195:戦車の人:2025/09/22(月) 01:03:51 HOST:110-130-196-35.rev.home.ne.jp

自動装填105ミリ砲を車体に固定装備した61式戦車、その長所を継承し汎用性をより高めた74式戦車に続く戦後第三世代戦車。
要素技術開発は1975年と早いもので、オブイェクト430の失敗にめげずT-72を早期実用化したソ連への対抗が強く意識されている。
開発段階から我が国土ないし友好国に侵攻せる赤軍新世代機甲部隊を、機動防御で拘束、撃滅することを一義と定められた。

また朝鮮戦争で北九州を荒らし回った韓国への警戒も含まされ、車体重量52トン以下にして寸法も74式より一回り大きい程度とされた。
具体的には全幅3.42メートル、全高2.3メートル、全長7.5メートル(砲身含まず)、最大重量51-52トンと試算されている。
なお88式の開発には61式と74式でも同様だが転生者の戦車技術者も複数人関わり、的確な知見を提供し開発を促進している。

同時に「FCSなどコスト関係で削減されたもの以外、90式戦車以上を望むのは無理」と彼等は内輪でだが結論付けていた。
史実の戦後第三世代最後発だけに、かの戦車の完成度と実用性の高さは転生者にとっても高い壁となっている。
なお74式戦車開発当時にも似たような所見が存在したようで、寧ろ水冷エンジン採用や重装甲化など独自性はあちらが高い。


幸いにして74式戦車が水冷ディーゼル及び自動変速機からなるパワーパックを、トランジスタ制御により実用化させていたこと。
油圧サスペンションについても実働部隊からの初期不良を、要素技術開発にもフィードバック可能で、駆動系より順調に滑り出した。
1975年には水冷2サイクル8気筒1200馬力ディーゼル、前進4段階/後進2段階の自動変速機の試作型が完成。

サスペンションはFCSの完全デジタル化を見越して姿勢変換機能を前後のみとした、独立油圧方式の開発に成功している。
左右の姿勢変換が不要となったことから、74式の一体型油圧方式よりシンプルで整備性に優れたものを選べたのである。
これら駆動系を採用した試験車両が1977年には完成しており、富士学校や防衛技研が中心となり各種試験に供された。

機動性と信頼性双方において(試作車としてだが)概ね良好な性能を発揮し、その軽快な操縦性と機動性は高く評価されている。
一時は1200馬力ディーゼルに適合させ熟成を重ねる意見も強かったが、西側諸国で1500馬力級が概ね標準となりつつあること。
T-72の不整地踏破性の高さなどを鑑みると、最終的には1500馬力エンジンを中核とした駆動系が望ましいと開発は進むことになる。


そして新型戦車においてより重要視されたのは砲塔正面でRHA500ミリを超えるであろう、ソ連新型戦車を正面から撃破可能な火力。
それも可能ならば半導体技術の著しい進歩を活用し、完全にデジタル化したFCSによる全天候における迅速な排除能力であった。
このあたりも74式やその改良型がパッシブ暗視装置、レーザー測距儀、デジタル計算機導入などに成功していたことが幸いした。

こちらは駆動系や車体よりも緩やかなペースで開発と熟成が進められ、一応の完成形のFCSが完成したのは1980年である。
砲手用熱線映像装置付レーザー照準器、車長用暗視照準器、砲・照準器2軸安定装置、32ビットデジタル計算機などである。
史実に比し防衛が牽引する形で半導体技術への投資の拡大、回り道の回避、技術進展が早いことも幸いしている。

無論、これらのFCS機材は防衛よりも激しい競争の商用技術を活用し、効率化と省電力化、小型化の推進を継続。
1986年に完成したほぼ正式採用型は排熱や電力消費、必要容積を大きく抑制し、特に信頼性と生産性向上を追求。
同時に当初は断念された車長用旋回式熱線映像照準器の搭載を可能とし、オーバーライド射撃の実効性を大いに高めた。


そして優れたFCSに支援される砲火力であるが国防軍内部ではラインメタル120ミリ滑腔砲が望ましいと最終的に判断。
しかしM113装甲車の武装強化検討に際し、20ミリ機関砲に関して余りにも足元を見られた教訓を活用。
新戦車の更に先をゆくAFVへ技術を伝えることも併せ、砲及び弾薬、そして自動装填装置は完全国産から開始された。

