678:戦車の人:2025/01/13(月) 16:51:15 HOST:61-24-203-31.rev.home.ne.jp
0.車体諸元
車体全幅:3.2メートル 車体全高:3メートル 車体全長:7.7メートル
戦闘重量:30トン 乗員数:5名(操縦手、砲手、装填手2名、車長)
武装:34口径155ミリ半自動榴弾砲1門(弾薬40発)
:12.7ミリ重機関銃1門(弾薬600発)
エンジン:水冷4サイクル8気筒ディーゼル/500馬力 サスペンション:トーションバー方式
変速機:前進5速/後進1速半自動式・超信地旋回対応
最大速度;毎時55キロ 航続距離:路上500キロ以上
679:戦車の人:2025/01/13(月) 16:51:56 HOST:61-24-203-31.rev.home.ne.jp
1.概要
世界大戦勃発に伴い本格的な軍拡、軍の近代化に着手した合衆国陸軍が開発した自走榴弾砲。
M37を連隊砲兵とすればこちらは師団砲兵大隊を担うもので、ついに155ミリ榴弾砲の車載化を果たしている。
従来重く人員数が必要ということから敬遠されたが、総力戦参戦を前に予算と人員が大幅に増えた恩恵である。
師団砲兵故に戦域全般の火力支援が求められ、より大威力の榴弾を20キロ以上の射程で投射出来ること。
それをM37と大差ない軽快な機動性で展開することが要求され、当時としては高度な自走榴弾砲であった。
搭載砲の大型化に伴い車体、砲塔もM37に比較して一回り大きく、重量もM34中戦車に匹敵する。
一方でカモミールの高い技術を用い、可能な限りM37とコンポーネントを共通化し、生産性と整備性の両立。
更には容易な習熟性により、砲兵適性を有する新兵が出来るだけ短時間で、運用できることも配慮された。
このあたりはM37で自走砲開発、運用ノウハウを掴んだ合衆国軍が、正しい形でそれを身に着けたことを意味する。
カモミール側も心得たもので、合衆国軍側から出された要求に対し、M37の時と同様に半年で試作車完成を確約。
史実のソ連軍2S3自走榴弾砲を参考として、コンポーネントをM37と共通化し、車体規模の拡大に適用。
駆動系もやはり商用技術主体の、一種の統制型エンジン方式で無理なく増力し、必要十分な性能を得ている。
流石に155ミリ榴弾砲を搭載する関係上、車体規模が大型化したため、M37のように四ヶ月で完成とはゆかなかった。
しかしほぼ契約通り半年間で一次試作車1個中隊を完成させ、合衆国陸軍に提供を果たしている。
共産趣味を楽しみつつも、総合重工業コングロマリットとして高い技術力、裾野生産力を持つカモミールだから出来た芸当である。
直線主体の電気溶接構造で構築され、高い生産性と実用性を感じさせる試作車は、概ね期待に違わぬ性能を発揮。
無論、新型装備故に手直しが必要な箇所は相当数に登ったが、何れも短期間で解消。改善が可能であった。
なおこのような不具合の改善に際してもカモミールは、自社傘下中小企業を積極参加させ、技術獲得を行わせている。
世界大戦勃発から1年半ほど、1916年に合衆国陸軍は本自走砲をM44自走155ミリ榴弾砲として正式採用。
M37の急速生産と並行し、急速に動員が進む現役兵師団や海兵隊。その師団砲兵大隊に配備を行った。
師団砲兵故にM37ほどの数量ではないが、それでも年産400台前後のペースで生産と部隊配備を成し遂げている。
1917年の合衆国参戦当時には15個師団以上が、師団砲兵大隊を本自走砲で充足させ、訓練を終えていた。
参戦の主体となったのは海軍と空軍で、陸軍や海兵隊の本格参戦は比較的遅かったが、それも幸いしている。
安全な本土で砲兵を含め機械化された師団単位の運用訓練を、必要十分に行うことが可能だったのだから。
また試験的に装備・練度優良な機甲師団等では、連隊砲兵に至るまでM44に転換した部隊も複数存在している。
本格的に陸軍、海兵隊が参戦した世界大戦後半において、M44を装備する師団砲兵大隊は文字通り猛威をふるった。
以下においてはM37と並んで合衆国砲兵の近代化の礎を築いたM44、その要素技術について触れてゆきたい。
