673:戦車の人:2025/01/13(月) 16:47:34 HOST:61-24-203-31.rev.home.ne.jp
日米枢軸世界支援 M37自走122ミリ榴弾砲 (改訂版)
0.車体諸元
全幅:3,0メートル 全高:2,7メートル 全長:7.2メートル
戦闘重量:20トン 乗員数:5名(操縦手、砲手、装填手2名、車長)
武装:38口径122ミリ榴弾砲1門(弾薬40発)
:12.7ミリ重機関銃1門(弾薬600発)
エンジン:水冷4サイクル6気筒ディーゼル/360馬力 サスペンション:トーションバー方式
変速機:前進5速/後進1速半自動式・超信地旋回対応
最大速度;毎時55キロ 航続距離:路上500キロ以上
674:戦車の人:2025/01/13(月) 16:48:09 HOST:61-24-203-31.rev.home.ne.jp
1.概要
世界大戦直前の段階で、合衆国陸軍が開発配備に漕ぎ着けた最初の近代的自走榴弾砲。
完全装軌車体に密閉式の全周砲塔を備え、38口径122ミリ榴弾砲を主砲として搭載している。
砲兵部隊の自走化が遅延していた世界大戦前の合衆国陸軍、その切望から短期間に開発、実用化された。
ここで本車について触れる前に世界大戦前の合衆国陸軍、連邦軍の状態について触れておきたい。
基本的に小さな政府を国民性から求め、また日本に匹敵する大海軍を彼らは常備で有している。
そのしわ寄せは陸上兵力、特に安全な本土を守る陸軍に集まり、常備兵が非常に少ない有り様であった。
少数の現役将校と下士官が司令部のみを維持している師団も少なくなく、実働能力は当然乏しい。
有事に際しては定期訓練を受けているとは言え、州兵や民兵を招集し兵力の主体としなければならない。
つまり練度で非常に不安があり、また満州戦争を経験した日本と異なり最新のドクトリンにも疎かった。
欧州情勢の不安定化に対して連邦陸軍も、それなりに手は打った。特に機械化と自動車化は大いに進んだ。
一方で砲兵火力は牽引式重砲が主体となっており、数量もけして十分と言えるものではなかった。
大口径の野戦重砲はそれだけ多数の兵員を必要とし、高価であり、平時の連邦軍では手が出しにくかった。
故に近い将来の大戦争に対し練度の低い多数の兵士、最新ドクトリンを知らない将校、不足気味な砲兵火力。
そんなもので合衆国陸軍は挑む羽目になりかねない。欧州の高練度常備軍と交戦した場合、短期に壊滅しかねない。
この点に大いに悩んだ合衆国陸軍は、低コストな122ミリ野砲を搭載する機動性に富んだ自走砲開発を決心。
総合重工業コングロマリットであるカモミールに可否を問うと、半年以内に試作車を完成させると返答があった。
なかなか注文が来ないために設計に留まっていたが、彼らも近い将来の戦争を想定。
赤軍式の簡素だが堅牢な自走榴弾砲が必要ではないかと、輸出用名目で車内開発を進めていた。
車体は既に合衆国軍で相当数が採用されている、M75汎用装甲牽引車・兵員輸送車を流用している。
史実のソ連軍MT-LBを合衆国式の設計と品質管理で汎用性、信頼性を高め、やや大型化した車両である。
工兵隊も機械化が進んでいたため、原型のような浮航能力は持たず、車体も防弾鋼板製である。
合衆国軍が少数とは言え有する203ミリ榴弾砲の牽引まで対応するため、駆動系もパワフルで扱いやすい。
またパワーパックを車体前部に当初から備え、まるで将来の自走砲開発に備えたかのような構造であった。
備えたも何もカモミール自体、共産趣味の転生者が作り上げた大企業故に、その通りなのだが。
第一次試作車1個中隊相当は約束通り、4ヶ月で完成を果たして軍へ納入されることとなった。
