872 :名無しさん:2012/03/29(木) 21:03:01
夢幻会の「天保の改革」
―――西暦1846年
少年にとってこれまでの幕府からは考えられない目の前の情景は目をみはるものがあった。
徳川だけではなく他藩の優秀な人材が港に集まっていた。それは長らく鎖国にあった日本がオランダの協力を得てはじめて送り出す西洋への留学生だった。
今、日本では開国に向けた準備が進められていた。留学生の件もその一環だった。
幕府は今すぐの開国では混乱をもたらす。ちゃんと準備をしてから開国をしたい。そのための行程表もあります。そういってオランダを説得して協力させていた。
「西洋の優れた文明を学んで日本の役に立ちたい。」
若さゆえの純粋さで言う少年の名は吉田寅次郎。11歳のときに藩主に講義をしたという逸話を持つほどの俊才を買われて留学生の名簿に名を連ねたのだ。
このような情景は徳川家慶、水野忠邦、鳥居耀蔵ら転生者の夢幻会による徳川幕府の開国を前提とした幕政改革「天保の改革」の成果である。
日本近海に出没する外国船、北方のロシアの脅威、オランダ国王の開国の親書などの要素があったが
アジアの超大国・清が西洋に破れたというインパクトを利用して開国への流れを進めていた。
江戸城のある一画
「ようやく留学生を送り出せたがまたまだ先は長いな。」
男のいう通り課題は山積みだった。朝廷対策や開国反対派の対応、蝦夷開拓、国防の充実などやるべきことはいくらでもあった。
「まったくいくらお金があっても足りませんよ。」
幕府の財政を担当する勘定奉行はため息をついていった。
しかしながらどれもこれも必要なことばかりだ。財政をやりくりして何とかするしかなかった。
夢幻会の目指す徳川幕府の名誉ある退場と新政府の樹立までの道のりはいまだに険しかった。
最終更新:2012年04月09日 20:48