914 :ヒナヒナ:2012/04/09(月) 20:25:10
○特殊事務員


夢幻会では一般生活を送りながら、その中で可能な活動に取り組む。
上層部では夢幻会業務のために役が付けられるという逆転現象も起こっているが、
一般的には現状の役や職務に応じた活動をするのが普通だ。

さて、夢幻会の中のごく一部には専属の特殊事務員という者もいる。
昭和期から夢幻会には、権力の拡大にともなって仕事が集中しだした。
兼務が不可能になるまでに増えた業務、書類処理、内部資料作成。
これらを処理するために、夢幻会勤務という特殊事務職があるのだ。
仕事は守秘義務の塊の様なものなので、身元が確かな人物しかなれないし、
能力よりもその真面目さ、誠実さが求められた。
事務所も「中井書類代行有限会社」や「上野地域印刷」といった
地味でいまいち何をしているのか分からない名前のダミー会社となっていた。

その中の一つ、都築文書出版校閲部という小さな事務所では、
今日も、多くの書類が持ち込まれ、それと同じだけの書類が運び出されていた。
内部の統計処理や、夢幻会でつかう書類の作成、情報の下処理などだ。
彼らの仕事は書類作成であって、分析ではないのだが、
毎日多くの書類をめくっていれば、この国の裏側で何が行われていること、
その断片が嫌でも見えてくる。
もちろん、本当に機密度の高い書類は上層部や情報部だけが処理し、
彼ら事務員に回ってくることはない。

「二酸化炭素の排出量の国際規制に進展がないな。確か3ヶ月前と同じ報告だ。」
「この時代はまた氷河期が来て将来的に気温が下がると言われていましたし、
なにより42年の大規模噴火で冷夏が続いたから、温暖化なんて信じないでしょう。」
「これだけ、大学がデータ出しているのにな。」
「仕方ないですね。人間明確なデータがないと信じないものです。」

小休止でとある男性職員が書類をめくる手を休めて、小さな声で会話を交わす。
同じく小さな声で答えたのは、30代の女性職員だ。
時代の所為もあり女性逆行者達は、この昭和の時代では就ける職業が限られていた。
強力に女性権の上昇を推し進めたアメリカが崩壊していたからだ。
夢幻会活動でそれなりに女性権は確立されつつあるが、
彼ら(辻の意思が大きい)の理想であるおしとやかな女性像が先行しているため、
女性の社会進出はゆったりとしたものだった。
また、夢幻会的には昭和初期には少なからず人命を消費する戦争が控えていたため、
社会進出より家を守って子供を生んでほしいという少々アレだが切実な理由もあった。

さて、この特殊事務職には女性逆行者の受け皿といった面もあった。
彼女らの中には能力はあるが、なかなか活かせる職に就けず宝の持ち腐れになる。
といったことがままあったからだ。
逆行者側も昭和的結婚生活を嫌って未婚のまま過ごすものも多い。
信頼が置ける人物なら性別は問わないだろうと、誰かが言ったため、
それならと、内部組織に登用するようになった。


「このデータもだよ。公害規制がなかなか進んでいないな。」
「4大公害病は上が強権で潰したけど、意識改革がないと第二第三の公害病がでるわ。」
「やっぱり被害がでないと、強固な規制は難しいのかな?」

次の小休止の時間にさっきの男性職員と女性職員がやるせなさそうに会話をしていた。
次第に周囲の職員の目線も集まってくる。

「そこまで。うちは分析組織ではないぞ。」
「でも部長、これ放っておくのですか?」
「我々は機密を知ることができる代わりに、守秘義務を負う。
特殊事務員は仕事上知った事柄について、手をだしちゃならんのだ。」
「うーん、理屈は分かりますが、これどうにかならないのかしら。」
「気持ちはわかるが、我々の領分ではない。仕事に戻りなさい。」

細縁のメガネを掛けた神経質そうな部長は、席から彼女らをなだめると、
仕事に戻るように指示し、自らも書類のチェックに戻った。
何事もなかったように仕事が続けられた。

その日の夕方、部長席にある外部提出用の書類の束の中、
昼間の書類に小さな付箋がつけられているのを見たのはその女性職員だけだった。


第一線を張るだけの能力はないが、サボるといった事はなく黙々と仕事をこなす。
夜になれば、詰まらない事務に疲れたサラリーマンになり、家庭に戻る。
彼らこそこの国の真の縁の下達だった。


(了)

タグ:

+ タグ編集
  • タグ:
最終更新:2012年04月09日 21:26