概ね良好な車体性能、砲火力、防護性、何より世界大戦直前の情勢故に即時採用。増額予算で量産へ入った。
やや火力は控えめだが汎用性と信頼性、量産性に優れ、短期間に予備師団まで五桁近くの配備に漕ぎ着けている。
675:戦車の人:2025/01/13(月) 16:48:49 HOST:61-24-203-31.rev.home.ne.jp
2.車体構造
車体前部にエンジン・変速機が一体化したパワーパックを備え、その後方に122ミリ榴弾砲を搭載した砲塔、戦闘室が続く。
全幅3メートル、全高2.7メートル、全長7.2メートル、戦闘重量は20トンほどと、M34やM44中戦車に比べ相当軽量である。
これにより工兵隊、あるいは補給部隊への負担も大きなものではなく、低コストと取得性を重んじている点が伺える。
乗員数は5名で操縦手、砲手、車長、そして弾薬と装薬それぞれを扱う装填手各1名で、十分な戦闘動作容積を持つ。
当初は機力装填補助装置を搭載して、乗員数を4名とする案も存在したが、工数とコストが増大すること。
装填手に関しては比較的訓練が容易なことから、敢えて乗員数を増やすことにより、一定の発射速度維持を狙った。
砲塔及び車体は両方とも防弾鋼板の溶接構造であり、直線を主体とした設計故にやはり工作点数は少ない。
カモミールはこの自走砲を中小企業の工場でも生産できるよう、最大限簡素化し、自社グループ中小も参加させている。
このあたりは幅広い裾野を持つ、合衆国でほぼ唯一に近い総合重工メーカーだから出来る配慮、設計である。
駆動系はサスペンションに一般的なトーションバー構造を採用し、信頼性と整備性、そして生産性をやはり重んじている。
既に汎用装軌車の段階で熟成されたもので、大きな発達余裕を見込んだため、強度上昇の必要性すらなかった。
履帯も生産性に優れるシングルピン方式ながら、幅広のものを持ち、接地圧低下と機動性向上を両立させている。
車体前部にパワーパック方式で搭載されたエンジンと変速機は、日系自動車法人の商用品を主体に製作されている。
水冷4サイクルV型6気筒360馬力ディーゼル、半自動変速機の何れもが商用トラック、大型バスで多用されるものである。
この点は熟練した兵士が少ない一方、日本と並びモータリゼーションが進み、多くの市民が免許証を有している。
その技能を最大限活用するべく、三菱等の自動車メーカーとOEM契約を結び、短期間に完成されたパワーパックである。
操縦方法もM44戦車で導入された、あるいは商用トラック同様のバーハンドル方式で、マニュアル方式に比べ平易である。
大多数の兵士を州兵、民兵から補わねばならない連邦軍の実情を受け、低コストかつ扱いやすい構造のシステムである。
最大速度は路上で毎時50キロ以上、路外でも毎時30キロ以上を発揮し、操縦性も軽快かつ平易なものだった。
特筆するべきは航続距離であり、燃費に優れる商用4サイクルディーゼル採用により、路上で500キロ以上を踏破可能である。
無論、大多数の移動には鉄道やトランスポーターを用いるが、20トン以下の軽量さ故に商用トランスポーターを多用できた。
表に出にくい要素であるが、セミオートマチックトランスミッションにより、本車は超信地旋回も可能となっている。
これは迅速な陣地転換による対砲兵射撃からの退避、陣地離脱、転換に際して迅速性を齎している。
やや破壊力や射程で欧州軍砲兵に劣る本車にとっては、大きな生残性を齎すことに成功し、軍からも好評を博した。
連邦軍が初めて導入する自走榴弾砲故に、まずは扱いやすい低コストで、即座に量産が可能なことを一義としている。
