255:奥羽人:2024/06/26(水) 20:11:07 HOST:sp49-109-97-202.smd02.spmode.ne.jp
この世界にも逆行者や転生者は存在した。
しかしここでは、その居場所は偏っていた。
彼らは主に技術者や企業家であり、政治や軍事に深く関わることの出来る人材というものが、どうしようもなく不足していたのだ。
故に、大日本帝国は技術力こそ優れた面を見せつつも、それに反して史実の如く破滅に至る選択肢をとり続けてしまった。
そうして、緒戦の快進撃は既に影もなく戦況は逆転し、マリアナ諸島を奪われ、彼のB-29による本土空襲を受けることとなる。



1945年3月10日、ミーティングハウス2号作戦(東京大空襲・下町空襲)
死者数約10万人、負傷者約100万人


これが、一般的に大本営の箍を外した出来事と言われている。






ここに、とある転生者もしくは転生者グループが存在した。
これらは控え目に言っても“天才”で、そして所謂マッドサイエンティストだった。

その転生者の専門分野は核物理学、そして…………核兵器。

自分の望む研究が出来れば後はどうでも良い、としか考えないその転生者は、あらゆる手段を使って自らの研究を充実させていった。
未来知識を使って荒稼ぎした金を以て、世界中から先端機器や物資を買い漁り、核兵器を生み出す。

苦戦はしなかった。
これまで繰り返した転生において、その全てで核兵器に携わった転生者にとって、核兵器についての全てのことは頭に入っている。
そして、どういった機器や材料をどこから調達すればいいのかも全て把握していた。
どの程度の設備を持って、どの程度のペースで生産すればいいのかも分かりきっている。

転生者の成果は日中戦争の序盤にて“発揮”され、蒋介石を彼の閣僚ごと南京と共に消滅させ、事変の早期終結に貢献した。
そして、転生者はより多数の弾頭を投入して敵対国を完全に破壊するべき、そして今現地でも其は可能だと主張した。
しかしその成果は、同種の兵器の開発に成功した米軍との苛烈な報復合戦を恐れた大本営によって、増産命令を受けながらも半ば封印された扱いとなる。

一時は日本を見限り、欧米に渡って研究を行おうともした。
しかし、現地での人種差別によってその道は頓挫し、転生者は日本に帰ってきて確信する。
日本で研究を続けるには欧米が邪魔だ……と。

256:奥羽人:2024/06/26(水) 20:12:25 HOST:sp49-109-97-202.smd02.spmode.ne.jp



1945年3月16日、硫黄島
栗林中将が訣別電報を送った直後、硫黄島北部を爆心地とする大爆発が発生。
制海権を奪われる直前に運び込まれた試作型3F式熱核兵器(核出力5Mt)による核自爆だった。
爆発によって上陸していた米海兵隊数万人が即死。
物資を揚陸していた舟艇はおろか、近海に展開し艦砲射撃を行っていた艦艇をも巻き込んだ。


3月18日、九州沖航空戦開始
硫黄島での爆発によって混乱した米海軍は、情報が錯綜したまま当初の予定通り沖縄~九州周辺において日本軍の漸減作戦を開始。
第58任務部隊の空母12隻に航空機1400機を投入した米海軍に対し、帝国陸海軍の航空隊が応戦。
第五航空艦隊は小型核爆弾(出力20kt)を搭載した核特攻機複数と、核爆弾(出力300kt)もしくは核弾頭ロケット(出力40kt)を搭載した重爆隊を投入。
米空母6隻を撃沈破し、護衛艦艇に多大な損害を与えた。
この戦いでマーク・ミッチャー海軍大将が戦死。


3月20日、「日本軍の大威力兵器」を前に沖縄上陸は不可能と判断したTF58はウルシー環礁に残存艦艇を後退させる。
これをに追跡した潜水艦が、ウルシー環礁に沖縄上陸用の兵員と物資を満載した多数の輸送船を確認。
翌21日、試験型弾道弾の実戦試験としてウルシー環礁に熱核弾頭型(核出力1.2Mt)を発射、停泊中だった多数の輸送船を破壊して泊地機能を破壊。
レイモンド・スプルーアンス大将が急性放射線障害によって後日死亡。


