489:新人艦長:2025/09/01(月) 12:29:00 HOST:KD106146068142.au-net.ne.jp
アメリカ夢幻会世界の日本史年表(1935年から1956年まで)
戦前期(1935年から41年ごろ)
1935年のルーズベルト来日以降急激な日米接近が行われる。
1935年
ルーズベルト電撃訪日
昭和天皇と会見&帝国議会で演説。
日本の慣習に則った対応と流暢な日本語での国会演説に日本の世論は急激に親米化。
同時に満洲国の承認の一方で満州事変首謀者の処罰も要求、これを日本側が受諾し35年後半には主だったメンバーは予備役送りに。
柳条湖事件関係者は全員が不名誉除隊、軍法会議にかけられることが決定。
12月
日米経済協定(通称ルーズベルト協定)締結
米企業の満州投資及び日本企業のパナマ運河拡張工事、フィリピン進出を容認。
さらに日本本土への経済投資も進む。
上海の日本の非公式租界を米国が承認。
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1936年
2.26事件
ルーズベルト協定で満州事変関係者を処罰したことを受けて、元々昭和維新を目指していた皇道派青年将校と一部処罰予定者が結託、武装蜂起。
第一師団の一部合計3000人。
被害はほぼ同じだが、米大使館を包囲する。
昭和天皇は激怒しあらゆる手段を以て直ちに鎮圧を命令。
青年将校に対して陸相は27日深夜0時までに武装解除しないならば戦闘も辞さないと通告したことで反乱側は崩壊、兵士は逃亡し、将校らは捕えられて全員が即日軍法会議にかけられて銃殺刑が決定、処刑。
大粛軍
226事件をきっかけに軍内部の綱紀粛正と問題将校の徹底的な粛清が開始される。
林銑十郎などは完全に失脚。
大連協定
中国における日米利権の妥結。
秘密軍事議定書にて相互の利権を保護し、片方が攻撃を受けた場合は片方が防衛と報復において支援する事に合意。
日米相互援助条約・日米安全保障条約・日米同盟(三安全保障協定)
大連協定と同時に調印。
日米の相互防衛義務と軍事支援、相互不可侵、経済支援を行う。
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1937年
盧溝橋事件
北京郊外の盧溝橋で日本側に中国が攻撃、日中に対して米国が仲介を行うも失敗。
一旦戦闘となるが、再度の調停で中国が敗北。
第二次上海事変
米国の仲介に米国が日本側と判断、元々の上海攻撃作戦を米国租界まで拡大して攻撃。
日米連合部隊が反撃、更に日米連合艦隊が中国軍を攻撃。
日米同盟が発動し、激しい戦闘が続くが英仏などの調停により日米勝利で終結。
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1938年
毛沢東粛清
蒋介石が日米の謀略と盧溝橋事件と第二次上海事変での敗北の責任を共産党に負わせて共産党粛清を実施。
中国共産党は壊滅状態になり上海や満州、福建、香港などに逃亡。
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1939年
ノモンハン事変
満蒙国境を巡り日ソが衝突。
日本が史実よりも健闘するも敗北。
これにより日本陸軍内部での改革機運が高まる。
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1940年
ルイジアナ演習
米国で行われたルイジアナ演習を陸軍大臣が視察し大きな影響を与える。
さらに近衛師団の一個大隊が初めて外国の軍事演習に参加する。
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1941年
アジア大戦勃発
41年半ばより中国による外国人排斥運動が活発化。41年12月に遂に軍事的な衝突が始まる。
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490:新人艦長:2025/09/01(月) 12:29:40 HOST:KD106146068142.au-net.ne.jp
戦中期(1941年から1945年)
1941年
日英米仏の利権を回収するのを理由に4カ国に宣戦布告。
上海租界及び満州、仏領インドシナを奇襲攻撃。
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1942年
パッタヤー(パタヤ)の戦い
タイ王国軍主力、マラヤ植民地英軍、南遣日本陸軍、アメリカ陸軍派遣部隊、フィリピン軍、自由フランス軍の連合部隊がマッカーサー指揮の下バンコク手前パタヤに進出しつつある中華民国軍主力と交戦
米海軍の支援と勇敢な米海兵隊とタイ軍の抵抗により敵軍を撃破、逆襲によりタイ領から中華民国軍を追い出すことに成功。
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1943年
プノンペン攻防戦
カンボジアで激しい戦闘が続く。
上海救出
上海租界救出のために海兵隊が強襲上陸
日本軍は上海と天津を目指し大陸打通作戦を開始。