680:戦車の人:2025/01/13(月) 16:52:34 HOST:61-24-203-31.rev.home.ne.jp
2.車体構造
122ミリより一回り以上、口径も弾薬も大きな155ミリ榴弾砲を搭載するため、車体規模はM37より相当に大きい。
車体規模だけならM44中戦車よりも大きく、戦闘重量も30トンとM34中戦車に匹敵するものである。
世界大戦が激しかった1910年代で、これほどの大型自走砲を運用していたのは同盟国日本程度である。
全幅3.2メートル、全高3.0メートル、全長7.7メートル、戦闘重量30トンとは、それほどの車体規模であった。
既にM34やM44といった主力中戦車を、商用トレーラーで戦場まで移動可能な合衆国軍故に実用化出来た車両である。
奇をてらわない正攻法の設計は実用性と信頼性に優れるが、相応の車体規模と重量も要求するのである。
その上で全周旋回式砲塔を装軌車体に搭載するレイアウトはM37より踏襲し、コンポーネントも最大限共通化された。
特に駆動系は転輪こそ上部転輪を持つ、やや複雑な構造となっているが、基本的にM37の拡大改良型である。
師団指揮下の砲兵隊において、最大限整備を共通化し支援部隊の。ひいては生産側の負担軽減に努めている。
砲塔、車体は何れも防弾鋼板の電気溶接構造であり、M37譲りの直線主体の工数減少に努めた無骨なものである。
同時に軽合金ではなく防弾鋼板主体故に、重砲曳火射撃などに対して相応の生残性と防御力を持つ。
乗員配置もM37と同様で車体に操縦手を、砲塔内部に砲手、車長、装填手2名を配置し、戦闘動作容積も確保されている。
車内レイアウトもM37と同様、車体前部にパワーパックを配置して、その後方に砲塔と戦闘室を有する一般的なものである。
レイアウトの共通化は当然コンポーネントの共通化も容易としており、無線機や空調なども共通化されている。
このあたりは如何にも
アメリカらしい合理主義、そして総力戦への参戦を見据えた習熟性と生産性重視が伺える。
なお世界大戦から程なく、毒ガスの使用が双方の陣営で確認され、M44の量産型では防護装備が追加されている。
当時としては珍しい個人装具方式で、車内を与圧しつつも戦闘動作が可能なものとなっている。
後の合衆国戦闘車両のABC防護装備も個人装具方式であり、M44及び同世代AFVはその基本を作り上げている。
駆動系もM37の拡大改良型で、転輪こそ車高増大に伴い上部補助転輪を用いる、やや部品点数の多いものに変わった。
しかしサスペンションは一般的なトーションバー構造で、必要十分な強度と高い生産性を概ね維持している。
履帯も増幅されたがM37と同様に生産性に優れるシングルピン方式で、接地圧低減させつつ、過度な性能も抑制している。
動力系はM37と同様、エンジンと変速機が車体前部にパワーパック方式で搭載され、車内容積を最大限効率化している。
エンジンもM37で採用された水冷4サイクルディーゼルを原型に8気筒に増やし、統制型構造として共通化を果たした。
過給器などを併用し水冷4サイクル8気筒で500馬力の出力を発揮、30トンの車体に十分な出力を与えている。
変速機もM37のそれを原型に重量増大に対応したセミオートマチック方式であり、M37と大差ない容易な操縦性を有する。
無論、超信地旋回も可能であり、最大50キロ以上の速度も相まって、陣地転換を概ね迅速なものとしている。
燃費に優れる水冷ディーゼルと半自動変速機、トーションバーの組み合わせは、航続距離の面でも優れた性能を発揮している。
681:戦車の人:2025/01/13(月) 16:53:10 HOST:61-24-203-31.rev.home.ne.jp
3.砲火力
M37自走榴弾砲と同様、M44も電気溶接構造かつ4名式の全周砲塔を車体に備え、駆動系は完全に電力化されている。
旋回速度は毎秒15度とM37よりやや遅いが、必要十分な旋回俯仰速度は維持し、電気系統の信頼性も良好である。
砲塔には大型ハッチがペリスコープとセットで2基備えられ、12.7ミリ重機関銃を砲塔上面に標準で搭載し、防楯も備えている。
