451:新人艦長:2025/10/13(月) 14:35:31 HOST:182-166-38-132f1.osk2.eonet.ne.jp
アメリカ夢幻会ネタ
ビルマ戦争
1967年
「オェッ!ェッ!」
「しっかりしろ、水をしっかり飲め」
一人の若い米兵が道路の脇で今朝食べたレーションを全て吐き出し、その背中を先輩の上等兵がさする。
ビルマに来た新兵が皆通る通過儀礼だ。
「あいつは?」
「今朝食ったもの全部吐いてます。朝飯は抜いた方がいいとは言ったんですがね。」
中隊を率いるサングラスにM16を抱えた大尉に女房役のベテラン軍曹が言う。
二人の目の前には彼の部下たちがビルマの村の中を捜索しているが見つかる物は焼け焦げた家々と数えきれないぐらいの色々な方法で無惨に殺された大量の死体だけ。
周辺の村々からも集められただろう人の死体ばかりで、その死体に爆弾が仕掛けられてないかを恐れて兵士たちは慎重に捜索する。
「今月六つ目だな。」
「皆頭がイカれそうです。連中はとっくの昔にイカれてますが。」
こんな姿になった村を数えて気が滅入る大尉に愚痴を言う。
兵士たちは皆疲れ切っていた。
しかし相手はそれ以上に狂った連中ばっかりだと知っていた。
これがビルマの日常だった。
後世、ある歴史家はこの時代のビルマを指してこのように表現した。
ジェノサイド・ランド
大虐殺の天国
1945年ビルマを占領していた中国軍をイギリス軍とインド軍が追い返してビルマ国は崩壊、ビルマは再び英国の植民地に復した。
しかしそれを良しとしなかったのがかつて中国軍と共に戦ったビルマの独立派。
指導者アウンサンらは逮捕されて処刑されたが、当時のイギリス式の分断統治からビルマ人、少数民族、インド系、イスラム系、華僑と中国国民党残党は互いを憎みいつしか争い始めた。
そして遂には大規模な戦争にまで発展。
ビルマ戦争が勃発した。
ビルマの正当な政府であるビルマ連邦政府と政府軍は弱体で隣国インドや宗主国イギリス、そして日米泰などの支援を受けながら戦ったが、ソ連と中国が積極的に支援、それも野放図的に。
結果どうなったか、それは最悪であった。
452:新人艦長:2025/10/13(月) 14:36:16 HOST:182-166-38-132f1.osk2.eonet.ne.jp
少数民族各派、中国軍残党と華僑、インド系、イスラム系、仏教系のビルマ人など数十の派閥に分かれて連邦政府軍だけでなく各派閥で殺し合いを始めた。
宗派や民族が違う村を見つける度に各派は争うように襲っては略奪と虐殺を繰り返した。
それをソ連と中国は咎めるどころかさらに武器を送った。
毎日のようにビルマのどこかの村が地上から消され、女は強姦され、男は殺され、めぼしいものは全て略奪された。
わずかな生き残りが集まると今度は襲った民族の村を襲い同じことを繰り返し…時々ビルマ連邦政府軍や米軍などと戦うを延々繰り返した。
その描写するのも恐ろしく、そしていまだに全容を解明できないほどの犠牲者のほんの少しだけが目の前の村で起きていた。
「大尉、村の北半分の死体の収容は完了しました。確認死体は97です。」
「お疲れ。1時間ほど休憩だ。」
「は」
憔悴した顔の部下(少し前まで新品の少尉だった)に休憩を取らせる。
横を同じように疲れ切った別の中隊の兵士が戦車と共に進んでいく。
みんな首をすくめて可能な限り何も見ないように村を通っていく。
「村より木の方がマシだ」などというのがビルマの米兵の常套句。
村に入れば大歓迎か大虐殺のどちらかしかない。
大歓迎した村も大概外れを少し探れば虐殺した死体が出てきて村人を取り調べる羽目になる。
そこから数キロ離れた師団本部では師団長の将軍が参謀達の話を聞いている。
