868:新人艦長:2025/07/18(金) 17:46:55 HOST:182-166-38-132f1.osk2.eonet.ne.jp
フランス戦艦ネタやったので次はソ連戦艦ネタ

36号計画戦艦「ブレスカヤ・クレポスツィ級戦艦」
基準排水量:6万5千トン
全長:289m
全幅:37m
喫水:12m
速力:35ノット
機関:TV-12-7型蒸気タービン8基
主機: KVN-98/69型ボイラー16缶
推進器:スクリュープロペラ4軸
出力:約40万馬力
主砲:17インチ(43.18センチ)三連装砲3基9門
対空砲
AK-630 30ミリCIWS×6
ミサイル
P-500BバザーリトB対艦ミサイル連装発射機×16基
4K33 対空ミサイル発射器×2
C4ISR:アッレヤ-2
艦載機:Ka-25×3機(最大5機)
同型艦:ブレスカヤ・クレポスツィ、トゥーラ、スモレンスク、オデッサ

 ソ連海軍が最後に建造した戦艦でありロシア海軍史上最大の艦艇がこの36号計画艦である。

869:新人艦長:2025/07/18(金) 17:47:47 HOST:182-166-38-132f1.osk2.eonet.ne.jp
(建造まで)
 建造計画の始まりは1945年、スターリンが大連会談で日本が大和型信濃を、アメリカがモンタナ級モンタナをスターリンに満遍の笑みで紹介した事から始まる。
 20世紀最悪の独裁者に鈴木貫太郎とルーズベルトは自慢の大戦艦を紹介し、暗に「ソ連海軍など大したものではない。ナチスを破ったなどと思い上がるな。」と伝えた。
 大連港に停泊したモンタナ上での会談にスターリンは完全な敗北を感じた。
 どれだけ強力なソ連軍を有していてもこの戦艦群の前には海岸に出てきただけで滅多撃ちされて壊滅するのは確実。
 ソ連海軍の艦艇を束になって投じても傷一つつけられずに全滅するのは必至、もしも戦争になればこれら戦艦は容易にソ連の沿岸防衛網を突破してウラジオストクやセヴァストポリやレニングラードやムルマンスクを火の海にできる。
 ソ連がアメリカに対抗するには「モンタナ級を阻止可能な戦艦」が必要だと痛感した。
 そして帰国するなり、海軍総司令官クズネツォフ提督を呼び出してモンタナ級に対抗可能な戦艦の計画を命令した。

 ソ連の船舶設計局、さらにバルチックワークスは、モンタナ級に対抗可能な戦艦を検討し始めたが、あっという間に手詰まりになった。
 なにせ18インチ搭載艦であるモンタナ級に対抗するには最低で同格の18インチ、ソ連の艦砲製造技術では20インチ砲程度がなければ対抗不能というのが彼らソ連最高の船舶技術者の結論だった。
 そしてそもそも18インチ砲の製造技術からしてないのでどう頑張っても10年必要というのが彼らの結論だった。
 そして独ソ戦という人類史上最大最悪の戦争を終えたばかりのソ連にこんな大戦艦を作る余裕など存在しなかった。
 無い袖を振る余裕などないという事はスターリンも重々承知していた。
 結果、この案は23号計画艦、24号計画艦共々終了させられた。

 その後、潜水艦の目覚ましい発達や戦後復興、スターリンの死に伴う大型艦艇計画の見直しなどが進み、このスターリンの大戦艦計画など誰もが忘れかけた1962年、ソ連は戦艦の威力を痛感する出来事に遭遇した。
 そう、ハイチ危機である。
 米海軍はハイチに建設されつつあったミサイル基地の建設阻止を図るため洋上封鎖に打って出るが、その際バルト海の出入り口で既に戦艦オハイオとアイオワが網を張り、ハイチに近づけばニュージャージーとメインが待ち構えていた。
 ソ連の輸送船とその護衛艦艇はこれら艦艇に全く対抗できなかった。
 当時ソ連は核魚雷を実用化できておらず、潜水艦ですらこれら艦艇の撃沈は極めて難しかった。
 そのためハイチ危機はソ連の完全敗北として終了した。

