350:戦車の人:2025/02/18(火) 20:16:29 HOST:61-24-203-31.rev.home.ne.jp
  • 夢幻世界支援-E60試作重戦車

第二次世界大戦終わりに、末期戦ではなく寧ろ勝者のはずのドイツが作ってしまった、重量75トンに達する試作重戦車。
生まれた経緯は東部戦線におけるKV-3やSU-107ショックであり、国防軍も装甲兵力の刷新を痛感させられていた。
その事自体は妥当であり、パンター中戦車の改良やその車体を用いた駆逐戦車など、基本、健全なベクトルで更新計画は進んだ。

しかしどんな健全な計画でも失敗の一つは付き物で、KV-3を正面から打ち破れる重戦車の開発計画でそれは生じた。
本命は名前こそタイガー2だが、実際はパンターの拡大改良型の重戦車を採用。量産配備を行っている。
一方その影でとんでもない失敗作、少なくとも工数やコスト、信頼性では言い訳のしようがない、高価な失敗作が生まれてしまった。

開発の音頭を取ったのは言うまでもなく、フェルディナント・ポルシェ博士である。自動車だけ作ってればいいのに(真顔)。
彼はKV-3とSU-107が多数出現し、東部戦線が膠着状態という状況を、自分の考えた理想の重戦車を作る好機と捉えてしまった。
しかもプランナーとして優秀で総統閣下を説得してしまい、なまじ優秀な技術を持つ天才だから始末に終えなかった。


計画名称はE60。つまりタイガー2と同等の60トン戦車とされているが、それは予算を勝ち取るための方便だった。いるよねこういう人。
彼は当時、ドイツ軍内部で開発に成功し、パンターやタイガーの一部に搭載。熟成が進んでいた車載ガスタービンエンジンに着目。
ポルシェ社が出資する形で開発速度を促進させることで、燃費こそディーゼルの倍だが、1200馬力という最大出力を叩き出した。

またトルクコンバーター式自動変速機もセットで開発に成功し、このガスタービンパワーパックは、性能だけなら10年先をゆくものだった。
耐久性に問題が存在し、エンジン寿命が200時間程度しかない欠点が存在したが、なら量産品で交換してしまえと割り切った。
ここまでならまだ良かった。いや良くはないが、将来への技術投資と考えれば十分ペイする。

半ば自社製のガスタービンパワーパックの成功を前に、ポルシェ博士はついに本性を表した。この人が常識の範疇に収まるわけ無いじゃん。
あろうことか重高射砲を改造した55口径128ミリ戦車砲を搭載、電気溶接工法で作られた車体と砲塔も相応に巨大なものに膨れ上がった。
全幅4メートル、全高3メートル、全長11メートル、戦闘重量75トン。乗員数は6名を数え、調達価格はパンター後期型1個小隊に匹敵する。


主砲は日本、英国戦車と同様に垂直安定化され、半自動装填装置さえ備え、専用の装弾筒付徹甲弾さえ開発された。
照準機構も2軸安定化されたステレオ式測距儀、パラメトロンを用いた弾道計算機、夜間暗視装置さえ備え、先進的ではあった。
半自動装填装置が故障しない限りは、発射速度は毎分6発を維持し、高速徹甲弾の貫通力は2500メートルで320ミリに達する。

装甲も砲塔正面で250ミリ/70度、車体正面で200ミリ/45度と重厚であり、確かにソ連製107ミリカノン砲を寄せ付けないものである。
側面ですら100ミリ傾斜装甲であり、内部にはグラスファイバー製ライナーが標準で搭載され、自動消火装置なども怠りはない。
何と戦うつもりなのか最早分からないような、恐竜的な火力と防御力の進化を遂げてしまった重戦車であった。

駆動系は上に述べたガスタービンパワーパック、千鳥足配置式のトーションバー・サスペンション、幅広のダブルピン履帯と凝ったものだった。
性能だけは間違いないもので、75トンに達する鋼鉄の猛獣を、最大50キロ以上で走らせ、加速性や不整地踏破能力にも優れていた。
なお250キロの航続距離を発揮するのに必要な燃料は、やはりパンター1個小隊に匹敵する。愛国心に愛着はないな!?

