「んー、このケーキ、おいしいねー」
「ホント、この紅茶も最高ぅー」
「しあわせー」
ここは希望崎学園、軽音楽部部室。
4人の女子学生たちが紅茶とケーキを前に談笑している。
のどかな放課後である。
「本当に平和だよねー、この学園は」
「私たちが入学する前は暴力と破壊が吹き荒れていた~なんていうけど」
「信じられないなー」
この軽音楽部の部室は四方を厚い壁に覆われている。
その為、完全防音が施されており、外に音が漏れることは無い、音楽の練習に集中できる環境である。
なんでも、その昔、今は転校生と化したある魔人がこの部屋を作ったとかなんとか。
「あー、今日のケーキも美味しかったー」
「で、この後なにしよっかー」
「練習する?」
「えーもういいよー練習なんてー! 私達魔人だから、そんなに練習しなくても、適当にやってればそこそこ皆楽しんでくれるでしょー」
「じゃあ、ショッピングとかどう!」
「いいねー、賛成」
「じゃあでかけよっかー」
しかし、彼女たちがこの環境で熱心に練習に励む様子はまったく無い。
この平和な希望崎学園においては、彼女たちのようなふるゆわな存在も今では当たり前のように許されるのだ。
関東も関西も滅んでいない。血も殺戮も暴力もない!
ここは魔人たちが平和で明るく楽しく過ごす希望崎学園。
さあ、君もおいでよ! この空間へ!
ガンッ
突如。
ガンッ ガンッ
外部から、巨大な音がした。
「ん……何?」
彼女たちはその音がする方向へ目を向けた。
その音は、見れば部屋の左奥の壁から発せられている。
ガンッ ガンッ
ガンッ ガンッ
音はどんどんと大きくなっていく。
気づけば、部屋が大きく振動している。
「何……何なの? 地震?」
「いや、これ、多分……外から……」
ピシィッ
遂に、部屋の壁にヒビが入る。
その隙間から、獣のような唸り声が聞こえてくる。
「何なの……?」
「何かが、外から……」
ピシッ ピシッ…… ピシィッ……
徐々に巨大さを増していく壁の穴。
彼女たちは不安に駆られたまま、そこから目を離せない。
そして。
「ガアアアアーーーーーーーー!!」
ガシャァ――――――――ン
巨大な咆哮が響き、壁が木端微塵に崩壊する!!
ガランッ ゴロン ガランッ! 破壊された壁の粉塵と共に、彼女たちのもとへ巨大な何かが転がり込んでくる!
「キャアアアアーーーー!!」
悲鳴を上げる彼女達!! 散り散りになって逃げ惑う!
目を向ければ、転がり込んだのは一つの巨大なグランドピアノであった。
そのピアノは彼女達がこれまで談笑の場としていたテーブルをひっくり返し、紅茶とケーキの残骸を床へとぶちまけた。
粉塵が止む。
そこから一人の少年が姿を現す。
黒縁の眼鏡をかけた、学生服の少年。一見整った、中性的な風貌をしている。
しかし、目は血走り、表情は歪んでおり、前屈みになって、「ハアッ…、ハアッ…」と息を切らせている。
おそらく先ほどのピアノを何度も壁に打ち付けて、壁を破壊し、そのままピアノを放り込んだのだろう。
「貴様らッ……貴様らァァッーーーーーーー!!」
少年はビシッと彼女たちを指さし、叫ぶ。
「そっきから聞いていればなんだ? 練習しないだと?? ずっと平和が続けばいいだと!?」
少年の全身からは、激しい怒りが立ち込めていた。
この完全防音の部屋の会話をどうやって聞いていたのか?