 ソ連海軍は戦艦の威力を思い出し、そして再び大戦艦建造に動いた。
 皮肉なことに20年かけてソ連はなんとか42センチ砲ぐらいなら作れそうだというところまで技術が進化していた。
 ハイチ危機で完全敗北したフルシチョフに対して反フルシチョフ派はフルシチョフが水上艦艇整備計画を潰した事が敗北に繋がったと非難。
 1964年にフルシチョフが失脚すると、後任のブレジネフは海軍に再び大戦艦を建造するように命令した。
 このブレジネフははっきり言って軍事面では完全に素人で無能であった。
 当時ソ連海軍は戦艦よりも戦艦キラーとなる対艦ミサイル(後のP-500バサーリト対艦ミサイルとP-700グラニート対艦ミサイルなど)の開発を進めていた。
 これを飽和攻撃すればモンタナ級も排除可能、西側の戦艦はトータルで18隻程度で対艦ミサイルを装備した原潜と水上艦を大量に用意したらなんとか飽和攻撃で潰せそうだと試算していたところにこの戦艦建造計画が割り込んだ。
 当然設計局は大混乱に陥ったし、海軍も戦艦建造派とミサイル飽和攻撃派で分裂した。前者はフルシチョフに解任されたクズネツォフ派、後者はフルシチョフに任命されたゴルシコフ派と潜水艦閥であった。
 さらに後者に空軍と海軍航空隊と陸軍が乗っかり(これらはそれぞれ対艦ミサイルを運用して一緒になって戦艦を飽和攻撃で潰すという役割を担うことで一致していた)、一方前者には共産党と政府が乗っかった(彼らは戦艦という分かりやすい強大な駒が欲しかった。市民の世論でも戦艦がないからハイチ危機で負けたのだという声が主流であった)。

870:新人艦長:2025/07/18(金) 17:48:41 HOST:182-166-38-132f1.osk2.eonet.ne.jp
 この大乱闘は調停を投げられた国防大臣のマリノフスキー元帥が最終的にストレスによる心臓病と糖尿病で65年に史実よりも早死にしてしまうほどの騒ぎとなった。
 マリノフスキーの後任になったグレチコも収集に難儀し、ブレジネフに辞任を求めるほどにまでなってしまった。
 これを収めたのが後に国防大臣となる副首相のウスチノフであった。
 彼は折衷案として「戦艦ながらミサイルを主武装とする艦艇」を提案した。
 元々軍需産業の専門家であった彼は残念ながら今のソ連には両方を建造できる余裕などない事をよく知っていた。
 ならばいっその事、ミサイル艦艇としても戦艦としても運用可能なものを用意して矛を収めてもらおうとした。
 そしてこの案にこれ以上騒げば全員シベリアに流刑にするぞというグレチコ必死の恫喝に折れた両派閥は納得した。

 こうしてなんとか1966年に計画がまとまり、1970年に設計案がまとまった事で4隻の建造が決定した。
 これは北海艦隊、バルト海艦隊、黒海艦隊、そして太平洋艦隊に一隻ずつというものである。
 なお艦名に関しては「ソヴィエツキー・ソユーズは縁起が悪く万が一沈んだ時にどうするんだ」と言われたため完全新規となる英雄都市からブレスカヤ・クレポスツィ(ブレスト要塞)、トゥーラ、スモレンスク、オデッサが選ばれている。

(構造)
 構造は船首から
 クリッパーバウ(耐氷構造)
 第一砲塔
 1段上がって第二砲塔
 1段上がって対空ミサイル発射機
 艦橋
 マスト
 煙突
 マスト
 後部艦橋
 1段下がってP-500対艦ミサイル発射機
 1段下がって3番砲塔
 格納庫
 1段下がってヘリ甲板
 艦尾
 となっている。
 この艦最大の特徴は第二砲塔横から艦上構造物を両側から挟むように大量に林立した対艦ミサイルである。
 この艦には建造当初文字通り最新型で試作中であったP-500BバザーリトB対艦ミサイルを大量に装備している。
 連装発射機を片舷7基、両舷14基、さらに後部艦橋前にも2基の計16基装備している。
 この艦の本質はこの対艦ミサイルである。
 ウスチノフの妥協案を基に設計者たちはこの船の戦略的価値を「戦艦キラー戦艦」とした。
 P-500BバザーリトBはP-500の派生型で貫通能力を向上させた徹甲弾でモンタナ級の側面を貫通する能力を有している。
 これを運用し、最大射程250キロの彼方からスラヴァ級巡洋艦や原潜などと共に一斉に発射してモンタナ級戦艦を駆逐することのみを念頭に設計した。
 そのため主砲すらも戦艦でありながら最小限である。
 主砲は最終的には17インチ三連装砲3基9門のみ、その17インチ砲も射程は40キロ前後とあまり長射程を求めていない。
 さらに装甲面でもモンタナ級と比較すると対16インチ装甲程度の厚さで妥協されている。
 これは冶金技術の向上とこの艦は接近しての砲撃戦自体を想定せずあくまで対艦ミサイルとアイオワ級の攻撃を防げる程度の装甲に妥協している。
 そして同様に対空武装も最小限のCIWSと個艦防空用の短SAMのみという割り切りである。
 そのためこの船は防空を提供する護衛艦と一緒の作戦行動を前提に作られている。
 一方でその分速力に重点が置かれている。
 最大35ノット以上を発揮可能で、これはこのクラスの戦艦としては最速である。
 この速力でアイオワ級などの追跡を振り切り有利な位置を占めるとミサイル攻撃を行い離脱するというのが基本的な運用思想である。
 そのためこの艦は戦艦でありながら最後の巡洋戦艦とも言われる。
 艦載機としてはカモフKa-52を3機搭載するが、これは最小限で最大で5機の運用が可能なようになっている。

