48:earth:2025/08/03(日) 18:54:57 HOST:KD106172122062.ppp-bb.dion.ne.jp
【星墜ちる海】年表
1879年 ベルリン会議決裂。英・独・墺と露が開戦。露は敗北。史実のベルリン条約で修正されたサン=ステファノ条約の内容にて講和成立。
露はドイツ(ビスマルク)を裏切り者として憎み、露仏同盟が早期に成立。露は欧州に軸に行動した為、極東進出は縮小。
1895年 露の極東進出が史実よりも限定的だったため、露は遼東半島への執着が薄かった。
このため、日清戦争後に三国干渉が起きず。遼東半島は日本が領有。更に日本は講和交渉開始を意図的に遅らせて清国を焦らせ、賠償金を4.5億にまで増額。
1904年 ロシアは極東での大規模な軍事行動を避け、主に欧州方面に資源を集中させていた。
このため露と日本で小競り合いが続くが、全面戦争にはならず。ただし露の極東進出を受けて日英同盟が締結。
1908年 バルカン危機をきっかけに欧州で大戦勃発。ドイツがベルギーの中立を侵犯したため英がドイツに宣戦布告。イタリアは英仏露側に寝返り。
ドイツ帝国・オーストリア帝国と英仏露伊の戦争。オスマン帝国は中立。日本は英側で参戦して青島と南洋諸島を占領して領有に成功。
1911年 史実での辛亥革命が発生せず。
清朝の実力者である袁世凱が清朝最大の権力者として強権政治を敷き、清朝を延命させる。
1912年 ドイツ側陣営敗北で戦争終了。特にドイツは入念に解体され領土は史実東西統一後のドイツからライン地方を抜いた版図にまで縮小。
莫大な賠償金と軍備制限も課せられて困窮することになる。日本はドイツから南洋諸島と青島を獲得。
1912年 日本は敗戦したドイツから多くの技術者、軍人を招聘。ドイツの軍事技術、欧州大戦の戦訓研究に着手。
ドイツも露への恨み(露を東から牽制するため)と外貨獲得のために日本に協力。
ただしドイツも基本的には「基礎的な技術指導や戦訓の分析」に絞っており、「核心技術や最新鋭技術」の多くはドイツ側の管理下に置かれていた。
1913年 日本近代化の手本としたドイツ帝国の滅亡を受けて明治政府は改革に着手。首相権限が強化(軍事作戦についての奏上権、閣議決定に強制力、大本営に出席する権利付与)。
1914年
アメリカにドイツから日本が得た青島を譲渡を約束。引き換えに日露戦争での財政支援を確約させる。
日清戦争終了後、約10年戦争がなく遼東半島開発が進み、日本の産業も健全に発達。史実比1.3倍の経済力を持つ。
1915年 日露開戦。戦争は1916年に終戦。日本海海戦(日本海軍は金剛型巡洋戦艦4隻を主力)で日本はロシア海軍相手に勝利。
日本海海戦で、日本海軍は長距離砲戦における航空偵察の決定的な重要性、そして水雷攻撃の有効性を痛感した。
これは、この世界では起きなかったユトランド沖海戦が史実にもたらしたとされる教訓と酷似しており、日本海軍の航空戦力重視への転換を加速させる遠因となった。
講和会議で日本は南樺太を日本に割譲させ、南満州鉄道の支配権、朝鮮での日本の地位の優位性(露は朝鮮に手を出さないことを約束)などで決着(史実と同じく賠償金無し)。
ロシア帝国国内では先の欧州大戦での後遺症(消耗)が残っていたこと、日本海海戦で金が掛かる海軍が大打撃を受けたことから、早めの講和に踏み切る。
戦時中に大規模なデモやストが起きるも、革命には至らず。
1916年 日本は青島を正式にアメリカに譲渡(史実の満鉄共同経営の代替ともいえる)。また南満州の市場についても開放。
ただし満州鉄道は日本の国策企業のため外国資本の参加は不許可。工業投資は可だが鉄道・電信インフラは不可。
ドイツは日本がロシアに勝利したことで日本の利用価値を大幅修正。ドイツの将来の再起やロシア牽制のために使えると判断して協力関係を深化させていく。
49:earth:2025/08/03(日) 18:55:43 HOST:KD106172122062.ppp-bb.dion.ne.jp
1917年 日露戦争終結の翌年、1917年、首都ペトログラードでレーニン派のテロリストがロマノフ家の一員を襲撃、負傷させる事件が発生した。
この事件は帝国内部に大きな衝撃を与え、共産主義者への憎悪と警戒心を決定的なものとした。
1918年 袁世凱死去。これまで押さえつけられていた不満が一気に噴き出し始め、中国不安定化。
1919年 アメリカは中国進出(青島を拠点にして華北→華中→華南へ)を強化。中国が不安定化しているが、民主化運動への期待もこの決定の背景にあった。
フィリピンを中国進出のための中継拠点として確保し続ける方針を決定。フィリピンの重要性が上昇したことで、アメリカ極東陸軍が発足。
アメリカは民主化勢力に資金援助を行うが、それが意図せず長年鬱積した不満を爆発させ、結果として清朝崩壊と大規模な内戦を引き起こした。
1923年 関東大震災。この際、ロシア帝国が北方で不穏な動きをしたため、日本国内でロシアへの警戒心が急上昇。
1924年 アメリカは日本の財政難(日露戦争と関東大震災での財政負担)を見て中国進出を安全に行うため、南洋諸島の米国への売却を打診。
日本は中国権益で米国と揉めている英にこの申し込みをリークして英国から資金援助を引き出す。
英も欧州大戦終結後から12年経ち、それなりに財政面で余裕があったこと、米の中国進出牽制のため了承。
1924年同年での軍縮会議にて日本は米国を宥めるため南洋諸島の要塞化制限を呑む。
軍縮条約で米英露日仏伊の保有量は10:10:5.5:5.5:3:3。日本の保有比率5.5はトン数換算で31.5万トン。
ドイツ帝国が1911年に滅亡していたため、アメリカもダニエルズプランのような大規模軍拡なし。この条約でアメリカの戦艦保有量は史実分にコロラド級1隻を追加した程度にとどまる。
1926年 アメリカで過剰生産による恐慌発生。史実の世界大恐慌ほどではないが、この恐慌は長期化し、連邦政府の不介入主義により国民生活に深く根ざした深刻な不景気となる。
1927年 アメリカの共和党政権は恐慌での対応が不十分(自由経済重視のため)、このため恐慌が深刻化。
1928年 1926年恐慌に対応するため、日露協約成立。日本は経済立て直しのため露との緊張を和らげたかった。露も同様のため成立。
日本は協約で北樺太の石油・石炭の開発権(史実北樺太油田)獲得。
アメリカでは政権が民主党に交代。ただし史実ニューディール政策のような徹底した対策ではなかったため効果も中途半端。
1929年 不景気にあえぐドイツ国内で共産勢力が決起。無政府状態に陥る。ロシア政府は共産勢力の拡大を防ぐためにドイツへ派兵。
英仏も欧州中央の赤化は座視できないため出兵。
1930年 ドイツは英仏と露による東西に分割(史実冷戦期の東西ドイツ)。
後にバイエルンの管理がイタリアに押し付けられる。ドイツ解体に乗じ、日本はドイツが譲ってくれなかった技術を獲得(液化石炭生産に繋がる化学関連)。
英仏露が無法に技術を接収。戦後賠償とあわせてドイツは極度に困窮し、日本からの経済的(人道)支援や、将来的な協力関係(対ロシア牽制)への期待をかけて
重要技術を譲渡することを決定。あと英仏露の無法振りへの感情的反発も後押し。
日本は航空・造船・通信・化学を満遍なく獲得することに成功。
史実冷戦期で核戦争の脅威に怯える西ドイツが技術を残そうと日本に色々と融通してくれた状況のオマージュ。
ロシアは革命勢力が残る東ドイツ(冷戦時代の東ドイツ領)を軍事占領。革命分子の浄化を徹底。反抗的なドイツ人はシベリアなどの辺境に送られる。
西ドイツは英仏主導で傀儡政権が成立するが、ラインを失った西ドイツの経済は脆弱で英仏も余裕がなかったため、支援も等閑。
このため西ドイツは不安定で優秀な人材の流出が止まらない。
50:earth:2025/08/03(日) 18:56:13 HOST:KD106172122062.ppp-bb.dion.ne.jp
1931年 欧米(特に英仏)はロシアに対して東ドイツからの撤退を要請するが、ロシアはこれを拒否。
交渉中の新たな海軍軍縮会議(補助艦艇に関する軍縮条約)が決裂。主力艦の軍縮体制(1924年の軍縮条約)にもひびが入る。
ただし日本は財政難もあって条約型重巡洋艦は妙高型まででストップ。
1932年 アメリカで再度の政権交代。共和党政権は財政引き締めに走ったため、景気が中折れして経済が大幅に悪化。米資本の中国大陸進出機運は低下し、米国勢力が縮小する。
中国では外国資本排外運動が活発化。
日本海軍、国際情勢悪化を受け、無条約時代に向けて準備を開始。新型艦艇の設計も本格化。日本は政府は懸命に軍縮体制堅持を目指す。
1933年 イタリア管理下のバイエルンでミュンヘン一揆発生。世界大戦の時期がずれた影響で、10年遅れで台頭したヒトラーの扇動で発生。
伊軍によって鎮圧され、首謀者のヒトラーは撃たれて死亡。ただしこの一揆が実はロシアの策謀だったとの噂が流布され、ドイツで英仏伊とロシアの睨み合い発生。
軍縮体制は文字通り空中分解寸前。
日本政府はあくまで景気回復を優先しており、軍事費を抑えたかったが、国際情勢緊迫化に伴い軍備増強にも前向きに(ただし過剰な軍拡をする気はない)。
日本海軍は1937年には完全に無条約時代になると判断。扶桑型・伊勢型の代艦となる大和型戦艦の設計を本格化。
大和型の試作も兼ねて予定通り金剛型代艦建造計画を推進。
