731:新人艦長:2025/05/05(月) 15:47:22 HOST:182-166-38-132f1.osk2.eonet.ne.jp
勢いのまま貰ったネタで完成させた爆撃機ツポレフTu-80ネタ

ツポレフ Tu-80
全長:42.6m
全幅:55.96m
全高:11.3m
翼面積:約270平方メートル
アスペクト比:11.745
エンジン:グズネツォフNK-10 28気筒空冷星形モータージェットエンジン(離昇8500馬力)×4、二重反転式4枚低速プロペラ
最高速度:790キロ
航続距離:13500キロ
実用上昇限度:13000m
上昇率:17m/s
乗員:11名
武装:NR-23 23ミリ機関砲×10
爆装:最大20トン

 ツポレフTu-80とはソ連が開発した戦略爆撃機であり、第二次世界大戦後のソ連及び東側で1960年代まで広く使用された。
 NATOコードネームは「Barge」
 Tu-4から発展させた機体であり、おおよそ4発重爆としては究極の機体である。
 後継のTu-95のベースとなり、Tu-95実用化後は同盟国への支援用として大量に供給された。

732:新人艦長:2025/05/05(月) 15:47:56 HOST:182-166-38-132f1.osk2.eonet.ne.jp
(開発)
 ことの始まりは1942年の初頭、米国がソ連にあるお願いをしたことである。

 「ポーランドなどを空爆するので万が一の退避飛行場をベラルーシやウクライナに用意して欲しい」

 そういうお願いであった。

 42年半ば、ドイツはベルリン空襲を皮切りにドイツ本土空爆を急激に活発化させた。
 そして遂にはポーランドへも空襲が開始された。
 その中でイギリスへの帰還が不可能になった機体はソ連に向かうように指示され、実際にソ連が用意した飛行場に不時着するようになった。
 それ以外にもソ連領域に不時着した機体は多数に上った。
 これらの機体は飛行中の故障や高射砲の被弾、あるいはごく稀に戦闘機の迎撃によって帰還不能になった機体であった。
 それらの機体は43年末までに65機に上った。
 この内18機は機械的故障でソ連の飛行場に無傷で着陸していた。
 ソ連は不時着機の大多数と一部故障着陸機を「修理不能」として押収することに成功した。
 さらに修理可能な機体も整備名目で多数の技師や設計者を派遣して徹底的に分析させた。
 中には修理名目でエンジンを丸ごと取り外して工場に送って分解させるほどだった。
 そのためソ連に不時着した大多数の機体はイギリスには戻れなかった。

 さらに44年になるとルーマニアへの空襲でソ連南部の基地を利用するようになり、修理不能や機体寿命のため現地で放棄される機体がいくつか現れた。
 それらも屑鉄名目で回収され、秘密裏にソ連の閉鎖都市へと集められた。
 ソ連はこれらを徹底的に分析、1945年末にはTu-4として初飛行させた。
 ただしエンジンだけはコピーできず、シュベツォフASh-73で代用された。

 Tu-4完成と同時にスターリンはさらなる改良を命じた。
 目指すはよりパワフルなエンジンを積み、より速く、より高く、より遠くへ飛べる爆撃機である。
 そしてその目処が立ちつつあった。
 それが新進気鋭のエンジニアニコライ・グズネツォフがメジャーをベースに設計したNK-10エンジンである。
 メジャーベースながらモータージェットエンジンの性質も追加されたエンジンでジェットエンジンとレシプロエンジンの中間的な構造のこのエンジンは試作段階で凄まじいパワーを発揮していた。
 そしてこのエンジンを搭載すること前提により大きく実用的な機体として徹底的に改良された機体がTu-80になる。

733:新人艦長:2025/05/05(月) 15:48:27 HOST:182-166-38-132f1.osk2.eonet.ne.jp
(設計)
 基本構造はTu-4、つまりB-29と同じだが機首が大きく変更されている。
 機首は球形からオードソックスな段付きに変更されている。
 さらにTsAGIと共同開発された新型翼形により高高度での飛行性能や航続距離が改善している。
 胴体自体が大幅に延長(B-29から概ね12m延長)された結果爆装もより拡大されている。
 その他にTu-4で発生した計算ミスによる重量増加やアルミ合板の製造関係による重量増加、技術的にコピーの難しかった電子機器類のコピーなども完成させて軽量化に成功している。

