さ
鉄平が中日時代、二軍の試合で守ったことがあるらしい。
08年開幕初戦等で鉄平が使用したもの。決してミスではない。
いちごに負けないくらい好きなもの。
超大物田中と一場が争いを繰り広げる野球実況板のスレ。
田中が勝ち星を収めた日は必ずと言っていいほど立つが、
小物が出てくることはめったにない。
し
野球界の超大物、イチローのこと。
シャーパーこと中島俊哉が、すぽると!の単独インタビューのときに言い間違えられた名前。なんだかシェーバーっぽい。
- 塩川くんはもう帰りましたか?(しおかわくんはもうかえりましたか?)
鉄平がサイン中に女子に聞かれた質問。
完全試合、またはノーヒットノーランを阻止する作戦のこと。
- 実際の商品には山崎選手の直筆サインが入ります(じっさいのしょうひんにはやまさきせんしゅのじきひつさいんがはいります)
「楽天・鉄平 首位打者タイトル獲得記念 直筆サイン入りフォト」の紹介ページに書かれた注意書き。
ホームランのこと。
- 自分は勝負の世界に身を置く者。後退は許されない。(じぶんはしょうぶのせかいにみをおくものこうたいはゆるされない)
名古屋の道をようやく覚え始め、安全運転を推進する土谷選手にも悲しい出来事が訪れた。西区の旧屋内練習場から新しくなった昇竜館へと家路を急いでいた土谷選手。「ここは近道を・・・。」と覚えたはずの細い路地を縫っていたところ、幅がどんどん先細りになっている道に迷い込んでしまった。
車幅感覚にあまり自信は無かったが、「自分は勝負の世界に身を置く者。後退は許されない。」と強気に車を進めた次の瞬間!ガリガリガリ~。けたたましい音と共にピュアホワイトの美しいボディに痛々しい傷が刻まれていった。オロシ金に摩り下ろされる大根のようだった。「・・・痛恨ですよ。」今年少しばかり上がった年棒も全部ペイしてしまうほどの重症だった。
鉄平のライバル。語尾に「常考(常識的に考えての略)」をつける。
本名は中島俊哉(なかしま としや)。
「シャーパー」というニックネームの由来は、本人の書くところによると「「シャープにコンパクトに」という掛け声、僕の地元学校では略して「シャーパー」と言うんです。でも、サーパス時代に「シャーパー」と叫んだ時、みんなの顔に「???」が浮かび通用しなかったんです。それ以降僕は「シャーパー」と呼ばれるようになりました。」とのこと。
612 代打名無し@実況は実況板で 2007/08/05(日) 01:22:26 ID:BCqx4tD40
今日の日刊ゲンダイに 楽天・中島俊哉 年俸500万円のプロ野球選手の生活と意見
「実は付き合って3年目になる彼女がいるんです。2歳年下の同じ九州出身で、去年から
仙台で同棲しているのですが、毎月の家賃が8万円の2LDKで食事から掃除洗濯までして
ボクを支えてくれている。家計のために働くとまで言ってくれている彼女のためにも、
1日でも早く結果を出したい。そして養っていけるだけの給料をもらって、指輪を渡したい
んです。実家では60歳になる親父が糖尿病を患いながら仕事を続けている。早く両親にラク
をさせるためにも、このままでは終われません」
1軍と2軍は移動ひとつとっても天と地。1軍は新幹線のグリーン車、2軍は球団バスで
10時間揺られるなんて日常茶飯事だ。狭いビジネスホテルに泊まることもあるし、食事の品数
も違う。そんな遠征が月の半分くらい続く。さらに自主トレ代などがのしかかるため、中島は
彼女と暮らすまで、食事はお米を炊いて“ホカ弁”でおかずだけ買ってしのいでいたこともあると
いう。オリックス入団時に800万円で購入したセルシオも昨年手放し、180万円のアリストに
