開発によりキャンセルされた。
A1型の全車両は1960年までにA2型と同じトランスミッションとエンジンに交換されA3型となった。
さらにA2型約250両がドイツに、150両が西ポーランド、100両が日本、500両が満州に供与されている他1965年には当時保有していたA3型合計600両余りが満州とドイツと西ポーランドとエジプトとイランに売却されている。
さらにその後も退役車両が多数エジプトやイランなどに売却されている。
実戦投入は意外にも多い。
1950年代後半以降のビルマ戦争では米陸軍と海兵隊が持ち込み主に火力支援に使用された。
戦車が少ないため陣地破砕能力を買われてのものである。
ビルマ戦争全体で対戦車戦闘による被害はなかったが仕掛け爆弾や地雷による被害が多発、投入数は150両程度ながら地雷や仕掛け爆弾による被害は延べ80両が受けた。
これにより米軍車両では対仕掛け爆弾追加装甲キットの開発が進み、1965年に追加装備として配布された。
米軍では1970年代に新型のエイブラムスに置き換えられて退役。
中古車両はエジプトなどに売却された。
満州国は1950年代後半に新車を受領した。
最終的な運用数はおよそ400両に達した。
満州で発生した珍宝島事件では満州国軍のM103がソ連側との交戦し最新鋭戦車のT-62を一方的に粉砕することに成功、満州の勝利に導いた。
満州では主力重戦車として1980年代まで使用された。
退役後はトーチカとして埋められ、ゴビ砂漠戦争では中国軍と交戦した。
現在でも旧満中国境などではトーチカとして使用された車両の残骸が放置されている。
エジプトではアペプ(エジプト神話の悪の化身)の名前をつけられ第三次及び
第四次、第五次中東戦争に投入されている。
第三次及び第四次中東戦争ではイスラエル軍のM60やM48、スーパーシャーマン、スーパーT-34、センチュリオンと交戦。
圧倒的火力と防御力により第三次中東戦争ではM103一個小隊が一個戦車旅団を丸2日食い止めるなど大きな戦果をあげたが、イスラエル軍の機動戦術により1/3が包囲され燃料不足などにより放棄されている。
戦後アメリカから中古車両で損害を補充すると第四次中東戦争では突破戦車としても使用された。
こちらではイスラエル軍が鹵獲再使用していたM103“ベヒモス”と交戦している。
こちらでも重戦車として活躍。
M103一個中隊がセンチュリオン大隊に大打撃を与えるなど活躍した。
しかしどちらも燃料不足や砂漠での大重量故の機動可能な地域が限られ選局を覆すほどの戦果を挙げることは叶わなかった。
第五次中東戦争では旧式かつ老朽化していたものの防御力と火力は通用、T-62やT-55、さらには最新鋭のT-72”バビロンのライオン“相手にも有利の戦闘を進めることが可能だった。
しかし大重量故に軟弱地では放棄される車両や老朽化故の故障の多発から乗員からはポンコツと罵られ戦争中に新たに供与されたエイブラムスに交代する形で退役、大多数の車両は射撃訓練の標的のほかにデコイとして使用された。
ドイツと西ポーランドは1950年代後半に新車を受領。
対ソ連の最前線として重戦車大隊に配備されて運用された。
1970年代にレオパルト2に置き換えられて両軍で退役、車両は射撃標的として使用された。
日本は100両余りを受領したが大重量故に使える地域が限られ、主に北海道で運用された。
1960年代後半には退役し、車両は満州へ輸出された。
イランでは1960年代に中古車両を受領。
第五次中東戦争及びアーザールバイジャーン紛争で使用された。
ここでも防御力と火力は評価されたが大重量故に故障やスタックが多く、20両余りがイラクやソ連に鹵獲されている。
(使用国)
- アメリカ(陸軍・海兵隊)
- ドイツ(連邦陸軍)
- 満州国(陸軍)
- 日本(陸軍)
- エジプト(陸軍)
- イスラエル(陸軍・鹵獲使用)
- イラン(陸軍)
- 西ポーランド(陸軍)
373:新人艦長:2025/04/06(日) 20:51:11 HOST:182-166-38-132f1.osk2.eonet.ne.jp
以上です。
世界中にショックを与えた上に気前よくばら撒くというソ連にとっては悪夢のような戦車
M48と並んでこれが冷戦最前線にいるのだから必死になってあらゆる方法で火力強化に勤しむことになる
最終更新:2025年06月13日 21:52