世界の森羅万象と天地万物は一つである。従ってそこには始まりと終わりがある。世界を維持する物質と因果たる理があり、それとは別に知情意の精神作用がある。また不合理もある。従って運命というものがあり、変わっていくこともあれば、変わらないこともあり、また運命に逆らうこともある。存在することもあれば存在しないこともある。存在するものを神という。神は他の神の値を決める者である。神はその値に応じて与えたものに与える者である。
宇宙の意思によって天地万物と生命が創造された。様々な因果の結果として今がある。
図 地球史
図 新生代
古生代に存在した超大陸パンゲアは中生代に分裂した。その一つ、ゴンドワナ大陸からインドが離れ、アフリカが離れ、最後に南極が南米と分かれた。南極が極に移動したことで雪が降り始めやがて氷河を形成した。この時北極で活発な火山活動が起きて大山脈が形成されるインドがアジアに衝突し海底から石灰岩を持ち上げヒマラヤ山脈を形成した。風雨により高山は激しく侵食され、河川より流れ出た石灰岩砂礫は大量のカルシウムを供給した。カルシウムは二酸化炭素を吸収した為、更に寒冷化が進行し、北半球にも氷冠が形成された。 氷は光を反射する為、日光を宇宙空間へと跳ね返すので、更に冷えて行って瞬く間に氷河が広がった。逆に少し地表が現れるとどんどんあたたまっていき、一気に氷河が小さくなる。新生代は氷河があったために気候が不安定であったのだ。地球の軌道が変化する十万年の周期、地軸の傾きが変化する四万年の周期、そして駒の軸が回るように地軸も変化歳差運動の二万年周期。 この三つの周期をミランコビッチサイクルというが、この些細な動きに激しく揺れ続けるほど新生代の機構は敏感だった。様々な種が淘汰、洗練される氷期、繁茂して多様化する温暖な間氷期が繰り返された。鮮新生より五百万年の間に氷期は次第に厳しくなっていった。
図 過去500万年の気温変化
図 過去4万5000年の気温変化
古生物の栄枯盛衰の中で猿の仲間が生まれた。中でも類人猿は基本的にアフリカに生息し、間氷期にインドや東南アジアに行っては氷期に後退することを繰り返した。
1600万年前テナガザルとヒト科が別れた。1400万年前オランウータンと別れた。オランウータンはアフリカからの移動先である東南アジアの気候に適応した。1000万年前ゴリラとヒト族が別れた。500万年前アウストラロピテクスからチンパンジーとヒト属が別れた。動物は虫けらに至るまで広く知性を持っているがアウストラロピテクスは10歳児の知性を持ち石器を発明した。180万年前のジャワ原人、北京原人で知られるホモ・エレクトゥスはアジアの広域に及んだ。ホモ・エレクトゥスの知能は小学校高学年並。80万年前、殆ど俺たちと変わらないご先祖様、ホモ・ハイデルベルゲンシスが生まれた。ご先祖様はただ一つ言葉をお話しにならなかった。しかし神様を信じられていた。この頃は文明などなくても適当に遊んでいて食べ物が取れる地球環境の豊かな時期であり、他のホモ属も多く繁栄していた。ホモ属のゆり籠の中から20万年前ネアンデルタール人と俺たちが始まった。
図 全史!
