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254:奥羽人:2025/04/27(日) 22:01:54 HOST:sp49-109-148-187.tck02.spmode.ne.jp

私たちが東の果て、日本という国にたどり着いたのは、1650年の春のことでした。
大洋を渡り、何度も嵐に揉まれながら、長い航海を終え、ついに長崎の港へと到着したのです。

世界の果ての極東、しかし、私の目に映った日本の光景は、想像していたような未開の島国とはまったく違いました。
港には頑丈な石造りの波止場が築かれ、海には巧みに組まれた朱塗りの橋がかかっています。
岸には数えきれないほどの大小さまざまな船が並び、人々は忙しそうに行き交い、荷物を積み下ろしていました。

男女を問わず、誰もが身なりを整え、礼儀正しく、それでいて商売においては、私たちオランダ人にも負けないほど機敏で抜け目がないのです。

街を歩けば、町並みは整然とし、運河と道路が巧みに交差し、石畳の道には車輪の音が響いていました。
ここ日本は、祖国のアムステルダムにも引けを取らない都市づくりを成し遂げていたのです。
彼らの首都へと向かう街道沿いには工房が立ち並び、絹織物、銅細工、薬品、時計仕掛けまで、あらゆる品が製造されていました。



江戸へ至る道すがら、私は各地の市を巡ります。
中でも最も心に残ったのは、大坂の市に立ち寄った時のことでしょう。

朝早く、まだ霞の残る町を歩くと、どこからともなく賑やかな声が聞こえてきます。
市は、まるで潮が満ちるように人と荷で溢れ、道の両側には所狭しと露店が並び、果物、穀物、織物、道具、薬草、香料と、ありとあらゆる品が売られていました。
驚くべきは、その品揃えの豊かさであります。
この国は、遠く東インドやアフリカ、さらには新大陸にまで使者を送り、珍しい作物を手に入れては、国内で積極的に栽培しているのだといいます。
市には、私たちヨーロッパでもまだ珍しい新大陸の作物、たとえばじゃがいもやトウモロコシが山と積まれ、地元の農民たちの手によって売り買いされています。
じゃがいもは「馬鈴薯(ばれいしょ)」と呼ばれ、寒冷な地でもよく育つため、北国の田畑に広がりつつあるとのことです。
また、黄金色のトウモロコシは「南蛮黍(なんばんきび)」として親しまれ、炙ったり、粉にして菓子にしたりと、様々な形で人々の暮らしに取り入れられているのだと言っていました。

市場では、和やかな掛け合いと、商人たちの鋭い眼差しとが交錯しています。
女たちは籠に山盛りの野菜を抱え、子どもたちは干し果物をつまみ食いし、商人たちは帳簿を片手に品定めをしており、また、別の一角では薬草師が南方からもたらした香草や、乾燥させた茶葉を売り、侍たちが興味深そうに香りを試していました。

255:奥羽人:2025/04/27(日) 22:02:56 HOST:sp49-109-148-187.tck02.spmode.ne.jp

絹に施された刺繍は、東洋の精緻さと西洋の豪華さを融合させ、銅細工の器には、異国の意匠と日本独自の美が同居していた。
ただ受け入れるのではなく、自らの技と美意識によって昇華する。
この国の人々の在り方を、市場の雑踏の中に垣間見た思いです。

さらに市場を歩いていると、別の一角に広大な取引場が設けられているのが目に入りました。
そこには、色とりどりの反物が山のように積まれ、絹、木綿、麻と、あらゆる種類の布が取引されていたのです。
絹は南方や地方から、木綿は地元で生産されたもので、いずれも手触りなめらかで染めの色も鮮やかだった。
人々はそれらを丹念に品定めし、秤と帳面を手に、巧みに価格を定めて取引を行っていました。
また、別の棚には印度の茶葉がずらりと並び、香り高い新茶から深く焙煎された濃い茶まで、種類も豊富です。

商人たちは小さな陶器の壺に茶葉を詰め、それらを品評しながら売買します。
香辛料もまた豊富に取り揃えられており、胡椒、丁子(クローブ)、肉桂(シナモン)など、アジアや東インドから伝わったものが、日本全土に広まっているようです。

