967:戦車の人:2025/01/30(木) 16:29:56 HOST:61-24-203-31.rev.home.ne.jp
無幻世界支援-二式中戦車

諸元

車体全幅:3.4m 車体全高:2.6m 車体全長:7m 戦闘重量44t
乗員数:4名(操縦手、砲手、装填手、車長)
武装:58口径76ミリ戦車砲(17ポンド砲)1門
   :7.7ミリ車載機関銃2挺
砲塔装甲:120mm/60mm/60mm/40mm 車体装甲:80mm/45mm/45mm/25mm
発動機:空冷4ストローク12気筒ディーゼル/700馬力
変速機:前進6速/後進2速半自動式 サスペンション:ボギーコイルスプリング式
最大速度:40km/h(路上) 航続距離:300km(路上巡航移動時)


1.概略

第二次世界大戦における帝国陸軍の主力戦車として全期間を通じ活躍し、戦後も長く現役にあった中戦車。
英軍のセンチュリオンと並び最初期の主力戦闘戦車(MBT)としても有名であり、それに恥じない奮戦を示している。
往々にしてセンチュリオンと共同開発と勘違いされるが、実のところ開発経緯は余り似通っていない。

この戦車は元来、日本陸軍が主敵と定めたソ連軍と向き合う満州国軍向けの戦車として、コンペで開発されたものだった。
無論、同方面には日本陸軍の方面軍が存在しており、戦車師団複数さえ含むそれへの配備も視野に入れている。
いうなれば日本と満州の資金で、英国やドイツを含む複数カ国が自国新型戦車の試金石も兼ねて、開発に参加したのである。

余談ではあるがこの際に不採用となったドイツ製中戦車が、後々拡大改良の末に5号中戦車パンテルとして大成している。
史実ならばVK 30.02 (M)と呼ばれるこの35トン級戦車は、火力と機動力は申し分ないが、装甲防御がネックとなったのだ。
その点を是正して、防御力改善に伴う重量増大に伴い駆動系も一新したものが、かのパンテル中戦車である。


そしてドイツ製が不採用となり、最終的には日本製と英国製の戦車が満州国軍と日本陸軍機甲本部の本命となった。
英国製は言うまでもなく後のセンチュリオン戦車であり、バランスの取れた高性能と高い信頼性は魅力的なものだった。
既に合衆国のポピュリズムに基づく過激化が甚だしく、カナダ等の防衛のために次世代戦車開発に彼等も尽力していた。

日本製はと言えば-同盟国英軍との兵站を容易とするため、主砲はセンチュリオンと同じ17ポンド砲のライセンス品だった。
一方で全般的な形状はドイツ製試作戦車に近い、六角錐の避弾経始を重んじた電気溶接構造の砲塔。
車体も特に正面の避弾経始を大きく取った、量産性を重んじた直線主体で構築された電気溶接で組み上げられている。

最終的に明暗を分けたのは、日本陸軍が三菱重工や石川島播磨、日本製鋼所と開発したこの試作戦車を高く評価。
応急的な存在である百式に代わる国軍主力戦車として、正式採用と行ったことが何よりも大きかった。
満州国にとって近しい最大の同盟国はやはり日本で、それと装備を共通化することは、多少の性能の違いよりも大きかった。


無論、後に二式中戦車として正式採用されるこの戦車は、けして満州国との太いパイプだけで採用を勝ち取ったわけではない。
主砲こそライセンス生産品だが、砲垂直安定装置と照準器二軸安定装置からなる、オートスレイブ射撃装置は純日本製である。
弾道計算機こそ搭載していないが、これは現代のMBTでも当然とされるもので、躍進射撃の命中精度を大いに高めた。

駆動系はメリットブラウン式半自動変速機と空冷12気筒700馬力ディーゼルを、パワーパックとして組み合わせている。
またサスペンションは車体底部向上を避けるため、あえて枯れたボギー式外装サスペンションを幅広の履帯と共に用いた。
これにより車高の低減、十分な車内容積の確保、超信地旋回への対応、この時代としては長い航続距離を両立させている。

装甲防御も軽量特殊鋼のニセコ鋼板を、技術交流の大きかったドイツ戦車を参考に、避弾経始を適用する形で構築している。
車体正面80ミリ/45度、砲塔正面120ミリ/70度の傾斜装甲は、当時存在した戦車砲、速射砲の貫通を受け付けなかった。
かくして日本陸軍、満州国軍の主力として採用された二式中戦車は、日本及び満州の工廠、工場で一挙に量産へと移った。