その砲塔にはこちらは大型装軌車に搭載するからこそ、原型の牽引砲より薬室を拡大し砲身を延長した新開発砲を搭載。
砲身長34口径に至る155ミリ榴弾砲は、重量43キロ以上の高性能榴弾を初速毎秒740メートルで、20キロ先まで投射可能である。
ロケット推進補助砲弾なら24キロ以上に射程は延伸され、概ね当時合衆国軍が想定した師団戦域をカバーできる。
何より122ミリ榴弾砲に比べ倍以上の弾頭重量は、それだけ大威力を発揮し、強固な永久築城にも有効であった。
同時に155ミリ砲から優先して、この頃には砲兵隊にも電波式近接信管が砲弾に備えられ、著しく曳火射撃が容易となった。
対空砲弾と同様、電波検知器が目標上空一定高度を検出、炸裂するもので、軽戦車や装甲兵車すら制圧できた。
一方で砲弾の大重量化。しかし1台あたり極端に乗員を増やせない事情から、M37では見送られた装填補助装置が導入された。
油圧式のトレイに砲弾、装薬を乗せれば機力式で最終装填を行うもので、これにより装填手の負担は大きく軽減された。
なおこの装填補助装置自体は新奇なものではなく、高射砲や海軍の両用砲で多用され、既に実績のある装置である。
装填速度は短時間の集中射撃ならば毎分4発、長時間の継続射撃ならば毎分2発と、当時としては平均以上である。
何より装填補助装置を用いることで、発射速度が低下しにくく維持しやすいことが、M44自走砲の大きな長所であった。
無論、最も体力を用いる装填手を筆頭に、乗員疲労軽減のためにABC防護を兼ね空調を備え、動作容積も十分を持つ。
固有の弾道計算機は持たないがM37、ひいては同世代のAFVと共通規格のメタリック真空管式の信頼性の高い無線機を搭載。
これにより弾着観測班の情報に基づいて、指揮通信車がパラメトロンコンピュータで算出した諸元を音声、口頭で受信。
電気機械を介して操砲を行うマニュアル方式ではあるが、1個中隊あたりに指揮通信車が付属するため、射撃統制は容易である。
直接的な自衛手段としては砲塔上面の重機関銃の他、M37と概ね共通規格の簡素だが視野の広い直接照準機を搭載。
高性能榴弾、あるいは対戦車榴弾を用いた直接照準射撃も可能で、世界大戦の浸透戦術への恐れと対応が伺える。
なお対戦車榴弾は距離と関係なくRHA400ミリ相当を貫通可能で、この時代の如何なる戦車でも命中すれば撃破できた。
やはり欧州交戦当事国は砲兵への浸透強襲を互いに多用するという情報から、機関銃も砲塔上面に増設された。
緊急時に装填手が用いる7.62ミリ機関銃で、分隊支援火器や車載機関銃として多用されてきたものである。
増設時には弾薬を2000発ほど搭載することが可能で、超信地旋回可能な機動性と併せ、歩兵や戦車の救援まで耐えるのである。
格別高性能、高精度という砲システムではないが、近接信管を用いた曳火射撃や装填補助装置による安定した射撃速度。
指揮通信車の電子計算機による諸元計算支援などにより、必要十分以上の火力を安定して発揮できる構成である。
本車は師団砲兵大隊に24台が配備され、戦時においては師団支援火力の切り札として大いに期待された。
682:戦車の人:2025/01/13(月) 16:53:44 HOST:61-24-203-31.rev.home.ne.jp
4.部隊配備及び運用
M37に遅れること1916年、のべ1個大隊相当の試作車による各種試験運用を経た合衆国軍は、概ね本車の性能と実用性に満足。
M44自走155ミリ榴弾砲として正式採用を行い、カモミール及びその傘下の中小企業に対し、師団砲兵用として1000台をまず発注した。
当時の合衆国軍は世界大戦への参戦を警戒して、急速の師団の動員が進み、また海兵隊でも砲兵の自走化が望まれた故である。
2種類の自走砲の並行製造であるが、最大限コンポーネントを共通化し、商用部品を用いることで高い生産ペースを維持。
本車も年産平均400台前後の生産と部隊配備ペースを発揮し、これまで牽引重砲を用いた師団砲兵を急速に機械化していった。