1934年 軍縮条約締結後10年たち、日本では金剛型代艦・高雄型2隻(41cm砲3連装砲塔3基の合計9門。最高速度29ノット。排水量37500t・公称35000tで最高速度25ノット)建造開始。
ドイツから獲得した技術を基に南満州で液化石炭生産プラント本格稼働開始。生産量は年100万トン(石油換算で年80万トン)。
北樺太の油田(年60万トン)とわせて年間140万トンの石油を自給できるようになる。日本経済、恐慌の影響からほぼ脱することに成功。
経済的に困窮したアメリカ企業から治金、大量生産技術などを多数獲得。
日本海軍、九四式艦上戦闘機(史実九六式戦闘機相当)を開発して配備開始。
アメリカはフィリピン独立法案の成立を棚上げし、フィリピンの独立を当面認めない方針を改めて決定。
この決定は、フィリピン国民に強い反発を生み、反米感情が鬱積する。
1935年 米国が門戸開放を主張して日本へ満州市場の更なる開放を要求(これまで制限されてきた鉄道インフラへの参加許可等)。
日本で対米不信が少しずつ募るようになる。
金剛代艦建造を進めると同時に切り札である大和型の建造計画についても政府に上申。
欧州・太平洋の緊張、事実上の軍縮体制崩壊を受けて日本政府は大和型の建造を国家プロジェクトとして計画するようになる(各国で新型戦艦建造計画が進められているとの話も後押し)。
ただし前代未聞の46㎝砲搭載の世界最大の戦艦でもあるので、下手に公表すると国際緊張度を過度に高める可能性があると危惧した政府は極秘の内に進めることを決定。
1936年 アメリカで再度政権交代。
アメリカで民主党政権誕生(ルーズベルト政権)。史実ニューディール政策のような大規模な公共事業などを実施しようとするが、アメリカ国内は10年近い深刻な不景気で内部分裂深刻化。
史実のような第一次世界大戦での参戦で連邦政府の統制力も強化されていないため、十分な効果が得られず。
上海周辺で軍閥が跋扈して上海を攻撃。
日本は空母部隊による航空攻撃を実施し、空母部隊の使い勝手の良さを学ぶ。日本政府も航空戦力の重要性を認識。
51:earth:2025/08/03(日) 18:57:26 HOST:KD106172122062.ppp-bb.dion.ne.jp
1937年 メキシコがアメリカ資本が握るメキシコ区内の石油権益の国有化を試みる。
国内の深刻な不景気で国民の不満が高まる中、メキシコの石油権益国有化は、国民の怒りを外に向ける格好の機会と米政府は捉えられた。
政府は経済再建のためと称し、強硬策に出ることを決定。メキシコに軍事介入を開始。
米国のメキシコ侵攻により軍縮条約が完全に形骸化し、無条約時代到来。
日本海軍は米国の暴走により、自国が条約制限を超える大型戦艦を堂々と建造しても批判はされないと判断し、大和型戦艦建造を決定。
大和型1番艦・大和(金剛代艦のノウハウで設計は史実・信濃に相当。特に水雷防御を強化)を11月から起工。
ただしあくまで表向きは50口径41㎝砲9門搭載艦として建造(実際には46㎝砲)。これは政治的な緊張を過度に煽らないためでもあった。
(だが戦後、旧日本海軍の元幹部や一部の軍事評論家たちの間では、もし大和型の46cm主砲という圧倒的な火力が戦前に公表されていれば、米国に強い抑止力として働き、
開戦を回避できたのではないかという、激しい論争が繰り広げられることになる)
龍驤建造がないため、蒼龍と飛龍は軍縮条約の残り枠が8000トン空いて29000t。
これを受けて14500トンに収めようとしたが結果的に蒼龍は16000t(史実通りの規模)と1500tの超過(公称は14500t)。
内閣の経済政策重視で建造が遅れた飛龍は米国のメキシコ侵攻で軍縮条約が形骸化を利用して大幅な設計見直しの末、20000tの中型空母として完成。
米軍、メキシコ首都を占領。しかし治安悪化。米軍兵士が日本大使館員を殺害。しかし米国はこの事態に対し知らぬ存ぜぬの態度を取る。
日本側は対抗措置としてメキシコに義勇軍を検討したが堂々と義勇軍派遣は角が立つので邦人保護と称して軍(遣墨軍)を派遣。
不景気から脱するべく、米国は輸出に力を入れる。
特にロシア向けの軍艦輸出が検討される(最初のプランは6万トン越えの戦艦。ただしコストが凄まじく高い)。
52:earth:2025/08/03(日) 18:58:37 HOST:KD106172122062.ppp-bb.dion.ne.jp
1938年 翔鶴型空母2隻(翔鶴型は航空機の大型化等を見越し、史実より大型化。基準排水量27000t)
4月に翔鶴、5月に瑞鶴が起工。
日本経済は史実の1.5倍以上になっており、史実の海軍③計画が平時の軍備計画として実施可能だったが、それを考慮しても野心的な試みであった。
「ドイツから導入した高度な生産管理手法」、「部品の標準化とモジュール化の推進」、「ドイツ式工法と熟練技術者の指導」、「資材調達の効率化とボトルネックの解消」、
「設計・工程管理における新たな数値解析手法の導入(手計算によるものでも、当時としては高度なもの)」がその野心的な軍備計画を可能とした。
派遣された日本軍部隊は邦人保護をしつつ、現地の反米組織とも接触(情報収集のため。必要に応じて取引も行う)。
米軍による大使館員殺害の事件は、偶発的なものではなく、米軍内部の反日・人種差別主義者が意図的に行ったことが、遣墨軍が邦人保護活動中に発見した
証拠(あるいは脱走兵からの証言)によって明らかになる。
米軍は脱走兵の引き渡しを求めるが、日本軍はこれを拒否。
現地米軍は日本側への圧力を強め、メキシコで活動中の遣墨軍に対し表向きは誤射と言いつつ攻撃を行うようになる。
日本もさすがに報復を決意し、メキシコ沿岸の米海軍の行動を監視、牽制するために派遣された2機の試作大型水上偵察機(二式大艇に相当)で米海軍重巡洋艦に夜間雷撃を実施。
日本側としてはあくまで限定的報復と牽制が目的だったが、当たり所が悪い上にダメコンに失敗して重巡洋艦は沈没。
米海軍は夜間だったため、機雷と誤認したため日本軍航空機の仕業だと気づけず。ただし機雷は日本側がメキシコ側に供与したのではないかと疑う。
巡洋艦沈没のゴタゴタで米軍による圧力は大幅に低下。
日本は必要な活動が終わったとして遣墨軍を引き上げる。
日本海軍上層部、航空機の威力の評価を上方修正。翔鶴型建造を推進しつつ、既存艦艇の対空能力向上を決定。
艦隊防空の必要性から史実隼鷹型に相当する特設空母確保のため、客船改装を計画するようになる(あくまで計画。この時点では本決まりではない)。
同時に研究段階であったアングルドデッキの実験艦とすることも画策するようになる。
ドイツの技術流出は、特に航空機分野で顕著であった。ドイツは欧州大戦後の軍備制限により、航空機開発の表立った研究を思うように進められなかったが、
この時期、多くの優秀な航空技術者や関連する設計情報が秘密裏に日本へ渡った。
日本は彼らを招聘し、ドイツが温めていた先進的な航空技術、特に高出力エンジンの開発や、堅牢な機体構造に関する研究を、自国のリソースと融合させることで
飛躍的に加速させた。この継続的な技術移転と日本の徹底した研究体制が、後の革新的な航空機開発の土台となった。
その革新的な航空機として配備されたのが九八式艦上戦闘機である。本格配備は1939年から。1938年は先行量産型が配備。
日本海軍九八式艦上戦闘機配備
(最高速度560km/h、エンジン:1600馬力、航続距離1600~2200km、20㎜機銃×2、12.7㎜機銃×2。ドイツから投入した技術をベースにFW190を洗練、
太平洋で戦うことを想定した戦闘機)。
米独から得た技術の模倣→国産化により、日本の航空技術は列強に追いつき、部分的には追い越すことに成功。
53:earth:2025/08/03(日) 19:00:41 HOST:KD106172122062.ppp-bb.dion.ne.jp
1938年 メキシコでの泥沼のゲリラ戦に苦しむ米国は「日本がメキシコ側に機雷を供与し巡洋艦を沈めた」と難癖をつけはじめる。
国内の深刻な不景気と政治的危機、メキシコ侵攻の泥沼化と国内世論からの批判、大使館員殺害という隠蔽したい不祥事という問題に対応するため、
日本の「邦人保護」という大義名分を無視し、「日本がメキシコに軍事介入し、提供した機雷によって我が軍の巡洋艦が沈んだ」というストーリーを作り上げ、これをメディアを通じて繰り返し喧伝。
米の目的
①情報操作:脱走兵が持つ大使館員殺害の真相という「爆弾」を世間からそらすため。米国の不祥事を日本の「無法な軍事行動」で塗りつぶそうとしている。
②国内世論の統一:不景気とメキシコでの敗戦ムードで分裂した国民の関心を「日本の悪行」に向けさせ、反日感情を煽ることで、政権への支持を回復させようとの試み。
③軍事行動の回避:メキシコの泥沼化で新たな戦争を始める余裕なし。そこで、オリンピックのボイコットという「非軍事的」な手段で報復することで、国内世論のガス抜きをしつつ、
日本に圧力をかけるという一石二鳥の戦略。
この米国の難癖は国際的なイベントの主催国として日本の信頼性を失墜させるための、絶好の材料となった。
米国はこれらの口実を元に、国際オリンピック委員会(IOC)や各参加国に圧力をかけ、組織的なボイコットを主導する。
米の肩を持つか悩む英仏にはロシア向けの戦艦建造計画(初期の計画案:6万トン)をリークして圧力をかける(英仏が味方してくれないなら米国はロシアと組むという通告)。