968:戦車の人:2025/01/30(木) 16:30:39 HOST:61-24-203-31.rev.home.ne.jp
2.車体及び駆動系

欧州、満州などに広汎な兵器を含む工業製品を輸出してきた経験を持つ日本は、開発生産について一つの結論に至っていた。
どれほど優れた工業製品であっても、発達余裕や信頼性に欠けるものは、工業製品ではなく工芸品に過ぎない、と。
二式中戦車もそのような工業哲学に則り、一部で要求された過度な小型化を退け、信頼性と発達余裕を重んじたものとなった。

車体規模は百式より倍以上の重量に至り、戦闘重量は実に44トンと嘗てであれば重戦車と呼ばれるものであった。
英独との技術交流により急速なモータリゼーションを果たし、40トン級トランスポーターを量産可能故に選ばれた車体規模である。
無論、戦車回収車も並行して開発されており、野戦で故障や損傷したこの大型戦車の修理体制も構築されている。

重量だけでなく寸法も全幅3.4メートル、全高2.6メートル、全長7メートルと、百式よりも二回りほども大きい。
本土及び満州の幹線道路、鉄道網、港湾及び車両輸送船舶など輸送インフラ成長なくして、採用できない寸法であった。
この戦車を最初に配備された戦車連隊の将校は「冗談のような大きさだ」と驚嘆したとも言われている。


車体及び砲塔は概略で述べた通り、軽量特殊鋼の電気溶接で製造され、戦闘で最も被弾する正面の避弾経始も重んじられている。
砲塔は九七式改で既に導入されていた砲手、装填手、車長の3名が乗り込むバスケット構造で、電気油圧駆動を採用している。
操縦手は車体に乗り込み、百式のように車体銃を持たず、乗員数も5名から4名とされ、明らかに世代が異なることを感じさせている。

また百式までは些か貧弱であったベンチレーターも、後述する駆動系から大電力を分岐され、ようやく必要十分な性能を得た。
砲身に排煙機を備えるまでの戦車砲とは、射撃に際して大量のガスを車内に齎すもので、戦車兵の能力発揮を損ねていた。
百式や同世代の他国戦車は、連続射撃に際しては砲塔ハッチを全開にしないと、一酸化炭素中毒を起こしかねないものだったのだ。

古参の戦車兵などはこれこそ二式が新世代戦車である、より人間工学デザインを取り入れた車内配置と共に称賛している。
同時に英独と共同開発に成功した、レトルト式戦闘糧食(民間ベース)の電気式加熱器も車内に標準搭載されている。
比較的簡素ながら温かい食事が取れるとやはり好評で、協働する歩兵や工兵の戦闘糧食加熱にも使われ、士気維持に貢献した。


駆動系は動力源に三菱と石川島播磨が共同開発した、空冷4サイクル12気筒700馬力ディーゼルエンジンを採用している。
国軍が地道に開発してきた戦車用空冷ディーゼル、その集大成であり、高い工作精度や新世代の軽合金を多分に適用。
ソ連の水冷ディーゼルエンジンと比較して、信頼性と耐久性で勝り、無理のない大排気量設計で信頼性と発達余裕にも優れている。

エンジンと一体化された変速機は同盟国である英国のメリットブラウン式のパテントを購入し、独自改良を施したものである。
前進6速/後進2速の半自動変速方式として、発進と停車時以外は変速を必要とせず、バーハンドルで操縦可能である。
サスペンションはやや古いボギー式だが、外装式故に車内容積を圧迫せず、交換も容易で信頼性に優れていた。

かように十分な発達余裕、比較的枯れた技術を主体に構成された二式の車体構造は、総じて扱いやすく故障が少なかった。
機動力も前進毎時40キロ、後退毎時15キロとヒット・アンド・アウェイにも長け、路上航続距離も300キロを超えている。
何より当時の普通自動車と同等とさえ言われた、平易な操縦性は戦車兵育成も容易とし、日本及び満州双方で歓迎された。

969:戦車の人:2025/01/30(木) 16:31:59 HOST:61-24-203-31.rev.home.ne.jp
3.武装及び照準機構

戦車の一義とは火力と称して差し支えなく、敵陣制圧や敵戦車撃破が困難な戦車は、ほぼ存在意義を有していない。
ソ連軍のT-34やKV-1といった新型戦車への対応として、九七式を原型に、野砲改造の75ミリ砲を搭載した百式からも伺える。
かの中戦車は特に装甲防御に不安があったが、一定の機動力で高初速75ミリ砲の火力投射を行うべく急遽開発されたのだ。