「アルファ中隊はこの村を制圧。
ブラボー中隊はここまで進出しています。」
「一応聞くがどのぐらい死体が見つかった」
「200以上、こんなものを聞いても不快になるだけだと言って報告は後回しにさせてます。」
「それでいい、それで…」
なんだこの狂った国は、それが彼の気持ちだ。
戦闘記録よりも虐殺記録の報告書の厚みだけ増していくのに気が滅入る。
あまりにも多すぎて狂って自殺した師団長や将兵がいるのも納得だ。
あまりにも気が滅入り昼前だというのにチェストの中のウィスキーを呷りたい気分になる。
453:新人艦長:2025/10/13(月) 14:37:01 HOST:182-166-38-132f1.osk2.eonet.ne.jp
数百キロ離れたビルマの首都ラングーンにあるビルマ連邦駐屯国連軍総司令部。
ジャングルが都市部になっても変わらない不快な暑さを最低限日本から持ってきた扇風機で紛らわせているが、そこにいる殆どの将兵は汗まみれだ。
ただ泥にも埃にも塗れてないだけ、そこにいる人々が”そういう立場”なのを示している。
「ラーショー公路とレド公路の制圧無くしてこの戦争の終結は不可避です。」
航空偵察情報を元に日本の参謀の1人が分析する。
大戦から20年経ちすっかりアメリカ風になった日本軍でもこの参謀の世代はギリギリ大戦中に教育を終えた世代故、若手の将兵とは違う空気を醸し出している。
「ラーショー公路とレド公路の爆撃はどのぐらい進んでいる?」
「先週は海軍が200回、空軍が350回爆撃しています。」
葉巻を吸う米陸軍将校の1人が尋ねると隣に座る空軍士官が答える。
今この場で最も偉い将校は資料を黙々と読む“ベトナムの英雄”ヴォー・グエン・ザップ将軍だ。
ベトナムでの優秀な戦闘指揮(その相手は一応は同陣営のフランスである)を知っていた米軍は彼を国連軍総司令官に推挙、それを受諾した事で今は国連軍総司令官としてビルマ、タイ、オーストラリア、ベトナム、フィリピン、インド、満州、上海、日本、イギリス、アメリカなどの連合軍を指揮している。
それを補佐するのはかつてパットン指揮下の戦車部隊の先陣としてノルマンディーからベルリンまで突進したエイブラムス将軍。
彼らの前に置かれた地図には赤い線でレド公路と史実ではビルマ公路と言われたラーショー公路、史実ではアジアハイウェイ14号に属するビルマ国道3号、マンダレーを中心にして広がる鉄道網が示されている。
これらインフラはビルマ各地の反政府勢力に中ソが支援するために強化され、毎日大量のトラックや列車が走っている。
「合計600回もしていないのか?」
ザップが聞くと、バツが悪そうに空軍将校が言う。
「地上支援などの任務が多く、輸送路攻撃に回せる戦力がないのが実情です。」
「手数が足りないと」
「はい残念ながら」
ビルマには数百機の軍用機が存在しているがまばらに点在する各地の敵を爆撃していると全く戦力が足りていなかった。
さらには中国がタイやインドなどへも空爆を実施しているためその防衛のために空軍機が動員されていた。
また地形的にも渓谷地を縫うように走っている道路を空爆するのは難しい状況だった。
実際に接近して空爆を挑んだ戦闘爆撃機が谷と谷の合間に這わせたワイヤーに引っかかったり、道路の側に巧妙に隠した機関砲の集中砲火を浴びて爆散することが多発し、爆撃は殆どが高高度からの爆撃に終始していた。
また戦力自体の消耗も激しかった。
例えば日本軍はやや旧式化していた五五式戦闘機を大量投入しているが損耗が激しく、既にタイやその他地域で100機以上が使い物にならなくなって捨てられている。
イギリス軍は3Vボマーを投入していたがその中のヴァリアントが低空爆撃を繰り返したことで空中分解を起こす事故を数件起こし、全機が強制退役させられ、機体はビルマ中の飛行場で訓練用の的や胴体だけ分捕り整備士やパイロットの休憩所にされている。