平時は司令部人員のみで、急遽動員された州兵師団に対しても等しく、現役師団と同一数量が配備されている。
合衆国の参戦が比較的遅かったことから、年単位で初心者の州兵や民兵を砲兵に作り変える訓練を行えたことが、相当に幸いした。
M37ほどではないが簡素、堅牢な構造であり、合衆国らしいカートゥーンさえ用いた図解マニュアルで、一律砲兵教育を実施。
半年程度の基礎教育により、少なくとも教本通りの射撃、陣地転換、指揮統制が可能な砲兵大隊が編成されていった。
また生産ペースが早く部隊配備が順調なことから、一部精鋭の機甲師団では戦前から、連隊砲兵までM44を装備したケースも存在する。
将来的には師団指揮下の自走砲を統一することが望ましいのは、誰もが認識しており、その際の兵站等の負担増大の試しも兼ねていた。
機甲師団のように特に重装備の扱いに慣れており、大きな自動車化兵站部隊から試験運用を行うのも、理に適っていた。
やがて1918年以降の世界大戦への本格参戦、特に日米陸軍が本格参戦した戦争末期にM44も初陣を飾ることになる。
この頃には本土での訓練進捗、精鋭部隊での全砲兵への配備最適化も進み、特に機甲師団はM44で砲兵統一が珍しくなくなった。
つまり師団指揮下に72台のM44自走155ミリ榴弾砲、追加で122ミリ多連装ロケット砲24台を備えることになる。
欧州諸国水準ならば砲兵師団水準の火力密度であり、ここに歩兵科の120ミリ迫撃砲多数なども前線支援火力として追加される。
機械化、自動車化、大火力化が進む中でも、合衆国軍は自国の民兵、州兵出身者を弱兵であると、概ね正しく認識していた。
なればこその、日本陸軍以外では他国で実現できない火力密度をもって戦線を圧倒し、多数の自動車でその兵站を支えたのである。
一般的な自動車化歩兵師団でも24台が師団砲兵として確実に付属し、攻勢と防御双方でドイツ軍等を圧倒している。
これは全ての自走砲が航空機等による弾着観測、電子計算機による射撃統制を受けられたことも、勿論大きい。
練度で優越するはずのドイツ砲兵は、火力密度と弾着観測、電子計算機により大きな消耗を強いられ、前線部隊も同様の憂き目を見た。
世界大戦が終戦に至る頃には機械化歩兵師団の中でも、M44に師団指揮下砲兵を統一する部隊が、複数存在したほどである。
またM37もM44も分厚いとは言えないまでも、防弾鋼板で砲塔と車体を構築し、信頼性の高い駆動系で迅速な陣地転換を可能とした。
これにより多くの実戦処女の砲兵が生き残って経験を積み、次第にベテランとして、練度でも遜色ないものを発揮するようになる。
世界大戦終結後も合衆国軍はM44を愛用し、やがては弾道計算機や自動装填装置さえ追加し、長期にわたり運用されることになる。
最終生産数は15000台ほどにも登り、新型自走砲就役以降も予備兵器として保管され、相当数が友好国にも輸出されている。
M37で顧客を掴んだ中小国陸軍の砲兵隊で、やはりM44系列は好評を博し、輸出車両は今でも相当数が現役運用されている。
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以上となります、wikiへの転載はご自由に。
大まかに言えば半世紀ほど前倒しで開発された、枢軸米国版の2S1と2S3です。
枢軸世界の米軍が民兵、州兵動員主体で練度に自信がないと伺いまして。
なるべく簡素で堅牢、素直な構造の、初心者向け自走砲を心がけけました。
とはいえそこは日米枢軸世界ですから、変速機を原型のマニュアルからセミオートマとしたり、
多数の自動車を有する支援部隊で兵站を充実させ、弾薬にも燃料にも困ることはない。
その上で圧倒的な航空優勢に基づく弾着観測、処方的とは言え電子計算機による諸元計算。
近接信管を用いたCVT射撃などを用い、練度や実戦経験で勝るドイツ軍などに立ち向かう形にしております。
多分これなら日本軍と協働しても連携は取れる、敵軍に火力で劣ることはないかな…と思いたいです。
長文にわたってしまい申し訳ありませんでした、それとお読み頂き有難うございます。
最終更新:2025年07月13日 21:19