1939年 工業大国化した日本の輸出で損害を受けている国も少なくなかったため、米国との連携を選ぶ国もあり、結果的に参加国が激減。
英国は五輪には参加するが選手団の大幅縮小、開会式で派遣する政府関係者も予定よりも格下の人間を送る旨を通告。
日本は反発するが、英国側は同盟国であるはずの日本が東ロシア占領を続けるロシアを十分に牽制してくれていないと不満を表明。
同時に英は「米国はロシアに新型戦艦を建造すると言っている。この戦艦が極東に回航される場合、貴国独自で対処してくれ」と通告して米国からリークされた
露向け戦艦の情報を渡し、ヘイトと不信をロシアに逸らすことも忘れない。
1939年春の時点でIOCにて五輪辞退を表明した国が参加予定国の半数以上に及び、残りの半分も選手団の縮小を表明。日本は事実上孤立。
ロシアも戦艦建造計画を天秤に乗せて日本と交渉。ロシア側は「選手団は縮小するが参加する」「日本が新型戦艦を米国より安く売ってくれるなら考える」と
通達してきて、日本は説得を断念。同時にロシア側は「経済協力は今まで通りに進めていく。我が国は日露協約を破棄するつもりはない」とも伝えて日本を宥める。
オリンピックの開催が事実上不可能になった日本政府は、やむを得ず1939年夏に開催返上を正式に発表。
これを受けて日本では反米感情が高まる。
日本では急に喪失した五輪需要への穴埋めとして軍需への投資が増える。
1939年4月:大和型戦艦2番艦・武蔵の建造が開始。日米関係悪化を考慮して急ピッチ(3月の時点で五輪返上が決まっていたため軍事予算が増額)。
またフィリピンなどに重爆撃機が配備されていることから、防御力に優れた装甲空母計画が強力に推進されるようになる。
54:earth:2025/08/03(日) 19:01:26 HOST:KD106172122062.ppp-bb.dion.ne.jp
1939年 メキシコ占領泥沼化(各地で占領軍への抵抗運動活発化)、米国の国力消耗。軍事予算は陸軍に投じられ、海軍の強化はスローペースなものになる。
(ルーズベルト政権前までは碌な近代化がされていないため質の面では弱体)。
米国が苦戦するのを見ていた南米諸国(ブラジル、アルゼンチン)はアメリカの権益接収を狙う動きを活発化。アメリカはこの対応に振り回されることになる。
メキシコでの戦争で苦戦する米政府は、五輪返上に追い込まれた日本政府に「巡洋艦撃沈は日本に責任があると認めろ。あと脱走兵は帰国させろ」と圧力をかける。
同時に日本大使館員殺害についてはメキシコ人による偽旗作戦であったと発表して、幕引きを要求する。
米国は「ことの突端は薄汚いメキシコ人に責任擦り付けて、日本軍軍人は脱走兵とメキシコ人に騙された形(ただし賠償金は支払う)で幕引きにすることに同意するなら、
これ以上の追い打ちはしないでやる」と上から目線で日本に要求。
日米戦争するよりはマシな落しどころではないかとの意見が日本側にもあり、日本政府も逡巡する。
ただし強欲な米国がメキシコを片付ければ、今度は満鉄など満州における日本の核心的権益への割り込みを認めるように圧力をかけるのではないかとの危惧も強かった。
「大使館員を殺害しておいて、その責任を認めず、挙句の果てに五輪まで返上させた国だぞ?」と言われると日本国内の穏健派も反論しずらい状態。
日本はメキシコ問題に満州権益の問題もリンクさせて交渉。
「大使館員殺害を不問にした上にメキシコから手を引けというなら、満州の日本権益を脅かさない確約をしてほしい」と日本側は提案するが、米国は「それは別問題」と拒否。
米国は日本が事態を解決する意思がないのではないかと疑い始める。
メキシコに日本が義勇兵を(大使館員殺害の対抗措置として)送ったことへの報復として中国の反日組織(満州軍閥と一部繋がりアリ)、
朝鮮半島(統監府がおかれ、日本の保護国となっている)の独立派とも接触。
商船改造空母の建造も推進され、本来はオリンピックの際に国威を示すために特注で建造されていた豪華客船(26ノット発揮可能)が隼鷹、飛鷹として
空母転用を11月から開始。スクリュー最適化、艦尾延長と船底抵抗の改善工事などに加え、技術検証のためにアングルドデッキも採用。
排水量27000トン、最高速度27ノット、搭載機数50機の有力空母となる予定。
元々過剰であったが海軍としては対米戦に徴用して空母にすることを検討。陸軍は対露戦争で大規模な物資、兵士の輸送を行える輸送船にしたかったため、
資金を援助していた。これが功を奏して元客船にも関わらず高性能空母に生まれ変わることになる。
軍需で日本経済への打撃は和らぐが、現状の軍需が一時的なカンフル剤であることも日本政府は承知しており、軌道修正できなければ戦争か、
経済的自壊しかないことも理解していた。
日本の軍拡を米国は批判して対日強硬姿勢を維持。
米国はこの対日包囲網成功で調子に乗り、大義名分を余計に振りかざすようになる。
特に日本の核心的権益である満州市場の完全開放(※米国にとって都合の良いように)を声高に主張するようになる。
55:earth:2025/08/03(日) 19:03:13 HOST:KD106172122062.ppp-bb.dion.ne.jp
1940年 米国は日本の液化石炭プラントは中国における日本の資源搾取の象徴だと喧伝し、大陸で反日気運を煽り立てる。
2月 戦艦信濃起工
※日本海軍の戦艦、空母の平時での同時建造数6隻に設定(大和クラスだと3隻が限界)。
4月 (米国が裏でつながる満州軍閥の一部の暴走により)南満州でテロ事件発生。特に液化石炭生産プラントを狙ったテロは日本に衝撃。
空母大鳳(横須賀ドック)起工。基準排水量33000トン。艦載機の航空機の発達が史実より早かったため、史実より大型化が進む。
航空戦力増強のために水上機母艦の千代田と千歳の軽空母化が決定。
6月 テロリストの武器はアメリカ製であり、押収した資料からアメリカの関与が疑われた。日本政府、このテロの裏側に米国の手引きがあると確信。
7月 アメリカは言いがかりだと鼻で笑い、逆に日本による現地の搾取が反発を生んだのだと返す。
事情を知る米政府関係者は「黄色いサル(満州軍閥の一部)が早まったせいでこれだ。面倒ごとを増やしやがって」と苦い顔。
英仏露もさすがに米国のやり方に警戒、あるいは危惧を覚えるようになる。
「日本人の頭を抑えるにもやり方というものがあるだろうに」と英国政府関係者は嘆息。
大陸権益で米国の振る舞いに腹を立てていたフランスも次第に日本を追い詰めるよりも、うまく使って米国の傍若無人ぶりを抑えられないか考えるようになる。
露に至っては、日本が屈服したら次は自分たちの領域が侵食されかねないのではと危惧するようになっていく。
8月 日本は交渉の意味がないと判断。
戦争準備を本格化し、すべての造船所、軍需工場がフル稼働開始。
日本陸海軍で陸上戦闘機を統合。零式戦闘機・百式戦闘機(史実三式戦闘機二型の信頼性向上型)登場。 統合戦闘機の量産を開始。
日本海軍は予備艦になっていた金剛と比叡の現役復帰を決定。
国家総力戦体制の準備に入る。
9月 日本は周到な準備を整えた後、9月後半に軍事行動を開始。満州軍閥を掃討し、テロの再発を防ぐためとして、南満州の日本の施政下への編入を宣言。
10月 米国は猛反発するが、テロ事件の裏で糸を引いていたという後ろめたさ、そして大統領選挙の真っ只中という状況から、有効な対抗措置を取ることができず。
英・仏・露も、米国が自ら仕掛けたテロで自滅したという構図を冷静に見ており、表向きは非難しつつも、日本の行動を容認。
満州以南の中国では軍閥による群雄割拠が続いており、確固とした中央政府が不在。旧清朝の首都・北京に拠点を置く有力軍閥は日本に抗議するが、あくまで抗議だけ。
12月 満州問題を巡って日米対立が激化。米国は満州自治領の撤回を強硬に要求するが、日本はこれを拒否。
ルーズベルト政権は日本を抑え込むには海軍増強が不可欠として、海軍増強に本腰を入れ始める。
ただしこの対応が更に日本の警戒心を煽る形になる。
1941年 1月 メキシコでの苦戦に加え、日本の軍事行動(満州自治領樹立)を制止できなかったことから、フィリピンでは米国の権威が低下。
独立を認められなかったフィリピンでは反米機運が高まり、フィリピン自治政府の政治家たちも米国に不満を漏らすようになる。
2月 米国政府、太平洋艦隊の拠点をハワイに前進。戦艦も太平洋に13隻配備して対日圧力をかける方針を鮮明化。
真珠湾の13隻の戦艦内訳はコロラド級4隻、ペンシルヴァにア級2隻、ネヴァダ級2隻、テネシー級2隻、ニューメキシコ級3隻。
大西洋には戦艦3隻(アーカンソー級1、ニューヨーク級2)が待機。ノースカロライナ級2隻が完熟訓練中。※この時点で米海軍の第一線の戦艦は18隻。
英国が日本側で参戦するとは合衆国も思っていなかったが、日本の同盟国であるのも事実なので、警戒のためにノースカロライナ級2隻までは
太平洋に回航することはできなかった。
更に2月末に米国は日本に対して日米通商航海条約の破棄を通告。経済的圧力を強めていく。
日本の影響下にある南満州自治政府を解体し、1940年8月までの状態に戻すように圧力をかける。
56:earth:2025/08/03(日) 19:04:26 HOST:KD106172122062.ppp-bb.dion.ne.jp
1941年 3月 フィリピンで大規模な反米デモ、ストライキが発生。