二式もその点を履き違えてはおらず、試作車段階ではドイツ製88ミリ高射砲や英国製3,7インチ高射砲の改造型。
果ては野戦高射砲として多用されてるボフォース75ミリ高射砲の薬室拡大、砲身延長型さえ試作され、試験が行われた。
英軍の3,7インチ高射砲改造砲は実に50口径94ミリ砲で、如何に火力こそ戦車の一義と認識していたかが伺える。

そして最終的に採用されたものは、英国ロイヤル・オードナンスから打診された、当時最新の17ポンド戦車砲であった。
当時としては最良最新の戦車砲であり、それだけに開発費も安価ではなく、何らかの形の輸出を英国は必要としていた。
日本、そして満州国軍に戦車そのものの採用が駄目でも、戦車砲だけでも売り込みをかける必要性があったのだ。


当然英国から提示されたパテントはけして安価ではなかったが、日本及び満州が共同で出資し購入すること。
多数の新型戦車の量産に伴い、現実的なライセンス費用に落ち着いたことから、採用を勝ち取ることに成功している。
無論、最大の同盟国である英国の新型戦車と共通の主砲を採用し、兵站負担を軽減することも考慮されている。

この戦車砲はメートル法で58口径76ミリの長大な砲身、大きな薬室を持ち、かのパンテル中戦車に比肩する性能を持つ。
被帽付徹甲弾で毎秒880メートルの初速を発揮し、1000メートルで均質圧延装甲140ミリ以上を射貫出来た。
強力な駐退器も有しており、二式の人間工学デザインに則った乗員配置ならば、平均毎分10発の発射速度を維持できる。

何よりも優れた冶金技術に基づく設計により、他の候補となった戦車砲よりも軽量で、操砲動作の動力化も容易だった。
英独との交易や技術交流で大きく発展した電気技術により、砲及び照準器を電気式回路で安定化も十分行えた。
測距装置はステレオ式ではなく、比較的簡易な光像一致式だが、当時の戦車戦の射撃距離では必要十分であった。


砲塔の旋回や砲俯仰も電気油圧式、あるいは電気式で統制され、砲塔旋回速度は毎秒24度と迅速である。
当時、戦車が歩兵を制圧する際に必要な機関銃も、安定化された砲塔と迅速な旋回速度により、同軸機関銃で十分とされた。
やはり同世代で最良とされたパンテル中戦車が、依然として車体銃を設けた点からも一歩優れている。

なお二式76ミリ戦車砲として正式化されたこの火砲には、日英共同開発の装弾筒付徹甲弾も準備されている。
パラメトロン電子計算機により装弾筒の均質飛散の最適計算を行った、この高速徹甲弾は高価だが高い貫通力を有する。
初速は毎秒1200メートルを超え、射距離2000メートルでも130ミリ以上の貫通力を発揮する鬼札であった。

戦車砲以外の武装はチェコ製Vz37機関銃を原型に、国軍7.7ミリ実包に適合させたものを砲同軸及び砲塔上面に各1挺備える
17ポンド砲を中核とした火力システムは、合衆国軍のM4戦車隊を圧倒し、満州国軍ではソ連T-34やKV-1にやはり優位を得た。
単純な砲火力だけではなく、実用的な照準システムや高い発射速度も、米ソ戦車隊に猛威を振るったのである。

970:戦車の人:2025/01/30(木) 16:33:05 HOST:61-24-203-31.rev.home.ne.jp
4.防御構造

二式中戦車はセンチュリオンと異なり、砲塔も車体も電気溶接で製造され、適用素材もニセコ軽量防弾鋼板で統一された。
当初は装甲厚を自在に変更できる鋳造も検討されたが、生産性では電気溶接工法に比較して劣ること。
また九七式や百式で限定的とは言え導入された、電気溶接鋼板と避弾経始のノウハウを、最大限用いる形を採用している。

結果として外見はドイツ5号中戦車に酷似しており、一部ではパテントを支払わない盗作ではないかと批判もされた。
しかしそれは正確なものではなく、ドイツ戦車を参考としつつも、生産性と防御力を最適化した結果、似通ったに過ぎない。
事実ドイツ政府や国防軍も二式中戦車を盗作などと批判せず、最適解として似通ったに過ぎないと述べている。

なお砲塔と車体を構成する鋼材は、日本製鋼所等が開発したニセコ軽量鋼板である。
ニッケル、クロム、モリブデン等を適宜含有した靭性、電気溶接に適した特殊鋼で、後の均質圧延装甲に通じるものである。
希少素材適用と強度計算にも、パラメトロン電子計算機が用いられ、含有量と強度最適化計算が行われている。


