インターネットの原点
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世界的認知科学者ドナルド・アーサー・ノーマン博士がこの十数年来発し続けているメッセージが「技術中心の考えを排し、人間中心のデザインを……」である。著書『誰のためのデザイン?』など、を通じて使い手を中心にしたデザインの重要性を説き続けたノーマンの影響はコンピュータ業界にも波及し、人々は次第に彼のことを「ヒューマンインターフェースの父」と呼ぶようになる。
ノーマン(1995年)は、コンピュータのデスクトップは現実の机よりもはるかに強力な機能(power)を備えているが、反面、机よりずっと劣っている面もある。使い手は両者がまったく異質なことを知っており、「メタファー(隠喩)」という言葉の限界はこの時点ですでに明白だと述べている。彼は「メタファー」ではなく「概念モデル」というアプローチを提唱している。重要なのは、今何が起きているのかをユーザーがきちんと把握できること、つまり「フィードバック」を与えることである。ユーザーが実行した処理に対して、機械は何らかの反応を返さなければならない。この点を軽視して、現実の事象の隠喩することだけにこだわるのは、まったく誤ったアプローチだと主張している。 彼によれば、コンピュータは我々人間とは違い、社会的背景や知識、常識などの「文化」を持たない存在である。人間のお面などはかぶせず、むしろ眼前にあるのが人間ではないことをはっきりさせた方がよい。エージェントは縁の下の力持ちとして、コンピュータを使うユーザーの目に見えないところで活躍するべきであるとも述べている。たとえば、ユーザーの代わりに書類の変更点を保存したり、昼食から帰って来たら速やかに仕事を再開する準備を整えたり、場合によってはユーザーが採るべき処置を提案したりといった具合である。使い手の流儀を変えるような出すぎた真似はせず、愛想を振りまく必要もない。ただ、作業が円滑に進むように影から手を差し伸べるだけでよいのである。 コミュニケーションは言語を介すると円滑に進まない。たとえ相手が秘書や友達でも、要求やものの使い方などを言葉だけで伝えるのはむずかしい。これは、言語というものが正確さを期した伝達手段としてデザインされていないからである。またそれ以前に、言語を知性的に理解するコンピュータの登場にはまだまだ長い年月がかかる。機械との対話は、ユーザーの「アクション=行動」を介して行なった方がよい。クルマに対して「左に曲がってくれ。いや、もうちょっと左だ。ああ今度は行き過ぎだ」と言葉で語りかけるよりも、ハンドルを必要なだけ回した方が手っ取り早くて確実である。 ノーマンが主張する「概念モデル」はこれとは異なるアプローチを採る。ユーザーに必要以上の情報や想像力を与えるのではなく、「どこをどうするとどうなる」という単純な因果関係だけを明らかにする。彼が高く評価しているNewtonのインターフェースは、誤入力したデータをスクラブマークというジェスチャーで消し、ノートやアドレス情報などのまとまった情報はメニューから「delete」を選択して削除するといった具合に、極めて素朴ではあるが「どこをどうすればどうなる」かを明確にすることである。 ユーザーが直接目にするのは、ファイル共有やさまざまなサービスへのアクセス、アプリケーションの実行、トラブルへの対応などを受け持つ上に載っている、もう1つの層技術である。ノーマンが考えるこの層は、可能な限りシンプルでわかりやすいことを理想としている。できるだけユーザーの考え方や働き方にマッチしたものがよく、下に隠れている複雑で先進的な技術全体を覆い隠さなければならないと述べている。 1つはOSの全機能を担う下層━これは一般のユーザーの目には触れない縁の下の力持ち的な部分で、これらはあくまで技術者やプログラマーの問題といえる。 これらの技術は、ユーザーが必要としている援助を前後の操作から判断して適宜与えてくれる。インテリジェント・エージェントの実現にも一躍買っており、積極的に「よろしければ代わりにやりましょうか?」と手を差し伸べてくれる。今後ユーザーは自分の仕事を、人間に代わって好みを判断するなど、情報を自動的に加工したり選別したりする「エージェント技術」に少しずつ任せていくことになる。