528:新人艦長:2025/09/02(火) 19:36:51 HOST:182-166-38-132f1.osk2.eonet.ne.jp
アメリカ夢幻会世界日本史年表2
高度経済成長期
高度経済成長期(1955年から73年ごろ)
1950年代後半
ベトナム戦争後の不景気は一過性で、オリンピック開催に伴う大規模なインフラ投資などで高度経済成長が始まる。
テレビ、自家用車の普及もこの頃。
モータリゼーションが進んだ事で物流面でも新たに鉄道とトラックによるハブアンドスポーク式の物流網が整備。
↓
1955年
天一号作戦
被曝マグロ事件
天一号作戦で被曝した漁船の被曝被害を軍が隠蔽しようとした事件。
55年体制開始
左派社会党が左派社会党に、右派社会党が中道左派民社党に、中道の自由党、右派の民主党の4大政党制がスタート。
ビルマへの軍事顧問派遣開始
↓
1956年
外地選挙開始
総督直接選挙開始
衆院・参院定数倍増(全て外地、その後も都度増やされる)
ラングーンの駐ビルマ軍事顧問団が攻撃を受けて死傷者23名を出す。
軍事顧問から軍事派遣への格上げを決定。
対中共同宣言
第二次世界大戦以降戦時状態が続いていた国連軍各国と中国で国交を結ぶ共同宣言を締結。
モンゴルの仲介だったため締結場所からウランバートル宣言とも呼ばれる。
↓
1957年
統合参謀本部設置
東京タワー竣工
↓
1959年
所得倍増計画
↓
60代前半
ビルマ戦争が激化する一方で東京五輪に向けた工事が急激に進む。
↓
1962~64年
オリンピック景気
↓
1962年
ザガインの戦い
ザガイン地方域でビルマ派遣日本軍とナガ族反乱軍の大規模な戦闘。
ジャングルにより日本軍は一時撤退に追い込まれて苦戦するが空爆を行い形勢を逆転し辛勝。
戦後、捕虜になった日本兵90名の虐殺死体が発見され、世論が急激にビルマ戦争への介入に賛成する。
一方でこの直後、捕虜にしたナガ族ゲリラを法的手続きを得ずに処刑したことも判明しこちらはこちらでスキャンダルとなる。
↓
1963年
名神・東名高速道路開通
ラカイン事件
ビルマ戦争中、ラカイン州を日本軍が制圧した際にラカイン州全土で多数のロヒンギャ族の虐殺死体を発見した事件。
↓
1964年
東京五輪
環境庁発足
東海道新幹線開通
↓
1960年代後半
いざなぎ景気
↓
1965年
南洋諸島紛争勃発
証券不況
GNPが世界第二位に
↓
1966年
黒い霧事件(政界)
サイパン事件
パラオ中心だった紛争がサイパン島など北マリアナ諸島の開発事業及び刑務所の劣悪な環境に飛び火して囚人が集団脱走するなど大規模な騒擾に発展。
死者17名、負傷者108名、逮捕者201名。
↓
1967年
南洋航空11便ハイジャック事件
5月初頭、サイパンでアイランドホッピング旅客便の南洋航空11便(ビッカースVC-10)をミクロネシア人民解放戦線の武装集団8名がハイジャック。
10日間の攻防の末、警官が突入して7名射殺、1名を逮捕するが人質131名のうち9名と警官2名が手製爆弾の爆発と銃撃戦で死亡する。
コロール政庁爆破事件
5月、通勤時間帯にコロールの南洋庁政府庁舎前で自動車爆弾が爆発し警官3名と警備員2名、南洋庁職員8名など15名が殺害、40名以上が重軽傷を負う。
ポナペ警察署襲撃事件
ポナペの警察署が武装勢力に襲撃、警官17名が重軽傷を負い、署長ら5名が誘拐、武器弾薬多数を奪い収容者を解放して逃走。
署長等の解放に対して南洋庁に一人10億円を要求。