ヒト属の兄弟達が大繁栄していた二十万年前、兄弟の中でも知勇に優れた兄上がヨーロッパで生活しようと試みられた。ヨーロッパは環境は厳しかったが他の兄弟がおらず、大型の獲物を独り占めできたからだ。この兄上は後のネアンデルタール人である。
一方俺たちのご先祖様はヒト属の中でも最後までアフリカでグズグズしておられた。現生人類20万年のうち13万年をアフリカですごした。ご先祖は二十人ずつのグループをお作りになって行動されていた。一箇所に密集すると過猟により動植物を取り尽くしてしまい、また天災に遭うリスクも高まるからだ。定住することは最大の禁忌だった。
その内の一班が声を使った遊びを思いついた。あーとかうーとかいう音を仲間への警告や威嚇に使えることに気づかれていたが、発音を工夫してもっとたくさんの意味を伝えられないかとお考えになった。様々な発音を訓練なさるうちに骨格が急激に変化し様々な音を出し、様々な意味を表現できるようになられた。
話をするのが楽しくなったご先祖はお調子に乗られて、何千人という定住集団をお作りになった。平らなアフリカの大地を歩いていたご先祖は高い樹にお登りになる以外に上に行く方法をご存知でなかった。そのためとりわけ、大人数で協力して高い塔を造る遊びに興じられた。案の定熱帯特有の巨大低気圧が来てすべてが破壊された。ご先祖様は元の通り散り散りになって移住生活に戻られた。時間が経つうちに様々な言語が生まれ、遠隔地の仲間の話していることがわからなくなられた。ご先祖は大災厄を避けるためにすぐに伝承をすることの大切さにお気づきになられた。そのためこのバベルの塔の話が世界最初の伝承となった。
全ての地は、同じ言葉と同じ言語を用いていた。東の方から移動した人々は、シンアル[3]の地の平原に至り、そこに住みついた。そして、「さあ、煉瓦を作ろう。火で焼こう」と言い合った。彼らは石の代わりに煉瓦を、漆喰の代わりにアスファルトを用いた。そして、言った、「さあ、我々の街と塔を作ろう。塔の先が天に届くほどの。あらゆる地に散って、消え去ることのないように、我々の為に名をあげよう」。主は、人の子らが作ろうとしていた街と塔とを見ようとしてお下りになり、そして仰せられた、「なるほど、彼らは一つの民で、同じ言葉を話している。この業は彼らの行いの始まりだが、おそらくこのこともやり遂げられないこともあるまい。それなら、我々は下って、彼らの言葉を乱してやろう。彼らが互いに相手の言葉を理解できなくなるように」。主はそこから全ての地に人を散らされたので。彼らは街づくりを取りやめた。その為に、この街はバベルと名付けられた。主がそこで、全地の言葉を乱し、そこから人を全地に散らされたからである。
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「創世記」11章1-9節
図 バベルの塔
この頃のご先祖はソドムとゴモラの伝承も残された。獲物がたくさん捕れる安全地帯で乱交に興じて、大定住集団をお作りになりそれが疫病や洪水で壊滅することが繰り返されたためだ。
この時代はアフリカ文化の源流であるため、アフリカの民俗を調べればくわしいことがわかるだろう。
図 よくあるネアンデルタール人復元図
ネアンデルタールお兄様もハイデルベルゲンシスも水や砂などで体は綺麗に洗って自然から採れるもので様々な装飾をされていたのではないか。
図 マサイ族
20万年前リス氷期が終わるとホモ属繁栄の時代は終わり、ホモ・エレクトゥス、兄上、我々を除いて絶滅した。10万年前最後にして最強のヴュルム氷期が始まった。
神様とはなんだろうか。基督教の言うような至高の存在をご先祖はお考えになっていたんだろうか。神様とは自然な先祖崇拝のことだ。基督教のヤーウェ神も7万年前に実在したご先祖様のことだ。7万年前インドネシアのトバ火山が百万年に一度の大噴火を起こし寒冷化が急激に進み、150万年永らえた大兄、ホモ・エレクトゥスが絶滅なさった。
