162 :ひゅうが:2012/04/06(金) 07:52:10

提督たちの憂鬱ネタSS――「ジパング(笑)にお客さんがきました」その後



――親殺しのパラドックスという話がある。
タイムマシンを使って過去へいった人間が自分の親を殺す。するとどうなるのか?
自分の親が死んだことにより、「自分」は生まれなくなる。そうなるとタイムマシンで過去へこれなくなり、親殺しは発生しないはずとなる。
まさに矛盾という話だ。

これを利用したSF小説は数多いが、その解決策のひとつが「多世界解釈」というものだ。
世界は一瞬ごとに可能性の分だけ分岐し続ける。
自分が生まれた世界、生まれなかった世界、親を殺した時点で世界はこの二つに分裂する。
おおざっぱにいうならばサイコロをふった場合、何の目が出るかによって違う世界ができているということだ。
これが世界レベルにまで拡大された時、量子力学的に観測可能な最小の長さ「プランク長さ」と呼ばれるごくごく微細な素粒子よりも小さい単位での動きの有無により、そしてこの宇宙を構成する無数といってもいいそれらの空間の状態により宇宙は変化を続けているともいえるだろう。

ならば――タイムマシンを用いて誰かが過去へ現れた時、すでに変化ははじまっているといえるだろう。
ということは逆説的にタイムマシンが可能であれば、必然的に親殺しのパラドックスは発生しなくなるともいえるだろう。
これでは、過去は改変されても無意味である。
そのため、主としてSF的なドラマを作り出すために、あるいはひとつの歴史を「正史」として神聖視するために「歴史の修正力」という概念が登場することになる。

では。

「自分たちの過ごした歴史とは違う歴史を歩んだ世界に移動してしまったら?」

この場合、こうした想像の産物はまるきり無力となってしまう。
「既に変わってしまっているのだから、後を変えるのは容易」というわけだ。
これが事実かどうかは分からない。

だだ、いつの世界でも歴史を記述するのは人類であり、また歴史を動かすのも概ね人類の仕事である。
つまるところ、すべては「気のもちよう」といったところなのだろう。


――西暦1964(昭和39)年6月 日本帝国 帝都東京

「よう。久しぶりだな。洋介。」

「ああ。お前もな。雅行。もう二次か三次にいっているかとひやひやしたぞ?」

「ああ。既にぐでんぐでんになっているよ。艦長…いや梅津大将も巻き込まれてえらい目にあっていたんだが、今じゃよく寝ている。やっぱり皆疲れがたまっていたんだろうな。」

「東京五輪の警備計画づくりにかりだされているんだ。無理もない。俺だってさっきまでエスコート艦の予定変更に巻き込まれて泡食ってたんだから。」

日本帝国海軍少将にして統合技術研究本部の実験艦隊を統べる男、角松洋介は「俺まで巻き込まなくともいいのになぁ…」と愚痴りながらも料理店の座敷に上がった。

「お前の分はとっておいてある。おやじさーん!こいつの分、頼みます!」

はーい只今。と応じる店主。
座敷を仕切る障子を開けると、そこでは死屍累々という言葉がぴったり当てはまるような光景が広がっていた。
現在は呉鎮守府司令長官の職にある梅津元艦長(来年退役予定)は酒瓶を抱いて眠っているし、角松と菊池の友人である尾栗は鬼の戦艦「鞍馬」艦長とは思えない間抜けな様子で仰向けになって寝ている。
そのほかのかつての「みらい」クルーたちも気持ちよさそうに寝入っていた。

元「みらい」クルーの彼らに交じって、少ないが角松たちにとっても「現代」になりつつあるこの時代の男たちもまた寝入っている。
現在は第6艦隊司令として職務にあたっている「日本原潜の父」草加拓海などは眠りながら決裁印を押すようなしぐさを繰り返しているし、英国大使館付き武官から日本へ戻ってきたばかりの津田一馬などは「嶋田閣下…もう書類は…」とうわ言を言っている。

余程皆疲れていたのだろう。と角松は苦笑した。

163 :ひゅうが:2012/04/06(金) 07:52:46

「へいお待ち!」

店のオヤジが温め直した焼鳥の皿を二人分持ってきた。
どうやら菊池も角松を待っていたらしい。

二人はぐい飲みを一気に空けた。

「そっちも大変だったな。歓迎艦は『大和』に加えて『みらい』も出ることになると聞いたが。」

「ああ。何せドイツが気合いの入った艦(フネ)を寄こすらしいからな。対抗上こっちも出すものを出さなければならんのだそうだ。
うちの『常盤』だけじゃ足りんらしい。」

「それでか。こっちに予定前倒しで量産命令が来たのは。」


二人は、近況を話しあった。
といっても、海軍技研勤めの菊池と、現場で実験艦隊を率いている角松の間はそれほど疎遠というわけではないから、いきおい話は「みらい」乗組員の近況やら昨今の世界情勢の話になる。

――現在、世界はある程度の平穏のうちにある。
北米分割線は50年代のようなきな臭さを脱したし、中東の英領の独立騒ぎは急進的なものから20年後をめどにした民政移行が決まって落ち着いていた。
列強の筆頭であるこの日本周辺でも、50年代に「おいた」をした隣国で盛大な花火大会が行われたあとはまさに平穏そのものだ。
重慶政府と華南連邦の間や、北京政府と開封軍閥の間も「比較的」穏やかになっているほどだった。
そのため、1960年の予定であったのが延期が続いていたオリンピックと万博は今年開催されることが決まっている。

そして平和の祭典らしく大戦中から日本がトップを走るロケット技術を駆使して、開会式では宇宙空間(月軌道上)からのメッセージが届けられる予定になっていた。
それに対抗してか、欧州枢軸諸国は最新鋭の空母「オットー・リリエンタール」を旗艦とする親善艦隊を東京へ向かわせることを決めており、英国人たちもそれに対応して就役したばかりの豪華客船「クイーン・エリザベス」と日本人に人気の高い女王を派遣することにしていた。
そのため、日本海軍ではそのお出迎えのために予定表や警備計画づくりに多くの人手を使っていたのだった。


「まぁ、平和はいいことだな。」


角松は少し皮肉げな色を漂わせて言った。

「ベトナムやら中東で泥沼に巻き込まれていないというのはいいことだな。」

その分低強度な紛争や小競り合いは多いが、という言葉を言外ににじませて菊池も頷く。

「ときどき、思うんだよ。雅行。」

「ん?」

「俺は、平和を守るためにこの世界に入った。だが…あの頃の俺たちの周囲は、『本当に平和だったのか?』って。」

ぽつりと言った角松の言葉は、菊池のいつものような迅速な返答を期待したものだったのかもしれないが、菊池はもはや記憶のかなたにある「あの頃」について論評することができなかった。
だからこそ彼は実戦部隊から技術畑へと転職したようなものだった。


「まぁ、言っても詮無いことか。」

角松はそう自己完結させた。


そういえば、奥さんは元気か?ああ。そっちには負けるが。お前は不器用だからもう少しストレートにいくべきだろう。あんまり構ってやらんとそこの義兄(草加)が怒鳴りこんでくるぞ?

そんな他愛のないやりとりは、ある意味平和の証のようなものだったのだろう。

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最終更新:2012年04月08日 19:57