 この機体最大の特徴はエンジンのクズネツォフNK-10である。
 これはワスプ・メジャーをコピーしたNK-9エンジンをさらに改良したエンジンで最大8500馬力を発揮可能な極めて高出力のエンジンであり、このエンジンのおかげでTu-80は強力な爆装と性能と航続距離を両立している。
 このエンジンはモータージェットエンジンでもあるためアフターバーナーがあり、これを使用することで最大780キロまで加速できた。
 そしてそのエンジンが回すのは新開発の二重反転式の低速回転プロペラである。
 これは極めて高効率で、アフターバーナーを使わずとも時速700キロで巡航できる能力を発揮した。

 武装面では全武装が強力な23ミリ機関砲になっているが、後部銃座には射撃管制レーダーが搭載されている。

(派生型)
 大型機であるためTu-80には派生型が多数存在する。
 まずは哨戒機型のTu-83。
 海軍で運用された機体で最終的には1979年まで使用されソ連軍で使用されたシリーズでは最も長寿命であった。
 次に輸送機型のTu-84。
 こちらは6機が高官輸送用に改装されたが、収容能力が低くすぐにより良い機体が登場したため少数かつ短期間の運用で終了、全機が中国に売却された。
 早期警戒機も存在しこちらはTu-85と言われた。
 Tu-85は胴体に大型早期警戒レーダーを装備、僻地の多いソ連では重宝された。
 そしてこれらの他に中国で独自に改造して作られた早期警戒機KJ-1が存在する。
 その他に電子作戦機としてTu-86が存在する。
 こちらは電子偵察や妨害によく駆り出されていた。
 マイナーな機材ではTu-87コマンドポスト機がある。
 これは空飛ぶ指揮所である。
 ソ連初のこの任務用機材としては1970年代まで使用された。
 試作で終わった機体では大型空対空ミサイルを装備した戦闘機型D-700が存在する。

 中国はライセンス生産を行い、中国は1980年まで改良を行いつつ独自に発展させた機体を運用し続けた。
 さらにここから発展した機体が現在も使用されている。
 まずノーマルの機体はH-10と呼称されて製造された。
 次にエンジンがライセンス生産のターボプロップエンジンに換装された機体がH-10Bと呼称されて量産された。
 そしてH-10Bの哨戒機型がH-10Cと呼称された。
 さらに全面的に新設計した後退翼の4発重爆としてH-11シリーズが存在しこちらは現在も生産改良が続いている。

734:新人艦長:2025/05/05(月) 15:49:07 HOST:182-166-38-132f1.osk2.eonet.ne.jp
(運用)
 Tu-80は1949年に初飛行、正式採用は1950年の夏になりその年の10月記念パレードでお披露目されている。
 その姿に西側諸国は衝撃を受けた。
 さらに1955年のソ連初の核実験による核武装の成功により一気にTu-80とTu-4はソ連の核戦力の中心となった。
 Tu-4は旧式化により早々に核戦力からは除かれて世界中の同盟国にばら撒かれた一方でTu-80はTu-95実戦配備の60年まで頑張り、その後もICBM実用化などでお役御免となる67年まで核戦力として稼働した。
 冷戦中は偵察任務、示威行動に使用されたほか、実戦でも使用された。
 最初の実戦はハンガリー動乱でブダペストを爆撃、続けてダマンスキー島事件で満州と交戦した際に大連や新京を爆撃している。
 1960年代にTu-95実戦配備で余剰になった機材は同盟国に売却された。
 特に中国が大量に所有してTu-4と共にビルマ紛争では東パキスタン、インド、タイなどを爆撃、チベット紛争ではチベットを爆撃している。
 シリアやイラクに売却された機体は第三次及び第四次中東戦争で使用された。
 第五次中東戦争時には退役して殆どが地上でデコイとして使用された。
 殆どの国では1980年を前に退役した。
 中国が唯一その後も使用し、1991年のゴビ砂漠戦争でも一部が現役であった。
 最終的に全機がその後の国連軍の攻撃で破壊されたと考えられる。
 総生産数はソ連で1951年から60年までに900機が、中国でH-10シリーズが800機製造されたと見られている。
 そして2025年現在も中国ではH-11シリーズが、ロシアではTu-95の改良製造運用が続いている。