マクナマラ国防長官の差金で米空軍を中心に空軍戦力は増えていたがそれでも足りない。
ただ68年までには米空軍はさらに増備され、日本空軍やオーストラリア空軍なども増備される手筈になっている。
「やはりどこかで敵補給網の完全破壊を目指すべきです。」
タイ軍の指揮官が言う。
「ラーショーとモンユ。この二つが焦点だ。」
一つはラーショー公路の終点でビルマ国道3号線と合流してマンダレーに向かうラーショー、もう一つはレド公路とラーショー公路の結節点モンユ。
この二つを押さえれば敵の補給網は断絶する。
中国とビルマの国境は極めて山深い過酷な地形、細い道路一つが大動脈という地域。
「まずはモンユを抑える」
ザップは決断した。
翌68年、国連軍はラーショー公路とレド公路を結ぶモンユへの総攻撃作戦MM作戦を開始した。
MM作戦はビルマ戦争最大の大規模攻勢となった。
これ以降、ビルマ戦争は終結のため激しさを増していく。
454:新人艦長:2025/10/13(月) 14:38:20 HOST:182-166-38-132f1.osk2.eonet.ne.jp
モンユ陥落後、反政府勢力への支援路はビルマ国道3号線のみとなり国連軍は集中的に空爆。
陸戦では孤立したラーショーに向けて進軍した。
ラーショーが陥落した頃には増援のインド軍部隊が反政府軍最大の拠点であるマンダレーに取り付き激戦が繰り広げられた。
一方米軍部隊はラーショーからマンダレーに進撃、北ビルマの奥地では日本軍が地道に掃討作戦を続けていた。
そしてその天王山となったのが1969年セインニの戦いである。
国道3号線のセインニから国境のムセに進軍中の国連軍部隊ベトナム軍の軽歩兵連隊を中国雲南軍閥の戦車部隊(最新のT-55装備)が襲撃、戦線が突破されマンダレーに進軍中の米軍部隊の背後が脅かされた。
突破した戦車部隊に対して予備兵力のベトナム軍歩兵連隊と米陸軍第101空挺師団、米陸軍戦車部隊がセインニで迎撃、最大規模の戦車戦が行われ雲南軍閥を撃退した。
これを追撃する形でベトナム軍と第101空挺師団が進撃、ムセで雲南軍閥と市街戦が発生した。
なんとかムセを陥落させると国境周辺部の掃討周辺部の掃討に移った。
1970年に入ると形勢は逆転不能なほど固定化され、一方で雲南省からは雲南軍閥の攻撃が続いた。
これに国連軍はビルマ反乱軍空爆作戦「ローリング・サンダー」の拡大を議論、雲南省への大規模ミサイル攻撃を開始。
国内では掃討作戦が続き、急激に反乱勢力は萎んだ。
武器の供給路を断つとともに、この頃には互いに行っていた民族浄化が限界まで達して、反乱主要地域の山岳部は極めて人口希薄になって反乱をする人自体が消滅しつつあった。
1975年、各反乱勢力がもはや抵抗能力を失い降伏するか中国へ逃亡。
その中国も損切りとばかりに幹部をアルバニア経由で引き渡し完全にビルマ戦争は終結した。
だがビルマは甚大な被害を負った。
推定で人口の30から50%が死亡もしくは周辺国に流出、特に山岳部は9割が消滅した地域もあった。
さらに生き残りも虐殺者として告発され逮捕される者も少なくなかった。
周辺国も大量の難民や戦費で不安定化した地域も多かった。
そしてこの戦争の戦費や膨大な死傷者、そして何より毎日のように大虐殺を見て心が深く傷ついた兵士達。
彼らの苦難の歴史は始まったばかりである。
455:新人艦長:2025/10/13(月) 14:39:20 HOST:182-166-38-132f1.osk2.eonet.ne.jp
以上です。
この世の地獄ともいうべきお話です。
最終更新:2025年10月27日 16:34