488:新人艦長:2025/04/30(水) 20:30:44 HOST:182-166-38-132f1.osk2.eonet.ne.jp
アメリカ夢幻会ネタ

11/22/1963

 1963年の11月23日、冬の訪れが近づいていた。
 商人たちは感謝祭が終わって始まったクリスマス商戦に大忙し、最北のアラスカはすっかり冬が到来していた。

 一方テキサスは冬が近づき過ごし易い気候になりつつあった。
 そのテキサス州、ダラス郊外ラブフィールド空港では米空軍の特別塗装の707、つまりエアフォース・ワンが着陸して時の大統領、ジョン・F・ケネディとリンドン・ベインズ・ジョンソンを下ろした
 出迎えるのは州知事などテキサス州の要人たちだ。

「ダレスが反対を押し切ってこれか」

「私は大統領の姿を是非州民に見せたいと思ったのですがね」

 ケネディは目の前の防弾仕様のリムジンを見て言うとコナリー州知事が残念そうに言う。
 ダレス“国土安全保障省”長官が最初は使う予定だったオープンカーを防弾仕様のリムジンに変えるように押し切って変更させたのだ。

「別に大した問題ではないですよ。
 窓から市民は見れますから。」

 ジョンソンが和ませるように言った。

489:新人艦長:2025/04/30(水) 20:31:22 HOST:182-166-38-132f1.osk2.eonet.ne.jp

 時のケネディ政権は米国の絶頂期とも言える政権だった。
 その中心はケネディ“三兄弟”とダレス、マッカーシー、マクナマラである。
 ケネディ三兄弟の長兄ジョゼフは「モーゲンソーの愛弟子」「合衆国の金庫番」「ジョゼフがくしゃみをすればウォール街は風邪をひく」とまで言われる辣腕の財務長官として経済政策を主導していた。
 末弟のロバートは司法長官として合衆国の司法制度を根底から改革しつつあった。
 特に刑務所の待遇改善は急激だった。
 「合衆国で最も自由を愛している男」そんな渾名がついていたのがマッカーシーだ。
 あらゆる自由を愛し、極端とも言える自由思想から敵も多い一方で、徹底して自分の生活から自由を貫く姿は敵からも敬意を抱かれる彼は国務長官としてケネディ政権の外交を支えていた。
 「自由と繁栄の弧」という彼の外交政策は多くの国を米国の味方へと引き入れた。
 ダレスはアイゼンハワー政権で新たに設立された国土安全保障省という当時は傍流とも言うべき省庁の長官を任された。
 しかし彼はこの省庁を徹底的に鍛え上げた。
 「アメリカの領域で一度でもテロが発生すれば我々の敗北だ」という言葉を合言葉に日夜テロや犯罪と戦う組織へと変貌させた。
 その一環として米国内の他国スパイ網はほぼ全てが壊滅したと言われている。
 彼の作り上げた国土安全保障省が未然に防いだ暗殺事件は多数に上った。
 数十年後、機密情報公開で彼らがロバート、キング牧師にマルコム・Xなどの暗殺を未然に阻止していたことが発表されている。
 合衆国一の大富豪にして合衆国一の戦略家、などと形容されるのがマクナマラである。
 フォードを見事に再建し、さらには当時最先端の電子技術に大規模投資、フォードとフェアチャイルドの投資によってカリフォルニアにシリコンバレーを生み出したのがマクナマラであった。
 フォードは電子技術投資をこれ以降積極的に行い「コンピューターと最先端技術」「テクノロジーのフォード」というイメージを作り上げた。
 それらの功績と投資の成功により合衆国一の大富豪になったマクナマラは国防長官を務めていた。
 大富豪の国防長官というのは当初あまり受けが良くなく将軍たちからも疑われていた。
 しかし、彼自身は素人であるという点を熟知して将軍たちから軍事に関する手解きを受けるとみるみる内に成長、元来の戦略眼が合わさったことで優れた国防長官となった。
 彼は軍事技術投資や民間技術の軍事転用或いは軍事技術の民間解放を積極的に進めるなど軍隊を通じての経済浮揚を進めた。
 さらにビルマ戦争の戦略を決めるなど大きな影響を与えた。
 「戦わずして勝つことが軍隊の最上の戦い方」という言葉を彼は執務室に掲げていたという。

 彼ら優秀な人物たちに支えられたケネディ政権は順調そのものであった。
 キューバと同盟を締結、米キューバ関係は極めて親密で、カストロと二人でミサに出席するほどの仲になっていた。
 日米関係は強固であり、極東にソ連の隙はなかった。

490:新人艦長:2025/04/30(水) 20:31:54 HOST:182-166-38-132f1.osk2.eonet.ne.jp
 そしてこの日ケネディ一行がダラスを訪れていたのは経済の好調と繁栄を象徴するものの開通を祝う式典に主賓として参列するためだった。
 ダラスからアトランタへ向かうアメリカ南部新幹線の開通式典である。
 正午にダラス駅でテープカットを行い第一列車に乗ってアトランタを訪れる予定だった。