3月25日、米科学者が「日本軍の大威力兵器」が、ロスアラモス研究所で開発中の原子力兵器であるかもしれないことを大統領に進言。
日本軍は爆撃機による投下か潜水艦の自爆という形で核攻撃を行っていると推測した米海軍は、駆逐艦による哨戒を大幅に増強することを決定。
しかし同日、米海軍の混乱の隙を突いた潜特型が、水攻の代わりに核弾頭ロケットを搭載してマリアナ諸島の米航空基地を襲撃。
複数発の核ロケットによって航空基地は機能不全に陥り、駐機中のB-29もその大多数が破壊された。


3月25~30日にかけて、残りの試験型弾道弾をハワイの真珠湾、フィリピンのマニラ、タクロバン、ダバオ、英領インドのインパールに対して投射。
マニラにてダグラス・マッカーサー元帥が戦死。
以後は制式型の大陸間弾道弾へと主力を切り替えていく。


4月に入り、日本軍の核攻撃を恐れた米軍が西太平洋地域でのすべての作戦を中止し、自然停戦状態となる。
米海軍の後退によって辛うじてシーレーンを回復させた大本営は、供給の再開した資材を以て弾道弾と核弾頭の再生産を行うよう指示。

257:奥羽人:2024/06/26(水) 20:14:14 HOST:sp49-109-97-202.smd02.spmode.ne.jp

8月1日、フィリピンから出撃したB-29が沖縄に核爆弾「ファットマン」を投下。那覇市壊滅。
3日には台湾の台北に「リトルボーイ」を投下する。


8月6日、カリフォルニア州サンフランシスコに対して新造した熱核弾頭(核出力2.5Mt)型弾道弾を発射。
9日には同州ロサンゼルスに同様の核攻撃を実行し、合計数十万人以上が犠牲となる。

8月8日、ソ連対日参戦。
同日、モスクワに核攻撃を実行。スターリン以下ソ連主要閣僚が軒並即死。
満ソ国境地域でも関東軍による複数回の核自爆が発生。
ソ連軍の攻勢威力は相殺され、中国方面から増援に来た日本軍との混戦状態に陥る。

8月25日、カリフォルニア州両都市への攻撃効果の確認が取れ、最重要目標であるニューヨーク州マンハッタンに核攻撃を実行。
弾頭はダウンタウン上空で炸裂し、周辺のニューアークやブルックリンも同時に壊滅し、200万人近くが犠牲となる。


9月1日、日本軍、マニラ再奪取。

9月6日、シカゴに対して核攻撃を実行。

10月13日、ペンシルベニア州フィラデルフィアに核攻撃を実行。

10月21日、米海軍が核攻撃阻止の為に2個艦隊規模からなる日本本土攻撃部隊を派遣。
しかし、特攻兵器回天(核出力3.5Mt)等による対艦核攻撃に遭い、大損害を受けて撤退。

11月9日、デトロイト含む五大湖工業地帯に核攻撃を実行。
この攻撃には試作多弾頭型(個別誘導ではなく一定高度で分裂し小型核爆弾を拡散させるだけの簡易型)が投入された。

12月1日、オハイオ州クリーブランドに核攻撃を実行。







12月24日、アメリカ政府が日本に対して正式に講和交渉を要求する。





「と、いうわけで………これがこの世界が辿った概要らしいですよ」

「らしいですよって、まるで罰ゲームじゃないですかコレは!」

「ええ、全く以て。大変な事になりましたね島田さん……いえ、今は小磯首相でしたね」

「ううっ、なんでこんな手遅れになってから憑依が…………」


【“最終戦”後夢幻会 ~核戦争のあとしまつ~】

258:奥羽人:2024/06/26(水) 20:15:44 HOST:sp49-109-97-202.smd02.spmode.ne.jp
以上です。転載大丈夫です。
末期日本軍に核だけ超最先端なの持たせてみたってコンセプトの一発ネタです。
普通なら現実味がないとかなりますけど、夢幻会と転生者って状況を作るものとして便利ですよね。

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最終更新:2025年10月27日 16:10