私は、これらの品がいかに規模大きく、しかも秩序立って取引されているかに舌を巻きます。
そして、耳にしたところによると、いまや大陸における最大の市場であった明は、戦乱により各地が荒廃し、安定した交易を望むには難しい状況になっているとのこと。
こうした中、秩序と繁栄を保つ日本こそが、これからの東洋における新たな交易の中心地となり得る、と噂されています。
実際、この市場にはヨーロッパのみならず、印度、アユタヤ、ペルシャからも商人たちが集まり、日本の銀貨や工芸品、茶葉、織物などの製品を目当てに賑わっていました。





大坂を後にし、さらに東へ進むと、私はひとつの特異な町にたどり着きました。
そこは「尾張」と呼ばれ、無数の工房と製作所が立ち並ぶ場所でありました。

川沿いには巨大な水車がいくつも設けられ、絶え間なく水の力で機械を動かしています。
その水力によって回される仕掛けは、単なる粉挽きや織機だけではなく、製鉄工房では、水車に繋がれた大きな槌が鉄を叩き続け、重厚な鉄板や工具を生み出していました。

特に、綿花を紡ぎ、織り上げる巨大な工場には驚かされました。
そこでは千人を超える職人たちが傍目から見ても分かるような精巧な機織り機を動かしており、その光景はまるで絶え間なく流れる大河のようでした。
ですが、最も心を奪われたのは、製鉄工房で見た光景です。
火花が飛び散る炉の前で、若い職人たちが鉄を打ち、板を鍛え、精巧な金属製品を作り上げていました。
その技術の細やかさは、ヨーロッパの名工にも引けを取りません。

さらに案内されたのは、巨大な錬金術師たちの工房でした。
そこでは、幾百という硝子瓶や蒸留器、煉瓦造りの炉が並び、白衣を纏った学者たちが、絶え間なく不思議な薬品を作り出しています。
香り高い薬草を煮詰める者、金属を溶かし、妙なる粉末を得る者、透明な液体を組み合わせて新しい物質を作る者。
それらは私の目には、まるで魔術のように映ります。

256:奥羽人:2025/04/27(日) 22:04:07 HOST:sp49-109-148-187.tck02.spmode.ne.jp

実のところ、私は錬金術には浅い知識しか持ちません。
だから、彼らの行っていることの多くは謎に包まれていますが、町の役人によれば、彼らは薬品、染料、さらには病を清める薬を生み出しているのだといいます。

とりわけ、傷を癒やす薬や、火薬をさらに改良するための研究が盛んに行われており、国の守りにも欠かせぬ存在になっているとのこと。

一日中見学しても飽きることはないでしょう。
ここ日本では、火と水と人の知恵が一つに結びつき、まだ我らヨーロッパ人ですら見ぬ未来を形にしようとしている。
技術と知識を惜しみなく注ぎ込み、さらなる高みを目指すこの国の姿勢に、私はただ感嘆するばかりです。



私はとうとうこの国の新たなる心臓部、江戸へと足を踏み入れました。
聞き及んでいた通り、江戸はもはや辺境の漁村ではありません。
天下統一の後、徳川家によって徹底的な開拓と整備が施され、今や畿内や尾張と並び立つ、壮大なる都市へと成長していた。
江戸の町に入るやいなや、まず目を奪われたのは、その整然たる街路であります。
広くまっすぐに引かれた大路には、馬車と人々が絶え間なく行き交い、道端には排水路と石畳が設けられています。
大小の橋が無数に架かり、運河が町を巡り、物資と人とを滑らかに運んでいました。

町は厳格な区画整理のもとに築かれており、それぞれの区域には清潔な市が立ち、宿屋や茶屋が賑わい、広場では芸人たちが妙技を披露しています。
とりわけ商業区域では、国内外からの物資が溢れ、豪奢な呉服屋、香木店、鍛冶屋、そして南蛮渡りの品を扱う商会まで、見事な賑わいを見せていました。

都市の中央には、江戸城が堂々と聳えています。
白亜の石垣と幾重にも連なる堀、巨大な門と長い櫓。
その規模と精緻な設計は、ヨーロッパのどの要塞都市にも劣らぬ威容を誇っていました。

