613:新人艦長:2025/07/02(水) 21:26:21 HOST:182-166-38-132f1.osk2.eonet.ne.jp
南洋航空ネタの派生ネタ
日本航空史上最悪の航空会社という名前で語られるという設定
民航運行公司
コールサイン:mandarin
本社:台北
ハブ:台北桃園国際空港、台北松山国際空港
(概要)
民航運行公司はかつて存在した台湾総督府傘下の航空会社である。
始まりは実は1940年代、台湾及び福建で連合軍の物資や人員を後方で輸送する航空会社としてOSSが設立した会社である。
戦争終結後は主に在中国連合軍の物資輸送チャーターで食い繋ぎ、1948年に台湾総督府に売却され、総督府の航空機の運行や相変わらず軍向けのチャーター便で経営していた。
1950年大日本航空の台湾総督府路線が分割され、その路線を引き継ぐ会社が必要ということでその運行免許を与えられたことで定期旅客便事業にも乗り出した。
台湾総督府傘下の航空会社として潤沢な資金を武器に各地から機材や人員を集めて各地へ路線を展開、1951年には近距離国際線進出、ジェット機としてのシュドカラベルやコンベアCV880、CV990導入など拡大路線を突き進んだ。
1960年代半ばには追加機材として727を大量導入するなどまさにこの世の春を謳歌していた。
と、台湾総督府傘下のフラッグキャリアとして順調に成長しているように見えたCATだったがその評判は散々だった。
「金持ちは日本航空を使う、足りない者は全日空を使う、貧乏人はファーイースタン航空を使う、その金もないのがCATを使う」
1960年当時CATのサービスは最低クラスだった。
当時の日本国内の航空会社のサービスに関する指標では大体の数字で最下位常連だった。
定時運行率、手荷物紛失率、事故率、財務指標、株価等等、全て最下位争い。
慢性的な赤字、放漫経営、天下り、規律の欠如、風紀の乱れなどなど最悪と言っていい状態。
あまりにも悪いのでメディアですら「記事にしてもスキャンダルにもならない」と言い放つ始末。
そして遂には1968年に台北市街地に香港から来たCATの727が墜落する事故を起こし、その事故で操縦していたのが正規のパイロットではなく正規の資格を持たない会社の役員と判明。
これにもはや愛想を尽かした運輸省は即日CATの運行免許を剥奪した。
そして警察と運輸省と検察と第三者委員会と会計事務所が調査した結果、社内の状況が判明した。
- 機材の整備が適切に実施されていない
- 機材の1/3が整備がなされず稼働せず
- 台湾各地の飛行場の利用料や燃料代を踏み倒し
- 整備部品を転売
- 不正な整備部品を使用
- 整備士の無資格者が多数
- 整備記録の改竄が多すぎてわからない
- 正規のセキュリティチェックを実施していない
- リース料未払い
- 従業員の給料未払い及び一方的にカット
- 多数の従業員が副業を実施
- 一方で一部役員は勤務実態が無いにも関わらず多額の報酬を得ていた
- 乗務員の訓練が適当で乗員の1割は不正な方法で免許を取得したと疑われる
- パイロットのマニュアル・安全規則無視が常態化
- パイロットの多くが基準を満たさない
- 多数の安全違反の隠蔽
- 多数の労働事故の隠蔽
- 乗務員がブランド品などの密輸に関与
- 麻薬及び銃などの密輸に関与
- 多数の使途不明金
- 多数の役員が会社の資産や資金を私的に流用
- 台湾総督府及び国会議員に大規模な贈賄や便宜を実施
- 帳簿の改ざん
- 詳細不明な多数の資産及び負債
- 大幅な債務超過
- 実態不明な会社への多額の料金支払い
- チケット代の大規模な不正
- 旅行代理店への大規模な不正
- ケータリング料金未払い
- その他多数の支払いの未払い
などなど
債務超過額は当時の日本企業の中でもトップ10に入るほどの額であった。
あまりにも酷い惨状にCATは事故調査の終了を待たずに破産。
そのまま清算された。
保有していた路線の大半は台湾第二位の航空会社だったファーイースタン航空に売却された。
保有機材の大半はそのまま売却されたがそのほとんどが適切な管理がなされなかったためスクラップとして解体された。
614:新人艦長:2025/07/02(水) 21:27:45 HOST:182-166-38-132f1.osk2.eonet.ne.jp
以上
なお史実CATも全く同じ事故起こしてる時点で察してくれな会社っす…
オリエント・タイ、バリュージェット、タイ国際航空などが混ざった日本航空史上最悪の航空会社です。
最終更新:2025年07月14日 11:56