230:新人艦長:2025/08/12(火) 22:34:58 HOST:182-166-38-132f1.osk2.eonet.ne.jp
海外ホスト規制で全くどうにもなってないけど、新しい
アメリカ夢幻会世界ネタ投稿しますね
今回は地味だけど言われてみればこういう兵器ないなというもの。
M8 5インチ自走多連装ロケット砲“スティムソン・オルガン”
M8 5インチ自走多連装ロケット砲は第二次世界大戦中に米軍が使用した自走多連装ロケット砲である。
その特徴的な発射音からオルガンと喩えられた。
(開発経緯)
史実において冷遇されたがこの世界では大変優遇された技術者は多いがその中の一人にロケット開発の父、ロバート・ゴダードがいた。
彼は元々第一次世界大戦中には小口径対戦車ロケット砲を開発するなど兵器開発とも近い人物だったが、この世界ではルーズベルト政権になると陸軍がロケット開発の専門家として招聘、アラバマ州に新たに設置されたレッドストーン兵器廠でロケットの研究の中心として働き始めていた。
陸軍、特に夢幻会閥はゴダードを中心にして将来の月ロケット開発を進めたがその第一歩として小型のロケット開発からスタートした。
折しも33年軍備計画の一つに新兵器開発と遠距離火力投射能力強化が挙げられ、それに対応する兵器として開発が進められた。
基本設計は前世のロケット兵器開発に携わったエンジニア達が行い、基本は防炎に装甲化した6輪トラックに5インチのロケット砲を40連装で装備した車両である。
40連装のロケットランチャーは縦4列、横10列で構成されたチューブ状のものを左右45度限定旋回式のランチャーに装備されている。
運用時には再装填用の専用のトラック(こちらはスチュードベーカーUS6もしくはGMCGCKWトラックをベースに再装填支援用の小型クレーンが装備)が随伴し、兵士が人力で一発ずつ再装填する。
設計上のモデルとされたのは史実のBM-21グラードであるが爆炎対策を十分に実施できないため薄いものであるが鉄板で運転席などが防御されている。
これはあくまで防炎用なので薄っぺらいもので防弾性能はギリギリ拳銃弾を防げる程度になっている。
初期は民間用の6トントラックを使用していたが、量産段階になると通常のトラックと共通化させるためにホワイト666トラックをベースにして生産された。
使用するロケット弾は完全新規のもので固形燃料を使用した一発がおよそ50から60キロ、射程が最低5キロから20キロ前後のものである。
基本は通常榴弾が使用されるが徹甲弾や煙幕弾、成形炸薬弾頭も装備されている。
231:新人艦長:2025/08/12(火) 22:35:56 HOST:182-166-38-132f1.osk2.eonet.ne.jp
(試作まで)
こうして設計が完了した自走多連装ロケット砲だったが、量産までに問題があった。
この手の新兵器にありがちな疑いである。
完全新規のコンセプト故に疑われたのである。
命中精度の悪さ、短射程、防御力の低さ、再攻撃までの時間が特に問題視された。
砲兵よりも短射程で命中率が低いのに防御力は砲兵と変わらない上に回転率が低いというのは大変な疑問であった。
しかし夢幻会閥はこれを支持して陸軍内部ではこの車両を巡って議論が続いた。
最終的に試作5両が生産されその運用試験次第で採用か否かを決定すると判断。
1938年に試作名称T8が5両生産された。
各種試験が行われたが、やはり陸軍内部は賛否が分かれて議論が続いた。
そんな中スティムソン陸軍長官ら陸軍高官の前でデモンストレーションを実施する機会に恵まれたレッドストーン兵器廠は彼らの前で試作5両の一斉射撃を披露した。
レッドストーン兵器廠はこの兵器が最も有効に使える状況として敵陣地を模した標的を用意して一斉射撃を実施。
射撃後の目標陣地が大破した様子を見た陸軍高官はその威力に感心した。
数ヶ月後にはM8として正式採用されたがその際には先述した通りベース車両をホワイト666トラックに変更するように命じられた。
232:新人艦長:2025/08/12(火) 22:36:34 HOST:182-166-38-132f1.osk2.eonet.ne.jp
(運用)
正式採用後の最初の大きな実戦は1940年のルイジアナ演習である。
この演習では試作5両が使用された。
演習中は高い火力だけでなくトラックをベースとした高い機動力と展開能力が特に評価された。
砲兵以上の速度で移動可能というのは機動戦を重視するパットンらから火力支援の重要な軸になると高く評価した。
1940年から大量生産が開始され41年には配備が開始、開戦後大規模な陸戦が続いていた中国に増援として派遣され大きな成果を挙げた。
特にバンコク攻防戦では集中配備されたものをマッカーサーが運用し中国軍の撃破に貢献している。
欧州では北アフリカ上陸作戦で初の実戦投入がされ内陸部に進撃する戦車部隊に随伴して強力な火力支援を提供できると兵士達からは大好評だった。
敵兵にとっては爆音と共に陣地や味方が吹き飛ぶ恐ろしい兵器だった。
終戦までにベース車両をイギリス製トラックやカナダ製トラックに変えたものなど含めると約4万台が製造されたと考えられている。
バリエーションとして現地でトラックを改造した車両やロケット部分だけ元に鹵獲したトラックに搭載した車両、M3ハーフトラックに搭載したもの、中には二十連に減らして3トンクラスのトラックに積載した車両なども存在していたため、同じM8という名前でも多数の仕様が存在している。
特に20連にした車両はより小さな車両に搭載できるので数が多く、イギリスや日本ではライセンス生産品を自国の3トントラックに搭載した車両が大量生産された。
戦後もベース車両をその時々のトラックに変えた車両が大量生産され続けた。
最終的に改良が続けられMLRSが登場する1970年代初頭まで生産が、配備では冷戦終結まで米軍装備として現役だった。
現在でも末期の生産型が各国で現役であり、米軍でも予備兵器として保管されている。
233:新人艦長:2025/08/12(火) 22:38:29 HOST:182-166-38-132f1.osk2.eonet.ne.jp
以上です。
史実言われてみれば米軍この手のロケット兵器あんまりないよなあという事でMLRS登場まで使えるロケット兵器を。
サターンロケットの滅茶苦茶遠いご先祖様
ゴダード博士なんか地味に史実でもロケット兵器自主開発してるんだよね…
最終更新:2025年09月15日 21:30