買い替えた。つらい遠征でホッと一息をつける時間は、携帯の格安料金プラン「ラブ定額」を使い、
遠征先から彼女に電話するときくらいだ。
秋季キャンプで小学生が鉄平にサインの対価として提示したもの。
鉄平がプロ入りする前は立ち読みしていて、プロ入り後はロッカールームで読んでいる雑誌。
鉄平の誕生日。
オールスターのこと。
- 旬の果物、旬な僕。(しゅんなくだもの、しゅんなぼく。)
鉄平の中での、伝説の投手。
06~07年広島に、08年ヤクルトに所属。
沖縄本島の海を見ると、戻れる気がするもの。
ヤクルトの超イケメン外野手、青木のこと。
背の高さを聞くときにはこう言いましょう。
す
イーグルス入団時の鉄平にとって特になかったもの。
大舞台では、若干支離滅裂になってしまうおそれがある
本名「角 三男 」。
2007年9月24日の「
今日の鉄平」内で鉄平にインタビューをしている最中、近くを通りかかる田中将大を見つけ、インタビューを放棄して田中を追いかけていくところが放送された。
残された鉄平は、1人カメラに向かって「1つでも勝ち星を角さんにプレゼントできるように頑張ります」とコメント。tepperの涙を誘った。
せ
07年をもって現役引退した関川浩一のこと。
鉄平は中日時代から外野の大先輩として慕っていたらしい。
関川の引退試合の際に紹介された鉄平の談話によると、
「中日時代から外野のトップといえば関川さんだった。
雲の上のような人だったけれども、プレースタイルは目標でもあった。
2004年4月30日にプロで初めて一軍に上がった時に
入れ替えるように二軍に落ちたのが関さんだった。
その次の年、関川さんは楽天へ行った。
きっと僕みたいな若造と入れ替わって気持ちは良くなかったと思うけれども、
それでも僕が楽天に入った時に温かく迎えてくれて
いつも「これからはお前がチームを盛り上げろ」というふうにアドバイスを頂いて嬉しかった。
今日はライトに守るのは初めてなんだけれども、
並んで守れる時間を大切に、いい試合にしたいですね。」だそうである。
→
背番号23も見よ。
鉄平がアドバイザリースタッフをしているスポーツ用品会社。鉄平は小学校以来ZETT製品を使用している。
関さんが楽天での現役時代につけていた番号。鉄平は関さんへの思い入れのため、この番号を受け継ぎたいという報道があったが、07年ドラフトで入団した聖沢がつけることに決定した。
鉄平本人がどこまで本気だったのかは不明である。
鉄平が中日時代からずっとつけている番号。06年の契約更改の際には「この番号を自分の番号にしたいと思います。」と語っていた。
オールスターのこと。
- 全国の野球ファンに少しでも名前を覚えてもらいたい(ぜんこくのやきゅうふぁんにすこしでもなまえをおぼえてもらいたい)
オールスター選出を受けての鉄平の発言。
- 仙台大学陸上競技部(せんだいだいがくりくじょうきょうぎぶ)
鉄平・牧田が練習に飛び入り参加したところ。
イケメンセレブ特集の質問「逆に、こんな奥さんはNG! はどんなタイプですか?」(お金使いが荒い、なまけもの、知性教養がない、やさしくない、料理下手、ケチ、口うるさい、子供嫌い、男友達が多い、趣味が合わない、浮気グセ、スタイルが悪い、自分より稼ぐ、体の相性が×、バツ暦あり)に対する、鉄平の回答。
そ
鉄平がよく使うあいづち。
- それなりに痛いけれど大丈夫(それなりにいたいけれどだいじょうぶ)
フェニックスリーグで右上腕部に死球を受けて途中交代した鉄平が、試合後に発した言葉。
06年開幕前夜、母親が送ったメール「スタメンなんでしょ?」への鉄平の返答。
最終更新:2010年05月19日 19:42