聞けば、徳川家は一族をあげてこの江戸を、単なる国の中心ではなく、未来の理想都市として築き上げようとしているとのことだと。
また、江戸には多くの学問所と技術研究所が設けられています。
ここでは、天文、医学、兵学、工芸に至るまで、あらゆる学問が日々研究され、人々は競うように知を深めています。
ヨーロッパの知識も貪欲に取り入れられ、いくつかの学舎では、ラテン語やオランダ語の書物が読み解かれ、日本の言葉に翻訳されていました。
街角の本屋では、地図帳、航海誌、薬学書といった書物が市民たちの手に渡り、学びが特権階級に留まらない広がりを見せていたのには、驚かざるを得ません。

257:奥羽人:2025/04/27(日) 22:05:12 HOST:sp49-109-148-187.tck02.spmode.ne.jp


江戸の夜景はまた格別です。
無数の行灯に照らされ、運河には灯りが映え、人々は夜半まで茶屋に興じ、芝居小屋に集まり、夜市に繰り出していた。
この都市には、豊かさと活気、そして新たな時代を切り開こうとする人々の熱気が満ちています。
私は、はるか海を越えた祖国のことを思いました。
この江戸のように、秩序と繁栄を両立させた都市を、我々オランダ人は果たして築けるだろうか?
そう自問しながら、私はこの光り輝く都の、夜のざわめきに耳を傾け続けたのでした。


江戸を巡り歩くうちに、私はまた一つ、我々の常識とはまるで異なる習わしに出会いました。
それは、人々が身分によらず、思い思いに装い、暮らしを楽しんでいるということです。
たとえば、ある日、私は市場近くの茶屋に入った。
そこでは、織物問屋の若旦那とおぼしき者が、見事な絹の衣をまとい、金銀の細工を施した笠をかぶって談笑していた。
その装いは、ヨーロッパであれば、侯爵や伯爵といった高貴な身分にしか許されぬような、華美なものでありました。

別の日、路地裏の料理屋を覗けば、粗末な作業着を脱ぎ捨てた職人たちが、鯛や鴨といった高級な料理に舌鼓を打っているではないですか。
器もまた上質な磁器であり、食事の作法も洗練されていて、彼らが庶民とはとても思えぬ振る舞いをしていました。

私はこれを見て、思わず案内人に尋ねました。
「彼らは貴族か、それとも特別な許可を得た者たちなのか?」と。

すると案内人は笑ってこう答えたのです。
「いいえ、ただの商人や職人です。
正当に稼いだ金であれば、誰がどんな装いをしようと、どんな料理を楽しもうと、誰も咎めたりはしません。
それは道徳にかなった行いであり、逆に身分に縛られ、楽しみを禁じることこそ、不自然であると考えられているのです」と。

この言葉には、私は深い衝撃を受けました。
ヨーロッパでは、農民や職人が過度に贅沢をすれば、身分秩序を乱すものとして厳しく罰せられることもあり得ます。
しかしこの国では、努力し、才覚によって得た富をどう使うかは、本人の自由とされているらしいです。
もちろん、奢侈を誇ることなく、節度と品位を守ることは重んじられていますが、それは内面の徳の問題であって、外形の規制ではないのであるそうです。

この考え方は、我らが知る規範とはまるで異なっています。
身分とは生まれや血筋によるものではなく、むしろ才覚と徳によって築かれるべきものだ。
江戸の街角で見た人々の姿は、そう語りかけてくるようです。
これはむしろ、商才によって成り上がった我々オランダ商人こそ思い出すべき心がけではないのでしょうか。

江戸の町を歩けば、いたるところで人々の暮らしに息づく楽しみの姿に出会います。
この国の民は、ただ日々を生きるだけではありません。
音楽、芝居、遊技、祭り、ありとあらゆる娯楽を巧みに日常に取り入れ、豊かな文化を築き上げているのです。