米国はフィリピンに駐留するアメリカ極東陸軍増強を決定。また米国の国威低下がこの事態を招いていると判断し、ますます外交面で妥協できないようになる。
米国国内では「フィリピンでも反乱が起きたら、メキシコと同じように日本が邦人救助を名目に軍を派遣し独立派を支援するのでは?」と警戒する声があがる。
米政府が打ったプロパガンダが対日不信を呼ぶ形に。
南満州の裏事情を知る人間は、米国の支援を受けた者たちがテロを引き起こした(結果は予想外)こともあり、日本が同じことをするのではないかとの被害妄想にもかられる。
4月 米海軍の増強に対抗するため、量産型空母(雲龍型。基準排水量20000t級中型空母)の量産計画開始。1番艦:雲龍、2番艦:天城(呉)が起工。
5月 大和就役
6月 フィリピン近海で米軍の物資を輸送していた輸送船が沈没。元々は事故であったが、秘密裏に派遣されていた日本義勇軍の仕業と報道される。
日本側からすれば濡れ衣でしかなかったが、メキシコで重巡洋艦を1隻失い、南満州自治領樹立についても日本側の準備を見抜けなかった経験、
実際に自国が南満州でテロを起こした(起こしてしまった)経験がある米国では「日本が密かに反米組織に接触して支援していたのでは?」 と疑惑を持ち、
対日交渉において更なる強硬姿勢に出る。
7月 日本では「日米開戦は不可避」との論調が強まる。
台湾上空に米軍のB-17が領空侵犯。日本陸軍がスクランブルで戦闘機を出撃させる事態に。
日本側は抗議するも、米国は台湾で日本軍が増強されていることから、「日本がメキシコの時のようにフィリピンに介入するつもりなのでは?」と詰問する。
8月 翔鶴就役
米国は対日石油輸出禁輸措置に出る。
9月 瑞鶴就役
日本海軍は戦艦13隻(内4隻は元巡洋戦艦だが)、正規空母6隻を有し、特に空母戦力では日本側が優位に立つ。日本側は開戦するなら年内との意識が強まる。
10月 日米交渉決裂。英仏露は中立(ロシア帝国は日露協約もあって日本寄り中立。
欧州での潜在的な脅威(ロシアや再興を目指すドイツの残滓など)に直面しており、対日介入の余力がなかった上、英仏も世界秩序をかき乱す米国の行動に腹を立てており
日本に同情気味で第三国経由での貿易なら認める対応)を宣言。
11月・日米開戦。日本海軍は比島に陸軍を上陸させ包囲。グアム、ウェーキは陥落。
メキシコ侵攻で躓いているルーズベルト政権(何とか再選)は、フィリピンでも新たな泥沼に嵌らないようにするため、対日短期決戦を図るべく、艦隊を中部太平洋に派遣を決定。
12月・青島陥落。
1942年 1月・中部太平洋の大海戦勃発。
日本:戦艦13(大和、長門型2、伊勢型2、扶桑型2、高雄型2、金剛型4隻(金剛、比叡、霧島、榛名))。空母6隻(赤城、加賀、飛龍、蒼龍、翔鶴、瑞鶴)、軽空母2隻(千代田、千歳)。
米国:戦艦13隻(コロラド級4、その他・36㎝砲搭載の標準戦艦9隻)、空母4(レキシントン、サラトガ、ヨークタウン、エンタープライズ)。
※米海軍はルーズベルト政権前までの予算難でワスプとホーネットは建造が遅れている状態。戦闘機も漸くF4Fが配備され、一部ではF3Fを使用。
日本は従来の九八式艦上戦闘機に加え、少数の2000馬力エンジン搭載の新型機(紫電改相当で名称は一式艦上戦闘機)、史実の彗星艦爆、
天山艦攻も配備する日本海軍空母部隊との空母決戦で米空母3隻沈没。
その後の航空攻撃で米戦艦4隻(史実真珠湾での純損失2隻+プリンスオブウェールズ、レパルスの合計)沈没、戦艦1隻(コロラド級4番艦ワシントン)が舵損傷で離脱。
米海軍は残る戦艦8隻で決戦を挑むが大敗。決戦に参加した戦艦8隻はすべて撃沈。生存したのはコロラド級1隻のみ。
大和は集中砲火を受けて被害が出るが、その他の部隊の奮戦で米軍は甚大な被害。
大和中破、長門中破、陸奥が大破。大和は長期修理でドック入りしてミッドウェー不参加。
57:earth:2025/08/03(日) 19:05:19 HOST:KD106172122062.ppp-bb.dion.ne.jp
1942年 2月 日本は講和を打診するが米国は拒否。戦時体制に移行。ただしルーズベルト政権誕生前までの10年近い不景気とメキシコでの泥沼で国内産業は衰退。史実のような生産力は発揮できず。
史実のように世界大戦に参加していないこともあって戦時体制移行に際して連邦政府の不手際が目立ち、生産力は上がらない。
ルーズベルトは巡洋艦を改装した軽空母(史実インディペンデンス級相当)の建造を命令。ノースカロライナ級2隻と生き残っていた戦艦3隻の合計5隻を太平洋に回航。
米政権はロシア向けに建造していた戦艦の接収を決定。
4月 補給と再編を終えた日本海軍が太平洋で攻勢に出てミッドウェー海戦勃発。大和修理後が望ましいとの声もあったが米国に立ち直る余裕を与えないことを優先。
日本軍は空母8隻、米軍は戦艦6隻(ノースカロライナ級2隻、コロラド級1、旧式戦艦3隻)、エンタープライズ、ホーネット、ワスプ、レンジャーの4隻とミッドウェー基地航空隊で対抗(陸軍航空隊の精鋭)。
日本軍空母蒼龍は中破。ただし後にダメコンに失敗して爆発沈没。片や米海軍空母は3隻が沈没。エンタープライズのみ中破しつつ生存して撤退。
艦隊決戦で日本海軍は高雄型2、伊勢、日向、扶桑、山城、金剛型4隻の合計10隻で米海軍と決戦。
戦艦伊勢は撃沈、扶桑大破、山城と高雄型1隻中破、重巡1、軽巡1が戦場で沈没。
金剛代艦の奮戦もあって米戦艦は6隻(内2隻はノースカロライナ級)がすべて戦没。太平洋艦隊をほぼ壊滅。
扶桑と山城の修理は後回しにされて応急修理だけされた後、瀬戸内海に停泊(事実上の廃艦。リソースは高雄型の修理、建造中の信濃に回される)。
大和、長門、陸奥は修理中で、更に高雄型1隻も修理となり、41㎝以上の主砲を搭載して動かせる戦艦が高雄型1隻となる。
米海軍の手持ちの空母はエンタープライズ1隻のみ。
ミッドウェー島は日本軍が占領。ハワイ空爆と潜水艦による封鎖に着手。
5月 北方警戒の第5艦隊へ戦艦金剛を一時編入。
これは露への牽制と警告も含む(日本はかつての関東大震災時の露の行動を忘れていないため、日本艦隊が損害を受けたと聞いた露が動くのを警戒していた)。
空母蒼龍沈没の原因追及でダメコン手順、消火設備、隔壁の配置、乗員の訓練状況などが徹底的に洗い出される。
既存艦艇に対して、ダメコン設備の追加・改修(防水隔壁の強化、消火システムの改良、浸水ポンプの増強など)が命じられるようになる。
1942年 7月 日本は中立国・英国を仲介にして講和を申し込むが、合衆国は拒否。ただし足元では厭戦気運が広がり始める。
メキシコでのゲリラ活動活発化で米陸軍の出血とモラルハザード拡大。
罪のない一般の民間人殺害も拡大して諸外国のマスコミにすっぱ抜かれる。米国への批判増大。
8月 隼鷹、飛鷹が艦隊に正式に配備。蒼龍の穴埋めが期待される。
焦る米国はメキシコでのゲリラ対策で枯れ葉剤及び化学兵器の使用を決定(史実ベトナムのオマージュ)。
1942年 9月 日本海軍、ジョンストン島とパルミラ島を占領。ハワイ包囲を進める。
真珠湾が空襲を受けて炎上。
西海岸周辺でも日本海軍潜水艦が跳梁跋扈するようになり、連邦政府は立場が悪化。
戦艦武蔵就役(元伊勢の乗員を回して迅速な戦力化)。
ルーズベルトの命令で陸軍航空隊を可能な限りハワイに派遣。
58:earth:2025/08/03(日) 19:07:25 HOST:KD106172122062.ppp-bb.dion.ne.jp
1942年10月 在ハワイの米陸軍航空隊とジョンストン、パルミラ、ミッドウェーの日本軍・基地航空隊による激しい航空消耗戦開始。
日本名:中部太平洋航空戦、英名:バトル・オブ・ハワイの開幕。
【日本軍戦力】
ジョンストン、パルミラにそれぞれ40~50機の基地航空隊(合計100機)を常に展開。
海軍は零戦、一式戦、陸軍は百式、二式戦を送る。
ミッドウェーからはハワイを爆撃(ジョンストンから護衛戦闘機発進)。
ミッドウェー航空隊は長距離爆撃機(連山相当):50~80機、基地防空・爆撃機護衛用の戦闘機(零式/百式):30~50機。
後方基地・予備: これらを合わせると、太平洋中部に展開可能な戦闘機・爆撃機の総数は、常時200~300機程度を維持しようと努力。
【米軍戦力】
ハワイ(オアフ島)の陸上航空隊:
防空戦闘機(P-38、P-40、ごく少数の初期F6F/F4U):150~250機
爆撃機(B-17、B-24、B-25など):80~120機
偵察・哨戒機(PBYなど):数十機
陸上航空隊合計:230~370機
空母航空隊(上限100機):護衛空母数隻で構成される小規模な部隊が中心となり、搭載機総数は最大100機。
米国側総戦力:
陸上航空隊(230~370機)+空母航空隊(最大100機)=330~470機
【日米の戦力比】
日本側総戦力: 200~300機
米国側総戦力: 330~470機
ハワイ航空戦における日米の航空戦力比は、日本1に対し、米国が約1.1~2.3という範囲。
日米のキルレシオは1:2で推移。
「数ではやや劣るが、質と信頼性、そして運用効率で優位に立つ日本」と、「数では勝るものの、質と練度、そして生産・配備の混乱に問題を抱える米国」の構図。
ロシア帝国は日本に対して極東での化学工場建設(名目は日露共同事業。しかし日本によるロシアへの技術供与の場でもある)を提案。
日本はロシアの申し出を巧みに英国にリークして英国にロシアへの警戒心を煽り立てる。