351:戦車の人:2025/02/18(火) 20:17:10 HOST:61-24-203-31.rev.home.ne.jp

一つ一つの要素技術は確かに優れており、国防軍が開発に出資したのも理解できないとまではいえない。10年先と言えるものさえ存在する。
だが兵器として重要な取得性や整備性は絶望的だった。何しろこの戦車1台を整備するのに、野戦整備小隊50名がつきっきりである。
長距離移動に際しては砲塔と車体を分離し、重トランスポーター2台が必要で、故障時の牽引にはベルゲパンター2台を必要とした。

性能は高い戦闘艤装も摺合せに莫大な労力を必要とし、試作車を担当する戦車兵がノイローゼに陥るほどであった。
確かに戦車、それも第二次世界大戦当時のものは、まだ信頼性が不十分で、故障している時間の方がが長いことも珍しくはない。
だが新兵器のテストに選ばれる熟練戦車兵、整備兵が逃げ出しかねないレベルともなれば、兵器以前に工業製品として限界を超えている。

「まあ60トンくらいなら…」と試作計画にゴーサインを出してしまった総統閣下は、クンマースドルフ試験場でお出しされた現物に唖然とした。
なるほど、確かに正常に稼働している限りは高性能である。それは間違いない。ポルシェが「戦車ではなく戦車駆逐機械」と壮語するだけはある。
だが野放図な巨大さと重量、陸軍試験場の手厚い整備を受けてさえ、度々発生する故障は目を覆わんばかりであった。


「私はね。多少贅沢な重戦車と言ったんだ。何だいこれはパーフェクトじゃないか」と彼が口にしたと、複数の証言が残されていたほどだった。
しかもあろうことか50台もの派生型を含む試作車が作られていたのである、なおこの段階でマンシュタインとグデーリアンはキレていた。
ポルシェ博士にまんまと騙された、あるいは悪乗りした技術将校たちの相当数の首が飛んだという。残念でもなく当然である。

自信満々に滔々と売り込むポルシェ博士相手に「不採用で」とバッサリ切られ、これ以降、ポルシェに装甲車両開発が舞い込むことはなかった。
だが本業の自動車部門は戦後の平和な時代に、大いに規模とシェアを伸ばし、別段企業経営や技術者として不幸ではなかった。
そう、戦車を作る以外は何でも出来るんですよ。戦車を作る以外は。何で戦車に食指を伸ばしたんですか?

不採用とはいえ要素技術自体は高度なものであったため、戦後のドイツ陸軍において、このE60試作車は長く実験運用などに用いられた。
戦後の戦車開発において、それ自体は兵器として失格でも、無視できない技術的貢献を果たしたのが、せめてもの救いである。
とはいえ1950年代末にはお役御免となり、試作車の殆どが装甲標的に変わるか、廃棄された…はずであった。


このポルシェ博士最後の怪作が日の目を見たのは、実に60年以上経過した201X年の、日本国内における戦車道試合であった。
学園存続を賭けて戦車道を再始動させ、見事優勝を勝ち取った大洗女子学園。国は彼女達の学校存続の約束を反故にしたのだ。
財務省内部の一派は面子にかけて、学園艦廃止の実績を求めており、また大洗の優秀な選手を求める大手戦車道流派と利害が一致。

大洗を廃校として優秀な選手を「お救い」するという、官僚と戦車道老害OGの悍ましいコラボである。なお家元は静かにブチ切れた。
財務省側は口頭の約束は契約とならない、故に大洗存続の予算も成立しない、どうしてもというのであれば。
国際的に見ても優秀な部類に入る大学選抜戦車道チームに勝利してみせよ、それならば書面で存続を確約すると告げたのだ。

そこで「大洗が絶対に勝利できないよう」、学閥などを介して省庁間の伝手を用い、大学選抜チームに持ち込まれたのがE60であった。
大学選抜チームにも矜持はあり、試合も巨大戦車運用も当初は突っぱねたが、所属校や母校の予算削減をちらつかされ、屈してしまった。
かくして「財務省疑獄試合」「日本戦車道の膿出し」「官僚たちの冬」と言われた大惨事が、幕を開けることになる。

352:戦車の人:2025/02/18(火) 20:21:13 HOST:61-24-203-31.rev.home.ne.jp
  • あとがき

はい。モチーフはベラルーシの戦車ゲームに出てくるE75君です、Tier9.5と言われるあれです。
戦時中にドイツ軍が車載ガスタービン試作に成功しており、この世界線のドイツなら、
もう少し開発や実用化を前倒しできそうだな…と思ったところから始まりました。

無論不採用です、当たり前です。ほぼ戦勝国確定なのにこんな高価な代物、誰が買うでしょう。
まあポルシェ博士とポルシェ社、じゃあ軍需部門を解散して自動車に徹するわと、
逃げ切りに成功してるあたりがホンマお前…ですが。

財務省一派としては「大洗やその増援が来ても絶対負けない戦車を」と、何かのコネで持ち込んだようです。
結果として高校強豪の隊長やネームドたちを尽く怒らせ、もしかしたら原作劇場版以上の大惨事が生じたわけですが。
wikiへの転載はご自由にお願いします。私は何でこんな戦車を書いたんだろう?(今更

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最終更新:2025年08月17日 18:27