エーゲ海諸島の戦い
イタリアが降伏したことでイタリア領エーゲ海諸島奪還の必要に迫られたが当時連合軍の予備兵力が日本軍しかなかったため英軍と共にエーゲ海諸島に上陸して交戦。
エーゲ海諸島の奪還に成功。
ティレニア海海戦
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1944年
モンテ・カッシーノの戦い
日本軍派遣部隊が活躍しローマ解放まであと一歩まで進むが英軍と交代させられる。
フランス上陸作戦
フランスに連合軍が上陸、日本軍部隊はブレスト周辺に上陸。
テト攻勢・ヴェンジェンス作戦
ホー・チミン率いるベトコンが在ベトナム中国軍相手に大攻勢、同時にトンキン湾に米海兵隊及び米陸軍が上陸。
中華民国軍はラオスに撤退。
インパールの戦い
中華民国軍、インパール攻略を目指すも失敗。
アキャブ上陸作戦
アキャブに英軍が上陸。
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1945年
ビルマ解放
アキャブに上陸した英軍とタイ方面から進軍した日本軍、インパール方面から進軍する英軍の三方向から攻撃を受けて中国軍は雲南省に撤退。
中国軍に協力していたアウンサンは逮捕処刑される。
ベトナム解放
僅かに山岳部に残っていた勢力が壊滅。
ラオス戦線崩壊
ラオスにいた中国軍が崩壊し、撤退。
カンボジア解放
ラオス戦線が崩壊したことでカンボジアの中国軍は孤立、降伏。
ポーランド上陸作戦
北ポーランドに連合軍が上陸。
強制収容所を解放。
ムッソリーニ捕縛
第二海軍水陸両用旅団がミラノ郊外コモ湖畔でパルチザンに捕縛されていたムッソリーニらRSI幹部を日本軍が捕縛。
ミラノ経由で速やかに日本艦隊の旗艦伊勢に移送される。
連合国総司令部はムッソリーニらを英本土に移送することを命令し伊勢が移送。
その移送の最中に、日本海軍将校がムッソリーニらを尋問、その記録は伊藤調書として記録されている。
大連会談
大連で日英米ソの首脳会談。
戦後秩序について話し合う。
ポツダム会談
815上海停戦協定
第二次世界大戦終結
491:新人艦長:2025/09/01(月) 12:31:04 HOST:KD106146068142.au-net.ne.jp
戦後期(1945年から55年ごろ)
1945年の勝利とその威光を武器に大規模な社会改革が始まった時代。
1940年代後半
アプレゲール時代
第二次世界大戦で海外で自由な欧米文化や悲惨な戦争を体験した復員兵や日本に駐屯した米軍、第二次世界大戦での地方への投資から、新旧の文化対立が発生。
アプレゲールと呼ばれる文化流行が発生。
一方でアプレゲール犯罪と呼ばれる凶悪事件も多発。
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1945年
鈴木改革
鈴木貫太郎内閣が戦勝の武威と軍事力を背景に財閥改革、土地改革、新憲法制定、労働改革、大規模投資、議会改革などを10年単位で実施。
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1946年
天皇の人間宣言
10年後を目処にした外地解放政策開始
新憲法公布
新円切り替え実施
戦後巡行開始
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1947年
内務省解体
公取委設置
公選法施行
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1948年
東宝争議(日本史上最大の労働争議)
海保設置
国家地方警察設置
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1949年
国鉄設置
国鉄三大ミステリー
郵政省発足
成田空港開港
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1950年代前半
ベトナム戦争による好景気
ベビーブーム
一方で公害問題などが発生する
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1950年
ベトナム景気
ベトナム戦争参戦
大日本航空を解体して日本航空に再編成
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1951年
テレビ放送開始
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1953年
外地開発法
ベトナム戦争終結
衝号作戦
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1954年
ラストヴォロフ事件
防諜法設置
都道府県警設置
492:新人艦長:2025/09/01(月) 12:33:01 HOST:182-166-38-132f1.osk2.eonet.ne.jp
高度経済成長期から安定成長期(1955年から1991年ぐらい)はおいおい…
最終更新:2025年09月15日 21:38