オリエント、インド、東南アジアに向かったご先祖の系統はトバ事変により殆どの系譜が途絶えられた。人口も2万人以下にまで激減なさって、史上最大の危機に陥られた。エチオピア高原に残られたご先祖も急激に体つきと肌の色が変わられてしまった。天御中主神はそれまでの行いを大変にご反省なさって、まずそれまでの簡素な布から服をお作りになり、寒さに耐えられるようになられた。コミュニケーションを密に取るようになられ、格段に効率的な狩猟採集ができるようになられた。出生率と育児の成功率も跳ね上がり、それまでの伝承を優れた神話の形にまとめられた。
天御中主神の功績はそれまでの世界史には類を見ない物であり、後世の文化史の源流となったために、後世唯一神ヤーウェと讃えられた。優れた技術革新、精神文化、伝承を携えられたご先祖様は初めて世界進出に成功なさって、その後二度とアフリカに後退なさることはなかった。
一方ヨーロッパは西岸海洋性気候の特徴として気候の変動が少なかった。その為ネアンデルタールお兄様はあまり打撃を受けなかった。
全生命のの根源であるDNAを元に古代史を考える方法が当然ある。男系にだけ受け継がれるY染色体DNAと女系にだけ受け継がれるミトコンドリアDNAがよく使われる。男女入り混じったものよりシンプルでわかりやすいからだ。とりわけY染色体DNAが大変参考になり、よく引合いに出される。
図 Y染色体ハプログループの分布
図 Y染色体の系譜
図 ミトコンドリアDNAの分布
図 ミトコンドリアDNAの系譜
男子と女子では全く違うということが分かる。これは兄弟の拡散期に先祖が男女別行動を取られていた証拠である。安全地帯にいて人をお増やしになる役が女で新地開拓をなさるのが男だったわけだ。これがアダムとイブである。
まずアフリカのサバンナで生まれた我々の内Y染色体ハプログループA型の兄弟を故郷に残されて森林地帯に進出たご先祖がB型の祖となられた。トバ事変で淘汰されてエチオピアに残ったのがモンゴル人の先祖のC型の人であられた。世界初の船である筏を発明なさり、優れた伝承と精神文化を携えられてアフリカの角から紅海を渡ってアラビア半島へと渡られ、更にインドへと渡りトバ事変を辛うじて生き延びられた現地の人々(主に女性)と合流した。バナナなどの種をまくだけの簡単な農業が発明された。この人々はインド先住民ドラヴィダH型の人である。その後アラビア半島で牧畜が発明された。この人々はJ型セム系の人であった。
東南アジアにいらっしゃった宇摩志阿斯訶備比古遅神はD型となられた。北は沖縄まで来られて港川人となられた。その後オーストラリアに向かわれた方々がアボリジニとマオリの祖となった。現在砂漠の広がるオーストラリアは氷河期には大湿地帯が広がりたくさんの動植物がいたため氷河期が終わるまでの6万年もの間黄金時代を迎えていた。
また天之常立神の内北アフリカにいらっしゃったのがハム人の先祖であるE型の人。またギリシャからノルウェーに向かわれたのがI型の人であった。この頃までには釣り針を発明されたため世界の好漁場で生計をお立てになることができた。アラビア半島からカフカス地方に向かわれたご先祖もいらっしゃってG型のご先祖となられた。そこから北にウクライナに向かわれR型となられた。東にカスピ海とアラル海に向かわれては中国の祖先であるQ型とO型の人であられた。北の北極海に向かわれてトナカイの牧畜に成功なされのがN型で、バイカル湖周辺においでになったのがモンゴル人のご先祖であられる。モンゴル人のご先祖は世界で初めて犬を家畜化し蒼き狼を自称した、その一部は北海道や本州日本海側まで到達し、アイヌ人の祖となられ、日本の旧石器文化を形作った。インド先住民ドラヴィダH型の祖である。またベーリング地峡を渡り初めてアメリカ大陸を発見された。カナダのタイガ地帯にいらっしゃった人々が最も繁栄しイヌイットの先祖となられた。また西海岸の漁業地帯を伝って南アメリカまでいらっしゃった。これら全世界のうちインド(H型)、アラビア半島(J型)、エーゲ海(I型)、黒海-カスピ海(G型)、東南アジア(D型)、バイカル湖(C型)の六地域、男系族、女系族、計十二部族が最も繁栄なさった。