日本製鋼所やダイキン工業等が中心となって開発された120ミリ滑腔砲と弾薬、自動装填装置はやはり1980年に完成。
弾薬は装弾筒付翼安定徹甲弾と多目的対戦車榴弾の二種類で、複合装甲搭載戦車の撃破に最適化されている。
自動装填装置は61式の段階でバズル式を実用化出来た経験が幸いし、電子制御でより確実を期することが出来た。

ラインメタル砲導入をほのめかしつつ同社関係者に「見せつけるように」行われた、全天候高速射撃試験は良好な結果を収めた。
砲威力も徹甲弾を用いた場合に少なくともT-72相当の標的を確実に撃破可能で、コストも必要十分に収まっていた。
このような蓄積あってこそラインメタル砲の導入コストは安価なものとなり、採用5年後以降の弾薬自由開発まで取り付けている。

196:戦車の人:2025/09/22(月) 01:06:15 HOST:110-130-196-35.rev.home.ne.jp
そして新世代のソ連戦車が装弾筒付翼安定徹甲弾に最適化した125ミリ滑腔砲を標準とする以上、防御も疎かには出来ない。
こちらは主砲と異なり三菱マテリアルや等が主体となり、国産の複合装甲を砲塔と車体要所に適用が決定された。
当時のアメリカ、イギリスなどの複合装甲は成形炸薬弾には強いが、無拘束セラミック主体で運動エネルギー弾に頼りない一面が否めなかった。

また装弾筒付翼安定徹甲弾に避弾経始の効果は小さいと、砲塔などはほぼ垂直に近い形の防弾鋼板構造を採用。
その内部へチタニウム、拘束セラミック、アルミナ等を主体とする大型バルク式の複合装甲を、正面を中心に適用する方式で開発を実施。
車体は傾斜構造をを採用しているが正面主要部の複合装甲自体は、やはり垂直配置構造に近いものである。

当時世界水準の先端へ至りつつあったマテリアル技術を、設計段階からデジタル計算機をフル活用し最適化の推進も併用された。
こちらは1982年には試作複合装甲が完成し105ミリや試作120ミリの徹甲弾射撃、79式対戦車誘導弾複数の直撃に耐久している。
その後も素材技術の改良は継続され、1986年に完成した増加試作車ではラインメタル砲の複数弾直撃にも十分耐えた。


砲塔、車体正面以外はやや被弾面積が拡大することを承知で、側面やスカートに中空構造装甲を適用している。
カンボジアへの国防陸軍派兵に際して、61式戦車やM113装甲車が多数の対戦車火器の攻撃を受けたこと。
その際に増加装甲の空隙が成形炸薬弾の威力を大きく減殺し、多くの戦車兵や歩兵の命を救った戦訓を陸軍は忘れていなかった。

装甲以外の防御手段としては最も被弾しやすい砲塔、その20発以上を収める即応弾薬庫・自動装填装置の誘爆にまず備えた。
砲塔即応弾薬庫上面に一枚式の大型ブロウオフパネルを設け、戦闘室と弾薬庫を自動装填装置以外は装甲隔壁で遮断。
余程運が悪くない限りは弾薬庫が誘爆しても、ブロウオフパネルが爆風を上面へ逃し、装甲隔壁が戦闘室を保護する構造となっている。

また戦車、対戦車ミサイルがレーザー測距儀を用いるのが当然となったことを受け、84年にレーザー検知器試作型が完成。
半導体技術の進歩の恩恵を受け比較的小さいが360度の照準、誘導レーザーの検出を可能とし、乗員や電算機に警告を実施。
砲塔左右に各4基が備えられた76ミリ発煙弾発射機も半自動ないし全自動で連携し、効果的な照準阻害を可能としている。


言うなれば史実の90式戦車の要素技術の長所、そしてM1A2相当のFCSを5-10年単位で前倒ししたのが88式戦車と言える。
史実の自衛隊と異なり海外派兵も前提で、実戦経験もそれなりに多いことから実際的な開発を終始行えたことも幸いしている。
少なくとも1986年に完成したほぼ正式採用型と大差ない増加試作車は、当時としては一流の性能と実用性を達することに成功した。