「日本が勝ち続けることにイギリスが警戒感を抱く前に、ロシア人が漁夫の利を得ようとしているとイギリスに思わせろ」と原敬は指示。
「かつて中国大陸でアメリカとイギリスの利害対立を利用して関東大震災から復興するための資金をせしめたが、今度はロシアを使う」かたちとなる。
1942年 10月 日本海軍、流星艦攻に相当する新型攻撃機配備開始。
イギリスは日本の意図をある程度察知したが、日露が本格的に組まれるよりは自国のコントロール下に置いたほうがマシと判断。
日英貿易は拡大。フィリピンの米軍が完全に排除され、米国の妨害がないこともあって東シナ海は日本の商船が大手を振って行き来するようになる。
ただしロシアとの取引も日本は続け、英露の機嫌を伺いつつ、極東の工場建設に協力。
その綱渡り外交に日本外務の担当者は体重が大幅に減る位、気を使うことになる。吉田茂も「あそこまでタフな交渉は人生でも数えるほどしかなかった」と回顧。
1942年 11月 中間選挙で化学兵器使用による虐殺が暴露され、民主党大敗。ルーズベルト政権の求心力低下。
ハワイ沖での消耗戦を続けている日本では「米本土の士気を挫くため、ハワイ沖航空戦の最中に何らかの手段で本土攻撃を開始する必要がある」と判断。
風船爆弾の開発計画が開始
59:earth:2025/08/03(日) 19:08:05 HOST:KD106172122062.ppp-bb.dion.ne.jp
1943年 1月 南部出身のフレッド・L・ウォーカー少将が化学兵器使用の責任を擦り付けられてスケープゴートに。
1943年 2月 メキシコ占領部隊でも部隊内対立激化。連邦政府(文民政府)への不信感が北部出身者の中でも芽生える。
日本側もこの動きを察知。メキシコ介入(アメリカの柔らかい下腹への干渉)を狙うようになる。
フランスでは日本が英露の間を巧みに行き来しつつ、アメリカを軍事的に粉砕しつつある状況を警戒。
露は同盟国であるが、自国の制御が及ばぬ日本からの技術供与(純粋な日本人の技術ではなく、元はドイツ系技術)でロシアが強化されるのは欧州の
バランスを崩しかねない。また日本が勝ちまくっているため、東南アジアの植民地でも独立派が活気づいているのも地味に頭痛の種になっていた。
「日本人には同情すべき点が多いが、勝ちすぎても困る。まして欧州のバランスを極東の島国が乱すなどあってはならないことだ」とフランス政府は断じる。
フランスは英国国内でも日本を警戒する一派と接触。
日本の行動をある程度束縛するべく画策。
1943年 3月 ハワイへ物資を輸送中だった海軍の輸送部隊(護衛空母4隻含む)がアングルドデッキを採用して航空機運用能力を向上させた隼鷹・飛鷹の待ち伏せにあい全滅。
日本海軍は比叡と榛名を中心にした戦艦も投入して残敵を徹底的に掃討。
※史実のダンピール海峡の悲劇(ビスマルク海海戦)のオマージュ。
再度の大敗が報道され、ルーズベルト政権への批判増大。
ルーズベルトはハワイの民間人引き上げを決定。
1943年4月 ハワイ沖の戦果は情報収集の賜物だったが、ハワイでは物資不足で民間人が困窮するようになる。日系人への迫害、虐待も激化するようになる。
「国家安全保障のため」という名目で、現地で密かに、あるいは半ば公然と、日系住民を酷使・虐待が行われる。
ハワイからの脱出についてアメリカの現地軍は日系人を載せた船を盾にして疎開計画を行うことを決定する。
スパイを通じてこの動きに日本は「この戦争はもはや、条件闘争ではない。どちらかが倒れなければ終わらない、民族の存亡をかけた生存競争なのだ」と悟る。
日本は日系人が酷使、虐待された上、人間の盾に使われていることを喧伝。戦争での日本の行動の正統性を強調。
日本はこの事態を国際社会に強く訴え、英は、これまでロシアの東ドイツ政策を人道面から批判してきた手前、米国の非人道的な行いに苦言を呈す。
ロシアは米国のダブスタに指弾する(自国の東ドイツ政策を相対的に正当化することを狙っていた)。
ただしフランスは人間の盾は非難しつつも、ハワイの困窮振りや日系人への迫害は日本軍による無差別潜水艦戦の影響もあるとして、
「フランス政府は罪のない民間人が困窮するような日本の軍事行動を【自衛】の行動として無条件に是認することはしない」と釘をさす。
日本ではフランス国内の情勢をある程度察知し、列強内部でも日本の勝ちすぎに対する懸念の声が広がっていることを理解。
軍事行動にはより大義名分が必要になると考えるようになる。
そして日本側はその大義名分に日系人を利用することにする。
日本は日系人の保護を要求し、認められない場合は報復を通達するが米国はこれを黙殺。
日本側からすれば「舐められている」としか思えない対応だったが、米国政府内で意見が割れていたことがこの沈黙の原因。
米国政府の事情をつかめない日本では世論が沸騰。
ただし原敬など日本の政治畑の人間たちは「ルーズベルトは弱腰にはなれない。だが列強の耳目もあるから堂々と拒否も出来ない。こうなることは判っていた」と嘯く。
大義名分を得た日本は米本土に政治的一撃を加えることを決定。
60:earth:2025/08/03(日) 19:08:40 HOST:KD106172122062.ppp-bb.dion.ne.jp
1943年5月 日本海軍は米国西海岸へ潜水艦から発進させた水上機による爆撃を実施。山火事を誘発させる。
山火事が日本軍の爆撃によるものだったことは報道管制で伏せられたが、西海岸の防備強化が決定。
ただし無理な戦争を続けたせいで米国国内の経済状態悪化。立て続けの敗戦とあわせて市民の不満が高まり、連邦政府への抗議活動が広がる。
アメリカ南部では「ヤンキーが始めた戦争なのに、なぜ俺たちが苦しまなければならない」という反感が更に広がる。
メキシコではハワイ沖航空戦の影響で地上支援が低調になったこともあって、米陸軍がメキシコのレジスタンスによる出血が拡大。
米国はメキシコからの段階的な撤退を開始。
米国は日系人虐待や人間の盾作戦は現地軍の暴走として処理して政府の責任を否定。日系人を保護と称して強制収容所へ送る(財産は凍結という名の没収)。
「完全に舐められている」と判断した日本はメキシコの反米勢力と接触。
一部の外務省関係者は、自衛戦争の看板を失うリスクがあるこの動きを危惧したが、アメリカでは艦隊の再建が急ピッチで進んでいるとの情報が穏健論を消し飛ばす。
英仏は「いくら何でもやりすぎだ」と米国を諫めたが、米国は「日系人を保護するための政策。日系人の財産の活用については我が国も財政がひっ迫しているため、
彼らを保護するための費用を補填するために欠かせない」と返す。
英は「植民地人の脳は18世紀のままなのか?」と呆れはて、外交面での米国の評価を理性的な列強ではなく、野蛮な国家に格下げ。
米国に肩入れしたい仏も「気持ちはわかるが、ものにはやり方があるだろうに」とため息をつく。
ロシア側は米国の醜態に大笑い。
1943年6月 北部有力者が南部諸州を侮辱する発言。これにより不満をため込んでいた南部諸州では反連邦思想の民兵による連邦施設への襲撃事件も発生。
1943年7月 日本は米軍戦力がメキシコから引き揚げ始めたことから、メキシコの反米勢力支援を決定。
英国でもさすがに日本の軍事力と勢力拡張ともいえる行動(メキシコへの介入)に対し危機感を覚えるようになる。
しかしロシアへの牽制の必要性もあるため、フランスが計画していた間接的な米国支援に相乗りすることを決定。
フランスは強制収容所に押し込まれて困窮する米国内の日系人を支援するという名目で物資を米国に(かなりの量を)横流し。
米国による日系人の非人道的扱いを受け、「人道支援」として食料・衛生品などを提供。国際社会からの体面を守る。
英国は人道物資の一部を民間から提供し、あくまでこの支援の主体はフランスというスタンスを取り、日本のヘイトと不信が英国に向かないように制御する。
戦艦信濃、空母大鳳が就役。
1943年8月 日本、サリナ・クルスを窓口に支援するため艦隊の派遣を決定。
政府の機能低下で山火事の真相が露見。これにより米太平洋艦隊は西海岸防衛のために残存戦力の多くを西海岸に張り付けざるを得なくなる。
61:earth:2025/08/03(日) 19:09:11 HOST:KD106172122062.ppp-bb.dion.ne.jp
1943年9月 日本海軍が護衛する輸送船団が、メキシコの反米勢力の部隊が支配するサリナ・クルスに向けて出発(9/5)。
大和型戦艦の派遣はメキシコへの政治的メッセージ=本気の支援アピールと、米国への威圧も兼ねて船団護衛の任につく。
日本海軍は戦艦武蔵、金剛、比叡、空母隼鷹、飛鷹、重巡2、軽巡2、駆逐艦12を護衛に派遣。
米国は大和型を新型の16インチ砲搭載艦として誤認したまま。このため、戦艦サウスダコダと重巡3隻、軽巡2、駆逐艦10隻からなる水上打撃部隊を派遣。
沿岸の基地航空隊の支援の下、日本艦隊の撃退(出来れば大和型の撃沈)を指示。
米海軍が派遣してきたサウスダコダ率いる艦隊と武蔵が砲撃戦となり、武蔵は砲撃戦でサウスダコダを撃沈。米艦隊も壊滅する。
その後、潜水艦の雷撃を受けたこともありドック入り。
途中で米軍の妨害が入るも船団は9月中旬(9/12)に到着。内戦激化。
日本で2200馬力発動機搭載の新型戦闘機(仮称・烈風)の配備が開始。
日本軍は大和型が46㎝砲を搭載する戦艦であることを大々的に宣伝し、メキシコへの支援が本気であったことを改めて強調。