砲塔は正面120ミリ/70度、側面及び背面は60ミリ/65度傾斜で、同世代の米ソ重戦車や中戦車を凌駕している。
自らが搭載する17ポンド砲の徹甲弾射撃に対しても、少なくとも1000メートルであれば耐久可能であった。
流石に装弾筒付徹甲弾の射撃に耐えるものではなかったが、当時としては概ね必要十分以上の強度を得ている。

車体も砲塔と同じニセコ軽量鋼板の電気溶接工法で、正面は80ミリ/45度傾斜と垂直換算で120-130ミリに達する。
側面及び背面は量産性を重んじるため、避弾経始はさほど重視されず、装甲厚も50ミリから40ミリ程度である。
過度な車体肥大化、あるいは諸兵科連合で補える範疇の装甲防御は、生産性のために割り切ったのである。

とはいえ脆弱なものではなく、対戦車地雷や大口径榴弾の直上炸裂には、側面や背面、上面を含め十分耐えうる。
特に米ソ双方が多数を揃えている大口径野戦重砲、その瞬発曳火射撃に耐える装甲防御は、無視できない生残性を発揮した。
敵軍からすれば十分な砲兵火力を配置したはずの戦線で、高い機動性と生残性、火力を発揮する戦車は悪夢そのものだった。


なお二式は装甲防御以外にも、航空兵と同じくらいに錬成に時間と費用を必要とする戦車兵。その生残性も重んじている。
パワーパックとして統合されたエンジンと変速機には、航空発動機のそれを応用した二酸化炭素消火器を適用。
砲塔、車体内部には散水式自動消火装置を備えることで、火災発生による戦車兵死傷率のリスクを低減。

砲塔及び車体弾薬庫は含水ゴム層で覆った湿式弾薬庫として、装甲貫通を許した後の誘爆リスク低減に努めている。
この点は満州軍に多数の兵器を輸出し、軍事顧問団さえ派遣した日本陸軍だからこそ、行えた対策と言える。
流血のもとに齎された戦訓に勝るものはないという、古今東西の兵器開発の原則そのものである。

かような装甲、間接防御装置に守られた二式中戦車は、様々な脅威に晒されても多くの戦車兵を生還させた。
戦車において最も高価な兵器とは訓練、実戦を経験した戦車兵であり、その黄金律を日本及び満州陸軍は軽視しなかった。
第二次世界大戦で二式中戦車は、改良型センチュリオンと並んでしぶとく、戦車兵を生還させる戦車としても名を馳せた。

971:戦車の人:2025/01/30(木) 16:34:33 HOST:61-24-203-31.rev.home.ne.jp
5.部隊配備及び改良

昭和16年末には「仮称新型戦車」として仮制式採用を経て、二式中戦車は本土及び満州で一斉量産が行われた。
何れも戦車工廠、民間工場、あるいは戦闘車両生産が可能な鉄道車両工場に事欠かず、配備ペースは非常に早かった。
昭和17年以降は各地月産合計300台を超え、生産合理化以降は500台に達し、急速に一線部隊の戦車隊を更新。

東南アジア等ではM4中戦車を、満州国ではT-34やKV-1を性能だけでなく配備数でも圧倒し、国軍から大きな信頼を得た。
確実に米ソ戦車の主砲射撃を阻止する防御構造、砲・照準器安定装置を含む優れた火力発揮システム。
不整地や急坂でも確実に踏破する機動性は、歩兵との協働でも有用で、主力戦車と呼ぶに相応しい汎用性を発揮している。

戦闘重量40トンを超える戦車としては異例の生産性は、ドイツ軍パンターや英軍センチュリオンも抜き去った。
このあたりは満州国及び大日本帝國が、英国やドイツに対して、安価な労働人口を多く有していたことも影響している。
なお合衆国軍戦車隊では二式に対して、M4で数量倍以上、あるいはM36駆逐戦車の支援が必須と判断する損害を受けた。


かように兵器として優れた信頼性、生産性、戦闘力を両立した二式中戦車ではあるが、初期型そのままとはゆかなかった。
同盟国ドイツはT-34/85装甲強化型や新型重戦車KV-3と遭遇し、パンテル中戦車の系譜が苦戦を強いられていた。
また合衆国軍は駆逐戦車だけではなく、M4改良型にも急速に高性能な90ミリ戦車砲搭載を普及しつつあった。