258:奥羽人:2025/04/27(日) 22:06:31 HOST:sp49-109-148-187.tck02.spmode.ne.jp


町の広場では、楽器を手にした芸人たちが集い、笛や鼓、三味線と呼ばれる撥弦楽器の音色に合わせて歌を歌い、踊りを披露しています。
通りすがりの者たちは足を止め、笑い、手を叩き、時には小銭を投げて芸を讃える。
演じる者と観る者が、隔てなく一つの輪を作る様子は、見ていて心温まるものでした。
また、町の一角には芝居小屋が軒を連ねています。
そこでは「歌舞伎」と呼ばれる舞台芸術が盛んに上演され、役者たちは煌びやかな衣装と大仰な化粧を施して、勇壮な武士の物語や哀しき恋の物語を演じていた。
芝居小屋の前には長蛇の列ができ、庶民も武士も、老若男女を問わず芝居を楽しみに訪れていました。
ときに観客席から掛け声が飛び、舞台と客席が一体となる活気には、ヨーロッパの劇場とはまた違った、親密な熱気があります。

さらに驚かされたのは、文芸の普及ぶりです。
町の本屋には、絵入りの物語本や詩歌集が溢れ、庶民たちが気軽に読み物を買い求めていました。
寺子屋と呼ばれる小児の学校も盛んで、読み書きを習う子供たちの姿はどこでも見かけた。
それゆえ、ここ江戸では、農民や職人ですら、字を読み、物語を楽しむ者が少なくありません。
遊びもまた多様であります。
双六や囲碁、将棋といった盤上の遊戯はもちろん、凧揚げ、羽根突き、魚釣り、季節の行楽など、人々は四季折々の楽しみを心から愛しています。
寺社ではしばしば祭礼が行われ、屋台が並び、踊りが続き、町全体が祝祭に包まれる様子は、まさに壮観でした。


江戸の町を歩く中で、私は再び驚くべき光景に出会いました。
それは、学問に対するこの国の情熱と、その実践の場である学問所の様子です。
ここ江戸では、あらゆる学問が盛んに行われており、巨大な大学はおろか、町のあちこちに学問を学ぶための場所が設けられているといいます。
そのうちの一つを訪れることにした。

学問所は、まるで一つの巨大な工房のようでありました。
建物は広く、屋内には幾つもの小さな部屋が並んでおり、それぞれで学生たちが熱心にペンを走らせ、書物を読み、議論を交わしていました。
学問所の主は、年老いた文学者や科学者であり、周囲にはその弟子たちが集まっています。
古来の儒学だけではなく、科学や医学、兵法、さらには西洋から伝来した技術に至るまで、さまざまな分野の書物が並んでおり、学びの深さに驚嘆せざるを得ないです。
その上、この学問所はオックスフォードのように歴史ある大学などではなく、数ある学問所の一つに過ぎないと言いますから、驚きを隠せません。

学問所を見て回る中で、私はさらに驚くべき発見をすることとなりました。
それは、江戸での日常的な学びのための道具、特に鉛筆と紙が驚くほど普及していたことだ。
日本では、昔からインクに浸した筆を使った書き物が行われていましたが、近年、特に商人や職人の間では、鉛筆のような道具が広く使われているとのことです。
案内人に尋ねると、「この鉛筆は、三菱鉛筆と呼ばれており、書きやすくて便利だと人気があります」とのこと。
確かに、鉛筆で書く文字は、筆のように滑らかで、また「消しゴム」と呼ばれる道具で簡単に消すことができるので、非常に実用的だと感じました。
さらに、上質な紙も大量に流通しており、一般の商人や職人でも自由に手に入れることができるとのこと。

259:奥羽人:2025/04/27(日) 22:08:01 HOST:sp49-109-148-187.tck02.spmode.ne.jp


江戸の学問所では、この紙と鉛筆を使い、学びを進める者たちがひしめいていた。
その中で私が注目したのは、コペルニクスとガリレオの地動説に関する討論でありました。
私は、地動説がいまだ西洋では物議を醸していることを知っていましたが、ここ江戸では、すでにその考え方が学者たちの間で広く受け入れられており、学生たちが熱心に議論を交わしていたのです。

一人の学者が言います。「コペルニクスの説に基づき、地球は動いているのです。ガリレオの望遠鏡で得られた証拠を見ても、その動きが確認できると言われています」
他の者も頷きながら、「我が国でも、この考え方を取り入れて、航海術や天文の研究が進んでいる」と話しています。
驚いたことに、地動説の議論は、単なる数学的思考や哲学的な話題にとどまらず、実際の技術的応用にまで広がっていたのであります。

