355:新人艦長:2025/06/20(金) 15:48:09 HOST:182-166-38-132f1.osk2.eonet.ne.jp
完成したノースロップF-17ホーネットネタ投稿しますね。

ノースロップF-17 ホーネット

乗員:1名
全長:17m
全幅:11.43m
全高:4.66m
翼面積:37.2平方メートル
最高速度:M1.7
航続距離:3700キロ
固定武装:M61A1 20ミリ六連装バルカン砲
搭載武装
サイドワインダーなどのミサイル
Mk80シリーズなどの航空爆弾
アビオニクス
レーダー:AN/APG-65
レーダー探知機:AN/ALR-50
チャフ・フレアディスペンサー:AN/ALE-40
ジャミング装置:AN/ALQ-126Bなど
エンジン: ゼネラル・エレクトリックGE404-400 最大推力76kN×2
初飛行:1965年

 F-104との死闘の末採用されたF-5。
 その設計の将来性に期待していたのは空軍だけではなかった。
 それは当初のN-156計画の相手になるはずだった海軍だ。
 海軍はF-5の高性能ぶりからノースロップに新型艦上戦闘機開発を依頼した。
 F-5を拡大発展改良させたような艦上戦闘機、それを求めた。
 そしてノースロップは完璧な回答で応えた。
 そうして生まれたのがF-17ホーネットだ。

356:新人艦長:2025/06/20(金) 15:48:42 HOST:182-166-38-132f1.osk2.eonet.ne.jp
(開発)
 F-5の性能や取り扱いの良さの評判は空軍だけでなく海軍にも届いた。
 米海軍は当時F-4後継機開発が進んでいたが、その後継機はF-14とハイローミックスという形で進めていた。
 そしてそのロー側機材を欲していた。
 その頃、ノースロップ社では新型機としてYF-17の開発が立案されていた。
 それはF-5を発展させて現在進んでいる軽量戦闘機計画にぶつけようというものであった。
 F-5からさらに大型化させ、強力なアフターバーナー付きターボファンエンジンを搭載、フルサイズの強力なレーダーを装備、多種多様なミサイルと爆弾を無理なく搭載して長い航続距離を有する、機動性はF-5以上、そんな戦闘機である。
 そんな折に海軍がノースロップ社に新型艦上戦闘機の開発を依頼してきた。
 そこでノースロップはこの計画を提案した。
 F-5の性格を受け継ぎつつ、艦載機として必要な冗長性やマルチロール性能を持った足の長い戦闘機に海軍は興味を持ち試作を依頼した。
 この依頼が1959年のことである。
 ノースロップ社は8年の歳月とジャック・ノースロップの陣頭指揮の元、海軍が望む機体を作り上げた。
 その内容は史実のレガシーホーネットにかなり近い機体であった。
 1965年に完成した機体は3年の試験の末に1968年より配備が開始された。

(構造)
 構造としては殆ど史実のレガシーホーネット同様であるので主な相違点のみを挙げる。
 まずレガシーホーネットでは複座型もあったがF-17は単座型のみである。
 これは史実と異なり、F-17はあくまでハイローミックスのロー側の戦闘機で操作員が必要な高価で複雑なFCSを装備していないからである。

357:新人艦長:2025/06/20(金) 15:49:14 HOST:182-166-38-132f1.osk2.eonet.ne.jp
 レーダーもF-14のようなフェニックスミサイルと組み合わせて長射程の物ではなく当時の戦闘機としては一般的なレベルのレーダーである。
 またF-17の時点では攻撃機と戦闘機は分離しており、海軍は戦闘攻撃機として統合する気はまだなかったのである。
 そのため対地対艦攻撃能力は有しているがそれはA-6やA-4などと比べれば同程度かつ対空にも対応可能とは言い難い程度になっている。
 その他に挙げられたのがFB-111 B型の存在である。
 史実ではマクナマラの横槍や重量過多など様々な問題で没になったF-111の海軍型であるが、この世界ではF-111は早々に戦闘爆撃機に計画変更されたことでFB-111という名前で存在し、西側の超音速軽爆撃機の主力だった。
 そしてその海軍型としてFB-111 Bが存在した。
 この機体は主にA-3スカイウォーリアの後継として空母に配備され、一応対空戦闘もできる爆撃機として活躍していた。
 つまりこの時点で対地攻撃能力では圧倒的に上のFB-111、機動性と攻撃能力のバランスをとったA-4とA-6とA-7という攻撃機が4種存在していたのでF-17には対地攻撃能力はあまり求められていなかった。
 これはF-14も同様である。