フランス本土から支援船団が出航。赤十字・クエーカー系慈善団体などを通じて米国に輸送。輸送艦にはフランス海軍が護衛をつける。
衛生用品・粉ミルク・医薬品・毛布・乾パン・整備工具など。明確な武器ではないが、軍にも転用可能なものが多い。
日本側はフランスの遠回しの政治的メッセージ(意訳:あまり調子に乗って覇権拡大の動きを見せないように)として受け取る。
1943年10月 メキシコ沖での再度の大敗で議会内で大統領弾劾の動きが始まる。
再選が危ういルーズベルトは戦力不足を覚悟で1944年8月までに日本への大攻勢に出ることを海軍に命令。
米政権は英仏露に対日禁輸処置、可能ならば参戦を要請。それが叶わなくとも、英仏海軍をインド洋や東南アジアに回航して日本を牽制することを提案。
ルーズベルトはフランスの人道支援を隠れ蓑にした対米支援(および英がその事実を黙認していたこと)を考慮し、
「他の列強も我が国が日本に敗北することは望まないはず」と考えて対日包囲網形成を図った。
米国政府は五輪の時にうまくいった経験から、今の段階でも日本の脅威を説けば国際的対日包囲網形成ができると錯覚していた。
ロシアについても東ドイツ政策に関して今後は黙認することを提案。
露側は大和型戦艦の存在をあげて開戦そのものは渋る。「日本軍は46㎝砲を9門も搭載した戦艦を有している」「貴国に新型戦艦を接収されて余裕がないのでね」と
言ってルーズベルトを焦らせ、露の東ドイツ政策容認だけでなく、米国からの技術支援を引きださせ、見返りに日本牽制のために【民間レベルでの接触】を約束。
※このロシアの態度が後に「大和型の性能を公表していれば抑止力になった」という議論に繋がる。
現時点で対日戦に踏み切っても大火傷になると思っているロシアは、日本との戦いは避けつつ、日本の覇権拡大を可能な限り抑える路線に。
勿論、ロシアとしてはもらえるものは貰うつもりではいる。ロシアは日本が自国と英を天秤にかけていることを察しており、「意趣返し(警告)」することを決定。
米海軍の再度の大敗で中南米諸国で反米の動きが活発化。日本の諜報活動の難易度が下がり、情報の確度も上がる。協力者も多くなる。
日本はなおも戦争継続を諦めない米国の意思を折る為、ジョンストン島から発進させた四発爆撃機(史実連山)を使って米海軍の一大拠点・サンディエゴ爆撃を狙う。
爆撃後はメキシコ軍勢力圏に脱出し補給を受けた後に帰還する計画。
また連山による攻撃の前に米国をかく乱するため、風船爆弾による米本土攻撃を決定。
サンディエゴ空襲の1カ月前から量産された風船爆弾が多数、日本本土から放たれるようになる。
空母雲龍就役。
62:earth:2025/08/03(日) 19:10:36 HOST:KD106172122062.ppp-bb.dion.ne.jp
1943年11月 空母天城(雲龍型2番艦)就役。
ロシア帝国がアメリカ企業と接触を公式発表。
ロシア帝国通商省は、ハバロフスクおよび沿海州の鉱物資源・森林資源開発に関し、米国系企業数社との初期的な協議を行ったことを明らかにした。
同省は「これは民間経済レベルでの接触であり、政治的意図は一切ない」と強調。ただしこれは日本への牽制でもある。
「経済協議を巡る外交報道」という非軍事的方法での圧力。同時に追い詰められている米国企業から技術やノウハウを吐き出させる狙いもある。
日本側は日露協約は守られているが、北方の脅威に対して警戒の声があがるようになる。
フランスでも米国企業との協議を開始したと報道がされる。仏露はあくまで「民間レベル」と主張し、「日本との貿易も維持する。文句ある?」と返してしらをきる。
日本は露仏の動きを警戒し、金剛と比叡は本土防衛だけでなく英仏露への牽制に本土近海に留め置くことになる。
主砲が36㎝砲で旧式戦艦とはいえ、超ド級戦艦(しかも高速戦艦)であることには変わりないため、プレゼンスは維持できた。
日本本土から放たれた風船爆弾が幾つか米本土に落着。
「正体不明の物体」が空から降ってくるという状況になり、米国民は混乱。不安に怯えるようになる。
これにより米軍は正体不明の気球への対応のため、リソースの分散を余儀なくされる。そのスキを突くように日本海軍の爆撃機がサンディエゴに襲来。
サンディエゴに連山相当の爆撃機(航続距離5000キロ)を16機投入してバハ・カリフォルニア→反米勢力地域→サリナ・クルスに脱出。
鹵獲したB-24(機体に日の丸付き)を先頭にしてサンディエゴを空襲。先頭のB-24、そしてB-17と勘違いさせる塗装を連山相当の爆撃機に騙されて迎撃が遅れる。
米側は当日、米陸軍の爆撃機がサンディエゴに配備される予定だったこと、日本の長距離爆撃機がここまで来るとは思っていなかったことも勘違いに拍車をかけた。
先のハラスメント爆撃で潜水艦から発進した水上機によるものだったこともあり、日本軍が来るとしたら空母艦載機か、特殊な水上機との思い込みもあった。
このサンディエゴ空襲で燃料タンクの一部とドックの一部が破壊されてしまう。
さらに脱出した日本軍爆撃機をメキシコの反米武装勢力が運用するP40(遺棄されていたものを鹵獲して再生)が支援。
サンディエゴ爆撃を受けてルーズベルト弾劾論が議会で台頭。
民主党内でもルーズベルトへの戦争指導を疑問視する動きが広がる。
63:earth:2025/08/03(日) 19:11:07 HOST:KD106172122062.ppp-bb.dion.ne.jp
1943年12月 「本格的な米本土空襲の始まり」と大々的に報道され、米国政府は更なる窮地に陥る。
偏西風に乗ってバラバラに飛来する風船爆弾への対応に米国は苦慮。
被害はそこまで大きくないが、サンディエゴ軍港の安全性に問題が生じたことで本土防衛計画の見直しが始まる。
アメリカ政府はアメリカ本土が戦場となることは避けられないと判断。
「日本軍が本格的にメキシコに展開しはじめれば、米本土の大半が日本軍の爆撃範囲にはいるぞ」と米軍は顔を青ざめる。
「メキシコから撤退したことで米本土が危険になったのでは?」との声があがり、米政府と米軍は右往左往。
「メキシコ軍が日本軍のテコ入れで空軍を拡張しているのでは? 下手したらメキシコ軍に本土を爆撃されるのでは?」と米国高官が懸念するようになる。
実際に攻撃にさらされているアメリカ西海岸では防空用戦闘機や高射砲の手配などが要望される。
アメリカ南部諸州では日本軍の影響下に入ったであろうメキシコからの攻撃を警戒して陸軍と航空隊の派遣が強く要望される。
米政府は両方を満足させるため、海軍を中心にした増援を西海岸、陸軍部隊を南部にそれぞれ送る。これにより米国の戦力は更に分散。
またメキシコの反米勢力が日本軍を支援したことで、米国内のメキシコ人労働者の多くは激しい差別、社会的な孤立、そして強制的な「追放」の脅威に直面し、
相当数がメキシコへ帰国を余儀なくされる。アメリカではメキシコ人は「敵性国民」として扱われるようになり、米国内での対立、亀裂が更に根深くなる。
日本が長距離を飛べる本格的な重爆撃機で米本土を爆撃したことでロシアは極東の(特にシベリア鉄道の)防衛計画の見直しに迫られ、軍関係者は頭を抱えた。
露は新たな日本牽制策も検討していたが、それを棚上げ。
日本に対し日露協約遵守は露帝国の正式方針であることを伝え、『戦後の新たな秩序において、極東における友邦の貢献には相応の報いがあるべき』と、
アラスカ返還を念頭に置いた発言をする。また日本軍の航空技術について興味津々となっており、資源交渉での更なる譲歩と引き換えに技術供与を打診する。
列強(英仏)にて日本の勝ちすぎが懸念されるようになる。
英国としてはロシアを極東から牽制したいが、日本が英国の制御を完全に振りきれるほどの力をつけるのも避けたい。
メキシコに影響力のあるスペインの働きかけ(この働きかけも英仏が裏で引いている)で、アメリカはメキシコとの和解に向けた交渉に取り掛かるが、交渉は難航。
また露が表向きは日本を牽制する素振りを見せつつ、裏では日本の軍事技術(特に露が遅れている航空技術)を入手しようとしていることを掴んでいた。
このため英国は「英日同盟の遵守することを期待する(意訳:ロシアに兵器や技術を売るなよ?)」と日本に釘をさす。
64:earth:2025/08/03(日) 19:11:48 HOST:KD106172122062.ppp-bb.dion.ne.jp
1944年1月 米海軍は太平洋艦隊残存部隊(空母エンタープライズ、重巡3、軽巡2、駆逐艦12、護衛空母5)をサンディエゴ軍港からシアトルに移動することを決定。
ルーズベルト政権の後押しで大西洋からの増援艦隊の回航も急がれる。
元々ハワイ周辺での消耗戦に頭を痛めていた日本政府は、大西洋からの増援艦隊回航の動き、列強の態度の変化を考慮して軍部に対して決戦を提案。
(中南米諸国が米国に影で反旗を翻しつつあったため、カリブ海での情報収集が容易となり、訓練中の米艦隊の動きをより正確に察知できるようになった)
日本政府は、この増援艦隊を撃滅すれば米国による対日反攻作戦は1944年中は実施不能となり、それはルーズベルト大統領の確実な落選をもたらすと判断。
政治的理由から決戦を強く後押しした。
更に国際世論も少しずつであるが日本を警戒する声が出始めていることを察知しているのも決戦を後押しする。「英仏が世論の影響で方針を変えない内に決着を」と主張。
海軍内部はリスクが大きすぎる作戦の提案に反対の声が多数。「ハラスメント攻撃を繰り返し、アメリカ艦隊を誘い出して、撃滅すべき」という声が多く上がる。