871:新人艦長:2025/07/18(金) 17:49:43 HOST:182-166-38-132f1.osk2.eonet.ne.jp
(建造)
 4隻の建造にはニコラーエフの第444工場(オデッサ)、セヴェロドヴィンスクの第402工廠(ブレフスカヤ・クレポスツィ、スモレンスク)、レニングラードの第183工場(トゥーラ)が割り当てられた。 

(運用)

 1番艦ブレスカヤ・クレポスツィは1977年に就役し、北方艦隊に所属、1979年のオケアン演習に参加した。
 1982年には就役したてのオデッサ、トゥーラと共にシールド82演習に参加している。
 1978年に2番艦トゥーラとスモレンスク、最後に80年にオデッサが就役した。

 ブレスカヤ・クレポスツィ級は1980年前後に4隻が就役すると西側に大きな脅威となった。
 偶然にも各国の戦艦が改修のために入渠する時期に就役したため一時的に対抗できる戦力が不足する事態になった。
 さらに対艦ミサイルの飽和攻撃自体も極めて脅威であり、イージス艦の整備が急速に進んだ。
 1980年代にはブレスカヤ・クレポスツィ級戦艦、キエフ級空母、キーロフ級ミサイル巡洋艦は西側海軍にとっては水上艦艇としては最も目障りであった。
 一般ウケという面でもいるかどうかもわからない潜水艦よりも目に見えて脅威を感じる戦艦の方がよかった。
 西側でも東側でもソ連海軍の象徴として持て囃される、或いは脅えられる存在であった。

 その象徴的な事件が1983年の大韓航空機撃墜事件である。
 この事件でカムチャツカ半島沖のソ連領海に墜落した大韓航空機の回収を日本は要求、舞鶴の第4任務部隊が出動して戦艦紀伊らがカムチャツカ半島沖のソ連領海で軍事的な示威行動を実施した。
 その際にウラジオストクからオデッサと僚艦が出撃、紀伊に対抗して領海侵入を阻止した。
 この事件でソ連側が残骸回収のために日本側が国際法違反を企んだと国内外で激しく非難し、フィンランドの調停でソ連側にやや有利な協定を日本が呑まされる事態になった。

 しかし、そんな戦艦も時代の流れには逆らえなかった。
 急激なソ連内情の悪化により、ブレスカヤ・クレポスツィ級はまだマシであったが護衛艦艇の稼働率が急減し、想定されていた艦隊行動を前提とした作戦行動が難しくなっていった。
 そして1989年に冷戦が終結、91年にソ連が崩壊、4隻はロシア海軍へと移管された。

 ソ連崩壊後、ブレスカヤ・クレポスツィ級は一言で言えば無視された。
 なぜならこのクラスは高コストな上に艦隊行動前提の艦艇で自衛能力が低く、艦隊の維持もままならない状況では丸裸も同然であった。
 結果、約10年4隻はまともな改修がなされず、整備も最低限ながら運用された。
 2000年代にやっと予算面で工面がなされたため改修工事と修繕が実施された。
 その後再度2010年代にも改修工事がなされた後2022年を迎えた。
 2022年に4隻は現役で海軍の艦隊の多くは反乱に同調せず、国連側についた。
 大体の艦艇にはお目付け役の国連軍将校が乗っていたという理由があった。
 唯一黒海艦隊のみが反乱に同調し、これに従わなかったオデッサなど15隻がセヴァストポリに脱出している。
 現在進行形のロシア内戦では反乱ロシア軍に対する攻撃力として各地で作戦行動を実施している。

872:新人艦長:2025/07/18(金) 17:51:55 HOST:182-166-38-132f1.osk2.eonet.ne.jp
以上です。
各国堅実な戦艦作ってた横から突如ミサイル巡洋戦艦ともいうべきものを作ったソ連。
性能面ではバサーリトは史実より低いけどこれをやっぱり100発200発同時に撃たれたら技術的に対処できないので西側海軍にとってはものすごい脅威。

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最終更新:2025年09月15日 21:18