米軍などで特に注目されたのが大容量コンピュータ及び砲手及び車長全天候照準器、自動装填滑腔砲を用いた行進間射撃である。
サイトスレーブ式安定装置の電子制御による補正最適化、毎分15発の実効装填速度もあり、当時としては異様なほどの攻撃力を発揮した。
旧式化し標的へ転用されたM46戦車20台を1個小隊4台が3分程度で完全破壊し、地形を適用し反撃判定を受けず悠々と離脱。

FCSの完全デジタル化や装弾筒付翼安定徹甲弾の配備が行われた74式改良型1個中隊も、大破判定1台を代償として壊滅判定を受けた。
それも実戦経験者相当数を含む「職人」とさえ言われた戦車教導隊の74式改1個中隊、小隊4台で手もなく捻り潰したのだ。
ソ連がT-72実用化成功の経験を正しく用い、史実のT-84相当まで性能を高めたT-80にも十分優位に立てる戦車と判定されている。


かくして増加試作車の初期不良などを解消した新戦車は昭和63年に88式戦車として正式採用され、北海道と九州を優先に部隊配備が進んだ。
なお予算費目上は老朽化した61式戦車の後継とされ、北部及び西部方面師団の戦車隊を段階的に更新。
二線級師団や混成旅団でなお現役であった61式を、一線級師団から流れてきた74式改良型で置き換えるという形式を用いている。

戦闘車両が単年度会計の例外であることを用いて国軍及びメーカー側は、予算が許す範疇で導入に際しスケールメリットを活用。
ソ連崩壊以降も共産中華、朝鮮半島の脅威が存続していたこともあり年産平均50台のペースで北海道、九州への配備を継続。
独立混成旅団が装輪装甲車で機動化されたこともあり、61式よりは配備数は少ないものの650台を超える部隊配備を成し遂げている。

その過程で内装モジュール方式の複合装甲やFCS電子機材の刷新、主砲弾薬の更新も継続され、2020年代現在でも有効な戦力を維持している。
現在では国軍機動化の流れから九州方面の師団戦車隊はより軽量な最新の07式へ更新され、本州の師団戦車連隊も同様である。
一方で機甲師団さえ抱える北部方面隊ではC4Iを07式へ近づける形で近代化を施し、今尚500台以上が現役であり続けている。

197:戦車の人:2025/09/22(月) 01:06:48 HOST:110-130-196-35.rev.home.ne.jp
史実の90式戦車をベースとしてコストの問題から断念された要素技術を、国軍を持つ戦後夢幻世界だから可能な力技で実用化。
散々ゴネたラインメタルについても20ミリ機関砲の段階で「あいつら自前の技術持たないと交渉できない」と認知させ、国産砲と弾薬を開発。
何ならコスト面でも対抗できる存在を作り上げ「で、どうする?」と迫り、コスト抑制と弾薬開発自由化を勝ち取った戦車です。

本文の中でも書きましたがコンセプト、根幹設計であれ以上の戦車を作るのは無理だろうなあ…といろいろと痛感しました。
T-80系列を含む赤軍機甲部隊に対抗できる能力を、あのサイズとコストで実用化した化け物です。
防衛予算がそれなりであれば電子装備や弾薬のブラッシュアップで、21世紀でも十分通用する戦車だろうなとも考えました。

因みに2020年代でも北海道に多数配備されている88式は、史実の10式戦車ネットワーク相当を載せた車両です。
COTSコンピュータと広域多目的無線機相当のデータリンクに置き換え、FCSとデータリンクを直結させたような戦車です。
ロシア、中国、そして何より国土を直接侵略した韓国という脅威が存在していれば、これくらいの近代化は可能なかなとも。

史実90式をモチーフとしつつ予算増額や前倒し、何よりyukikaze様の74式戦車の技術確立の恩恵を大いに受けた戦車です。
徹甲弾なども少なくとも弾頭部は10式相当でしょうし、それなりに21世紀でも戦える戦車だと良いなあ…と考えています。
wikiへの転載はご自由にお願いいたします。これはあくまで戦車の考えた思考実験ですので、戦後夢幻会正史ではありません。

タグ:

+ タグ編集
  • タグ:
最終更新:2025年10月27日 16:14