陸軍は航空隊の消耗を理由に早期決着に賛同。
最終的に海軍トップ三人組・山本、堀、塩沢、政界のフィクサー・原の尽力で海軍も決戦に賛同。
日本は国家の総力を挙げて大西洋からの増援部隊がシアトルに逃れた太平洋艦隊と合流される前に各個撃破することを決定。
また決号作戦について天皇陛下に作戦の概要を奏上。陛下は作戦のリスクを細かく問いただした。その陛下に政府は国民の暮らしも少しずつであるが厳しくなっていることを報告。
様々なリスクとリターンを聞き終えた陛下は静かにうなずかれ、日本帝国の総力をかけた作戦は正式に開始されることになる。
全軍を上げて殴り掛かると大艦隊のため発見されやすく、戦力差から米国の新鋭艦隊が引き返す可能性がある。
だからまずは米西海岸の沖合1500kmにまで囮部隊を出して米国の目と注意を引き付け(多少の空襲は覚悟)、戦力差的に戦えると判断させ、かつ政治的に
引き返せないようになった新鋭艦隊を本命の決戦部隊が強襲することが決定。
ミッドウェーに囮艦隊、ジョンストン島に本命の高速空母艦隊集結。
米海軍太平洋艦隊残存部隊と北米西岸の米ぐの目を引き付けるために大和、長門、陸奥、と隼鷹、飛鷹、水上機母艦や潜水母艦から改装した軽空母4隻(戦艦3隻、空母6隻)からなる
囮部隊が西海岸直撃コースを取る(西岸沖合1500キロまで前進予定)。
65:earth:2025/08/03(日) 19:12:35 HOST:KD106172122062.ppp-bb.dion.ne.jp
1944年2月 カリフォルニア沖海戦(カリフォルニア半島近く)。
虎の子の高速空母8隻(大鳳、翔鶴、瑞鶴、赤城、加賀、飛龍、雲龍、天城)と戦艦5隻(信濃、高雄型2、霧島、榛名)を派遣。
新鋭艦(エセックス級1、インディペンデンス級2、客船改装空母2隻(アメリカ版飛鷹)、元高速タンカー改装空母3、サウスダコダ級2、16インチ砲6門に設計変更したアラスカ、
元々は露に輸出する予定だった戦艦のモンタナ)中核の増援艦隊と激突。
アメリカ海軍の空母の数こそ日本海軍と同等だが、純粋な正規空母は1隻のみであとは改装空母。元高速タンカー改装空母は22ノットが限界で艦隊行動の足を引っ張る。
この世界のアメリカはアイオワを建造するのが困難で、代わりにアラスカを建造していたが緒戦の大敗を受けて急遽16インチ砲6門に切り替えた。
モンタナの元々の名前はインペラートル・パーヴェル1世。サウスダコダの拡大版。
その性能は排水量: 基準42,000トン、全長: 225メートル、全幅: 32.9メートル(パナマ運河の制限内)、速力: 28ノット、主砲: 16インチ(40.6cm)50口径3連装砲塔3基(計9門)、
防御力: 主装甲帯厚380mmで、米国最強の戦艦と言えた。
ただ米国側の新造艦は無理な工期短縮と国内の混乱とあわせて、仕上がりが悪い状態。このため数の上では大艦隊だったが、質の面では日本に対して見劣りしていた。
何とかF6FとF4Uを少数配備し、F4Fの改良型(史実FM-2相当。史実零戦52型相手なら勝てる)を揃えた米空母部隊は航空戦で敗退して壊滅(史実マリアナ沖海戦のオマージュ)。
だがこの航空戦の激しい攻防の中、日本海軍空母赤城が機関部に深刻な損傷を受け、航行不能となる。
逃げ出そうとする米艦隊に日本艦隊が追いすがり、艦隊決戦に。
日本は戦艦信濃、高雄型(41㎝砲9門)2隻、霧島、榛名でモンタナ、サウスダコダ級2隻、アラスカと撃ち合う形。
信濃とモンタナ、金剛代艦2とサウスダコダ級2が撃ち合う。
その間に霧島と榛名がアラスカと撃ち合うが、防御力に劣るアラスカがあっさり撃ち負け、残るモンタナ、サウスダコダ級2隻は数で押しつぶされる
更に無茶な納期短縮で主砲の連射不良や命中精度の低さに悩まされ、防御装甲の接合部の弱さ、隔壁の不備、火災制御システムの不具合で被弾時の被害も拡大(史実信濃のオマージュ)。
しかし米海軍の意地とばかりにモンタナ、サウスダコダ級2隻と随伴艦艇は死に物狂いで抵抗。
艦隊決戦中、日本海軍の霧島もまた激しい砲撃と米駆逐艦の雷撃で機関が損傷して速力低下。
艦隊決戦終了後の隙をつかれ、霧島は米潜水艦の雷撃を受けて大破。自沈処分を余儀なくされる。
霧島の最期を受けて赤城の曳航も断念して自沈処分。
信濃の艦橋では「寄せ集めの急造艦という話だったが、想像以上に手強かった」「これで練度が高ければ、空母をあと1~2隻失っていたかも」といった風に「米海軍侮りがたし」の声があがる。
米太平洋艦隊はシアトルに艦隊を避難していた上、武蔵を中心にした艦隊の欺瞞、陽動から目を離せず、増援艦隊と連携が取れずに各個撃破された形になる(史実レイテ沖海戦に近い)。
米海軍作戦本部は1944年前半の攻勢について「成功の見込み無し」とルーズベルト大統領に報告。ルーズベルト大統領は敗戦による衝撃で脳卒中を起こし、そのまま死亡。
66:earth:2025/08/03(日) 19:13:20 HOST:KD106172122062.ppp-bb.dion.ne.jp
1944年3月 ルーズベルト大統領死亡によりアメリカは大混乱に陥る。副大統領が大統領に昇格するも求心力は弱く、国内の混乱は悪化の一途を辿る。
米海軍作戦部長と米太平洋艦隊司令長官はこの大敗の責任を追及され辞任を余儀なくされる。
日本はハラスメント攻撃とサリナ・クルス経由でメキシコの反米勢力への支援を継続。
米国国内では戦争継続を断念し和平に応じるべきとの声が上がる。共和党・孤立主義者が「即時停戦」を主張するようになる。
合衆国軍では本土防衛が難しいと判断した南部諸州の議会では「自衛のための独自行動」が提起される。
1944年4月 日本政府、英国を仲介にして再度和平交渉を打診。
米国の新大統領、日本との和平交渉を決意。ただし米国側は国内事情もあって、あくまでも強気の姿勢。
「元は日本領の青島は日本に返しても良い。だがそれ以上は譲らない」と交渉の場で突きつけた上で、日本が占領している占領地からの撤退を要求。戦争責任についても否定。
さすがにこの態度に日本側も鼻白むが、とりあえず和平の取っ掛かりにはなると判断し、交渉に臨むことを決意。
4月半ばに停戦が結ばれ、4月末に中立国で日米講和会議が開催。
ただし日本では会議決裂に備えて艦隊の増強が継続。ただしこの動きは英仏の警戒を買う。
67:earth:2025/08/03(日) 19:13:52 HOST:KD106172122062.ppp-bb.dion.ne.jp
1944年5月 講和会議の裏では列強の駆け引きが活発化。
日本の急激な勢力拡大を好まない英国は日本に対し色々と釘をさす(英は【ロシアの宮廷内での日本警戒論】の存在を日本へリーク)。
英国の警戒心が増していることを感じた日本政府は、「戦後に軍縮会議を開催したいと思っている」「フィリピンを併合する気はない」と東南アジアへの野心はないとアピール。
実際、この時点で「フィリピンを併合しても大赤字になる」と日本は試算しており、「米軍を追い出して独立国家(中立)にできればよい」と考えていた。
また国際世論に「あくまで自衛戦争だった」と必死に喧伝。しかし白人国家が(当事者以外の視点で)一方的に殴られている様は少なからざる警戒心を白人国家に与えていた。
「弱ければ一方的に奪われ、強くなりすぎれば囲まれて叩かれる。出る杭は打たれるのは世の常か」と日本外務官僚は嘆息。
勿論、英は米国にも釘をさすことは忘れない。戦前の米国の振る舞いについて(憂さ晴らしも兼ねて)盛大に皮肉を言いつつ、何とか穏便な講和になるように仕向ける。
英仏露の警戒から首相は「勝ちすぎたのか?」と少し悔やみつつも和平の道を探る。
日本側は米国領青島の割譲(日本への返還)、フィリピンの独立と米軍の撤退、太平洋の島嶼の非武装化(ハワイは制限付きで認める)を突きつけつつ、戦争責任については
徹底的に追及する構えを崩しておらず、「これは日本の自衛戦争であり、戦争責任は米国にある」ことをしっかりと明文化し、更に戦前のテロについても国際的な調査委員会を
設けることを要求していた。
ただし後ろ暗いところのある米国は調査委員会設置に後ろ向き。更に米国の戦争責任を認めれば脆弱な新政権が吹き飛ぶため、到底呑むことができず。
「過ぎたことを掘り返しても意味がない」と米国は主張した上で、「日本は過去のことに固執して講和会議を破壊しようとしている。彼らが侵略者である証拠だ」とまで喧伝。
日本世論はこれに沸騰。軍内部でも「再戦やむなし。西海岸に更なる打撃を与え、譲歩を引き出すしかない」との声が上がるようになる。
日本の拡大を警戒する英仏も米国の態度を見て「米国がいうように日本に一方的に責任があるとは思っていない」と表明し米国を諫めるようになる。
英仏は玉虫色の決着でごまかすつもりだったが、負けっぱなしの上に大義もない戦争だったと認められない米国は渋る。
中南米では米国の威信が失墜したのか、米国権益を平然と脅かす行動が出始める。
米国国内では「白人大同盟を結成し、日本に圧力をかけろ!」と主張する勢力が出始める。
東海岸で未だに建造中のエセックス級空母、アイオワ級戦艦といった期待の新型艦が彼らの拠り所であった。
片や南部を中心にして「これ以上、ヤンキー共がはじめた戦争には付き合いきれない」との声が強まる。西海岸でも「このままでは焼け野原になる」との危惧が上がる。
西海岸住民は日本軍の侵攻に怯える者もいるが、「ジャップに頭を下げるなど御免だ」、「俺たちの故郷は俺たちで守ってやる」と意気軒昂な者も少なくない。