疑問に思う少女たちに、息つく間もなく彼の怒声が浴びせかけられる。
「舐めるなぁァァァァァァァ―――――!! 貴様らっ、そんな音楽でいいと思っているのか。 そんな中途半端な魂の音を人に聞かせる気か?」
「な、なによアンタ? 急に入ってきて!?」
「私たちは楽しんで音楽やっているのよ! それでいいでしょう!1?」
「やかましいぃぃぃーーーーー!!」
少年は、部室に飾られた楽器、ギターやベース、ドラムなどの傍へ近づき、それを手に取った
「見ろっ! この楽器たちはなんだ? ろくに使い込まれていないことは一目瞭然だ。君たちの練習がいかに中途半端か分かる」
「お前たちの音楽はなにもかもが緩すぎるっ!! そんなもの……この僕が許さない!!」
「なによ! 私達が真剣に毎日練習していないように見えるのが気に入らないっての?」
「そうではないっ!!!!!!」
「え……」
「僕が気に入らないのは、君たちの……その楽しければそれでいいと言う、そのふるゆわという奴だっ!!」
そして少年はギターを天井へと投げ放つ。
ガシャア――――ン!! ギターがぶつかり、電灯が落下する。
「ヒャアッ」少女たちが飛び上がって後ずさる。
「いいかっ!! 堕落するなら……もっと徹底的に落ちぶれろ!!」
「練習も中途半端にするなっ!! もう音楽への尊敬なんか一切ないんだという気持ちでもっと徹底的に手を抜け!!」
「な、何言ってるの? この人?」
急に支離滅裂になる少年の話に目を丸くする少女たち。
「そうであって初めて人間の精神を揺さぶれるんだっ! 練習しなくても中途半端にうまい、少し綺麗で楽しい音楽で皆楽しんでくれんるんだからいじゃーん?? 」
「そんなもの、及びもつかない世界があるんだぁぁぁぁーーーーーーー!! 人間性、芸術性、それらを粉々に打ち砕く世界!1」
「僕はそれを知ったっ!! だから君たちに我慢がならない!!」
そして、少年は猛然と駆け寄り、先ほど転がったピアノの傍へ行く。
少女たちはもはやあっけに取られたまま、それを見つめるしかない。
「うおおおおおおおーーーー!!」
そしてグランドピアノを両手で持ち上げ天高く掲げる!!
細身な少年の体のどこにそんな力があるのか。魔人ゆえか。それとも、別の要因によるものか。
「さあ、大地にたてっ!! 僕のグランド・ルージュ・ピアノ」
少年は自分の愛するピアノを大地へと勢いよく振り下ろした!
三本の支柱が、深々と大地に突き刺さる。
良く見れば、そのピアノはところどころが紅く染まっていた。これがルージュの意味なのか。
「そして聞けぇぇぇ――――――――!! ファントム・レクイエム!!!!!!!」
少年はけたたましく叫び声を上げると、激しく全身を、そしてその指先を動かし、その『音楽』を奏で始めた。
その『音楽』は、その少年の激しい動きとは対照的に、どこまでも酷く、深く、暗く、重い。
どこまでも、どこまでも、沈み込んでいく、まさに闇の旋律というべきものであった。
「あ、あぐううううう。ひゃああああぁー……」
「な、なによこれぇぇ……痛い。頭が痛いいぃぃ」
「ひ、酷い、酷すぎます……」
「ふ……ふわふわファントム……ふわふわファントムゥゥ!!」
そんな身の毛のよだつ、この世全てへの絶望を込められたような少年の音楽を聞かされては。
この平和な世界で、ぬくぬくと温室育ちをしてきた少女たちが耐えられるわけがなかった。
演奏を終えた少年は、すっと立ち上がり、脱力したかのように、ピアノの鍵盤へと顔をうずめる。
その勢いでジャジャーーンと音が鳴る。
近くには、4人の少女たちが泡を吹いて倒れたままだ。
「駄目だ……全然駄目だ……。こんな音じゃあ、あの映画には全く届かない」
少年から嗚咽が漏れる。
「あの、あの映画は……、もっとこう、言葉にも出ないような、もっと全ての人間自身のどうしようもなさが伝わる映画だった」
「今、僕に出せるのはこんなゆるい少女たちを苦しめる音だけ」
少年の脳裏に、数年前、美術館で視聴したある映画の映像が思い出される。
少年のアイデンティティーを全て打ち砕いた、あの映画。あの映画が与える絶望と苦悩と悪夢の前には、今の自分の力が足元にも及ばない。
「平和、明るさ、楽しさ……人々を楽しませる。そんなもの、この世界にはなかった」
「あの映画を……僕が封印から解き放ってしまった、その時から」
少年は自己陶酔に耽っている。
涙を流しながら顔を天に向ける。
「神は、望んでいる。この世界に永遠の絶望を。僕はそれに答なければならない」
「今は、例え平和でも、きっとその内争いは起こる。その時に備え、僕はここを音楽部としよう。そしてもっと僕の音を高め……いや、沈めなければならない」
「その時のために、少しでも……、あの映画に近づくために!!」
少年は、そして再び演奏を開始した。再び少女たちの悲鳴が上がる。
研鑽や洗練というものとは程遠いあの映画へ近づくために、ひらすら努力と練習を繰り返す。
その壮大なる矛盾に、少年は、しかし怯むことなくその音を奏で続けるのだ。
いつか来たるべき……、最高の、いや最低の音を響かせる、その日の為に。
希望崎学園軽音部、いや音楽部は、その日から、夜毎に紅い幻影と呼ばれる謎の怪音が響く場所として、
都市伝説的にその名前を刻まれることとなった。
(了)