 ケネディ、ジョンソン、そしてコナリー州知事の一行は歓迎ムードのダラス市内を抜けて午前11時過ぎ、新装され巨大になったダラス・ユニオン駅に到着、駅構内と外の玄関は人垣に溢れていた。
 群衆事故に警戒しながら、知事と大統領一行はダラス市民と15分ほどの歓談を実施した。

「大統領!会えて光栄です!」

「ありがとう。君に会えて光栄だと言える人間だと言われて嬉しいよ。」

 ある少年がケネディと歓談する。
 ケネディは少年と握手し、あまりの人に二言三言話すとすぐに次の人へ。
 そんな慌ただしいが大忙しの15分が過ぎようとしていた。

 その時だった。

「キャー!!!!」

 突如駅構内に悲鳴が響いた。
 それは突然男が銃をケネディに向けた叫びだった。
 次の瞬間銃声と周囲にいた男たちが男から銃を奪おうと揉み合い始めた。
 さらに銃声は連続して続いた。
 その間にさらに大きな悲鳴が上がった。
 誰かが叫んだ。

 大統領が撃たれた!

 そこには流れ弾かあるいは最初の銃撃かで顔と腰部を被弾して倒れた大統領の姿が。
 さらに横には片手を撃たれたコネリー知事も。
 シークレットサービスと警察はパニック状態の群衆から一行を避難させ車に押し込めると全速力で最寄りの病院へ急いだ。
 最終的にさらに銃の暴発で警官1名と二人の市民が死傷した。

491:新人艦長:2025/04/30(水) 20:32:25 HOST:182-166-38-132f1.osk2.eonet.ne.jp
「ジャクリーン…大丈夫だ…」

「大丈夫じゃないわ!急いで!彼死んじゃう!」

 うわ言のように言うケネディの顔の傷を押さえてファーストレディのジャクリーンが車内で叫んでいた。
 車が病院に到着する前にケネディは大量出血で意識を失った。


『臨時ニュースです。ケネディ大統領が先ほど中部標準時正午前、ダラス駅構内で何者かに撃たれました。
 生死も含めた容態は不明です。』

 当時CBSのリポーターだったウォルター・クロンカイトは13時前、切り替わった特別報道番組の開始直後にこのように伝えた。

 大統領が正午前ダラスユニオン駅で撃たれた。大統領の容態は深刻である。意識不明の重体。現在治療中。

 昼の会議の真っ最中だった閣僚たちにダラスからの緊急連絡を持ったスタッフや部下が飛び込み上の内容を伝えた。

 その報道を受けた時、ジョゼフは天を仰ぎ、フーヴァーは徹底的な捜査を被疑者の確保、時に万が一にでも殺されるような事態は絶対に防げと命令、ダレスは大きな溜息をついて机の中から辞表を出し、マッカーシーとマクナマラはソ連の動きを警戒したという。

「ドクター、大統領の容態は?」

 夕方、手術を終えた大統領の主治医に被弾した右手を包帯でぐるぐる巻きにされたコナリー知事が尋ねる。

「手術を終えましたが容体は不安定です。
 意識の回復はしばらく先になるでしょう。
 大量出血による出血性ショックや敗血症の可能性があります。
 今夜から3日前後が峠でしょう。」

「夫人、お気を確かに。」

 コナリー知事はジャクリーンを慰める。
 そしてその横に立っていたジョンソンが聞いた。

「その間、大統領職は?」

「副大統領閣下、貴方が代行をお願いします」

 大統領補佐官がお願いした。
 数刻後、担ぎ込まれたパークランド記念病院の一室で大統領の代行を実施する手続きが行われた。

492:新人艦長:2025/04/30(水) 20:32:56 HOST:182-166-38-132f1.osk2.eonet.ne.jp

『こちら大統領の故郷、ボストンの教会では徹夜で人々が神に大統領の無事を祈っています。』

 夕方、あるテレビ局は徹夜でミサをするカトリック教会の様子をリポートする。
 この日の夜、全米の教会では大統領の無事を人々が祈った。

『先ほど入ってきたニュースです。ホワイトハウスは先程、大統領の意識が回復したと発表しました。
 現在もダラスの病院で予断を許さない状況ですが、一つの峠は超えました。』

 翌朝、ヘッドラインニュースとして報道されたのは大統領の意識の回復であった。
 ケネディは一命を取り留めた。
 しかし顎の半分を撃ち砕かれ、下半身に大きな障害持つようになった。
 大統領としての執務が困難になったと判断した彼は翌年、大統領を辞任した。

 最後に犯人のリー・ハーヴェイ・オズワルドはその場でリンチにされていたところを警察とシークレットサービスに救助されてケネディと同じ病院に担ぎ込まれた。
 彼も回復し、裁判が行われた。
 裁判の末、一級殺人未遂などの罪で死刑が宣告。
 1969年電気椅子による死刑が執行された。

493:新人艦長:2025/04/30(水) 20:35:03 HOST:182-166-38-132f1.osk2.eonet.ne.jp
以上です。
1963年11月22日ケネディ暗殺未遂事件に関する話
この世界ではただ気の狂ったオズワルドとかいう男がただケネディを殺しかけた事件、しかしケネディは重体になり大統領執務の継続は困難になってしまった。

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最終更新:2025年06月13日 22:17