最終的にペリリュー島山間部で処刑された死体で発見される。
マリアナ諸島漁船団ジャック事件
台風でアグリハン島に避泊していた日本の遠洋漁業船団25隻に武装漁船5隻が襲撃、16隻を拿捕し乗員を人質に取る。
武装集団は政庁と交渉し人質解放と引き換えに武器の掠取とメンバー30名の解放、漁船の奪取、無記名の小切手20億円を奪取。
後に小切手はシンガポールで発見。その際にインドネシア経由で流れてきたことが判明。
漁船群は行方不明になるがその後武器弾薬密輸や密航などの工作に使用されているところを発見されている。
↓
529:新人艦長:2025/09/02(火) 19:37:55 HOST:182-166-38-132f1.osk2.eonet.ne.jp
1968年
学生運動激化
東大抗争
大学法改正
クェゼリン攻撃
巡回任務でクェゼリン環礁に停泊中の南洋艦隊の海防艦小笠原など海防艦3隻、高速補給船雲見、海軍が傭船している貨物船くぇぜりん丸、海上保安庁巡視船テニアン、カロリン、南洋庁公船南洋丸、水産庁漁業取締船南光丸と駆逐艦朝霜と雪風が大晦日で警戒が緩んでいた深夜に自爆モーターボートで攻撃される。
いくつかの要因で攻撃に成功、小笠原が大破し放棄、朝霜が大破、その他くぇぜりん丸とテニアン、南光丸に命中、南光丸は火災が発生、くぇぜりん丸は船尾を損傷、テニアンは船首が潰れた。
小笠原は機関室直上に命中、大穴が開き大傾斜が発生、非常電源で復旧を試みるも浸水が拡大、総員退艦後着底。死者14名、負傷17名。
朝霜は艦橋下に命中し3×2メートルの穴が開き艦長ら8名が死亡。副長指揮で応急処置を急ぎ、5度傾斜で浸水を止める事に成功。更なる被害に備えて浅瀬に意図的に座礁させる。その後現地で工作艦関門による修理が行われ本土に回航、修理を行うメリットがないとして1969年3月退役。
攻撃成功要因は
- 当時水上艦艇に対する警戒は密輸などに使う大型漁船などが中心で環礁内移動に使うモーターボートは警戒されにくかった
- 艦艇の配置が不味く、外側に夜半入港した貨物船や漁船などの民間艦艇が多数おり、紛れ込んで接近しやすかった
- さらに接近した方向から射線上に味方艦艇や民間船があり、迎撃が難しかった
- 旧式艦や弱武装の公船や巡視船、海防艦ばかりで近接戦闘能力や射撃管制能力が低い
- 大晦日だったため警戒が緩み、島内を移動する民間ボートや軍艦に近づいて挨拶する地元民が多かった
自爆攻撃まで行うテロ組織に恐怖するが一方で、そこまでするというテロ組織から離反者や反発を生む。
↓
1970年前半
セマウル運動
朝鮮半島農村部の近代化が急激に進む。
文化面ではアニメブームが始まる。
↓
1970年
大阪万博
よど号ハイジャック事件
東京発福岡行き351便を赤軍派がハイジャック。
ソ連に向かうように要求するが福岡で膠着状態になった末、一度金浦に移動。
さらにその後平壌に移動した後、警察の強行突入を受けて犯行グループ全員が射殺される。
↓
1971年
ニクソンショック
↓
1972年
あさま山荘事件
札幌五輪
大日本帝国改造論
南洋諸島紛争終結
テルアビブ事件
テルアビブ国際空港を日本赤軍が襲撃して成功、多数の死傷者を出す。
↓
530:新人艦長:2025/09/02(火) 19:42:06 HOST:182-166-38-132f1.osk2.eonet.ne.jp
以上です。
史実通りではあるけど南洋諸島で独立紛争が起きて揉め、それが結果的に本州の警察力強化に…
最終更新:2025年09月15日 21:40