私は、この国の学問がどれほど速く進展しているのか、その一端を感じ取りました。
国外から伝わった知識を、独自の技術や考え方に融合させ、さらに発展させていこうという意欲に満ちています。
紙や鉛筆の普及が、こうした知識の広がりに大きく寄与していることは間違いないでしょう。
そして、このような環境が、学問所や各地の寺子屋、さらには町全体に学問を浸透させ、庶民がより高い教育を受ける土壌を作り出していることに、私は感心せずにはいられません。
江戸の学問所では、技術革新や科学の進展が、もはや一部の特権ではなく、誰でも手に入れ、学び、応用できるものとなっているのです。



江戸の外れに足を運んだ私は、今まで見たことのない光景に出くわしました。
その場所は、軍隊の訓練場であり、まさに日本の軍事力の象徴とも言える場所であったのです。

広大な訓練場に並んだ兵士たちは、各々が一糸乱れぬ動きで整列し、見事な戦列を作り上げていました。
その規律正しさに、私は驚きを隠せません。
まるでフランスやプロイセンの大陸軍が整列しているかのようで、列は数百メートルにも及び、どの兵士もまるで精密機械のように動き、その連携の妙は圧巻でした。
指揮官の号令が響くと、兵士たちは瞬時に陣形を変え、歩兵と砲兵が絶妙に連携を取りながら進軍を始めます。

その際、私は火薬の音を耳にしました。

日本の軍隊においては、ヨーロッパでは依然として高価な火薬を惜しむことなく使用し、訓練の中でその火力を最大限に引き出している様子を目の当たりにします。
その火力の強大さは、ヨーロッパでの常識とは異なり、圧倒的であり、戦場において恐ろしい威力を発揮することは間違いないでしょう。

さらに驚くべきは、軍隊がほとんどすべての兵士を銃兵に統一している点であります。
ヨーロッパの軍隊では、未だにパイク兵が一部の軍団に残っており、戦列を守る役目を担っていますが、ここ日本ではそのような戦術は見受けられません。

260:奥羽人:2025/04/27(日) 22:09:31 HOST:sp49-109-148-187.tck02.spmode.ne.jp


この旅を通して、日本という国の発展のスピードとその技術力、商業力に私は圧倒されるばかりでありました。
日本の国力は、まさに欧州の一部大国に匹敵し、時にはそれを凌駕する勢いで発展しています。
特に軍事技術、商業、学問の分野において、既にヨーロッパの先進国をも凌駕しつつあることは、他国からの警戒を呼び起こすかもしれません。

そして、私の故郷オランダにとって、日本との関係がこれからどれほど重要になるかは、ますます明白になりました。
東インドの主導権を日本に奪われたという事実は、歴史の中で今や語られる一つの出来事に過ぎません。
東インドという広大な地域における商業支配は、今や日本の手にあり、私たちオランダはその影響力を薄められ、日々の商売においても新たな競争を強いられています。
だが、私はこの変化を単なる困難として捉えるべきではないと考えます。

むしろ、我が国としては、日本との関係を今後一層強化していく必要があると感じます。
過去に植民地支配の主導権を巡って争ったことがあったとしても、今や日本は単なる商業的なライバルにとどまらず、私たちの未来にとって不可欠な存在となるでしょう。
日本の商業、技術、そして軍事力を考えると、この国とのパートナーシップを築くことこそが、私たちの国益を守る鍵となるはずです。

私は、今後祖国が日本と協力し、互いに利益を享受できる道を見つけ出すべきだと信じています。
特に、商業の分野では、両国が協力して世界の市場に対抗するための強力な連携を築くことが求められるでしょう。
日本の技術力や生産力を取り入れることにより、我々もまた新たな市場に向けた発展を遂げることができると確信しています。
日本との関係をより深め、共に発展し合う道を歩んでいくことこそが、我らにとって最も賢明な選択であるでしょう。






近似世界『東海旅行記 日本見聞記』
著:ツァハリアス・ヴァグナー(オランダ商館長および外交官)

261:奥羽人:2025/04/27(日) 22:10:56 HOST:sp49-109-148-187.tck02.spmode.ne.jp
以上となります。転載大丈夫です。

最近ゆっくり歴史解説系動画にはまっているので、古い手紙が翻訳書籍化されたという体で書いてみました。

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最終更新:2025年12月21日 00:04