419:新人艦長:2025/10/06(月) 18:57:15 HOST:182-166-38-132f1.osk2.eonet.ne.jp
アメリカ夢幻会ネタ
鳳凰型航空母艦

全長:269m
水線幅:29m
基準排水量:3万1千トン
喫水:9.7m
速力:30ノット
缶:艦本式ロ号缶8基
機関:艦本式タービン4基
推進軸:スクリュー4軸
搭載機
最大80機(就役時)
最大50機(1960年代)
最大40機(練習艦時代)
武装(就役時)
九八式10センチ連装高角砲8基16門
二式40ミリ対空機銃4連装10基40門(ボフォース40ミリ機関砲)
二式40ミリ対空機銃連装8基16門(ボフォース40ミリ機関砲)
九六式25ミリ単装機銃40基40門
同型艦:鳳凰、昇龍

 鳳凰型航空母艦とは第二次世界大戦終結後に完成した改大鳳型航空母艦である。
 建造数は結局2隻だけであったが日本海軍初のアングルドデッキ飛行甲板を採用するなど技術面で大きな影響を与えた。
 2000年代まで長きにわたり就役し続けていた。

(概要)
 鳳凰型は⑤計画で立案された改大鳳型である。
 大鳳型の防御力の向上や米国から輸入して国産化した新型カタパルトの使用、アングルドデッキの採用などを取り入れた大鳳型という計画案である。
 建造は当時大型艦の新造が相次いで、既存造船所の余裕が不足してたため5022号艦(2番艦)は新たに大分に設置された大神海軍工廠で建造することになった。

420:新人艦長:2025/10/06(月) 18:57:49 HOST:182-166-38-132f1.osk2.eonet.ne.jp
(構造)
 基本構造や艦型は大鳳に準じているが主な変更点として

  • アングルドデッキの採用
  • カタパルトを搭載
  • 舷側エレベーターの採用
  • 格納庫の容積拡大
  • 通信能力の強化
  • CICコンセプトの採用
  • 水密区画の多層化などによる防御力強化
 などがある。

 まず最大の特徴はアングルドデッキの採用である。
 アングルドデッキの採用は日本海軍史上初であり、これによってより効率的な艦載機運用が可能になった。
 これは米海軍が1937年に発表した論文(これ自体は公開されたもの)を参考に日本海軍が試験したところ好評を得たため鳳凰型で急遽取り入れられた。
 鳳凰型ではさらにエレベーターが今までのインボード型から初めてアウトボード型に変更されている。
 これにより効率的に甲板上の飛行機を動かせた。

 次にカタパルトの採用。
 艦載機の大型化や重量化に伴い既存の発艦システムでは近い将来限界が来ることを日本海軍もよく理解していた。
 しかし問題はその解決に必要なカタパルトを実用化できなかったことである。
 しかし米海軍は既に実用化し、1940年代には日本にその技術を提供した。
 このカタパルトの技術を参考に日本で改良を施したものが搭載されている。
 このカタパルトは相当に余裕を持って設計されたことで1950年代半ばまで換装せずに対応できた。

 そして将来の艦載機大型化に備えて格納庫の容積も艦内構造を見直すことで達成している。
 これにより艦載機数も確保している。
 しかしこの皺寄せとして居住性はさほど良くない。
 特に後述の水密区画の過度の細分化は居住性に悪影響を与えた。

 通信機能の強化は日本海軍空母の運用上最大の問題を解決するために実施された。
 日本海軍空母最大の運用上の問題はその通信能力の弱さであった。
 これは日本海軍空母が作戦行動や旗艦として振る舞う際の大きな問題になった。
 そもそも大鳳以前の空母はその大半が艦橋の容積に問題を抱えて作戦指揮能力が低かった。
 大鳳型で大幅に艦橋容積が改善されたことで作戦指揮能力は改善したが通信能力には問題が残った。
 そのため新型無線機などが搭載され強化されている。
 この改良で鳳凰型の通信能力は格段に良くなり空母として初めて連合艦隊旗艦を務め、そして最後の連合艦隊旗艦となった。

 さらに大型艦として初めて当時最新のコンセプトだったCICが搭載されている。
 これは米軍からまともなレーダーの技術が入ってくると多くの艦艇でレーダー情報の処理で問題を抱えた。
 何せレーダー、視界の情報と共に各艦の情報、位置、艦内の情報を同時に処理しなければならない。
 そうなると既存の艦橋指揮では情報処理能力が飽和してしまう問題が夜間演習などで発覚した。
 そこでまず簡易的に情報を集約するスペースが設けられたが、これもすぐに情報が入ってまとめられるまでのラグを解決できなかった。
 そこで日本海軍は試験的にレーダーやソナーなどを海図室に集約して情報を処理するというシステムを建造したばかりの瑞鶴で取り入れた。
 これが欧州派遣時に大きな成果を挙げた。
 これを叩き台としてさらに洗練、レーダースコープをいくつも集約して艦内の戦闘情報を含めたほとんどの情報を完全に1箇所で処理する中央戦闘指揮所を設計段階から盛り込んだ。
 この中央戦闘指揮所はまだ巨大な輸入品のスコープと黒板とチョークという代物であったが今までの艦艇よりも情報収集処理判断が極めて早いと評判になった。

