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アメリカ夢幻会世界航空会社
シリーズ4本目
樺太庁の航空会社、樺太航空
樺太航空
コールサイン:Karafuto(カラフト)
本社:豊原
ハブ:豊原大澤国際空港
(概要)
樺太航空は樺太庁が経営する樺太を拠点とした地域航空会社である。
地域航空会社として小規模な会社ながら、子会社としてウラジオストク航空を保有してロシア極東の旅客輸送を支配している。
樺太航空設立は1953年に可決された樺太庁開発法に遡る。
この法律で樺太への公共投資が進み、樺太発着の航空路線の需要が高まった。
当時樺太に向かう航空路線はTDAのローカル線が中心で東京便のみが全日空による1日一往復便のみが存在した。
人や貨物の輸送の大半は稚内から大泊への稚泊連絡船を使用していた。
しかしより広い地域への旅客需要や貨物輸送の需要に応えるためにも地元資本の航空会社を設立すべきだという機運が高まった。
おりしも当時樺太に駐屯していた日本軍も後方輸送を支援する航空会社を欲していた。
そこで樺太庁と軍が合同で1957年に設立したのが樺太航空株式会社である。
軍は樺太航空に軍のC-47輸送機を現物出資し、人などは樺太庁が手配した。
1960年に軍が出資している点が問題視されたため軍の出資分が北海道拓殖銀行に売却された。
北海道拓殖銀行はその後も出資比率を増し最終的には樺太庁との合弁会社となった。
軍の撤退以降、国内短距離路線を少しずつ増やしていったが、この頃にはTDA、全日空も路線を強化していたため大した規模にはならず細々と運行しているに過ぎなかった。
C-47も1963年にANAからリースしたフォッカーF27 5機に交代、その後リース機を買い取る形で全機F27となった。
1970年には初のジェット機として中古のフォッカーF28 4機を購入してジェット便進出を開始。
1970年ごろの路線は主に以下であった。
豊原~東京羽田/成田(デイリー一往復)
豊原~大阪伊丹(デイリー一往復)
豊原~名古屋(デイリー一往復)
豊原~博多(週二一往復)
豊原~新潟(週二一往復)
豊原~札幌丘珠/新千歳(デイリー二往復)
豊原~函館(デイリー二往復)
豊原~稚内(デイリー四往復)
豊原~旭川(デイリー二往復)
豊原~釧路(週一往復)
豊原~中標津(週一往復)
豊原~礼文(隔日一往復)
豊原~女満別(週一往復夏季のみ)
豊原~紋別(週二往復)
路線図の通りほとんどが北海道のローカル線で、需要はほぼビジネス需要を狙っていたため大多数の路線が平日に週1往復程度というローカルな小規模航空会社の域を出るものではなかった。
その後しばらくは機材更新はなく主に機体の増備が実施され新造のF28(初の新造機)をリースという形で3機追加発注して中古機と交代し日本の航空会社としては唯一YS-11を導入しなかった。(単にお金がないから)
F27 5機とF28 3機体制はおおよそ20年続いて追加機材購入を実施したのは1990年に中古のEMB-120ブラジリア8機とBAe146 4機をアメリカから購入した時である。
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ここまでは小さな日本の地域航空会社であったが冷戦終結後、にわかに北方投資が拡大すると北海道拓殖銀行の支援を受けて機体の更新と大型化を進めていく。
新型機として新造のボーイング737-800 3機とBAe ATPを7機購入した。
さらにエンブラエルから最新鋭のリージョナルジェット機EMB-145を3機購入した。
さらに夏季には追加で757をチャーターしていた。
この頃にはウラジオストクへの不定期旅客路線で国際進出、JASの有するDC-10を中古で購入するのに手を挙げる(豊原に着陸できない問題を解決できなかったので取りやめ)など積極的な進出を見せていた。
その進出の集大成が2000年のウラジオストク航空買収である。
冷戦終結後ロシア極東、特に沿海州は日本の植民地のような状態になりつつあった。
ルーブルよりも日本の円が通貨として重要視され、ロシア太平洋艦隊は債務返済名目でほとんどがスクラップとして売却され軍事力も制限された。
多くのロシア人が北海道に出稼ぎに出る状態が続き、一方で資源関係は日本が買い漁っていた。
その中でアエロフロートの極東部門から独立したウラジオストク航空を樺太航空が買収したのである。
ウラジオストク航空は当時樺太航空の3倍以上の規模のある会社であったが簡単に買収できた。
なぜなら当時ルーブルは通貨としては完全に崩壊し、ほとんど紙屑であった。
それを樺太航空は悪用したのである。
樺太航空は2000年のウラジオストク航空買収以降表向きは樺太の地域航空会社の域を出ないようにしつつ、実際にはウラジオストク航空への投資を通してロシア極東の航空需要独占を図った。
この政策は成功、時価ではアエロフロートを超すほどウラジオストク航空は成長した。
2010年には老朽化したブラジリア後継としてATR-42を購入。
この頃からサハリン州(この世界では樺太北部のロシア領地域を指す)の天然ガス田開発に伴う旅客需要拡大や経済成長から機材のさらなる大型化を志向してボーイングから737-MAX8とボーイング797を購入している。
EMB-145も追加4機を中古で購入している。
665:新人艦長:2025/07/06(日) 22:17:32 HOST:182-166-38-132f1.osk2.eonet.ne.jp
(機材)
(1965年)
フォッカーF27×5機
(1975年)
フォッカーF27×5機
フォッカーF28×3機
(1985年)
フォッカーF27×5 機
フォッカーF28×3機
(1995年)
EMB-120×8機
EMB-145×3機
BAe146×4機
BAe ATP×7機
(2005年)
EMB-120×8機
EMB-145×3機
BAe ATP×10機
BAe 146×5機
737-800×3機
(2015年)
ATR-42×4機
BAe ATP×10機
BAe146×5機
EMB-145×3機
737-800×4機
(2025年)
ATR-42×10機
EMB-145×7機
797×4機
737-MAX8×4機
(主な事件・事故)
樺太航空88便離陸失敗事故:1980年2月3日、新千歳から豊原に向かう予定だったフォッカーF28が離陸に失敗して大破炎上。乗員乗客31名が死亡。事故原因は着氷によるもの。この事故で着氷の危険性が認知されたが警告は不十分で5年後にカナダのガンダーでアロー航空機が、9年後にはドライデンでオンタリオ航空機が墜落事故を起こしている。
樺太航空190便国境侵犯事件:1965年3月18日豊原に向かっていた190便フォッカーF27が航法を誤りソ連領空に侵入した事件。航路を逸脱していることに気がついた空軍が無線で誘導して豊原に着陸。
666:新人艦長:2025/07/06(日) 22:18:26 HOST:182-166-38-132f1.osk2.eonet.ne.jp
以上です。
一気に規模が小さな地方航空会社の話ですが、子会社にウラジオストク航空を抱えている歪んだ会社です。
最終更新:2025年07月14日 12:08