その上でM34やM44を装備した戦車隊、装甲兵車が急速に普及する歩兵に十分追随できる機動力を獲得。
合衆国軍は高いとは言えない練度を、最大限諸兵科連合を維持することにより補う。その努力をよく払っていた。
676:戦車の人:2025/01/13(月) 16:49:25 HOST:61-24-203-31.rev.home.ne.jp
3.砲火力
本車は電動全周旋回砲塔に、既に連邦軍で多用されている40口径122ミリ榴弾砲の車載型を搭載している。
日本軍と規格共通化を行う合衆国軍では珍しく、独自規格の野砲であり、105ミリに劣らぬ操作性とより長い射程を持つ。
操砲人員は砲手、装填手2名、車長の4名で、装填は完全な人力式で、装填補助装置などは搭載されていない。
これは122ミリ榴弾砲の弾頭、装薬が155ミリ重砲ほど重くはなく、装填手を分散すれば過度な疲労を齎さない。
また商用品ベースのベンチレーターと空調を持ち、乗員の戦闘力維持に努め、配置も人間工学に沿ったもの故である。
持続発射速度は毎分3-4発、短時間なら毎分6発前後で、概ね必要十分な発射速度である。
車載38口径122ミリ榴弾砲は通常弾-信管付榴弾を用い、毎秒700メートル前後の初速で射撃が可能である。
最大射程は15キロ以上、ロケット推進榴弾ならば20キロ以上で、長砲身故に当時としては長い射程を誇る。
弾頭重量は20キロを超える程度で、150ミリ級には劣るが、当時の築城や装甲車両には十分有効であった。
射撃統制は弾道計算機などは持たず、弾着観測班や航空機から無線で情報を得て、マニュアル方式で行う。
ただし本車の原型となった装軌汎用車ベースの指揮通信車が、半自動式のパラメトロン弾道計算機を全車が搭載。
指揮通信車の電子計算に基づく射撃指示により、当時の欧州砲兵よりは迅速、正確な射撃が可能であった。
これも地道な点であるが車長と砲手を独立して配置することで、車長は指揮通信に専念できる。
砲手は操砲に集中できるという、頭数の多さを用いた戦闘動作の分散により、M37は練度の低い兵士にも適している。
彼らが日本軍より得た生産性、習熟性を一義にという助言を、概ね正しく理解して実現した結果と言える。
車載無線機もトランジスタにはまだ至らないが、メタリック真空管を用いた信頼性の高いもので、野戦でもよく通じた。
砲兵という遠距離間接射撃を行う兵科部隊にとって、良好な通信を維持することは死活に直結する。
破損に備え豊富に予備の真空管も準備され、この時代としては良好な通信能力も火力発揮に貢献している。
なお砲塔は上に述べた通り、電気式旋回方式を採用しており、旋回速度こそ毎秒20度だが即応性に優れている。
砲の俯仰も電気式で、このあたりは日本と並び、官需と民需双方で先端を走っていた合衆国ならではある。
無論、何らかのトラブルで電気系が故障した場合は、油圧補助による人力操砲のバックアップも有している。
なおこの頃の合衆国軍は、急増する軍事予算で強大化したものの、やはり練度に自信を持てない一面があった。
つまり機甲、歩兵との連携が崩れ、敵戦車隊なり歩兵の浸透突破を受けた場合の、砲兵の自衛能力を求めた。
この点はまず砲塔上面に12.7ミリ重機関銃と7.62ミリ機関銃各1門を、車長及び装填手ハッチに搭載。
砲自体も簡素ながら直截照準器を備え、1台につき40発の搭載弾薬数の1割にも満たないが、対戦車榴弾も準備された。
これらを用いる局面は、常に航空優勢や良好な指揮通信が維持されたため、殆ど生起しなかったが。
良好な指揮通信、十分な発射速度、長射程、高機動性は、高練度のドイツ砲兵を相手に、互角以上の戦闘を見せている。