3万年前ヴュルム氷期は最寒期となり過去1000万年で地球は最も厳しい時期に置かれた。ヨーロッパの大型動物も絶滅し、2万8千年前技術革新をなさらなかったネアンデルタールお兄様は最後のお一人がジブラルタルでお亡くなりになった。様々な食料を生産することができた我々のご先祖はこの時期を乗り越えられて一万二千年前、氷河期の終焉をお迎えになった。しかしそこでまた兄弟滅亡の危機に直面することになる。先祖がたくさんおられた低地部が海面上昇によって全て水没してしまったからである。
天御中主神は7万年前の昔からこの事態を読んでおられ、手を打たれておられた。それは人口を増やすこと。人がたくさんいれば、その中から確率的に危機を乗り越える天才が生まれると。だから伝承の中で最も重要な言い伝えとして次の言葉を残した。
産めよ殖えよ地に満てよ
そうして東南アジアに伊邪那岐尊がお生まれになった。
大洪水の気配を感じられ、夢で神のお告げをお聞きになった伊邪那岐尊は世界で初めて空気を浮力として利用した方舟をお作りになった。大洪水の日、民族の新天地を求めて小笠原諸島を目指された。コミュニケーションの方法をご研究されて蛭ヶ小島にたどり着かれたあと沿岸伝いに淡路島に上陸された。その後瀬戸内海→東シナ海→日本海の島々を佐渡島まで植民され、それから本州、四国、九州を少しずつ植民されていかれた。
伊邪那岐尊は洞窟を掘る方法、竪穴式住居をつくる方法、林を管理する方法を発明なさったあと、大陸へ安全に航行する方法を発見されて長江へいらしゃった。その後長江を遡りチベットにいらっしゃって、肥料を利用した本格的な乾地農法を発明された。中でも焼き畑農業は簡便であった。とりわけ重要な作物は厳しい乾燥地でも育つ葡萄、逆に水はけの悪い土地では洪水を減らす効果のある桃、様々な材料に使える竹だった。焼き畑の燃え盛る炎で様々なものを熱することで土器と銅を発明された。
先史時代人々は知恵をどうしても絞り出したいとき仲間を生贄として神に捧げた。石器や骨器のナイフを手に握って仲間をバラバラに解体したのである。そうすると極限的な精神状態の中から危機を乗り越えるための良い知恵が浮かんだ。これが哲字の由来である。
図 哲字の字源
中国周代の青銅器に哲の字は左のように刻まれている。手に握った斧で仲間の心臓をたたきつぶす図である。後に動物の心臓になり、更に土器を代用にするようになった。これは氷河時代には世界中に広く一般的な文化だった。
極力生贄は使わない主義の伊邪那岐尊もこの時ばかりは沢山の生贄を捧げられたが、一向に方法がおわかりにならず、お仲間は飢餓で次々に亡くなっていった。絶望して途方に暮れておられたときに肥料の必要性に気づかれた。「我々は普段他の尊い命を犠牲にして生きているが、実は植物が生きるのにもまた他の命が必要なのだ。絶えざる命の循環によってこの美しく神秘的な世界は成り立っている。」乾地農法の発明は本格的宗教の始まりだった。後世、仏教、ユダヤ教の源流となり、また多くの学者の学ぶところとなった。伊邪那岐尊は世界初の本格的な葬儀を発明なさった。
農業を発明された伊邪那岐尊は淡路島に帰られて後継者の育成に励まれた。