ただ有効な手が打てない民主党政権への不信は根強く、「戦争継続するにしても政権が変わらないと話にならない」と語る。
68:earth:2025/08/03(日) 19:14:25 HOST:KD106172122062.ppp-bb.dion.ne.jp
1944年6月 米政府は何とか国際世論を味方につけて外交で日本を包囲し、有利に交渉を進めようと目論む。一般的な白人では黄禍論が高まっており、新大統領は手ごたえを感じる。
新大統領は「たとえ和平が合意せずとも、休戦で時間を稼げれば我々が有利になる。日本から休戦を破れまい」とほくそ笑む。
日本もこれには手を焼くが、ここで白人大同盟を真に受けて対日戦争の完遂を狙う人間が現れ、和平交渉を進める新大統領を売国奴と断定する人間が戦争継続派から
現れてしまう。
この人物は南部の一部過激派(白人至上主義者など)であり、南部では数少ない戦争継続派であった。
この過激派は周囲から孤立気味であったこともあり、「南部も本来は我々と同じ白人であり、日本に屈するようなことは許さない」というプロパガンダを真に受けて和平派大統領が
南部で和平を説くのを阻止することを図る。
南部に遊説に訪れていた新大統領は戦争継続派のプロパガンダを真に受けた人物の手により暗殺されてしまう。
これを切っ掛けにして米国内の戦争継続派と講和派の対立が一気に表面化。
戦争継続派は「売国奴を誅した」「米露英仏の白人たちの手で世界秩序が正される時が来た!」と喧伝するが、日本を含む諸外国はドン引きする。
新大統領暗殺によって連邦政府の威信は失墜。講和会議も半ば宙に浮き、英仏露もアメリカが日本よりも政治的に不安定な二流国と判断するようになる。
「我々は米国を買いかぶっていたようだ」というのが欧州外交官の感想。アメリカの対外的影響力は一気に低下。
アメリカ国内では南部の人間の手で暗殺されたことで戦争継続派と和平派の対立以外に、南北対立の対立軸も加わる。
1944年7月 アメリカ各地で不満を募らせていた労働者が蜂起する事件が相次ぎ、州軍、連邦軍内部でもこれに呼応する動きが続発。
西海岸でも連邦軍の動揺著しく、日本では休戦を破棄した西海岸攻撃プランを取り下げて様子見に徹する。
首都であるワシントンDCでも対立の激化により、各地で銃撃戦が頻発。テロの応酬も開始。
列強の首都とは思えない惨状になり、連邦政府の機能は大幅に低下。
軍の一部が政府の命令を無視するようになり、東海岸諸州以外への通信・交通・財政・軍事命令系統が次第に寸断されていく。
69:earth:2025/08/03(日) 19:16:23 HOST:KD106172122062.ppp-bb.dion.ne.jp
1944年8月 一部の州が財政破綻するが、連邦政府は何も手を打てず、米国国内で連邦政府に対する信用は完全に失墜。
連邦政府と対立気味だった南部諸州は連邦政府を無視するだけでなく、南部に展開していた連邦軍の取り込みを開始。連邦を割る行為を公然とするように。
アメリカ合衆国の連邦政府は形式上存続していたが、実質的には統治能力を喪失し、機能不全に陥っていた。
各地で独自政権や軍閥が台頭し、中央政府の命令はほとんどの地域で無視されるようになっていた。
辛うじて機能していた連邦系組織である連邦陸軍主導で合衆国臨時政権がシカゴに発足。
正統政府を自称して列強に承認を求めるが、対日戦争での戦争責任は頑として認めず。
対日戦争の責任を認めない姿勢が、彼らの国際的な信頼を失墜させていた。列強から信頼を得られないことで臨時政府の正統性が更に揺らいだ。
正当性に欠いている臨時政府の統制下から離れる州が続出。南部諸州はその筆頭でもあった。
列強にとってアメリカは獲物に過ぎなくなり、アメリカの海外資産、領土を蚕食するようになる。
列強は取り分を巡って会談し、戦後秩序もアメリカ抜きで決定する。
1944年9月 パナマ運河はパナマが接収(ただし実際の管理は英仏が実施)。
グアム、ウェーキ、ミッドウェー、ジョンストン、パルミラは日本領に編入。日本軍占領下のフィリピンは独立準備に入る。
ハワイは無血開城で日本軍の軍門に下り、後にハワイ王国復活へ(ただし厳正な意味で中立国となり、日本海軍が一方的に好き勝手に使用できないように制限される)。
列強に海外領、権益を次々に奪われていくが、アメリカ合衆国に対応する力はもはや残されていなかった。
戦後処理:1943年12月でロシアから釘を刺されていたことを日本は忘れなかった。
日本は日露協約を守ってくれたロシアへの報酬として、アメリカ分割の際にロシアによるアラスカ奪還を認め、アラスカはロシア領となる。
南部連合はフランスに接近(曲がりなりにも敵であった日本と同盟していた英よりは組みやすかった)。北部州で困窮した州はカナダに併合されていく。
合衆国は史実中国のように、まるでパイのように列強に切り取られていった。
イギリスはロシアの拡大を警戒して、日本を使ってロシアの牽制を図ろうとする。
西海岸との交易の拠点を求めていた日本は英国の思惑に乗る形で、西海岸勢力と交渉し、サンフランシスコに租借地を設けて貿易の拠点とする(露の南下への備え)。
日本は世界第二位(戦闘力では第一位)の海軍国となり、太平洋の交易で利益を上げつつ、(史実と違って巨大な軍備を持った)有力列強として生きていくことになる。
大和型3隻がサンフランシスコに寄港するシーン(遠くにゴールデンゲートブリッジが見える)で完結。
70:earth:2025/08/03(日) 19:20:27 HOST:KD106172122062.ppp-bb.dion.ne.jp
あとがき
1934年以降、かなりの加筆・修正を加えております。
金剛型代艦を高雄型とし建造数は2隻(性能は向上させた上でミニ大和のように)にするなど
メキシコについても名目上は義勇軍ではなく邦人保護のための派遣に。
日米対立が先鋭化するまでは軍備増強のテンポを堕とし、平和の祭典である五輪を逆手に使って
日米対決不可避のルートに乗ってもらいました。
他にもロシア海軍の戦艦を米国が建造したりなど色々と。
拙作ですが楽しんでいただければ幸いです。
71:earth:2025/08/03(日) 19:31:08 HOST:KD106172122062.ppp-bb.dion.ne.jp
人物設定が抜けていたので投下します。
各役割の機能性と相補性
海兵32期トリオ(山本・堀・塩沢):上層部での組織統制と戦略・運営
山本五十六(軍令部総長):
海軍の頭脳として、大局的な戦略と航空戦力という革新的なドクトリンを統括。
彼の卓越した戦略眼と先見性が、日本海軍を勝利に導く指針となる。
堀悌吉(連合艦隊司令長官):
海軍の実戦部隊の指揮官として、山本が描いた戦略を具体的な作戦として実行。
彼の冷静な判断力と条約派としての合理性が、無駄のない効率的な運用を可能にする。
塩沢幸一(海軍大臣): 海軍の顔であり、政治との調整役。
彼の円滑な人間関係構築能力は、海軍の予算獲得、人事、そして政府や他省庁との折衝において発揮。
山本や堀の大胆な提言や作戦が、政治的にスムーズに進むよう裏から支える存在となる。
同期の絆: 彼ら3人が同期であることは、互いの信頼関係、阿吽の呼吸、そして時には厳しい意見交換を可能にし、
上層部の意思決定に強い結束力と効率性をもたらす。
武部鷹雄:現場の視点と革新の推進者
最前線の「目」: 航空部隊の指揮官として、常に戦場の最前線に身を置き、変化する戦況や敵の動向を肌で感じ取る。
彼の報告や提案は、上層部の戦略立案に不可欠な「生きた情報」となる。1916年の日本海海戦で死にかけてその際に天啓を得たことも大きい。
技術と運用の体現者: 彼自身がパイロットであり、新型機(九八式、一式など)の性能を熟知し、その真価を最大限に引き出す運用方法を追求。
彼こそが「空を制するものが海を制する」という理念を現場で実践する人物。
「死を越えた者」の視点: 1916年の海戦での生還体験は、彼に通常の軍人とは異なる、より人間的かつ本質的な視点を与えた。
これが、単なる勝利だけでなく、戦争の悲惨さやアメリカの日系人虐待といった「リアル」を上層部に伝える役割に繋がる。
原敬:政治の裏方と精神的支柱
政界のフィクサー: 表舞台には立たずとも、その老獪な政治手腕と強固な人脈で、海軍(特に海兵32期トリオ)が必要とする政治的支援を水面下で行う。
彼が、軍が純粋な軍事行動に専念できる「土台」を築く。
「死を越えた者」の共鳴: 武部鷹雄と同じく、死(暗殺)を免れた経験が、彼に独自の人生観と柔軟な思想を与える。
これが、世代や立場を超えて武部との間に深い個人的友誼を生み、武部が抱えるであろう葛藤を共有し、精神的に支える存在となる。
長期的な視点: 幾多の政治の荒波を乗り越えてきた経験から、短期的な戦術ではなく、国家の長期的な安定と繁栄を見据えた助言を与える。
アメリカの内部分裂を目の当たりにする中で、国際秩序の変動を冷静に分析し、日本の立ち位置を指南する役割も担う(最後の奉公)。
72:earth:2025/08/03(日) 19:32:58 HOST:KD106172122062.ppp-bb.dion.ne.jp
この掲示板に集う方々からすれば、色々と足りない部分がある話(星墜ちる海)かと思いますが、
何かしらの刺激になってくれれば幸いです。
最終更新:2025年09月15日 22:00