902:新人艦長:2025/07/19(土) 20:03:02 HOST:182-166-38-132f1.osk2.eonet.ne.jp
フランス5月危機ネタ
5月危機
1968年、フランスは危機的な状況だった。
「はぁ…」
ある労働者が週が変わる度に上がるパンの値段にため息をつく。
新聞を開けば『危機的なインフレ!』『金価格上昇↑』『今年の推定インフレ率10%越えか』などと煽り書かれている。
壁には誰かが書いた『戦艦よりミルクを!核よりパンを!空母より石炭を!』という落書きも。
戦艦よりミルクをなんて言葉が流行語になっていた。
フランスは高度経済成長の真っ只中だったなんて言葉は過去のものだった。
今やフランスはコントロール不能なインフレに陥っていた。
原因は軍拡だった。
ド・ゴールのフランス独自防衛路線による軍備拡張、それによる鉄鋼や重化学工業の需要拡大はインフレ率を大きく超えて拡大した。
結果、フランス経済はおかしな方向に動き始めた。
元々素早くデノミネーションを実施していたフランだったが、軍備拡張による無制限な財政拡大に危機感を持った金融界はフランを売り始めた。デノミネーションを行った事実がかえって「フランの通貨危機対策の一環なのでは?」と疑ってしまった。
フランス国債自体も短期債が急激に増えていた。
フランスの短期債が急激に増えたのは1960年ごろ、65年に5年の、70年には10年の短期債が満期を迎えるがそれを借り換え続けて、固定レートであった金価格とのバランスがおかしくなり始めたことにめざとい金融業者は気がつき、少し遅れて各国経済メディアも気がついた。
そうなると一気にフラン売りが強まりフランの公定レート維持のためにはフランスはフランを買い集めなければならなくなった。
だがフラン売りの動きはフランス政府の想定以上であり、コントロール不能に陥った。
1968年に入るとフラン売りの動きから輸入品の価格が急上昇、続けて国内製品の値段も上がった。
誰の目に見てもインフレはコントロールできていなかった。
そしてフランが落ち始めたことで本来国内に流れる農作物などの諸製品を海外に売る動きも出たことで悪化した。
そしてその動きは遂に爆発した。
偶然にも1968年ごろというのはベビーブーム世代のピークが大学に入る時期であった。
当時フランスの大学は急激な学生数増加に対応できず寮や授業の質が低く、その上インフレもあり十分な量も確保できていなかった。
そのため「せめて授業と寮をよこせ」という学生と大学当局の間で対立が発生、その騒動の最中に警察が無関係な野次馬の労働者などを無差別に逮捕する騒動が発生。
これに怒った逮捕された人の家族が警察署に押し寄せ、警官と衝突が発生。
学生と警察の対立、労働者と警察の対立が一致。
どちらも時のド・ゴール政権を敵視した事、インフレによる生活苦、当局の横暴から労働組合と学生運動の連合が成立した。
903:新人艦長:2025/07/19(土) 20:03:33 HOST:182-166-38-132f1.osk2.eonet.ne.jp
インフレによる生活苦は暴動に拍車をかけた。
「「ド・ゴールはやめろ!」」
「「戦艦よりミルクをよこせ!!」」
「「核よりパンをよこせ!!」」
「「空母より石炭をよこせ!!」」
5月に入ると全国でゼネストが発生した。
パリの通りにはパリ市民と労働者と学生がデモを組織して警官を圧倒した。
フランス政府は労働組合、企業連合、国で3者会談を実施し暴動の収拾を図った。
しかし、三者会談を実施した国務長官シラクに労働者は大幅な賃上げ、インフレ対策、ド・ゴールの辞任もしくは国会解散、労働組合の権利獲得、学生らの参加などを要求して終わった。
6月に入っても全く要求は変わらず、それどころかより強く要求し始めた。
これにフランス政府は折れた。
フランス政府は国会解散による総選挙実施、インフレ対策として軍事費などの削減の実施、労働組合の権利獲得、大学制度改革、2/3に及ぶ大幅な賃上げに合意した。
7月に行われた総選挙はド・ゴール側の政党が首の皮一枚で与党を確保し、むしろ左派政党が急激に伸長して終わった。
そしてインフレ対策は不十分だった。
1968年のインフレ率は年率9%の記録的な数字を叩き出した。
上半期のみで12%あった。
翌年、フランと金の交換レートが崩壊。フランの固定レート制度が終了、世界の先駆けて完全変動相場制が導入され、フランは大暴落した。
ド・ゴールは辞任し、経済は大不況に襲われた。
新たに大統領になったポンピドゥー政権下では経済立て直しのため
アメリカの支援を受けることになった。
しかし1974年にポンピドゥーが急死、新たに大統領になったジスカール・デスタンだったが就任から数年後にアメリカがフランス国内の大規模なスパイ網を告発。
そのスパイの中にジスカール・デスタンの顧問であったフィリップ・グルンバッハがいたグルンバッハ事件が発生した。
グルンバッハ事件によりジスカール・デスタン政権はアメリカ有利の貿易協定を締結させられた。
さらにフランス不利の欧州統合が実施され欧州統合の拡大が実施された。
1979年の欧州通貨制度創設においてもフランは相対的に不利なレートを突きつけられた。
1968年以降の約10年は後に「恥辱の10年」と呼ばれる事になった。
904:新人艦長:2025/07/19(土) 20:05:24 HOST:182-166-38-132f1.osk2.eonet.ne.jp
以上です。
フィリップ・グルンバッハは史実でも存在したスパイでジスカール・デスタンの重要な顧問だった。
レピュブリック級戦艦の代償はフランス経済の崩壊。
最終更新:2025年09月15日 21:24