女人のご先祖は古来より厳しい立場に置かれておられた。男子のご先祖と同数お生まれになる中から才色兼備の出産能力に優れる女性だけが選ばれ、残りは殺されるか捨てられた。非常食として仲間のご先祖に御身をささげられることもあったし、宗教儀礼における生贄になられることもあった。古来より女性ばかりが生贄になるのはこの名残だ。お釈迦様が前世うさぎだったとき、僧侶に御身を捧げられたお話があるように時代が下った古代の大陸ではさらに状況が厳しくなり男子のご先祖もそのようになされた。厳しい状況に置かれている民族はこのような一妻多夫制が普通で、一夫多妻制でたくさんの女性を養うことは近世に至るまで大変な美徳であり、古代はハーレムを作ることが富豪の半ば義務だった。特に氷河期の末期の諸族は十二諸族も含めて女子が殆どいなくなってしまったためにアフリカ後退の危機に瀕していた。ミトコンドリアハプログループの多様性がY染色体ハプログループよりも小さいのはそのためだ。
伊邪那岐尊の部族は女系部族だったため女子(伊佐波尊)が沢山いた。そこで伊邪那岐尊は伊佐波尊を愛媛県の島に集められてご自分が発見された技術を授けられて世界中に派遣した。
愛比売命は第一に食べ物、第二に技術、その他に可憐な衣装や高い徳を持っておられたため諸族には大変魅力的に映り世界中で歓迎された。愛比売命がお産みになって教育された御子が諸族の未来を担った。その名残で古代は女性が子供の教育を担り、世界中が女系の民族になった。
愛比売命がお産みになった諸族の姫御子を伊邪那岐尊が娶られて生まれた御子を養育し、また派遣した。ハム公がナイルデルタにヤペテ公がアラビア半島にいらっしゃった。また天照大神が中国へ、月読命(セム公)がイランへ、蛭子神(恵比寿天)が東南アジア、素戔嗚尊が日本にいらっしゃった。
素戔嗚尊は後述する蛭子神の操船術を学ばれて大国主命と共に縄文時代を通じて陸地深くまで伊邪那岐尊の日本の開拓事業を完成された。
月読命は恵比寿天の占星術を利用して中央アジアの砂漠を開拓した。
伊邪那岐尊は発見された技術に一つ一つそれを専門で行う職人を配置され代々継承させた。これにより本格的な分業ができるようになり、文明の高度化が可能になった。
伊邪那岐尊は体を淡路島、頭を熊野神社に葬られた。伊邪那岐尊は墓所がはっきりされているので個人だと推測できる。
図 一万年史
伊邪那岐尊の技術革新により兄弟は三千年の栄華を極めた。人口は爆発的に増加し、文化は多様化した。また多くのご先祖が歴史をお忘れになった。だが八千年前地球は再び寒冷化に向かった。月讀命は伊奘諾尊の技術革新を完成した。それは現代のレベルを遥かに超える科学と魔術だ。
科学と魔術に区別はない。科学はヘリオス神と観音様の御権能である。魔術は二柱を介さない神の権能である。
観音様は、メソポタミア文明では母なる海の神マリドゥ神と呼ばれ、西域では広く信仰されている。キリスト教では聖母マリアとなった。古来より沢山の女人や子供が供物に捧げられているため強い神様となった。普通にしていれば誰にでもできる。手順を何も考えずに踏めば誰にでもできる科学の大きな力は観音様の力なのだ。一方ヘリオス神の権能は数学とロジックである。
月讀命の技術革新の結果東欧、ロシア、中央アジア地域は爆発的な発展を遂げるのも束の間、大虐殺、大戦争が相次いだため、月讀命は徹底的な言論弾圧を行い、その秘術は世界中の王族の存するところとなった。そのため中央アジアやロシアは中世まで歴史が消えることになった
月読命が発明されたもので特筆すべきは、不老不死の秘術、反重力装置、UFO、錬金術、核兵器、ワープ、タイムマシン、人造人間だ。人造人間の中には考えることが得意な長頭人、巨人、獣人がいる。月読命は沢山の生贄と奴隷を使ったため、月読命に従ったスラブの人々の自称が後に奴隷、slaveという意味になった。
月読命は北極南極、アメリカ大陸を含め世界中に行った。また南極の外の世界ののことも知り尽くした。地底世界を創り地下からマグマを吹き上げて火星や月などの惑星や、衛星を作った。太陽や恒星の表面も開拓した。