358:新人艦長:2025/06/20(金) 15:49:47 HOST:182-166-38-132f1.osk2.eonet.ne.jp
 次に尾翼の強度が強化され、さらにLEXフェンスが取り付けられている。
 これは史実初期型が尾翼へのクラック問題を抱えていたことに対する対応である。

 操縦系統ではCCVの設計が取り入れられているので擬似フライバイワイヤは採用されていない。
 これによりF-17は史実レガシーよりも機動性が高い。

 エアインテークは史実と異なり半円形ではなくステルス性を意識した平行四辺形で、ファンの前にはレーダーブロッカーも追加している。

(運用)
 1968年に配備が開始されたF-17は主に海軍の戦闘航空団に配備された。
 そして空母艦上では大歓迎された。
 扱いやすい、取り回しが良い、機動性が良いとパイロットや整備士や乗組員からは大好評であった。
 議会からも値段的にお安めということでトムキャットとは何かと比較され、最終的にグラマンがノースロップに身売りする羽目になる一因となった。
 初陣となったのはビルマ戦争末期のことで、主に派遣された空母から対地攻撃に参加した。
 損害はゼロで約300回の任務に成功した。

 次に第5次中東戦争で米軍が実施したプレイング・マンティス作戦とアーネスト・ウィル作戦での紅海とペルシャ湾の通商防護作戦である。
 通商防護を理由に米軍は第5次中東戦争に介入、主にイラクとシリアとエチオピアとソマリアを攻撃した。
 これら4カ国が実施していたスエズ運河や紅海、特にバーブ・エル・マンデブ海峡とホルムズ海峡での商船攻撃の阻止に使用された。
 その中でF-17は各国戦闘機や攻撃機を39機撃墜している。

359:新人艦長:2025/06/20(金) 15:50:23 HOST:182-166-38-132f1.osk2.eonet.ne.jp
 次に1980年代のグレナダ侵攻とパナマ侵攻、そしてコロンビア麻薬紛争である。
 コロンビア麻薬紛争は麻薬カルテル殲滅を目的としてコロンビア政府の要請を受けて米軍が1981年より支援した事件である。
 これによりメデジン・カルテル、カリ・カルテルは共に主要構成員及び組織が物理的に消滅した。
 メデジンカルテルのパブロ・エスコバルは空襲の末に重傷を負ったところを1982年にSEALSと米軍レンジャーに捕えられて米国に移送、死刑となり翌年処刑された。
 米軍はビルマ戦争で使用しなかった在庫の大量のナパーム弾をコロンビアで使用した。
 あまりにも使用しすぎたためコロンビアのジャングルに大きな影響を与えたほどである。
 この紛争では対地攻撃だけでなく麻薬の密輸飛行機撃墜にも活躍した。
 米軍はコロンビア上空を飛行禁止区域に設定し、トランスポンダを設定していないすべての航空機を無差別に攻撃すると宣言、最終的に現在までに麻薬の密輸機を約80機撃墜した。
 その中でエースも誕生し、皮肉を込めてドラッグ・エースなどと言われている。
 麻薬カルテル構成員は専用の刑務所(アラスカもしくは砂漠の中)に移送されて刑期に服した。

 米海軍では70年代後半からスーパーホーネットの導入が進み、1990年に全機が前線部隊から下げられ、2003年に全機が退役した。

(運用-輸出国海軍)
 F-17最大の輸出先はイギリスと日本であるが最初に購入したのはアルゼンチンである。
 アルゼンチンは1973年までに約200機を購入した。
 しかし、1973年にペロンが返り咲くと、露骨に東側に接近。
 最終的には1975年に軍事機密漏洩の可能性を理由にその年引き渡した7機を最後に売却を拒否した。
 これらの機体はフォークランド紛争で艦載機の主力として活躍。
 フォークランド諸島沖海戦では英海軍スーパーホーネットと激しい戦闘を繰り広げた。
 戦後は機体の損耗、米国の経済制裁の強化、ソ連経済の崩壊からアルゼンチン軍内部はガタガタとなり、稼働率は急激に悪化。
 最終的には1989年には稼働率がゼロ、同年にアルゼンチンの社会主義体制は崩壊し、2隻の空母共々債務の返済としてスクラップとして売却された。