 また空母として初めてスパコンの搭載と高度な航空管制システムの搭載が戦後に実施されている。
 これら能力は鳳凰型を初めてC4Iシステムに対応した日本海軍大型艦艇としてみなすこともできる。
 実際戦後の改修で日本海軍初の電子式情報処理システム搭載艦となっている。

 水密区画の多層化は大鳳型の防御力をさらに発展させる形で取り入れられた。
 大鳳型では水密区画は3重底の5枚4層構造であったがこれがさらに7枚6層に変更されている。
 その他水密区画の細分化も含めて艦の規模に対してかなり多い1200以上の水密区画を有している。(この数はおよそ1.5倍の規模になるフォレスタル級に匹敵する)
 ただこの水密区画の増加は居住性に大きな影響を与えて、これ以降日本海軍空母の水密区画は概ね1500から2000前後になるが全て鳳凰型より1.5から2倍以上大きな船ばかりであるため相対的には少ない。

421:新人艦長:2025/10/06(月) 18:58:24 HOST:182-166-38-132f1.osk2.eonet.ne.jp
(運用)
 鳳凰は1945年、昇竜は1946年に就役し、訓練後緊張が続く中国沿岸のパトロール任務に従事した。
 就役時の艦載機は烈風、天山、彗星、彩雲であったが1948年には最新鋭の四八式艦上戦闘機(フューリー)の運用試験を実施し、戦闘機が交代。
 天山もA-1になり急降下爆撃機は廃止、彩雲も廃止されて代わりに艦上哨戒機の四六式艦上哨戒機(AFガーディアン)が搭載された。
 1950年にベトナム戦争が勃発すると最新鋭空母としてトンキン湾で作戦行動を実施し中国を攻撃した。
 戦後、1957年に2隻は近代化改修を受け最新鋭の艦載機に対応する改修を受けた。
 この改修後には艦載機は五五式艦上戦闘機(F-8)、五二式艦上哨戒機(S-2トラッカー)、五二式艦上輸送機(C-1トレーダー)、五七式艦上早期警戒機(E-1トレーサー)、五五式一号艦上攻撃機(A-3)、五五式二号艦上攻撃機(A-4)が搭載された。
 その後、ビルマ戦争激化に伴いローテーションでベンガル湾に進出し攻撃を実施した。
 1965年ごろには戦闘の損失から五五式艦上戦闘機から新型の六三式艦上戦闘機(F-4)に交代した。
 しかしこの頃には大戦型空母でしかない鳳凰型は艦内が手狭、特に艦載核攻撃機でもある五五式一号の取り回しに不便であると不満が出ていた。
 さらに後継となる六〇式艦上攻撃機(A-5)はさらに大型であるため搭載可能数がさらに減ることになる。
 将来的にもさらに大型のF-14の開発も進んでいる事から60年代後半には新型の扶桑型と交代して主に本土周辺と南洋で使われるようになった。
 南洋諸島紛争では示威行動を実施したが、南洋諸島では空母は取り回しが悪いというのを示した一方で艦載機が密輸船などを取り締まるのに有効というのを示した。

 一方、1970年代には当時練習空母として使われていた雲龍型の老朽化が著しく、艦載機の大型化にも対応できていないという問題が生じていた。
 おりしもビルマ戦争でのパイロットの損失からパイロット育成の強化が求められていた時代、練習空母の不足は問題であった。
 外国に頻繁に派遣される扶桑型と異なり鳳凰型はある程度のスペースと余裕ある日程があった事から60年代後半以降、両艦共に年の1/3ほどは訓練用に使用されるようになっていた。
 ビルマ戦争が一段落した1970年代初頭になると鳳凰型の退役と練習空母への転用案が出てきた。
 この案は慎重に検討され、採用。
 鳳凰と昇龍は1974年に一度退役、練習空母として武装の全撤去など改修が行われて1976年に再就役した。
 練習空母として主にTA-4などを搭載して太平洋上での空母乗組員育成に携わった。

 2003年に老朽化から両艦は後継として扶桑型空母の日向に練習空母の役割を渡して退役、船体は両艦共に標的艦として使用された。

422:新人艦長:2025/10/06(月) 19:00:51 HOST:182-166-38-132f1.osk2.eonet.ne.jp
以上です。
大鳳型を発展させて2000年代までパイロット育成に携わった大事な船。
CICコンセプトだったりカタパルトだったり色んな技術的な面での功績も多い地味な名空母。

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最終更新:2025年10月27日 16:33