677:戦車の人:2025/01/13(月) 16:50:21 HOST:61-24-203-31.rev.home.ne.jp
4.部隊配備及び運用
概ね満足するべき性能、信頼性、生産性を獲得した本車はM37自走榴弾砲として、1910年代前半に正式採用を獲得。
欧州情勢が不安定化を更に深め、合衆国軍も海外派兵が十分ありうる情勢故、連邦陸軍も予算と兵員数を大幅に拡大。
カモミールを中心に各州の中小企業さえ生産を委託され、年産1000台を超えるペースで部隊配備が急速に進められた。
この頃になると低練度の軍隊が勝利するには、何よりも兵站と機械化、そして砲兵火力と連邦政府及び議会も承認。
軍が求めた連隊につき1個砲兵大隊24台の配備を認め、師団あたり軽く70台を超えるM37が配備されることになる。
当時は牽引式であった155ミリ重砲を持つ師団砲兵とあわせれば、実に100門近い重砲を1個師団が有することになった。
簡素堅牢な構造、単純化された戦闘動作、図解を多用した教本を用いたマニュアル教育も、州兵や民兵動員に貢献。
まずは目の前の戦闘動作をマニュアル通り行える兵員を揃え、火力と電算で練度を補う、後々までのドクトリンを構築している。
生産ラインでも同様であり、素人でも理解できる教本教育、流れ作業の徹底で品質管理と生産性向上を成し遂げている。
合衆国が世界大戦に参戦したのは比較的遅い時期だったが、それ故に本土で十分、マニュアル訓練を行う時間があった。
この頃になると戦車隊、歩兵部隊、あるいは空軍と連携を行う練度を獲得し、嘗ての低練度な砲兵より脱却していた。
全ては合衆国が得意とするマニュアル教育、日本からのドクトリン教授、そしてM37の簡素で実用性に富む設計故である。
欧州戦線へ参加した合衆国陸軍は、依然として欧州列強に比して練度で劣り、何より実戦処女という遜色があった。
それをほぼ帳消しにしたのが砲兵火力であり、1個師団が自走砲だけで70台以上の重砲を保有している。
指揮通信車は電子計算機さえ搭載し、マニュアル通りながら集中射撃と迅速な陣地転換で、大火力と生残性を発揮。
また自走砲を補うように商用トラックを用いた122ミリ多連装ロケット砲さえ、やはり多数投入され、陣地ごと耕してくる。
本来なら兵站に莫大な負担がかかるが、日本と並ぶ自動車大国故に多数のトラックが、莫大な弾薬消耗を見事に補った。
更には欧州軍では逆立ちしても叶わない航空優勢により、常に飛び交う弾着観測航空機が、火力発揮の仕上げを行った。
戦後は戦時中に師団砲兵として導入されたM44自走155ミリ榴弾砲に急速に代替され、州兵等へ払い下げられた。
一方で本自走砲の高い実用性と低コストは、日本と合衆国の同盟国にとっても魅力的で、購入の打診が相次いだ。
次なる世界大戦を抑止するにあたっては、友好国の軍事力向上も必要と判断され、連邦政府はM37輸出を認可。
自走155ミリ榴弾砲の配備に伴い余剰となったM37は、同盟国基準に基づき安価に輸出され、一定の外貨も獲得した。
基本設計が簡素、堅牢、安価故に、友好国価格で売却しても、十分元が取れる商売でもあった。
また世界大戦前の合衆国と同様、自走砲の運用経験がない国家には、軍事顧問団の派遣でコスト回収も行えた。
21世紀現在では流石に大多数が退役しているものの、日本、合衆国の友好国等では、相当数が現役である。
無論、21世紀水準の商用駆動系やC4I、装填補助装置などを備え、原型を止めないが、その火力は今尚有用である。
合衆国陸軍砲兵を機械化した最初の自走砲にして、ドクトリンを構築したM37は、最終的に2万台が各国で生産、採用された。
最終更新:2025年07月13日 21:18