このような戦況の変化に伴い、まず改善が行われたのが装甲防御であり、30ミリの浸炭鋼板を砲塔、車体正面へ溶接。
徹甲弾被弾時に浸炭装甲の破砕により、運動エネルギーを減殺し、主装甲への貫通力を低減させる措置である。
なお浸炭鋼板は海軍の解体予定の旧式艦から多数が導入され、やがて町工場での生産へ移行している。

装甲強化に伴う駆動系への負担については、二式設計段階で10トン近い重量増大への余裕を持たされたことが幸いした。
とはいえ野戦での機動力低下は最大限避けるものであり、ボギー式サスペンションへの油圧緩衝装置の追加。
過給器によるディーゼルエンジン増力、変速機強度向上などにより、少なくとも原型を下回らない機動力を維持した。


では戦車の一義である火力については、やはり容積余裕を持たせた砲塔の恩恵により、新型戦車砲へ換装している。
英軍呼称20ポンド砲、66口径84ミリ戦車砲へ主砲を置き換え、砲及び照準器安定装置への適用を継続。
発射速度こそ毎分8発前後に低下したが、オートスレイブ方式による安定化射撃を維持し、即応性も高い。

何より安価な低抵抗被帽付徹甲弾を用いても、射距離2000メートルで200ミリ近いの貫通力は七難を隠した。
装弾筒付徹甲弾に至っては250ミリに迫る貫通力を発揮し、世界大戦末期の米ソ重戦車をアウトレンジしている。
二式改良型が投入される戦況となると、榴弾を用いた歩兵支援が主であったが、そちらの火力支援でも概ね申し分なかった。

生産システムの合理化もあり、日本陸軍及び満州国陸軍双方で合計五桁の二式戦車が採用、配備された。
発達余裕の大きさから20ポンド砲をボーリングした105ミリ戦車砲、電子化FCS、自動変速機の適用など近代化を実施。
実に1970年代末まで日本、満州陸軍双方で運用され、友好国供与車両は近代化の上、00年代まで現役だった。

972:戦車の人:2025/01/30(木) 16:35:17 HOST:61-24-203-31.rev.home.ne.jp
6.あとがき

外観はパンターFに近く、足回りはセンチュリオン系列で、エンジンは国産ディーゼル、主砲は17ポンドというごった煮になりました。
センチュリオンと技術ツリーが似てるけれど、何か違うっていう戦車ですね。ドイツ系の技術も多く入ってますし。
後は車体、装甲、弾薬などの設計に初期の電子計算機。パラメトロンコンピュータを多用して、色々と最適化も図っています。

恐らくですがM4系列、T-34系列には十分優位に立てる戦車に仕上がったかな…とは思っています。
KV-3、M4ジャンボなどが出てくる頃には、日本も出資することで開発を前倒しにした20ポンド砲搭載型の出番です。
浸炭鋼板と特殊鋼の二層装甲によりある程度、高速徹甲弾等に対する防御力も向上しております。

多分ですが戦後は大軍縮も始まるので、主砲やFCS、駆動系の刷新などを経てかなり長く現役にありそうです。
何でしたらセンチュリオンやM60みたいに友好国へ輸出された車両は、魔改造で21世紀まで活躍しているかもしれません。
色々とごった煮の戦車ですが、戦後第一世代MBTに必要な性能は、概ね付与できたんじゃないかなと。


勿論この戦車の最大のモチーフはセンチュリオンですが、朝鮮戦争や中東戦争の活躍を見てると本当に凄いですね。
比較的枯れた技術であれほどのものを作ったのは、流石戦車を最初に生み出しただけはあります。
特に優れた不整地、登坂性能は英軍戦車の得意分野で、度々予想外の地形からの奇襲も成功させてますし。

そういえば…この戦車を原型にした四式砲戦車はどうなるんでしょうね、英軍のコンウェイみたいなやつでしょうか?
あるいは固定戦闘室にして一定の装甲を確保しつつ、120ミリ級高初速砲でアウトレンジを行うとか。
装弾筒付徹甲弾を使えば大概のものは撃破できそうです、それこそ書記長3世が来ても何とかなるでしょう。

最後に本文作成を快諾して下さった陣龍様に、改めてお礼申し上げます。本当に有難うございました。
wikiへの転載はご自由に願います。またこのような長文をお読み頂いた皆様にも、お礼申し上げます。
しかし作っておいてなんですが変な戦車だなあ…(台無し

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最終更新:2025年07月13日 21:40