360:新人艦長:2025/06/20(金) 15:50:57 HOST:182-166-38-132f1.osk2.eonet.ne.jp
 英海軍は1975年までに配備され空母部隊の主力艦上戦闘機として運用されたが1980年には全機がスーパーホーネットに代替された。
 比較的早期に退役したことから大多数の機体は米国でオーバーホールを受けたのちに最新鋭戦闘機を欲していたクウェートとUAEとカタールとオマーンに売却された。

 クウェート、UAE、カタール、オマーンは1980年ごろには第5次中東戦争では中立であった。
 しかし周辺情勢の急激な悪化から軍備の強化を求められていた。
 そこで当時寿命が残っていた英海軍のF-17を購入、運用した。
 クウェートは2000年、UAEも同年、カタールは翌1年、オマーンは2005年まで運用した。

 日本は第二次世界大戦後は47式艦上戦闘機(史実フューリー)、60式艦上戦闘機(史実ファントム)に続く機体としてF-17を68式2号艦上戦闘機として導入した。
 日本の空母機動部隊の主力機として80年代通して活躍。
 87年にスーパーホーネットが87式艦上戦闘機として導入されたことから段階的に退役、1998年に全機が退役した。

 以上は主に海軍での運用だがその他に空軍でも運用された。

(運用-輸出国空軍)
 空軍で運用した主な国はオーストラリア、マレーシア、タイ、ベトナム、フィリピン、カナダ、フィンランド、スイス、スペインである。

361:新人艦長:2025/06/20(金) 15:51:29 HOST:182-166-38-132f1.osk2.eonet.ne.jp
 オーストラリア、マレーシア、ベトナム、タイ、フィリピンはインドネシアを警戒して大量の戦闘機を求めていた。
 その中である程度の性能とお値段の良さからこれらの国々は購入した。
 これらの国々に配備された機体は概ね2010年までに全機が退役している。
 これらの機体が参加した大きな戦闘は1975年に起きた東ティモール戦争である。
 1975年にインドネシアはカーネーション革命で混乱中のポルトガル領東ティモールに侵攻した。
 当時東ティモールはカーネーション革命によるポルトガルの植民地政策の変更により独立に進んでいた。
 東ティモール独立をオーストラリアと米国と日本は支援し、東ティモールはポルトガルとの安全保障条約の範囲内と宣言していた。
 ポルトガル本国の政治的混乱の中で東ティモールは着々と独立への準備を進め、1976年半ばには完全独立という形でポルトガルと交渉していた。
 これをよく思わなかったのが隣国インドネシアだった。
 インドネシアは東ティモールの急進独立派を扇動し、特殊部隊や工作員による不安定化工作を実施した。
 そして1975年11月28日、インドネシアは東ティモール内部のインドネシア人保護を名目に侵攻した。
 当時混乱状態で撤退準備中だったポルトガル軍は抵抗できずに翌日には首都ディリを奪われ降伏。
 この事態にポルトガルは日米豪に東ティモールの安全保障条約適応を依頼し、ポルトガルは東ティモール占領を理由にインドネシアに宣戦布告、ポルトガルの宣戦布告を理由として豪もインドネシアに宣戦布告した。
 さらに西側の東南アジア相互安全保障機構である東南アジア軍事同盟もインドネシアに宣戦布告した。
 これにより東ティモールをめぐり東南アジア諸国とオーストラリアとインドネシアの大規模な戦争に発展した。
 この戦争で西側主力戦闘機となったのがF-17だった。
 インドネシア軍のMiG-21と各国F-17は各地で制空権をめぐる戦闘を行い、最終的に1977年にポルトガル・オーストラリア連合軍が東ティモールに上陸、インドネシア軍を撃退して解放、米軍がさらに軍事支援だけでなく直接的な介入をちらつかせたことでインドネシアは撤退して東ティモールの独立を承認した。
 この戦争で東ティモールは独立したが戦争中にインドネシアは東ティモール人の意図的な虐殺を行っていたことが発覚。
 東ティモール人およそ8万人が行方不明となり、現在までに5万人が殺害された状態で発見されている。

 スペインやフィンランドなども購入して運用したが現在では退役している。

362:新人艦長:2025/06/20(金) 15:53:11 HOST:182-166-38-132f1.osk2.eonet.ne.jp
以上です。
これまた史実機体の出来が良すぎていじる必要がないというネタ。
なので運用の方がメイン。
時代的に東ティモール紛争が東西冷戦の一環となりうるのでホーネットには活躍してもらうし麻薬戦争もなかなか過激な方策を取ります。

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最終更新:2025年06月23日 21:55