735:新人艦長:2025/05/05(月) 15:50:07 HOST:182-166-38-132f1.osk2.eonet.ne.jp
クズネツォフNK-10

 米軍からパクったワスプメジャーのコピー品をさらに改良して8000馬力を出せるようにした「究極のレシプロエンジン」である。

(開発)
 クズネツォフNK-10は第2国営試験工場が1948年に開発したエンジンだがその開発の始まりは1940年まで遡る。

 1940年、米軍は大々的にB-29をお披露目した。
 洗練された機体に発表されたスペックなどはスーパーフォートレスという名前に相応しい機体であり、そして世界中の航空技術者にこれに対抗できる機体の開発が命じられた。

 その中でソ連は必死の努力をしたがネックになったのはエンジン、どう見積もっても2000以上の馬力のエンジンが必要だったがそんなものはソ連に存在しない。
 そうこうしている内に独ソ戦が始まり、もはやそれどころではなくなった。
 その間に米国は大々的にジェット機を開発し、ジェットエンジン技術などでも一日の長があることを示していた。

 そんな流れが変わったのが第二次世界大戦の米国参戦とポーランド方面への空爆開始である。
 ポーランド方面への空爆で帰還不能になったB-29がソ連領域の飛行場に多数不時着、ソ連はB-29の実物を手に入れることになった。
 不時着したB-29を徹底的に分析し、ソ連はコピーしたTu-4を開発した。
 そして同時にエンジンのコピーも実施しメジャーエンジンのコピー品NK-9の開発に成功した。
 そしてこのNK-9をベースとしてさらなる改良を企んだのがNK-10になる。

(主な構造)
 メインとなるのはワスプ・メジャーのコピー品になるクズネツォフNK-9空冷28気筒エンジンである。
 基本構造はこれの排気タービンをジェットの軸流式タービンに変更したものになる。
 新開発の軸流式タービン(これをベースに後にジェットエンジンが開発された)で圧縮した空気を28気筒に送り込んでパワーを発揮するという構造である。
 これは史実B-36c用のワスプメジャーで検討されたものであるが、クズネツォフらソ連のエンジニアは全く同じ構造に開発していて行き着いたのである。
 ただ史実では失敗したこのエンジンの開発にクズネツォフらは冒険しないという決断で成功させた。
 すなわちスロットル弁は装備、タービン部は全て軸流式、さらに研究を重ねて微細な穴を開けるとエアカーテンが発生して耐熱性が向上するという効果を最大限に利用(ソ連は当時耐熱合金の開発に苦労していたためこのような小手先の小技が進化した)して設計を行った。
 このエンジンでは空気の流れは以下の通りになる。

インテーク→タービン部(4~5枚)で圧縮→圧縮した空気は各シリンダーへ→シリンダーで再度圧縮して点火→排ガスはアフタークーラーへ→タービン式(4~7枚)のターボチャージャーへ→最後に排ガスはエグゾーストパイプに行きそこでアフターバーナー機能も追加

 結果究極のレシプロエンジンながら同時にモータージェットエンジンでもあるエンジンになった。
 最終的に8000馬力以上が発揮可能な極めてハイパワーのエンジンとなった。
 ただ時期的には既に西側ではターボプロップエンジンが、東側でも少しするとよりパワーのあるターボプロップエンジンが登場したため搭載機は多くない。
 このエンジンを搭載したのはTu-80系列を除くとIl-14、Il-18AとB型、An-7輸送機(An-8のターボプロップエンジンが開発遅延のためNK-10で代用した輸送機)程度である。

736:新人艦長:2025/05/05(月) 15:53:09 HOST:KD106146068025.au-net.ne.jp
以上です。
もらった化け物エンジンのネタを元にTu-4とTu-95の間にある戦略爆撃機をでっち上げました。
性能とかは実質史実Tu-85ではある。
ただエンジン周りが化け物じみた究極のB-29。
これの登場で西側諸国は真面目に本土防空を考えないといけなくなるという結構な疫病神。
そしてジェットエンジンに悩んだソ連で繋になるエンジンとしてクズネツォフ氏には色々頑張っていただけたらと。

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最終更新:2025年06月13日 22:26